道
ルナネアの家に着いた。
「……待たせたな。こっちの準備は整った」
「おかえり、ファイ。……それじゃあ、出発でいい?」
ルナネアは俺の顔に滲むわずかな陰りを感じ取りながらも、努めて明るく微笑んでくれたようだ。
初めて会った時に比べたら、とても明るくなってきていると感じる。
ヴレイヴァはというと、腕を組んだままフンと鼻を鳴らし、何も問うてはこない。その沈黙が、今の俺にはありがたい。
「第一区画に行く前に、まずは村へ寄ろう。足を確保したい」
「村……?うん、分かった」
俺たちは家を後にし、俺が先ほどまでいたあの村へと向かった。
足を踏み入れた瞬間、空気の変化に二人が息をのむのが分かった。
血の匂いがかすかに残る村の跡地。だがそこには、家々の横に、静かに立ち並ぶ無数の小さな土の山があった。
一つひとつ、丁寧に手で掘られ、整えられた墓標。
「これは……ファイが……?」
ルナネアが声を震わせ、並んだ墓標と、俺の傷だらけで黒く汚れた両手を交互に見つめる。
俺は何も言わず、ただ小さく頷くだけに留めた。言葉にしてしまえば、また胸の奥の黒い渦が溢れ出しそうだったからだ。
――元々は、ここで馬を三頭借りていく算段だった。
村の厩舎へ向かうと、幸いにも小屋の中に怯えた様子の馬が数頭残されていた。
「よかった、無事だったか……」
俺が馬の首筋を優しく撫でて落ち着かせていると、ルナネアがそっと馬に近づき、困ったように眉を下げた。
「あの、ファイ……わたし、一人で馬に乗ったことなくて」
「あ……そうか」
言われてみれば当然だ。ルナネアが一人で遠出することなんて、今までなかったのだから。
「我に相乗りするなど許さんぞ。我の後ろに他者を乗せるなど、万死に値する」
ヴレイヴァが即座にけんもほろろに言い放つ。相変わらずの言い草だが、最初からヴレイヴァに頼むつもりもない。
「分かってるよ。……じゃあ、馬は二頭借りよう。ルナネアは俺と一緒に乗ろう」
「ごめん、足引っ張っちゃって……」
「気にするな。助け合う、だろ?」
俺は二頭の馬の手綱を取り、一頭をヴレイヴァに渡した。ヴレイヴァは慣れた手つきで馬に跨がり、不敵に不敵な笑みを浮かべる。
「手惑うなよ。我の歩みに遅れることは許さん」
俺はルナネアを先に馬背へと引き上げ、そのすぐ後ろに跨がった。ルナネアの背中から伝わる小さな温もりが、冷え切っていた心にほんの少しだけ生気を呼び戻す。
「しっかり掴まってろよ」
「うん。よろしく、ファイ」
ルナネアがキュッと俺の手綱を握る腕の横に手を添える。
俺は立ち並ぶ墓標に向かって最後にもう一度だけ視線を送り、手綱を強く握りしめた。
「よし――出すぞ!」
馬の腹を蹴り、俺たちは静かな村の跡地を蹴って走り出した。目指すは、『第一区画』。
馬の蹄の音が、静まり返った村の跡地に力強く響き渡る。
俺たちは並んで風を切り、慣れ親しんだ森の深部へと足を踏み入れて走らせた。
頭上を覆う鬱蒼とした大樹の枝葉。隙間から零れる木漏れ日が、目まぐるしく視界を通り過ぎていく。
木々の間を抜ける風を感じながら、俺は前に乗せたルナネアの気配に意識を向けた。
ルナネアにとって、この森は生まれ育ち、そして一度も外へ出たことのない、世界の全てだったはずだ。
鬱蒼とした緑のトンネルが徐々に途切れ、視界の先で眩しい日光が弾けた。
森の出口――その境界線を越えた瞬間だった。
「っ……!」
ルナネアが息をのみ、手綱を握る腕を抱え込むようにして、キュッと力強く掴んできた。
服越しにも伝わる、彼女の指先の微かな震えと緊張。初めて外の世界へと踏み出す不安と恐れが、その手に込められているのが痛いほど伝わってきた。
「大丈夫だ、ルナネア。俺がいる」
「うん……っ」
ルナネアが初めて外の世界を見る。
「……すごい、木がない……広い!」
ルナネアの目の前に広がるのは、見渡す限りの見知らぬ地平線と、どこまでも青い大空。
怯えながらも、その美しい瞳には、溢れんばかりの輝きと好奇心が宿っていた。俺はルナネアの落ちないように腕をしっかりと回し直し、馬の速度を維持する。
視界が開けた街道を進みながら、俺はふと、前方を堂々と駆ける男の背中に目を向けた。
漆黒の馬を見事に乗りこなし、風を切るヴレイヴァ。
ずっと胸の奥で引っかかっていた疑問が、不意に口をついて出た。
「ヴレイヴァ」
「何だ、ファイ・ニアス。我のあまりの華麗な騎乗に見惚れでもしたか?」
相変わらずの調子で振り返りもせずに返してくるヴレイヴァに、俺は反論を噛み殺しながら尋ねる。
「ずっと聞きたかったんだが……お前、なんであんな森の奥深くにいたんだ?あそこはエルフの村くらいしかなくて、普通のやつなら立ち入らないような場所だろ」
問いかけると、ヴレイヴァの馬の脚が一瞬だけ乱れかけた気がした。
だがすぐに何事もなかったかのように姿勢を正すと、彼は仰々しく片手を掲げ、前髪で隠れた自らの片目をそっと手で覆った。
「愚問だな。我をあの地に導いたのは――この『魔眼』の導きよ」
朗々と語るヴレイヴァの声には、相変わらず得体の知れない自信が満ち満ちている。
「我の『魔眼』が、運命の交差する場所としてあの森を示したのだ。全ては我が深遠なる意志の脚本通り……」
……多分、ぶらぶら歩いてたら迷い込んで着いちゃったパターンだな。
思わず呆れた視線をその背中に向ける。
大層な理由をこねくり回しているが、要するに当てもなく彷徨っていたら偶然あの島に辿り着いたのだろう。相変わらず変なところで格好をつけるやつだ。
「……そっか。『魔眼』の導きなら、仕方ないな」
「なんだその妙に冷めた納得は。貴様、今この我の崇高な導きを疑ったな?」
「疑ってないって。……ありがとな、ヴレイヴァ」
言葉を濁して前を見据える。
「それをやめろ。調子が狂うだろ……!」
いつか聞いたような台詞と共にヴレイヴァがこちらを見る。
まぁ、きっかけがどうあれ、あの時ヴレイヴァが森にいてくれたから、俺たちはこうして生き延び、前へ進めている。迷子だろうがなんだろうが、こいつが俺の仲間であることに変わりはない。
「ルナネア、第一区画まではまだ距離がある。疲れたら言ってくれ」
「分かった。でも、大丈夫。わたし、もっと見てみたい……この世界の向こう側を」
ルナネアの手から少しだけ力が抜け、代わりに確かな頼もしさが宿るのを感じた。
風を突き抜け、馬たちの足音が大地を強く叩く。
残してきた過去の痛みを背中に背負いながら、俺たちは『第一区画』を目指して走り続ける。




