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ロスト・リビルダー ―忘却の罪―  作者: げこきち
一章 要塞都市の怪物
13/27

下層区の底

 静寂が訪れた。

 『琥珀のまどろみ』の壁に空けられた巨大な穴からは、皮肉なほどに穏やかな昼の陽光が差し込み、室内を舞う埃を照らしている。

 崩れ落ちたバグゴズの巨躯を前に、ゾルドンとミレッタが呆然と立ち尽くす中、背後の入り口から静かな、だが威圧感のある足音が響いた。


「…無事か?」


 現れたのは、リシェラに肩を貸し、女神官を引き連れたクーガだった。

 彼は白日の下に晒された室内の惨状を一瞥し、バグゴズの死体を確認すると、すぐにミレッタ、そしてゾルドンへと視線を向けた。その瞳は異様なまでに落ち着いていたが、微かに揺れている。


「…ゾルドン。ファイはどこだ」


 短く、淡々と。けれど、その問いには拒絶を許さない重みがあった。


「飛ばされた…」


 ゾルドンが力なく、陽光が差し込む壁の欠落部―― その先にある空を見る。


「この糞やろうの置き土産だ。ファイの奴、まともに食らっちまって、この下層区のさらに下、恐らくは下層区の底まで弾き飛ばされちまったよ」


 クーガの眉が、わずかに動いた。

 クーガはリシェラをミレッタに預けると、無言のまま穴の縁まで歩み寄り、空を見上げる。

 眩しい太陽の下でも、その裂け目は黒々と口を開けていた。


「…そうか」


 クーガはそれだけ呟くと、静かに拳を開き、再び硬く握り込んだ。

 怒鳴ることも、取り乱すこともしない。だが、その背中からは、自分自身に対する静かな怒りと、ファイに対する複雑な感情が垣間見えた。


「クーガ…」


 背後にいたミレッタが声をかけるが、クーガは振り返らずに告げた。


「…探す。あいつをこんなところで終わらせるわけにはいかない」


 クーガは静かに、けれど確固たる意志を込めて言葉を紡ぐ。


「…下層区の底への行き方を探る」


「当然よ!」


 背後から声が聞こえた。今度は振り返ると、そこには、ミレッタに回復してもらっているリシェラが微笑んでクーガを見ていた。


「お前とミレッタは待機だ」


「えー。何でよ!」


 リシェラから不満の声が漏れる。


「…お前は傷を治して休んでからだ」


 クーガの言葉に、リシェラは何か言い返そうとして口を開き、そのまま力なく閉じた。今の自分たちが足手まといになることくらい、彼女自身が一番よく分かっている。


「ひとまず状況を整理し合おう。このままじゃ、どこをどう探せばいいかも分からねぇからな」


 ゾルドンが重々しく口を開き、一同を促した。



 クーガたちは、二階の一室、その一番奥の部屋へと移動した。バグゴズに破壊された一階とは違い、そこには場にそぐわないほどの静寂が満ちていた。

 円卓を囲むようにして座る、クーガ、ゾルドン、ミレッタ、フェルミーテ、そしてリシェラ。


「…まず、お前からだ」


 クーガが静かに切り出した。


「はい。なんとなく皆さん分かっているとは思いますが、私は神官です。名前はフェルミーテ」


「よろしくね~」


 自己紹介から始めたフェルミーテにミレッタが軽く応じる。


「私は今日、ファイ・ニアスという少年が属性検査を受ける場に立ち会っていました」


 フェルミーテは伏せていた顔を上げ、しっかりとした声でその時の異常事態を語り出した。


「検査が終わろうとしたその時、突如として警報が鳴り響いたのです。何事かと皆が動揺する中、突入してきたのは民を護るはずの衛兵たちでした。彼らは迷うことなく、ファイ・ニアスを狙って攻撃を仕掛けてきたのです。そこからはまぁ、その場の勢いで戦ってしまいました…」


 物語を語るような喋り方でフェルミーテが今日の出来事を述べる。

 要塞都市の治安を守るべき存在が、一人の少年を狙って攻撃を仕掛けてきた。

 その事実は、この事件が単なる個人的な恨みなどではないことを示唆していた。


「次はこっちだ」


 ゾルドンが、バグゴズとの戦闘の経緯を語り始めた。

 バグゴズという大男の強襲。

 ファイが異能の力を活用してバグゴズを追い詰めたこと。しかし、死に際のバグゴズが放った『風切ウィンド』が、殺傷用ではなく、ファイを遠方へ排除するための魔呪綴スペルだったこと。


「あいつ、死ぬ間際に笑ってやがった。殺すことよりも、ファイを下層区の底へと叩き落とすことに全てを賭けやがったんだ」


「下層区の底…。あそこは、一度落ちれば二度と戻れないと言われている場所ですよ…」


 下層区は、要塞都市の無法地帯。法を追われた半グレ、そして光の世界を望まない、餓えた住人たちが蠢く、文字通りの底だ。


「ファイが賞金首だと知られれば、奴らが放っておくはずがない。即座に殺されるか、あるいは…」


 ゾルドンが言葉を切り、全員を見渡した。


「…状況は最悪だ。だが、ファイは生きてるだろうな。あいつなら、あの地獄の中でも、まだ抗っているはずだ」


 クーガの言葉に、ミレッタが小さく頷き、リシェラは膝の上で拳を握りしめた。


「俺はこれから、下層区の底へのルートを探る。ゾルドン、お前も手伝ってくれ」


「へっ、当然だろうが。」


 ゾルドンの言葉を受け取り、クーガは椅子から立ち上がった。


「…行くぞ」


 その一言を合図に、クーガは部屋を後にした。

 静かな、しかし苛烈な火蓋は切って落とされた。

 こうして、クーガ達の救出という名の戦いが幕を開けた。



 ――――あれ?俺はどこにいるんだっけ?


 身体中の痛みと共に俺は目覚めた。

 確か空から落ちて…

 またか、また気絶していたのか…

 仕方のなかったこととはいえ、この短期間に何回も気絶する自分に呆れる。


「ん…」


 肺に流れ込んできたのは、腐った泥と鉄錆が混ざり合ったような、吐き気を催す悪臭だった。

 視界は真っ暗だ。いや、暗いのではない。目の前に薄汚れた布の感触がある。顔に布をかけられているのだ。

 一先ず身体を動かそうとしたが、すぐに異変に気づいた。

 手首に冷たい感触。背中で両手をきつく縛られている。


「おい、起きたか」


 布越しに、卑屈な笑いを含んだ男の声が響いた。

 直後、脇腹に凄まじい衝撃が走る。


「がはっ!」


 蹴り飛ばされた衝撃で、俺の身体は湿った地面を転がった。

 全身に痛みが走る。咄嗟に、逃げようと身体を動かそうとしたが、奥歯を噛み締めてその衝動を抑え込んだ。


「あーあ、ひでぇ面してやがる。なかなか上等な服が、今じゃ泥まみれだな」


 男の足音がすぐそばで止まる。布越しでも、相手が自分を見下してあざ笑っているのが分かった。


「おい、そいつを立たせろ。ボスが待ってる。高額賞金首のガキを生け捕りなんて、俺らはついてるぜ」


 乱暴に腕を掴まれ、無理やり引きずり起こされた。

 自由を奪われたまま、泥水を跳ね上げながら連行される。不遇な待遇に心の中で悪態をつきながらも、俺は耳を澄ませ、周囲の音から情報を拾い上げようとした。


 やがて、水の滴る音が大きく響く、開けた場所に出た気配がした。不快で生暖かい空気が肌を撫で、重苦しい鉄の扉が軋みながら開く音が聞こえる。


「ボス、連れてきましたぜ。下層区の上から降ってきた高額賞金首のガキです」


 男がそう告げると、俺の身体は乱暴に床へと放り出された。

 衝撃で布が少しずれ、わずかに隙間から光が漏れる。


「へぇ、こいつがねぇ。でもまさか、こんな大物が、向こうから我が家に飛び込んでくるとはなぁ」


 低く、地を這うような声。

 俺の頭上から、隠しきれない殺意を孕んだ威圧感が降り注ぐ。


「布を取れ。客人のツラを拝ませてもらおうじゃないか」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、俺の顔を覆っていた布が乱暴に剥ぎ取られた。

 眩しさに目を細めた俺の視界に飛び込んできたのは、無数の廃材と錆びた鉄パイプで組まれた、歪な王座にふんぞり返る一人の大男だった。

 その瞳には慈悲の欠片も見当たらない。


「ようこそ、下層区の底へ。ここには法もなければ神もいない」


 ボスと呼ばれた男は、冷笑を浮かべながらこちらを見下ろしていた。

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