琥珀色の反撃
教会での激しい戦闘が終了して少しした頃。
宿屋兼酒屋の『琥珀のまどろみ』の静寂は、無残に撃ち砕かれていた。
「おい、なんとか言ったらどうだ?」
安全地帯だったその店に、熊のような体躯を持つ屈強な髭男が踏み込んでくる。
男は巨大な大槌を担ぎ、ゾルドンを見下ろす。
「…………」
鋭く男を睨むゾルドン。
彼は非戦闘員であるミレッタと、その傍らで傷だらけになっている俺を背後にかばい、愛用の巨大な両刃斧を構える。
「がははは! 鼠どもが固まってやがる。まとめて潰せば手間が省けるってもんだぜ!」
髭男が突然咆哮し、丸太のような腕で大槌を肩から下ろす。
「なんだおま―」
「がははは! 俺様の名はバグゴズ。この大槌の錆になれること、光栄に思いな!」
大男― バグゴズが笑いながら名乗る。
「どうやら、会話は不要なようだな…」
ゾルドンは一歩も引かず、両刃斧の柄を両手で固く握りしめ、そして、バグゴズに向かって振る。
ガァァァァァァンッ!!
鼓膜を震わせる音が狭い室内に響き渡る。
大槌と両刃斧が噛み合い、凄まじい火花が散った。ゾルドンの足元の床が、重圧に耐えかねてミシリと沈み込む。
「ミレッタ、ファイ、下がっていろ! こいつは俺が食い止める!」
ゾルドンは叫びながら、斧で強引にバグゴズを押し返した。
ミレッタは顔を強張らせながらも、指示通り俺の傍につき戦闘の邪魔にならないように固まる。
だが、ファイ・ニアスは違った。
先程くらったあの鋭い風の魔呪綴の代償は大きく、俺の全身は切り傷で血に染まっていた。
満身創痍の俺は、ただ静かに、その瞳で大男を凝視している。守られているはずの子供が見せる、あまりにも静かな視線。
「がはは! なかなか骨のある斧使いじゃねえかよ。けど、いつまで持つかなぁッ!」
髭男がさらに力を込め、大槌を振りかぶる。
ゾルドンの両刃斧の刃が、敵の凶器に削られ、再び火花を上げた。
「俺も戦、う…」
動こうとする俺。だが、全身の傷が今も燃えるように熱く、熱く、否― 燃えていた。
「な、なんだ!?」
驚く俺の隣、それをした張本人が呆れたように息を吐いた。
「はぁ。アタシの『独自魔呪綴』で治癒してんだから、大人しくしててよね~」
動こうとした俺の身体を、内側から爆発的な熱が支配した。それは単に傷口を塞ぐだけではない。冷え切っていた指先、失われていた体温が急速に戻り、命の火が強制的に再燃していく。
回復属性の慈愛と、火属性の熱。相反しかねない二つの属性適性がなければ成立しない、極めて高度な魔呪綴。ミレッタの『独自魔呪綴』のおかげで、俺の衰弱していた脈動が力強く打ち鳴らされた。
「ミレッタお前、回復属性と火属性の二属性に適性が合ったのか…」
「そーよ。というか、ファイが気絶して運ばれてきた時も回復したのアタシなのよ~?」
「そう、だったのか…」
「まさか、あの短時間であれだけの傷が自然治癒するわけないじゃな~い」
ミレッタが呆れたように言う。
後ろでそんな腑抜けた会話をしてる間も、前方の戦闘は苛烈さを増している。
バグゴズは、俺やミレッタに一瞥もくれない。彼の視界にあるのは、目の前の獲物――ゾルドンを叩き潰すことだけだ。
「がははは!強いな !お前!」
バグゴズがさらに力を込め、大槌を振りかぶる。ゾルドンの両刃斧の刃が、敵の凶器に削られ、再び火花を上げた。火花は空間を散発的に照らすが、バグゴズはその光の先に、ミレッタの手によって急速に戦力を取り戻しつつある少年の存在には、未だ気づいていない。
「なぁミレッタ」
「ん~?どーしたの?」
「お前の火の魔呪綴は物を燃やすこともできるんだよな?」
「当然でしょう?むしろ回復に応用する方が難しいんだからね~?」
「…じゃあ、手伝ってくれ」
「手伝うって何―」
困惑するミレッタを置き去りに俺は動いた。
足元に転がっていた、鋭く割れた酒瓶を掴み取る。ガラスの断面が掌に食い込むが、ミレッタの『独自魔呪綴』によって熱を帯びた今の身体には、その痛みすらも加速するための着火剤でしかなかった。
前方では、バグゴズがゾルドンを仕留めようと大槌に全神経を注いでいる。他の者に対する警戒は、今のバグゴズには微塵もない。
「……ッ!」
俺は声も出さず、低く地を這うような姿勢で突っ込んだ。
ミレッタの『独自魔呪綴』がもたらした力が、俺の脚を、腕を、強引に突き動かす。
手にした酒瓶。
ただの割れたガラスに過ぎないそれが、加速する俺の殺気と共に、バグゴズの巨体へと迫る。
バグゴズが「がははは!」と勝ち誇って笑い、大槌をさらに押し込もうとしたその一瞬。
俺は、その巨体へと一気に踏み込んだ。
「ん?なんだお前?そんなゴミを持って」
バグゴズが俺に気付く。
大槌でゾルドンと戦い、勝利を確信していたその視線が、左斜め前方へと向けられた。
そこにいたのは、死に体のはずだった少年だ。
バグゴズから見れば、割れた酒瓶というゴミを握りしめ、自分に立ち向かおうとしているその姿は、あまりにも無力で滑稽に映った。
「がははは、そんなに死にてぇのかよ!」
「バカッ!なんで出てきた!」
そんなゾルドンの声は、今の俺には聞こえない。
バグゴズはゾルドンを抑えつけていた大槌の重みを横へと逃がす、ゾルドンの姿勢が崩れて横に倒れかける。バグゴズが左斜め前から向かってくる俺を肉塊に変えるべく大槌振り抜こうとする。
だが、俺の瞳は死んでいない。
俺の瞳がバグゴズの巨体を、逃げ場のない標的として明確に捉えていた。
迫りくる大槌の圧力を真っ向から受けながら、俺は一歩も引かない。むしろ、その遠心力が自分に届くよりも速く、最短距離で踏み込んだ。
「ッ!」
木の床を強く蹴り、俺の身体が宙に舞う。
標的は、バグゴズの顔面。
俺は手に握った酒瓶を突き出し、殺意と共に、巨漢の懐へと真っ向から飛びかかった。
この場の誰もが俺に生き残る道などないと思うだろう。ただ二人、俺とミレッタを除けば。
ミレッタは信頼していた。ファイ・ニアスがお願いをしたのだ、勝ち筋までとはいかなくても、相手を追い込む作戦を思いついたのだと。
その信頼に答えるように俺は、空中で酒瓶を握り直す。
「再構築!!」
俺が叫ぶ瞬間、手にしていた割れた酒瓶が元の完成形へと巻き戻る。何を持って完成形としているのか、それは俺にも分からなかった。だが俺が思うに、完成形とはそのものが最も輝く瞬間なのだと考えている。
つまり、この場合は―
「あぁん? 何を―」
目前まで迫ったゴミが形を変えたことに、バグゴズの嘲笑が止まった。
直後、俺はバグゴズが振り抜いた大槌を間一髪で躱し、同時に再構築した酒瓶を割った。
パリン、と弾けるような音。
割れた酒瓶は、以前よりも鋭い破片となって飛び散り、それと同時に、瓶と一緒に再構築されて、瓶の中に閉じ込められていたアルコールが勢いよくバグゴズへとぶちまけられた。
「な、なんだぁ!何しやがった!!」
度数の高い酒が、バグゴズの全身、特に顔面に突き刺さる。
視界を奪われ、激痛に踠く巨漢。
俺は着地と同時に叫ぶ。
「今だッ!ミレッタ!!」
「人使いが荒いんだから~」
文句を言いながらもミレッタは頬を綻ばせ、綴力を集中させる。
「基礎魔呪綴――『火炎』!」
ミレッタから放たれたのは、初歩的な魔呪綴に過ぎなかった。
だが、バグゴズにとってそれは今、致命傷になり得た。
放たれた火球が、アルコールに濡れたバグゴズに接触した瞬間――
爆音と共に、猛炎が吹き荒れた。
「ぎゃあああああああああああッ!」
一瞬で顔面が、そして酒の滴る体が炎の塊へと変わる。
度数の高い酒は、ミレッタの『火炎』を着火剤として際限なく燃え広がり、バグゴズの厚い脂肪と皮膚を容赦なく焼き焦がしていく。
凄まじい熱量。
視界を奪われ、炎に包まれた巨漢は、もはや大槌を握る力すら残っていない。木製の床の上でのたうち回り、自身の脂が焼ける嫌な臭いを撒き散らしながら死ぬしかない。
そう、思っていた―
「基礎魔呪綴――『風切』…ッ」
魔呪綴が綴られた。ゾルドンでなければミレッタでもない、はたまた俺でもない。
それをした張本人は、燃え盛る炎を自身の魔呪綴で消し飛ばし、黒い瞳でこちらを睨んでいる大男―
その顔面はどろりと溶け崩れ、かつての傲慢な面影を失ったその姿は、奇しくもリシェラたちが戦った、あの糸目の男が負っていたものと同じく、凄まじい大火傷の痕跡をその身に刻んでいた―




