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保育園跡地の拠点〈ホワイトネスト〉の再整備や、栽培試験場での異星植物の調査が続く慌ただしい日々の中でも、時間は容赦なく流れていく。コケアリとの約束の日が目前に迫っていたこともあり、我々はインシの民の都市がある〈砂漠地帯〉へ向かうことになった。
改修工事が続けられる拠点では、昼夜を問わず機械音が鳴り続けていたが、その喧騒すら〈廃墟の街〉の混沌とした日常の中に溶け込んでいた。今や〈ホワイトネスト〉は、軍事研究のための極めて機密性の高い施設になりつつあった。
コケアリの女王に謁見するため、まず〈第七区画・資源回収場〉の砦に向かうことになるが、その前に砂漠地帯にある〈死者の都〉まで赴き、インシの民と合流する必要があった。
異種族でもあるインシの民との約束を果たすと同時に、彼らが何を我々に期待しているのか、それを見極める必要もあった。しかし、警戒は怠らない。都市そのものが未知の情報を蓄積した巨大な記憶装置であると仮定すれば、それがいかに危険な場所なのか理解できると思う。
輸送機に乗り込んだのは、いつものようにハクとジュジュだったが、今回はペパーミントとヒメも同行することになった。
ハクは〈廃墟の街〉を見下ろすように、搭乗員用コンテナの後部ハッチから身を乗り出していた。その背に乗っていたジュジュは、強風に体毛を逆立て、〈アスィミラ〉の鉢植えが吹き飛ばないように短い腕で抱え込んでいた。
ハクのそばを離れればいいだけだったが、上空からの景色を見たいという好奇心のほうが勝っているのだろう。触角を細かく震わせ、ハクの背をベシベシと叩いて、不満を漏らすように口吻を鳴らしていた。
ヒメは機内の座席に腰掛け、静かに外の景色を眺めていた。人形のように無表情だったが、その瞳だけは絶えず何かを観察している。時折、流れていく雲の影を追うような仕草を見せる。そのたびに、そこに人間性が宿っていることを思い出させてくれた。
集合精神とのつながりが断たれたヒメの身体検査を行いたい──インシの民からの要請に応える形になったが、ペパーミントが安全性の確認のため同行してくれていた。彼女の存在は、ヒメにとっても我々にとっても心強い。
もしものときに備えてミスズが指揮する戦闘部隊を同行させることも考えたが、インシの民が搭乗するスペースを確保する必要があったし、死者の都から脱出する際には少人数のほうが素早く動けると考えた。
そのため、人員は最低限に絞られた。それでも輸送機の兵装コンテナには、携行型の徘徊兵器と予備弾薬、緊急用医療ユニットが収められている。閉鎖空間での戦闘を想定した装備を用意していたが、あの都市では銃火器よりも未知の病原体や精神汚染への警戒のほうが重要になるかもしれない。
しばらくして、輸送機は〈廃墟の街〉と砂漠地帯の境界にある薄膜を越える。直後、視界の先に見渡す限りの砂丘が広がる。黄金色の砂が風に削られ、波のような曲線を描きながら、どこまでも雄大な景色が続いていた。
太陽が砂丘に影を落とし、光と影が織り成す模様がゆらめく。遠くの空は澄み切った青で、地平線は熱気に揺れ、蜃気楼のように歪んでいた。
けれど、その美しさは長く続かない。高度を下げるにつれ、砂漠の表面に黒ずんだ筋が見え始める。旧文明期の道路網が砂に埋もれた痕跡だ。ところどころに超高層建築群の残骸が骨のように突き出し、風が吹くたび、内部で空洞化した鉄骨が低い呻き声を響かせていた。
輸送機のセンサーは、砂の下に埋没した構造物を次々と投影していく。地下シェルター、輸送トンネル、崩落した居住区画。それらは砂漠の下に、巨大な生物の血管のように広がっていた。
混沌の侵食によって変容してしまう以前には、旧文明期に築かれた広大な地区が広がっていたのだろう。そのすべては砂に呑まれ、今では地表に露出した一部だけが文明の墓標のように残されている。
到着までのわずかな時間を使い、装備の最終確認を行う。義手の変形機構は拠点で再調整されていたこともあり、動作は滑らかだった。関節駆動時の遅延もなく、神経接続も安定している。ライフルのシステムチェックも忘れずに行う。照準補正や残弾にも問題はなかった。
インシの民は友好的な種族だが、砂漠には危険な変異体が多く潜む。実際、過去に輸送機が巨大な昆虫の群れに襲撃されたことがあった。地中に潜伏し、振動を感知して飛び出してくる甲殻類型の変異体も確認されている。備えは怠れない。
やがて、赤錆色の峡谷が視界にあらわれた。砂漠の黄金色とは対照的に、鉄が酸化したような深い赤が地表を染めている。その裂け目の奥に、インシの民が管理する都市遺跡──〈死者の都〉が隠されている。
上空から見る峡谷周辺の岩壁には、無数の穴が穿たれていた。自然に形成されたものではないのだろう。変異体による掘削の痕跡も残されていて、その周囲には黒い染みのようなものが広がっている。近づくにつれ、それが乾燥した体液や有機物の汚れだと分かった。
砂丘の静寂とも異なる、重く沈んだ空気が漂っていた。ここは、文明が崩壊したあともなお、死の気配だけが風化せずに残り続ける場所だった。峡谷の底からは低い唸りが響いてくる。赤錆色の岩壁を削り出した構造物群は周囲の景観に溶け込んでいて、認識することすら難しい。
輸送機が降下を始めると、機体を覆うシールドの膜に砂粒が叩きつけられ、小さな波紋が連続して広がるのが見えた。ハクは着陸に備え、今か今かと飛び出すタイミングを計っていた。
その中で、ヒメは峡谷の奥に広がる暗闇を見つめ続けていた。その横顔は不思議なほど静かで、まるでこれから向かう場所で何が行われているのかを知っているかのようだった。
断崖に穿たれた坑道のそば、インシの民の石像が四方に立ち並ぶ開けた場所に輸送機を着陸させる。石像はいずれも長衣をまとった昆虫種族の異様な姿をしていて、節くれだった外骨格や巨大な複眼まで精密に再現されていた。
風化した彫像の表面には砂ではなく、黒ずんだ有機物の膜が付着していて、長い年月をかけて体液が染み出したかのような、奇妙な様相を呈している。
輸送機のエンジンが砂を巻き上げ、視界が白く霞む。その砂煙の向こうに、我々の到着を待っていたインシの民の姿が浮かび上がる。彼らは坑道の入り口に並び、触角だけを絶えず震わせていた。
体高二メートル前後、外骨格は硬質で、節くれだった四肢が砂地に深い跡を残す。大顎は鋭く、象牙色の長衣から覗く甲殻に模様が刻まれているのが見えた。儀礼的な意味合いを持つ刺青のようなモノなのかもしれない、峡谷に射し込む陽光を鈍く反射している。
恐怖で足がすくむような姿だが、知性体だと知っている今では、その威容すら種族の特徴に思えた。むしろ恐ろしいのは、その複眼の奥に、人間と変わらない残忍な思考を持ち合わせていることなのかもしれない。
着陸の寸前、ハクが輸送機から飛び出す。すると、巨大な石像の影で休んでいたラガルゲが、砂を払うようにして身を起こすのが見えた。どうやったのかは分からないが、我々が来ることを事前に知っていたようだ。全身を覆う極彩色の鱗に細かな砂粒が付着し、動くたびにサラサラと乾いた音を立てて剥がれ落ちる。
長い尾を含めれば全長五メートルほどにもなるオオトカゲと戯れるハクたち姿は、遠目に見れば怪獣同士の争いにしか見えなかったが、すでに感覚が麻痺しているのか、驚くこともしなかった。それよりも、ラガルゲが我々に同行するつもりでいることを感じ取っていた。
輸送機が所定の位置に着陸したことを確認すると、ペパーミントとヒメを連れてインシの民のもとへ向かう。
そのとき、不意にヒメが足を止めた。彼女は峡谷の奥、坑道に続く暗闇を見つめたまま動かない。琥珀色の瞳孔がわずかに開き、呼吸が浅くなる。ペパーミントがしゃがみ込んで心配そうに声をかけると、ヒメは小さく身を震わせた。
怯えているというより、何かを思い出しかけているような反応だった。しかし、すぐに何事もなかったかのように歩き出す。
インシの民に近づくにつれ、彼らの身体から独特の臭気が漂ってくる。湿った砂と岩、それに血液を混ぜ合わせたような臭いだ。
そこに立っていたのは、兵士とは異なる装束をまとった集団だった。腐った木材を削り出したような不気味な仮面を装着している者たちで、素材は不明だが、表面には乾いた血のような赤黒い斑点が浮かび、仮面の奥の複眼はまったく読み取れない。それでも、彼らが兵士とは異なる役割を持つ者たちだということは分かる。
彼らは我々に向かって恭しく頭を下げたあと、大顎をカチカチと打ち鳴らし、それから都市遺跡へと続く坑道に入っていく。しかし、他の個体のように首筋に翻訳装置を埋め込んでいなかったからなのか、何を話しているのか理解できなかった。
けれどヒメは理解しているのか、こくりとうなずくのが見えた。それから少女は、ペパーミントの手をぎゅっと握りしめると、迷いなく彼らの後を追って歩き出した。
集合精神とのつながりは断たれているはずだが、脳の深層に刻まれた記憶が反応しているのかもしれない。人間の脳は複雑で、失われたはずの記憶がふとした拍子に呼び覚まされることがある。集合精神に支配されていた頃の記憶が浮かんできても驚きはしない。
緊張した面持ちを見せるペパーミントを安心させるように声をかけたあと、ラガルゲと戯れていたハクたちに声をかけ、インシの民のあとを追うように坑道に入っていく。
ラガルゲは入り口の前で一度だけ立ち止まり、暗闇に向かって何度も舌を伸ばした。大気中の匂いを拾い上げて、安全性を確認しているのだろう。その後、低い唸り声を漏らしながら、巨体を岩壁に擦りつける。それが何を意味するのかは分からなかったが、ハクとジュジュも真似をする。
坑道は、赤錆色の岩肌に穿たれた巨大な裂け目だった。薄闇の向こうからは冷たい風が絶えず吹きつけている。その風には、砂漠にない湿り気と腐臭が伴っていた。長い年月、閉ざされた空間で循環し続けた有機物と機械油が混ざり合ったような悪臭だ。顔をしかめたあと、死の記憶が今も沈殿し続ける禁断の土地に足を踏み入れた。







