鎖と短剣
短剣と黒鎖が描く円軌道は、まさに全方位を削り取る死の領域そのものだった。
シャルヴィエラは一歩たりともその場から動いていない。
ただ気怠げに両腕をたゆたわせ、腕で鎖の軌道を優雅に操るだけで、押し寄せていた数十の衛兵は瞬く間に肉の塊へと変貌していく。
地を砕き、倒壊する建造物の破片と血沫が舞い散る中、やがて刃の交差する甲高い音も、兵士たちの惨叫もぴたりと途絶えた。
「あらぁ……もう終わりぃ?」
静寂が戻った路地裏で、シャルヴィエラは満足そうに口元を緩めた。
周囲に転がる亡骸の山など目にも留めず、ジャラ……と腕へと巻き戻っていく鎖の感触を愉しむ。
気だるげな足取りのまま、シャルヴィエラは半壊した巨大な建物の屋根へと軽やかに飛び移った。
高所から第一区画を見れば、自分の引き起こした破壊の嵐によってパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う人々の姿を見ることが出来る。
「やっぱり、全員殺す方が簡単そうねぇ」
人間の死体が散らばる街並みに心地よさを覚えていた、その時だった。
重厚な鉄の踏み鳴らし音が、崩壊した街路に響き渡る。
人波が引いた街道の真ん中から突如として現れたのは、全身を隙間なく黒鋼の鎧で包んだ、常人を遥かに凌駕する体躯の巨漢だった。
巨漢は手にした巨大な戦斧を構え、威圧的な殺気を隠そうともせず、屋根の上のシャルヴィエラを睨み据える。
「あらぁ……自分から死にに来てくれたわぁ」
どこか愉悦を孕んだ溜息を吐き出す。
シャルヴィエラが腕を振ると、再び細い黒鎖がジャラ……と狂暴な金属音を立ててその腕から解き放たれた――
――同刻、第一区画の屋敷。
ここ数日、リシェラは胸の引っ掛かりが取れずに過ごしていた。
窓の外から差し込む日差しをぼんやりと眺めていると、廊下から足音が近づいてくる。
姿を見せたのは、庭での日課の鍛錬を終え、風呂上がりでさっぱりとした様子のゼクフィスだった。濡れた長い緑髪を拭いながら、気だるげに身支度を整えている。
「ゼクフィス、お疲れ様。少し、いい……?」
「あぁ?何だよ、リシェラ」
リシェラは胸の前に手を添え、少し真剣な眼差しでゼクフィスを見つめた。
「お母さんの情報を探すためにここに来て、もう結構な時間が経つでしょ?でも、どれだけ手を尽くしても一向に手がかりが見つからないの。……だから、そろそろこのユラカディピアを出ないかと思って」
ゼクフィスは手を止め、ふむと小さく首を動かす。
「そうだな。テメェが潮時だって思うんならそうなんだろ」
「じゃあ……」
「もう少し修行はしておきたかったが……まぁいい。明日にでもここを出るぞ」
「分かったわ。急いで準備をしないとね」
リシェラはホッと胸を撫で下ろしたものの、すぐにまた何かを思い出すように眉をひそめた。
「それとね、ゼクフィス。……やっぱり気になるの」
「何がだ?」
「この前の、あの不審者のことよ。……どうしても頭から離れないの。私、本当はどこかで彼に会ったことがあるんじゃないかって」
それを聞いたゼクフィスは、心底呆れたように大きな溜息を吐き出した。
「……またその話か。何度も言わせんじゃねぇ。あれはどう見ても、ただの狂人だ。テメェの気のせいに決まって――」
ゼクフィスが言い終わるより早く。
――ドドォンッッ!!
第一区画を激しく揺さぶる、凄まじい爆発音が鼓膜を打ち破った。
床を突き上げるような激動と同時に、窓ガラスがガタガタと悲鳴を上げて震えた。
「な、なに……!?」
リシェラは咄嗟に壁を掴み、崩れそうになる体勢を立て直す。
ゼクフィスもまた、濡れた髪を拭いていたタオルを即座に放り捨てると、野獣のような鋭い目つきで一瞬にして警戒態勢へと移行していた。
「屋敷の中じゃねぇな」
二人は示し合わせたかのように同時に駆け出し、庭へと面した大きなバルコニーの窓際へと取り付く。
「あぁ?んだありゃ……」
ゼクフィスが絶句し、リシェラは息をのんだまま目を見開いた。
視界の先に広がっていたのは、見慣れた壮麗なユラカディピアの街並みではない。
遥か上空――『都市国家ユカラディピア』の天頂を覆う青空に、まるで巨大なガラスが粉々に打ち砕かれたかのような、凄絶な漆黒の亀裂がどこまでも網の目のように広がっていたのだ。
亀裂の隙間からは不気味な黒い粒子がチラチラと降り注ぎ、街のあちこちからは巨大な炎と黒煙が立ち上っている。
奇しくもそれは、崩壊した正門の頂上で息をのんでいたファイたちが目撃している光景と、まったく同じ地獄の様相だった。
「空が……割れてる……!?」
目の前の現実を疑うリシェラだったが、激しい衝撃音は絶え間なく鼓膜を打ち続けている。その音の発生源は――街の中心部、目と鼻の先だ。
「ゼクフィス、行くわよ!」
「あぁ、疾く、行くぞ!」
二人が即座に部屋を跳び出そうとしたその時、廊下の奥から青ざめた顔の使用人が慌ただしく駆けつけてきた。
「リ、リシェラ様!ゼクフィス様!外は大変なパニックです!危険です、どうか屋内でお控えを――」
「ごめんなさい!」
制止しようと手を広げた使用人の言葉を、リシェラは遮るようにして走り抜ける。
「安心しろ。無茶はしねぇよ」
ゼクフィスも足を止めることなく吐き捨てると、腰に剣を装備し、玄関扉を蹴破らんばかりの勢いで外へと跳び出した。
「お二人とも――っ!?」
忠実な使用人の悲鳴のような引き止めを聞き流し、二人は屋敷の敷地を蹴って街へと飛び出していく。
――街道へ出た瞬間、押し寄せてきたのは逃げ惑う群衆の怒号と絶叫だった。
「逃げろっ!魔族だ!」
「第一区画が、街が崩壊するぞっ!」
パニックに陥り、我先にと逃げ惑う避難民の波。
リシェラとゼクフィスは、押し寄せてくる人波を巧みに押し分け、時に屋根を足場にして跳躍しながら、凄まじい破壊音が鳴り響く中心地へと一直線に疾走する。
一歩近づくごとに、肌を刺すような異様な殺気と、鉄と血の臭いが濃くなっていく。
「この先だ……」
不気味な衝撃音と凄まじい風圧が吹き荒れる中、二人は怒りと警戒を露わにしながら、惨劇の渦中へと突き進んでいく。
――そして二人がついに音の渦中、中心地へと踏み込んだ瞬間――その足が、凍りついたように止まった。
「……な、に……これ……」
リシェラは息を詰まらせ、両手で固く口元を覆った。
視界を埋め尽くしていたのは、あまりにも凄絶な地獄絵図だった。
かつて第一区画の繁栄を象徴していた美しい石造りの家々は、跡形もなく粉砕されて瓦礫の山と化している。街道を覆っていた綺麗な石畳は無残に引き裂かれ、抉り取られた地表からは黒煙がくすぶり続けていた。
だが、真の絶望は建造物の破壊などではなかった。
崩れ落ちた壁の隙間に、抉れた路地の中心に、そして逃げ道を塞がれた物陰に――無数の死体が打ち捨てられていたのだ。
切断された長槍を握りしめたまま息絶えている第一区画の衛兵たち。強固なはずの金属甲冑は、まるで紙細工のように綺麗に断ち切られ、大量の鮮血が街道を赤く染め上げている。
それだけではない。逃げ惑う途中で巻き込まれたのであろう一般市民たちの死体もまた、街のあちこちに無差別に転がっていた。
生き残った者の悲鳴すら存在しない。
ただ、充満する圧倒的な死の匂いと、不気味なほどの静寂がその場を支配していた。
血の海と化した惨状の、まさに真ん中。
崩れ落ちた広場の中心に、その女は佇んでいた。
――ズサッ、と。
生ぬるい風に乗って、重い物体が地を転がる湿った音が響く。
見開かれた両目のまま地面を転がっていったのは、今まさに首を断ち切られた第一区画の衛兵の頭部だった。
「これで何人目かしらぁ」
気怠げに呟きながら、金髪の女は、両腕に繋がれた漆黒の鎖をジャラ……と滑らかに手繰り寄せる。
その指先で弄ばれる二本の短剣の刃先からは、未だ温かい鮮血が滴り落ち、赤黒い滴となって足元の血溜まりへポタリと落ちた。
息をのむ暇すら与えない圧倒的な殺意と、狂気的なまでの軽薄さ。
金髪と、その額から禍々しく突き出た二本の角が、煙の中で異様に浮かび上がっている。
「……魔、族……!」
リシェラが息を詰まらせる。
ゼクフィスの手のひらには瞬間的に嫌な汗が滲んだ。
目の前に転がる無数の死骸と、破滅し尽くされた第一区画の惨状。その全てを、ただ一人の手で、それもまるで散歩でもするような雑さで引き起こした怪物が、今そこに立っていた。
金髪の女は足元に転がった首無しの屍体を踏み越え、ゆっくりと二人に顔を向ける。
「あらぁ……?」
首を少しだけ傾げ、退屈そうだったその瞳に、ほんのわずかな愉悦の光を宿す。
「自分から死にに来てくれるなんて、人間は優しいわぁ」




