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ロスト・リビルダー ―忘却の罪―  作者: げこきち
一章 要塞都市の怪物
12/25

落下

 俺たちの驚きは地獄のような咆哮によって塗り潰された。


「殺す、殺す、殺す殺す殺す殺すッ!!」


 炎を自身の魔呪綴スペルで吹き飛ばしたバグゴズが、焦げ付いた肉を震わせて叫ぶ。

 どろりと溶けた顔面の中で、なんとか無事な黒い瞳が、憎悪だけで俺を射抜いていた。 

 もはやそこには、先ほどまでの余裕も傲慢さもない。あるのは、自分をこの無様な姿に変えたゴミへの、純粋な殺意だけだ。


「ファイ、すぐに離れろッ!」


 ゾルドンが叫び、俺に向かって走ってくる。

 だが、それよりも速くバグゴズが動いた。風の魔呪綴スペルを自身の脚部に纏わせたのか、その巨体からは想像もつかない速度で床を爆ぜさせ、肉薄する。


「ア゛ア゛ア゛アッ!!」


 振り下ろされる大槌。

 俺は紙一重で横へ跳んだが、衝撃波が肌を削る。ミレッタの『独自魔呪綴オリジナルスペル』で回復した身体が、あまりの威力に悲鳴を上げた。


 回避した先でも、バグゴズは止まらない。大槌を床に叩きつけた反動で巨体を浮かせると、その重力を利用しながら、大槌振り下ろし、周囲の物体を粉砕する。

 

「逃がさねぇ…逃がさねぇぞ、ガキィッ!」


 狂乱するバグゴズが大槌を振り回し、木製の柱を粉砕する。

 跳ね飛ばされた無数の礫が俺を襲い、避ける隙すら与えない。俺が咄嗟に腕で顔を覆ったその時だった。


「このデカブツがッ!」


 視界を埋め尽くす瓦礫の雨を、強引に面で叩き伏せる。

 俺の目の前に、壁のような厚みを持った両刃斧が突き立てられた。飛来する礫を自慢の両刃斧で叩き落とした男、ゾルドンが猛然と割り込んだのだ。


「ファイ、無事か?」


「てめぇっ!」


 会話中だろうがお構い無しのバグゴズの大槌が振り下ろされる。

 ゾルドンは一歩も引かず、大槌の重圧を斧で真っ向から受け止める。

 火花が散り、バグゴズの濁った瞳とゾルドンの鋭い眼光が至近距離でぶつかり合った。


「邪魔なんだよ、古臭い斧使いがッ!」


「おいおいおい、さっきまでの余裕はどこに行ったんだよ。また笑ってみろよ!」


 先程から、別人のように怒りだしたバグゴズにゾルドンが叫ぶ。


「てめぇも殺す!!」


 ゾルドンが斧で強引に押し返し、バグゴズの巨体をわずかに後退させる。だが、焦げた肉を震わせる大男の執念は、それすらも力でねじ伏せようと再び大槌を振りかぶった。


「ファイ、これ使ってッ!」


 ミレッタの切羽詰まった声が響く。

 キッチンを見ればミレッタが何かを投げてくるのが見えた。店にあった使い古したナイフだった。少し丸みを帯びた刃が鈍い光を放っている。


「助かる!」


 俺は短く応じ、投げられたナイフの柄を握りしめた。


「店長!」


「ヘっ!仕方ないやつだ。二人で死に損ないに引導を渡してやるぞ!」


 ゾルドンが再び斧を構え、バグゴズの正面へと踏み込む。

 大槌と斧が再び噛み合い、周囲の礫が衝撃波で弾け飛ぶ。その隙間を縫って、俺は低く地を這うような姿勢で加速した。

 標的はバグゴズの足元。

 大男がゾルドンとの競り合いに全神経を注いでいる今こそが、その巨躯を崩す唯一の好機だった。


「どりゃぁあああぁああぁああ!!」


 ここで初めて、ゾルドンの力がバグゴズの力を上回る。

 バグゴズの体勢が崩れた。


「これでっ!」


 俺のナイフが体勢を崩したバグゴズの脚を切り裂く。その圧倒的な重力を支えきれなくなった左足が膝をつく。


「くそがっ!」


 バグゴズが短く吐き捨てる。

 だが、その焦燥が、俺にとっては明確な隙だった。

 膝をついた大男の背中。そこは、大槌の間合の内側であり、最も無防備な死角。俺は迷うことなく反転し、赤い飛沫が舞う中へと飛び込んだ。


「 舐めるなァッ!!」


 バグゴズが左腕を強引に振り払う。丸太のような腕が俺の身体を捉えようとするが、紙一重でそれを躱し、逆手に握ったナイフをバグゴズの首筋へと突き立てた。


 まだ、刃は肉の表面で止まっている。

 バグゴズの強靭な筋肉が、刃の侵入を拒んで押し返そうとする。


「『再構築リビルド』…」


 俺が冷徹に、その言葉を刻んだ、その直後、バグゴズの首筋に突き立てられたナイフが、歪な音を立てた。

 それは、今までの使用での刃こぼれ、目に見えない金属疲労、それら全てを拒絶し、打ち出された瞬間の極限の鋭利へと巻き戻る強制的な復元。


 バグゴズの強靭な筋肉が、理不尽なまでの完成度を取り戻した鋼の前に、無力化される。


「な、にっ!?」


 ナイフはバグゴズの首を深々と貫き、その先端が反対側へ突き抜けるほどの勢いで肉を断ち切った。

 最も鋭かった瞬間のナイフは、抵抗という概念すら許さない。俺が横に刃を引けば、バグゴズの首筋が、太い血管が、バターのように容易く引き裂かれていく。

 溢れ出す鮮血。俺の視界が真っ赤に染まり、鉄の臭いが鼻腔を突く。


 バグゴズの濁った瞳から急速に光が失われ、その巨躯が崩れ落ちようとした――

 その、瞬間だった。


「絶対に!殺すッ!!!!!!」


 死の淵に立ったバグゴズの、理性を超えた執念が爆発した。

 大男は首から血を噴き上げながら、残された全ての綴力グラフィーを使い、魔呪綴スペルを綴る。


基礎魔呪綴ベーススペル――『風切ウィンド』ォ!!!!」


「ファイっ!躱せっ!!」


 そんなゾルドンの忠告も虚しく、俺はバグゴズの魔呪綴スペルを正面から食らう。


「まずっ…いっ!」


 短く声が漏れる。

 だが、そんな俺の焦燥とは裏腹に、俺の全身には傷一つついていない。

 何故だろう。そんな疑問が出るよりも早く、俺の体は浮遊感を味わっていた。

 それは心地よいものではない。内臓がせり上がり、重力という、世界の理から強制的に切り離された絶望の感覚だ。


「あ…」


 視界が爆発的に加速する。

 『琥珀のまどろみ』の壁が、まるで薄い紙細工のように弾け飛んだ。俺の体は弾丸と化し、要塞都市の空へと解き放たれる。

 ゾルドンが伸ばした手も、ミレッタの悲鳴も、瞬時に点となって遠ざかっていく。

 凄まじい風圧が俺の鼓膜を叩き、呼吸を奪う。


 バグゴズの放った魔呪綴スペルは、俺を殺すのではなく、この場から消し去ることのみに特化していた。下を見れば、下層区の街並みが見える。


 どこまで飛ばされるのか。

 どこまで落ちていくのか。


 やがて、俺を包んでいた風がその役割を終え、霧散した。

 俺は全身で重力を感じながら落ちた。

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