1000 39〈黄昏の大帝国〉
死者の都の中心地まで続く石畳の敷かれた大通りに出ると、以前、会談に参加した美しい青年が我々を出迎えてくれた。
ゆったりとした濃藍色の長衣に、白や銀の刺毛が入った毛足の長い外套を羽織っていた。布地は一般的な繊維ではなく、節足動物の甲殻から抽出された蛋白質由来の繊維を編み込んだものなのか、光を受けるたびに鈍い真珠色の光を反射していた。都市全体を覆う赤錆色の景観のなかで、その姿だけが異物めいた存在感を放っていた。
集合精神は、今回も昆虫と人間を無理やり融合させたような生物ではなく、交渉のための適切な素体を選択していた。青年は偽物の笑みを浮かべ、機械仕掛けのような滑らかさで頭を下げ、「こちらへ」と無機質な声で告げ、我々を先導するように歩き始めた。
青年を観察していると、瞳孔の収縮にわずかな遅延があることに気がつく。人間を模倣しているのに、決定的な部分だけが噛み合っていないことが分かる。会話の合間に見せる瞬きすら、あらかじめ設定された周期で動作しているように感じられた。まるで、死体を相手にしているかのようだ。
我々に背中を見せるようにして歩く青年のそばには、インシの民の兵士よりも一回り大きな身体を持つ個体がついていた。全身は黒紅色の外骨格に覆われ、仕立てのいい象牙色の布を身にまとった高位の個体で、ひと目で彼の護衛だと分かる。
ヒメはペパーミントの手を握り、いつものように無表情のまま歩いていた。感情の変化は見られないが、なにが彼女の記憶を呼び覚ます刺激になるのか分からないので、注意は怠らなかった。
時折、彼女は建造物を眺めるように周囲に視線を向けていた。壁に埋め込まれた古い装置や、蒸気を吐き出す配管を見るたび、瞳の奥で微かな反応を示した。記憶が刺激されているのか、それとも女神の残滓が何かに共鳴しているのかは判別がつかない。
ちなみに、青年はヒメを一瞥しただけで、それ以上の興味を示すことはなかった。ただ、彼女のことを調べる設備がある場所に我々を案内するとだけ口にした。その態度は不自然なほど淡泊だった。集合精神の器として死に、そして再誕した存在を前にしているにしては、あまりにも反応が薄い。
けれど、それがインシの民の〝普通〟なのかもしれない。異種族に対して人間と同様の反応を期待することそのものがおかしいのかもしれない。
途中、ハクとジュジュはラガルゲと一緒に、オオトカゲの群れがいる囲いの中に入っていく。死者の都に入ってから、ハクが妙に忙しない様子を見せていたのは、ラガルゲの群れが気になっていたからなのだろう。
今回もハクたちを残していくのが不安だったので、ユーティリティポーチから偵察ドローンを取り出して、カグヤに監視を任せることにした。ドローンは重力場を形成しながら音もなく浮遊し、静かに監視モードへ移行する。
囲いの中では、異界由来の巨大な爬虫類たちが、平温動物特有の緩慢な動きで身を寄せ合っていた。砂に埋もれた背中には錆色の砂粒がこびりつき、岩壁の一部として擬態していたことが分かる。ラガルゲはそんな群れの中心で喉を鳴らし、ハクが身を寄せるたび、不満げに尾を打ち鳴らしていた。
赤錆色の都市は、相変わらず死者によって築かれた巨大な墓所のようだった。岩と機械の装置が融合した建造物が整然と並び、どれもが古代文明を思わせるほど荘厳でありながら、どこか歪んでいた。
壁面には見慣れない記号が刻まれ、ところどころに古代の配管が埋め込まれている。その管は今も稼働し、蒸気を吐き出していた。蒸気には鉄と薬品を混ぜたような刺激臭があり、思わず顔をしかめてしまう。
これらの奇妙な造形を見ていると、都市全体が巨大な生命維持装置に接続され、何千年もかけてゆっくり延命され続けているようにも思えた。
建造物の間には、高架状の管路が蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。半透明のパイプ内部では灰白色の液体が循環していて、その流れに沿うように都市の各所で埋設装置が低く唸り声を上げていた。都市そのものを維持するためのエネルギー供給なのか、それとも兵士たちの食糧なのか、それすらも分からない。
しかし生命の気配はほとんどない。ただ時折、蜘蛛のような多脚の機械が路地を横切る。その背では、無理やり接合された人間の頭部が揺れていた。眼窩は空洞で、口は半開きのまま乾ききっている。それが何のための装置なのか、想像すらできなかった。
遠くに視線を向けると、巨大な塔のような構造物が赤い霧の向こうにぼんやり浮かび上がっていた。表面は骨のように白く、無数の支柱が絡み合いながら空へ伸びている。その内部では、鼓動にも似た振動が絶えず響いていた。
都市全体が静まり返っているのに、地鳴りめいた振動だけが地面を通じて足裏に伝わってくるような感覚すら抱かせた。
その石畳の大通りを観察しながら、私は以前から胸に引っかかっていた疑問を口にした。この都市──〈死者の都〉の異様な造形。岩と機械が融合した建造物、見慣れない記号や文字、そして死の気配を孕んだ空気。
それらがどのような文明から生まれたのか、ずっと気になっていた。通りの両脇に並ぶ建造物は、生物の内臓を加工したような構造をしていて、壁面の隙間からは赤褐色の蒸気が断続的に噴き出している。死んだ文明の残骸ではなく、いまなお緩慢に活動を続ける器官に見えた。
だから、インシの民の出自について質問することにした。明確な答えを期待していたわけではなかったが、青年は隠すことなく、種族について話してくれた。
彼は振り返ることなく、静かな声で淡々と語る。その口調には誇りも威厳もなかった。ただ、長い年月のなかで磨耗した記録媒体のような、感情の削げ落ちた響きだけがあった。
インシの民――あるいは〝ドラゥ・キリャンモ〟の文明は、人類が想像できないほど古く、その〝中世期〟には広大な支配領域を持つ帝国が十三ほど興ったという。ただし、三つの大帝国を除けば、それらの帝国は種族全体にとって重要ではなく、さほど語ることがないのだという。
彼らにとって文明とは、個人や国家ではなく、〝支族単位の生存形態〟を維持するための殻にすぎないらしい。帝国が滅びても、遺伝情報と知識体系さえ保存されていれば問題がない。彼らは肉体よりも記録を重視していた。だから都市の墓地には、死者の遺骨ではなく、神経接続された記憶器官が幾層にも埋設されているのだという。
それらの帝国も、千年の歴史を下まわることはなかったが、大帝国のように一万年を優に越えるものは存在しなかった。繁栄し、慰安を享受し、そして混乱のうちに衰退し、滅び、宇宙から姿を消した。それが自然の摂理とでもいうかのように。
彼らは滅亡を否定しない。むしろ文明の崩壊を、生態系における脱皮のような現象として受け入れている節があった。不要になった支族は衰退し、新たな環境に適応した系統が残る。それは残酷というより、ある種の合理性に基づくものだった。
これらの帝国のうち、現存する三つの偉大な大帝国もまた、混沌と秩序の争いに巻き込まれていくことになるが、それは彼らの物語にとって意味はないのだという。
ただ、その最古の帝国のひとつが、彼らの母星を有する〝黄昏の大帝国〟であり、彼らは〝空間の歪み〟に呑まれ、姿を消すことになった〝失われた支族〟のひとつになるのだという。
異なる文明圏を持つ星々を侵略している間に、予期できない空間の乱れとでもいうものに巻き込まれた。青年は〝侵略〟という言葉を、呼吸するのと同じ自然さで口にした。彼らにとって他文明との接触は交流ではなく、生存のための資源確保に近い。
大気組成、生物構造、知性体の神経配置──利用価値があるかどうか。それを確認するために惑星へ降り立つ。そして適応可能なら、侵略し、すべてを略奪し、自らの生態系へ組み込む。
青年が語る〝空間の歪み〟は、我々が知る転移事故とは規模が違っていた。たとえば、恒星間航行に用いられる重力制御機関が未知の位相干渉を引き起こし、惑星規模の空間構造を丸ごと異層へ滑落させる規模の出来事だという。彼らは航行中に異界に入り込んだのではなく、宇宙そのものからずれ落ちたのかもしれない。
ひとつの偉大な支族が空間の狭間に迷い込み、そして意図せずこの砂漠に出現した。そのとき失われたのは帰還のための手段だけではなかった。これまで維持されていた集合精神とのネットワークも断絶し、多くの個体が発狂してしまった。
統一された思考回路を失った兵士たちは、自我の境界を維持できず、互いを捕食し合い、あるいは自ら殻を破壊して死んでいったという。現在のインシの民が不完全な形態をしているのは、その精神崩壊の後遺症でもあるらしい。
彼らは母星や大帝国中枢との連絡を試みるが、それが果たされることはなかったのだという。だから、この世界に適応することにした。人間を捕らえ、研究し、感情と言葉を理解し、そして共生しながら、帰還を果たすための準備を進めているという。
彼らは人間を単なる捕食対象とは見ていなかった。むしろ、極端に不安定な精神構造を持ちながら、それでも高度な社会性を維持できる種として興味を抱いていた。死を恐れ、孤独を恐れ、非合理な感情で結びつく人類を、彼らは奇妙な生態として観察していた。
砂漠地帯で見かけるインシの民の数が極端に少ない理由が、精神障害や転移直後の段階で環境に適応できなかったことに関係しているのかと思っていたが、どうやら違うようだ。実際には、種族の大部分は活動を停止したまま地下で眠りについているのだという。
種を存続させるための必要最低限の個体だけが地上に出て、都市を維持し、外部文明との接触を行っている。現在見えているインシの民は、巨大な群体の末端神経にすぎなかった。
この砂漠の地下深くに、彼らの母船とでもいう超構造体が埋まっていて、そこでは数えきれないほどの同胞が眠りについている。青年は、それを宇宙船ではなく〝繭〟に近いものだと説明してくれた。
地底深くに埋設された超構造体の内部には、栄養液に満たされた休眠槽が並び、兵士、技術者、生殖個体までもが低代謝状態で保存されている。砂漠地帯の各所で感じられる低周波の振動は、その超構造体が今なお活動を続けている証拠なのかもしれない。
眠り続ける異種族の軍勢。それが目覚めれば、この世界の均衡を一瞬で崩すほどの数になる。コケアリがインシの民を警戒する理由が分かったような気がした。
そして同時に、この〈死者の都〉に漂う異様な静寂が、滅びた都市の静けさではないことも理解する。地中深くに眠る異種族が、目覚めの時を待つ嵐の前の静けさなのだと。







