贖罪
焦土と化した島を後にし、俺たちはルナネアの家へと向かった。
島を覆っていたあの不気味で重苦しい空気は消え去り、澄んだ風が静かに頬を撫でる。だが、その静けさがかえって、失われてしまったものの大きさを残酷なまでに際立たせているようでもある。
「やっぱり我が家って、落ち着く」
木漏れ日が柔らかく差し込むルナネアの家に足を踏み入れると、ルナネアがホッと肩の力を抜き、深く息を吐き出した。
死闘の連続だった数日間の狂気が、まるで嘘のような温もり。汚れた靴を脱ぎ、俺も一気に全身の緊張を解いた。
「まずは……ご飯。すぐ準備するから!」
ルナネアが腕をまくり、パタパタとキッチンへ向かう。その背中を追うように、ヴレイヴァが一つしかない椅子に不機嫌そうにドカリと腰掛けた。
「我の美眼に見合う飯を作るがいい」
「偉そうなこと言うなら、ヴレイヴァの分は無しな。俺が全部食べる」
「誰が無用と言った!我の糧となる栄誉を貴様ごときにはやらん!」
「二人とも喧嘩しない。ヴレイヴァの分も美味しく作るから待ってて」
くすりと笑うルナネアの表情に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
しばらくしてテーブルに並べられたのは、出来立ての温かいスープと香ばしく焼かれたパン、そして新鮮な野菜のポトフだった。
豪勢な料理ではない。だが、極限状態を生き延び、ボロボロになった俺たちの身体には、何よりのご馳走だ。
「「「いただきます」」」
温かいスープを一口口に含んだ瞬間、じんわりと胃の奥から熱が広がり、強ばっていた身体が解けていく。
「……美味い。美味いな、これ」
「素材の味は悪くない。この我の舌を微かに満足させる程度には、な」
「ヴレイヴァ、スープおかわりあるよ?食べる?」
「……貰おう」
意地を張りつつも素直に器を差し出すヴレイヴァに、思わずルナネアと顔を見合わせて小さく笑う。
――食後は、温かいお風呂だ。
順番に入り、肌にこびりついた血と泥、そして焦煙の不快な臭いを綺麗に洗い流す。湯船――といっても木製の簡易な物だが――に浸かった瞬間、思わず「はぁぁ……」と情けない声が漏れてしまったが、生きてここに帰ってきたという実感が、じわじわと身体の芯まで染み渡っていくようだった。
さっぱりとした服に着替え、部屋のテーブルを囲む。
湯気の立つお茶を一口飲み、俺は意を決して二人を見つめた。
「……さて。これからどうするか、だけど」
俺の言葉に、ルナネアが表情を引き締め、ヴレイヴァが興味有りげに視線を向けてくる。
「俺は……『第一区画』に行きたいと思ってる」
「第一区画……?」
ルナネアが首をかしげる。
「あぁ。そこには……話さなきゃいけないやつらがいるんだ。この旅のこと、そして――これから俺がどう生きていくのか。直接会って、決着をつけたい」
自分の内に秘めた思いを誤魔化さず、まっすぐに伝える。
ヴレイヴァは脚を組み、不敵な笑みを浮かべた。
「……第一区画、か。いいだろう、我の行く舞台としては悪くない」
「ヴレイヴァ、相変わらずブレないな……」
苦笑しつつも、俺は隣に座るルナネアを見た。
「ルナネアはどうだ?俺の我が儘につき合わせる感じになって申し訳ないんだが……」
「何言ってるの、ファイ」
ルナネアはまっすぐ俺の目を見つめ、優しく微笑んだ。
「さっき誓った。助け合うって。ファイが行くなら、わたしも一緒に行く。それに……世界をもっと見てみたいって、思ったんだ」
「……ありがとう、二人とも」
「じゃあ早速準備をして出発――」
「待ってくれ」
立ち上がろうとしたルナネアを、俺は制した。
「出発する前に……寄り道したいところがあるんだ」
「寄り道?」
「……あぁ。俺一人で行ってきたい。ちょっと、やっておかなきゃいけないことがあって」
二人に余計な辛さを背負わせたくなかった。
ルナネアは少し不思議そうな顔をしたが、俺の表情に漂う重い気配を感じ取ったのか、それ以上は追及せずに静かに頷いてくれた。
「分かった。じゃあ、わたしとヴレイヴァはここで出発の準備をして待ってる。気をつけて行ってきて、ファイ」
「あぁ、すぐ戻る」
ルナネアの家を出て、俺はひとり足早に歩いた。
向かう先は――少しの間、身を寄せていた、あの小さな村だ。
村がどうなったか……ピピやリュリュ、そして村のみんながどうなったか。そんなことは、分かっていた。頭では、嫌というほど理解していたんだ。
――それでも。
自分の目でその現実を見るのは、やはり耐えがたいほどに辛い。足を進めるにつれ、鼻をつく血生臭いな空気と、死の臭い。
「……っ」
息が詰まる。静まり返った村の跡地には、ただ風が吹き抜ける虚しい音だけが響いていた。
分かっていたんだ。こうなっていることなんて。
それなのに、いざこの景色を目の前にすると、膝ががくがくと震え出し、胸が押し潰されそうになる。
村を、一歩、また一歩と重い足取りで歩く。
――そして、見つけてしまった。
瓦礫の陰に倒れていた、小さな影を。
「リュリュ……」
声が掠れる。
駆け寄り、その場に膝をつく。
視界に入ってきたのは、かつて俺の周りを無邪気に走り回り、「ファイお兄ちゃん!」と笑顔で懐いてくれていた、幼い子供の冷たくなった姿。
知っていた。生きていないって、分かっていた。
だけど――動かない、切り刻まれた小さな身体に触れた瞬間、胸の奥が焼き切れるような痛みに襲われた。
「あっ……う、ぁ……っ」
喉から情けない声が漏れ出る。視界が急速に歪み、涙がポロポロと溢れて泥の上にこぼれ落ちた。
――リュリュだけじゃない。
視線を巡らせれば、あちこちに村の皆の死体が転がっていた。
誰一人、逃げ切れなかったのか。
俺がこの村にいたから。俺がこの村にやってきたから、被害を――メラリカをここに引き寄せてしまったんだ。
頭の中で、ぐるぐると黒い後悔と狂おしい罪悪感が渦を巻く。あまりの胸の痛みに、激しい吐き気が喉まで込み上げてくる。
「ごめん……ごめんな……っ」
ボロボロと涙を流しながら、膝をついたまま、必死で泥を掘り始めた。
武器も、道具も使わない。
ただ己の両手で、泥を、硬い土を、必死に掻きむしるように掘り進める。
誰かに頼むわけにはいかない。ルナネアやヴレイヴァの手を借りるわけにもいかない。
俺がこの村に災いをもたらし、俺が無力だったから皆死んだんだ。
一人で全員を埋めること。
この痛みを直接両手に刻みつけ、冷たくなった一人ひとりを手厚く土に還すこと。
それだけが――何もできなかった俺に残された、唯一の、そして惨めな謝罪だ。
指先から血が滲む。土と自分の血が混ざり合い、手が黒く赤く汚れていく。
それでも、痛みなんて何一つ感じなかった。
胸の痛みの方が、何百倍も酷かったから。
まず、ピピとリュリュのための小さな穴を二つ。
そこに、冷たくなった二人の身体を、壊れものを扱うようにそっと横たえる。
着ていた服の袖で二人の顔の汚れを優しく拭い、周りに咲いていた小さな野の花を摘んで添えた。
「寒くないように……ゆっくり、眠れよ……」
土を被せ、小さな土の盛り上がりを造る。
それから、俺は立ち上がり、村のあちこちに横たわる遺体を一遺体ずつ、丁寧に集めて回った。
重い大人の身体を運ぶたび、腕の筋肉が悲鳴を上げ、身体が痛んだが、手を止めることはしない。
一人、また一人。
土を掘り、横たえ、土を被せる。
一つ、また一つと増えていく土の山。
太陽がゆっくりと空を巡り、影が伸びていく。
――数時間ほどだろうか。
呼吸をするたびに肺が焼き切れるように痛む。
最後の村人の上に土を被せ終えたとき、村の跡地には無数の静かな墓標が並んでいた。
その墓標たちの中心で、力尽きたように両膝をつく。血まみれの手を地面につき、額を冷たい土に擦り付ける。
「ごめんなさい……っ!!ごめんなさい……!!」
掠れた声で、誰も聞いていない謝罪を何度も、何度も繰り返す。
涙が土に染み込み、小さな黒いシミを作っていく。
分かっていた死だ。分かっていた現実だ。
だけど、自分の手で全員を埋めたことで、彼女らがもう二度と笑わないという現実が、容赦なく俺の魂に刻み込まれた。
悔しい。情けない。自分が嫌で嫌でたまらない。
――やがて、頬を撫でる風が少しずつ冷たくなってきた頃、俺はゆっくりと顔を上げた。
溢れ出る涙を、汚れた腕で乱暴に拭う。
墓標の向こう、昇りきった太陽が世界を染めていた。
「……謝って済むことじゃないのは、分かってる」
震える声で、静かに言葉を吐き出す。
「許してくれなんて言わない。俺がやったことは……俺が救えなかった命は、一生消えない」
両手を握りしめる。
「だけど……俺は逃げない。お前たちが生きたかったはずの時間を、俺はルナネアたちと一緒に、生き抜いてみせる。もう二度と……大切な人を目の前で死なせたりしない」
それが、残された俺にできる唯一の誓いだ。
立ち上がり、最後にもう一度、静かに立ち並ぶ墓標へ深く一礼する。背中に重くのしかかる悲しみと、消えることのない罪悪感。
それを背負って生きることが、俺の戦いだ。
振り返らず、力強い足取りで歩き始めた。
ルナネアとヴレイヴァが待っている、あの家へ。
そして、すべての因縁に決着をつけるために――『第一区画』へ向かうために。




