二人の魔呪綴師(まじゅつし)
静寂を愛する神が住まう場所は、今や光と鉄の爆音に支配されていた。
「これ以上!追わせないって言っているでしょうッ!」
リシェラが両手を天空へ突き出すと、教会のステンドグラスがその魔圧に耐えかねて一斉に悲鳴を上げた。
「独自魔呪綴――『天界の杭』!!」
轟響。
天井から、先ほどよりも太く、鋭い光の杭が雨のように降り注ぐ。それは単なる分断の壁ではない。こちらに向かってくる衛兵たちに降り注ぎ、教会の神聖な床を爆ぜさせる圧倒的な物量。
「ぐ、ああぁっ!?」
「化け物か、この女!」
光の杭が突き刺さるたびに、相手の戦力は少しずつ減っていく。リシェラはその光の林の中を、しなやかな肉体を躍動させて駆け抜けた。
杭と杭の隙間を縫い、敵が怯んだ一瞬の隙を突いて、その綺麗な拳で衛兵たちの腹や顔をぶち抜く。
「フェルミーテ、右に!」
「言われずとも。…灰になりなさい!」
後方に控えるフェルミーテが杖を、リシェラが仕留めきれなかった衛兵の方に突き立てた。そして―
「独自魔呪綴――『法火悦乱』!!」
突き刺さった杭から、赤く華やかで綺麗な炎が噴き出した。その炎が、リシェラが仕留めきれなかった衛兵たちを一網打尽に焼き払う。光と炎の合わせ技。教会は神々しい輝きに包まれ、敵の叫び声さえも爆音の中に消し飛ばされた。
教会の有り様は酷いものだった。
フェルミーテの放った『法火悦乱』の赤い炎が教会内を焼き、リシェラの放った『天界の杭』が教会内を破壊する。
大半の衛兵は鎧ごと焼かれ、あるいは瓦礫の下敷きとなって動けなくなっていた。
しかし、燃え盛る炎の向こうから、数人の衛兵が煤にまみれた顔で、執念深く剣や槍を構えて突進してきた。
「貴様ら…! 賞金首を庇うだけでなく、衛兵に対してこんなことまで…!ただで済ませるかーッ!」
先頭の衛兵が、炎を裂いてフェルミーテへ剣を振り下ろす。
「まだ生きている輩がいたのですね」
フェルミーテは、その、神官特有の帽子が落ちたことで露になった、おでこのあたりで切り揃えられた前髪を、青みがかった美しい白髪と共になびかせた。彼女はその奥にある眉をわずかに不愉快そうに寄せながら、静かに後ろへと下がる。
「下がって、フェルミーテ!」
その横を、リシェラがすり抜ける。彼女はその美しい拳に力を込め、剣を振り下ろす衛兵よりも速くその腹に拳をぶちこむ。
「ありがとうございます。リシェラ」
助けられたフェルミーテが少し恥ずかしそうにお礼を言う。
「えぇ、どういたしまして。…それよりも、私達も早く行きましょう!ファイ達に追い付くわよ!」
「はぁ、ここまでやってしまいましたし、そうですね。というか、私は普通の神官に戻れそうにありません…」
嬉しそうに共犯者になることを促してくるリシェラ。正直断ってもよかったが、ここで断って孤立するのはまずいので、一先ずは協力する。
「というか私は何でこんなことを…」
よくよく考えてみれば、教会を壊された怒りで街の衛兵に攻撃するなど、どうかしてる。
しかも結局教会を一番破壊したのは自分とリシェラなのだ。
そんな、どこか他人事のような虚しさが頭をよぎった瞬間――
――カツン、カツン
瓦礫の山となった入り口から、落ち着いた足音が響いてきた。
すでに無惨にひしゃげ、辛うじて枠にぶら下がっていた重い扉。それを、一人の男が、邪魔だと言わんばかりに、軽い手つきで脇へと押しやった。
ギギィ…と嫌な音を立てて扉が完全に崩壊する。
埃が舞う中から現れたのは、整った軍装を纏った一人の衛兵だった。
彼は荒れ果てた教会の惨状を眺めると、細められた糸のような目の端を、楽しげにわずかばかり吊り上げた。
「おやおや、これはまた…。神様もさぞお嘆きになる荒れようですね」
男の声は、驚くほど穏やかで涼やかだった。
腰に下げた剣の柄に、手慣れた様子で指をかけ、一歩、また一歩と優雅に歩み寄ってくる。
戦場の異様さが、彼にとっては日常の風景に過ぎないと言わんばかりの余裕だ。
「反逆の罪に、教会破壊の罪。そして高額賞金首を匿うという大罪……。これ以上、リストが増えないうちに大人しくして頂けると助かるのですが…。そう簡単にはいきそうにないですね…」
そう言い、こちらを見る男。その糸目の奥から放たれる射抜くような視線が、二人の背筋に冷たい緊張を走らせた。
「どうやら…。またあなたと肩を並べて戦うことになりそうですね…」
フェルミーテが喋った瞬間、糸目の男が視界から消えた。
「なっ!?」
フェルミーテの美しい青い目から驚きが読み取れる。
次に男が見えたのはフェルミーテの視界、その右端に男の橙色の髪が映った時だった。だが、それに気付いたフェルミーテが反応するより速く、男の蹴りがフェルミーテの顔面捉える―
ガンッ!
鈍い音がしてフェルミーテが吹っ飛ぶ。
「フェルミーテ!!」
リシェラが悲鳴を上げる。しかし、リシェラはすぐに切り替え、突如横に現れた男の顔面に狙いを定め、拳を打ち込む。
受け流されたっ!
動揺を隠すように、リシェラが受け流された手を引っ込め、勢いのままに蹴りを打ち込む。
それをギリギリで回避した男がリシェラの足を掴み、投げ飛ばす。
なんとか転ばずに着地できたリシェラ、だが休んでる暇などない。
「独自魔呪綴――『天界の杭』!!」
男が動くより速く、リシェラの魔呪綴が発動される。
一部が崩れた天井の辺りから光の杭が現れる。
それは無慈悲な速度で加速し、標的である糸目の男へと降り注いだ。
キィンッ!!
聖堂に響き渡ったのは、耳を打つような鋭い金属音だった。
着弾の瞬間、男の腰元から白銀の剣がその剣身を覗かせた。彼が抜いた剣は、降り注ぐ光の杭を真っ向から斬り伏せ、その軌道を強引に歪めてみせたのだ。
床に突き刺さった光の杭が消えるように霧散していく。
男は抜いたばかりの剣の切っ先を、まるで見せつけるかのようにゆったりと正した。
「なるほど…。これがあなたの『独自魔呪綴』ですか。これをくらえば、並の衛兵はただですまないでしょう。」
男は細められた糸目の奥で、楽しげに目を細める。
剣を握ったその手には微塵の震えもなく、リシェラの魔呪綴を露払い程度にしか感じていないような圧倒的な余裕が漂っていた。
「ですが、僕に届かせるには、いささか威力と速さがお粗末」
男がゆらりと一歩踏み出す。
その瞬間、リシェラは背中に嫌な汗が流れるのを感じた。投げ飛ばされた際の衝撃か、あるいはこの男が放つ冷徹な威圧感のせいか。
「独自魔呪綴――『天界の杭』!!!」
再びリシェラは叫びながら、光の杭を作り出す。
瞬間、男が踏み込んだ。
「今っ…!!」
男が地面を抉るように踏み込んだ瞬間、リシェラは空中に作り出した光の杭を、自身の周りに突き立てる。
「ッ…!?」
飄々としていた男の糸目が驚愕に見開かれる。
何故なら―
「これで!終わりっ!」
リシェラが突き立てた光の杭、それらが共鳴するように光の壁で繋がり、そして―
「ぐ、あぁああぁああ!」
光の壁同士で繋がれた杭の内側に莫大な力がかかる。視界が爆ぜるような光に包まれ、まるで魂だけが天へと引き上げられるような感覚に襲われる。
「自爆覚悟というわけですか…」
男の足が初めて止まる。
「だが、やはり届かない…。あなたじゃ僕を倒せない!」
「ねぇ…いつから一対一だと勘違いしていたの?」
もう既に勝ったような言い方の男にリシェラが問う。
「?何を言って……。まさか!」
男が気付くと同時、リシェラが叫ぶ。
「フェルミーテ!!」
「灰になりなさい!!独自魔呪綴――『法火悦乱』!!」
床に刺さった杭から溢れ出した炎が、糸目の男の姿を完全に飲み込んだ。
骨まで焼き尽くさんとする『法火悦乱』の猛火。爆炎と共に巻き上がった黒煙は、男の死を誰もが確信するに十分な威力だった。
リシェラが肩で息をつき、一瞬の静寂が訪れる。
だが、その直後――
爆炎から一人の男が歩み出てきた。だが、その男の姿は、もはや先ほどまでの優雅な軍人ではなかった。
美しかったはずの軍装は無残に焼け爛れ、露出した肌は赤黒い大火傷に覆われている。立ち昇る焦げた臭いと燻る煙。普通であれば、一歩踏み出すことすら叶わないはずの重傷。
だが、男は止まらない。
焼けた肺で必死に酸素を求め、血の混じった呼吸を吐き出しながら、彼はその身を焦がした爆炎を置き去りにする速度で、後ろに下がったリシェラへと踏み込んだ。
「そ、んなっ…!」
目の前の男から放たれる、死の淵を歩く者特有の凄まじい生への執着と、自分を屠らんとする殺気の鋭さに、リシェラが総毛立つ。
「仕留め損ねましたね。この痛みは、生涯忘れることはないでしょう。」
男が剥き出しにした片目から、ドロリとした殺意が溢れ出す。
一瞬で近づいた男、その男の振り上げた剣撃は、リシェラの視界を真っ二つに割り、容赦なくその華奢な肩口へと振り下ろされた。
「しまっ……! リシェラ!!!」
フェルミーテの指先から、焦燥と共に次の魔呪綴が綴られようとするが、男の剣の方が僅かに速い。
「僕の勝ちだ…!」
「あっ…」
閃光の如く振り下ろされた絶望の刃は無慈悲に、その柔らかな肩を冷徹に切り裂いた――




