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ロスト・リビルダー ―忘却の罪―  作者: げこきち
一章 要塞都市の怪物
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牙を持つ者

 肩を裂く鋭い衝撃。

 リシェラの白い服が赤く染まる。視界が白く点滅し、リシェラは自身の熱い血が床に飛び散る音を、まるで遠い世界の出来事のように聞いていた。


「あっ…」


 力が抜け、膝から崩れ落ちる。

 大火傷を負った糸目の男が、返り血で汚れた顔を歪ませ、勝ち誇った笑みを浮かべて再び剣を振り上げた。


「さようなら、犯罪者さん」


「リシェラっ!!」


 遠くからフェルミーテの声が聞こえる。

 だが、逃げ場はない。フェルミーテも届かない。

 リシェラが死を覚悟し、ゆっくりと瞳を閉じた。

 その時だった―


「……お前、誰に剣向けてんだ?」


 地響きのような低い声と共に、男の手が止まる。背後にとてつもない殺気を感じたのだ。

 リシェラが恐る恐る目を開けると、そこには見慣れた、けれども誰よりも頼もしい背中があった。

 白灰色の短髪に、いつも通りのラフな格好。

――クーガだ。


「お、兄、ちゃん……」


「遅くなって悪かったな、リィ。……後は俺が引き受ける」


 クーガは一度、ちらりとリシェラを見ると、後はただ前方の男を鋭く射抜く。

 彼の全身から立ち昇る圧倒的な威圧感は、満身創痍の糸目の男を容易く圧し潰さんばかりだった。

 クーガの登場に、糸目の男はわずかに開いていた目を見開き、舌打ちと共に大きく距離を取った。


「また、厄介なのが来ましたね。この場にあなたが現れるとは……」


「厄介で済めばいいな。俺の妹に手を出しといて、ただで帰れると思うなよ」


 クーガの拳が、みしりと音を立てて握り締められる。

 リシェラを傷つけられたことへの静かな怒りが、教会の空気を凍てつかせた。


「ふっ、はは! 妹ですか、それは失礼を」


「…喋るな」


「ですがあなたの妹は大罪を犯し―」


 大火傷を負った男が、血の混じった笑みを浮かべて喋る。

 死の淵にあるはずの男が見せる、異様なまでの余裕。もう頭がおかしくなってしまったのだろうか。


「……喋るなと言ったはずだ」


 クーガが呟くように言った次の瞬間、教会の床が爆ぜた。

 男が踏み込むよりも早く、クーガの拳が男へ肉薄する。


「なっ……!?」


 抜剣すらしない。ただの拳。

 それが男の剣を、腕を、そして防御ごと脇腹を強引に貫いた。


 凄まじい衝撃音と共に、男の身体が教会の分厚い壁へと叩きつけられる。壁は粉々に砕け、男はその瓦礫に埋もれるようにして動かなくなった。


「…リィ、無事か?遅くなって悪い」


 クーガがようやく振り返り、肩を赤く染めて座り込むリシェラのもとへ駆け寄る。


「…っ、うん。大丈夫……。それより、フェルミーテが…」


 リシェラは自分の傷よりも、先に男の蹴りを顔面に受けて吹っ飛ばされたフェルミーテを指差した。

 フェルミーテは壁際で辛うじて上体を起こしていたが、その美しい顔には青痣が浮かび、意識が朦朧としている。


「あ、りがとう、ご、ざいます…。助かり、ました……」


 フェルミーテは安堵からか、その場に力なく倒れこんだ。


「…これ以上ここにいるのは危険だ。ミレッタたちのところまで一気に引くぞ。二人とも、俺に掴まれ」


 クーガはリシェラの腰を抱き寄せ、フェルミーテの手を引いて立ち上がらせる。

 瓦礫の山となった教会の入り口から、再び追手の怒号が聞こえ始めていた。


「とんでもないことになりそうですね」


 フェルミーテが痛む顔を抑えながら自嘲気味に呟く。

 リシェラは肩の激痛に耐えながら、クーガの逞しい腕に己の命を預け、半壊した聖堂を後にした。



「ね、ねぇ、なんでここがわかったの?それにミレッタたちのことまで…」


「警報がなったんで『琥珀のまどろみ』に向かってたんだが…途中でミレッタたちと会ったんだ。でも、そこにお前の姿がなかった。……嫌な予感がしてな、あいつらにリィの居場所を聞いて俺はここへ来たんだ」


「そう、だったんだ…。ありがと、お兄ちゃん」


「…礼は後だ。今は逃げるぞ。フェルミーテ…だったか、お前も遅れるなよ」


 クーガはリシェラをしっかりと抱き寄せ、足元に転がる瓦礫を強引に踏み越えて加速する。

 背後では、先ほどクーガが男を叩きつけた壁が、音を立てて崩れ落ちていた。男は深い瓦礫に埋もれ、もはや指一本動かす気配はない。リシェラたちの合体技と、クーガの怒りの一撃をまともに食らって、なお立ち上がれるほどあの男は頑丈ではなかった。

 だが、安堵している暇はなかった。


 今は教会の裏手から逃げているが、教会の表側から、地鳴りのような怒号が響き渡る。

 瓦礫の山となった入り口の向こう側、土煙が舞う広場には、増援として駆けつけた数十人の衛兵たちが槍を構えて完全に包囲網を敷いていた。


「しつこいですね、本当に…!」


 フェルミーテが苦々しく吐き捨てる。

 しかし、クーガの足は止まらない。


「…しっかり掴まってろよ」


「えっ、あ、ちょっ……!?」「うわっ!?」


 クーガが二人を抱え、弾丸のような速度で地を蹴った。

 背後を見れば、静寂を愛する神が住まう場所が、今や完全に爆音と炎に呑まれ、視界の外へと消えていった。



 ――クーガは『ファイ・ニアス』が気に入らなかった。それは名前的な意味ではなく、存在そのものである。確かに、いきなり攻撃したのは申し訳なかったと思う。だが、クーガの全細胞が『ファイ・ニアス』は危険だと訴えているのだ。本人が聞けば「なんて理不尽な…」とでも言いそうだが…

 とにかく、クーガはファイが気に入らない。

 その最たる理由は―


 あの眼である。全てを見透かすような眼。

 それに――



「何ボーッとしてるの?お兄ちゃん」


  リシェラが不思議そうに、クーガの顔をひょいと覗き込む。

 肩の傷は深く、一刻も早い手当てが必要なはずなのに、彼女は痛みを微塵も感じさせない明るい声を出す。それは、自分よりも兄や周囲を不安にさせまいとする彼女なりの優しさと強さの表れだった。


「……別に。少し考え事をしていただけだ」


 クーガは吐き捨てるように言い、リシェラから視線を逸らした。

 妹に心配されているようでは、兄失格だと言わんばかりのぶっきらぼうな態度。だが、その手はリシェラを支える力を緩めることはなかった。


「…それよりリィ、肩は大丈夫なのか?」


「大丈夫だよ。あの糸目の男、私達を生け捕りにするつもりっぽかったから、傷はそこまで深くはないし」


 リシェラは無理に笑ってみせたが、その頬は心なしか白んでいる。

 クーガは小さく舌打ちをしたが、それ以上は何も言わなかった。今の自分にできるのは、一秒でも早く彼女を安全な場所へ送り届けることだけだ。


「…やっぱ大通りはやめた方がいいか」


「そうですね。大通りは行くべきではないかと…」


 フェルミーテが周囲に鋭い視線を走らせる。


「このまま、裏路地を抜ける。俺に続け」


 クーガは再びリシェラを抱き寄せ、影に紛れるようにして歩を進めた。

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