逆転の目
顔にかけられた布が、乱暴に剥ぎ取られた瞬間、強烈な光に網膜が焼かれ、俺は思わず目を細めた。
視界が白む中、感じたのは、獣のような、どろりと重い死の気配だった。
「へぇ。思っていたより、マシな面構えをしてんじゃねぇか」
視界がはっきりしてくる。目の前にいたのは、廃材と錆びた鉄パイプを組み上げた歪な玉座にふんぞり返る、まさに下層区の王を具現化したような大男だった。
男は厚手のコートを、まるで毛布か何かのように素肌の上に直接羽織っていた。前を一切留めないその着こなしのせいで、はち切れんばかりの胸板と腹筋が剥き出しになっている。腕には、自分の偉さを象徴するかのように豪華な金属のネックレスがつけられている。
「残念だがここには助けはこねぇぞ。ここは無法地帯、実力が物を言う場所さ」
男は冷笑を浮かべたまま、重い腰を上げた。一歩、足を踏み出すたびに床の鉄板が軋み、周囲を囲む半グレたちが息を呑む。
彼はゆっくりと歩み寄り、泥にまみれた俺の頬を、壊れやすい玩具を愛でるような指先でなぞった。
「ここに落ちてくるゴミ共は、皆おんなじ顔すんだよ。絶望に顔を歪め、縋るはずのない神に祈り、最後にはこの泥を啜って命乞いをする。―だが、お前はどうだ?」
突如、指先に万力のような力がこもり、俺の顎を砕かんばかりに掴み上げた。
「がっ!」
「その目、死んでねぇな。戦士としての誇りか? それとも、その気持ち悪ぃ眼ん玉への過信か?」
男の顔が、鼻先が触れ合うほどの距離まで近づく。俺の眼帯に覆われた右眼を見る男が至近距離で響く低い声が脳を直接揺さぶった。
「お前の四肢をバラバラに引き裂いた後、残った部分を上層の連中に高く売りつけてやるよ」
男の口角が、不自然なほど吊り上がった。それは笑顔などではなく、獲物を切り刻む直前の愉悦に満ちた笑顔だった。
「な、ぁ、あんた…」
「あ?」
「ここでは実力が全てとか言ったか。じゃあ交渉だ。あんたと戦って俺が勝ったら俺に協力してくれ」
周囲の半グレ達が息を呑むのが聞こえた。
激痛の中で、俺は無理やり頬をつり上げて笑ってみせた。異様な静寂がアジトを包む。
「おいおい、お前まじかよ?」
「あぁ。あんたと俺、一対一の勝負だ」
「 はははっ!愉快なジョークだ。縄をかけられた小ネズミが、このオレに勝負を挑むのか!」
男は大笑いしながら、俺を突き飛ばした。床の泥にまみれ、転がった俺の背中に、半グレたちの嘲笑が降り注ぐ。
「いいぜ。いいぜ。面白くなってきたじゃねぇか!」
男がコートを脱ぎ捨て、岩のような拳を鳴らしながら紫色の前髪を掻き揚げる。
俺はゆっくりと立ち上がり、背後でバラバラに解け落ちた縄を泥の中に捨てた。
「交渉成立だ。後悔すんなよ」
ボスと呼ばれた男が地を蹴った―
――身体が宙を舞った。
背中から廃材の山に叩きつけられ、古いボルトや鉄屑が身体中に突き刺さる。
痛い、なんて言葉じゃ足りない。全身の骨が悲鳴を上げ、視界がチカチカと明滅する。
「もう終わりか? 賞金首様。口ほどにもねぇな」
泥水を跳ね上げながら、ボスと呼ばれた大男がゆっくりと歩み寄ってくる。
やつは倒れ伏す俺の髪を掴み、無理やり引きずり起こした。
「魔眼だか何だか知らねぇが、この世界じゃな。強さがすべてなんだよ!」
無造作に放たれた追撃の拳が、俺の頬を捉える。
意識が飛びかけ、口の中に鉄の味が広がった。
ボロ雑巾のように床を転がる俺を見下ろし、男は笑いながら宣告した。
「どっちの腕から折られたいか、選ばせてやるよ」
ピチャッと音がした。どうやらいつの間にか、水が音をたてている、小さな池のようなものの近くにまで来てしまったらしい。
「どうしたー?答えろよー」
ゆっくりと男が近づいてきているのが分かる。
急いで起き上がろうとして手が何かを掴んでいるのに気付く。手元を見れば黒い鉄の塊のような物が見えた。
まるで何かに引き付けられているような、金属達の反応に、場違いにも興味が湧いてくる。
そこで、一つの可能性が脳裏を過る。
俺が考え事をしていたところに、男がもう一発入れようと、目の前で大きな手を振り上げていた。
意識が揺らめく中、俺の指先は、汚水の中の鉄の塊に手を伸ばす。
錆びつき、鉄と泥がこびりついたゴミ。
だが、俺が触れれば話は別だ。
「一か八かだけど…」
男が腕を振り下ろすのを待つ。
今だ!!
「再構築!!」
「!?」
男が腕を振り下ろす瞬間、俺の叫びと同時に、水底に沈んでいた塊を男の横へと投げる。
泥を噛み、錆び朽ち果てていたその鉄塊は、一瞬にしてかつての磁石としての全盛期を呼び覚ます。それも高磁力の。
「あ? 」
男の余裕に満ちた顔が、一瞬困惑で引き攣った。
奴の太い腕にかけられた重厚な金属のネックレスが、猛烈な引力に捕らわれ、俺を捉えきれない。
「ちっ!」
俺の腕を叩き折ろうとした奴の重心は根底から崩れ、振り下ろされた拳は俺の頬をかすめた。
「ッ!」
チャンスは一瞬。磁石で作った隙を使い、俺は駆ける。
俺は泥を蹴り上げ、すぐ横に転がっていた一本の折れた鉄パイプを掴み取る。
それと同時に、男がこちらに向き、次は殺すと言わんばかりの威力で拳を下から振るう。
「再構築!」
男の拳が俺の顎ぶち抜く瞬間、鉄パイプが過去の力を取り戻す。再構築中の鉄パイプとぶつかり、男の拳の軌道がずれる。
俺は即座に身体を回し、次の動作に入る前の男の横っ面を思いっきり鉄パイプでぶん殴る。
ゴオオオオォォオオン!
凄まじい轟音と共に男の巨体が、まるでスローモーションのように吹っ飛び、泥の上を転がり、仰向けにひっくり返った。
「え?…」 「まじかよ…」 「嘘だろ…」
近くの半グレたちの驚愕の声が聞こえる。
「ふっ、ははははは!」
そんな困惑の空気を壊すように、泥の中から場違いな笑い声が響いた。
男は顎をさすりながら、ゆっくりと、何事もなかったかのように立ち上がった。
あの一撃を喰らって、なお余裕の笑みを浮かべている。
「悪くねぇな。いや、最高だ。その力、本物だな」
男は周囲の半グレたちを一瞥すると、声を大にして言った。
「一先ず解散だ!こいつの処分はオレがする!」
連中が困惑しながらもゆっくりと去っていくのを確認し、奴は俺に向き直った。
殺気は消えている。それどころか、その瞳には奇妙な色が宿っていた。
「つまんねぇやつなら殺そうと思ってたが…。お前、おもしれぇな!」
ポカンとする俺を前に、男は勝手に話を進める。
「お前、上の連中に追われてんだろ?オレはよぉ、上の連中が気に入らねぇんだよ。じゃあ何で今まで潰さなかったかって?そりゃあ決まってんだろ。ここの連中を全員潰したとしても国から増援が送られたらたまってもんじゃねぇからな」
奴はニカッと、猛獣のような牙を見せて笑った。
「っと悪ぃな。まずは自己紹介が先だったな。オレの名前はギルディエス。この掃き溜めの王だ」
俺は、唖然としながら男― ギルディエスが差し出してきた手を見つめた。
今までの死闘は、こいつなりのテストだったのか…
「俺はファイだ。ファイ・ニアス」
「さっきの話の続きなんだがファイ、オレたち…いや、オレに協力してくれないか?」
「協…力?」
突拍子もない言葉に俺は驚きを隠せない。
「あぁそうだ。さっき言ったろ?オレは上の連中を潰したいんだよ」
「言ってたな」
それと協力がどう繋がるというのか。
「だが今までは国から増援にビビって潰しに行けなかった。だが今は違う!お前が来たからだ!」
ギルディエスが嬉しそうにこちらを見る。
「?俺が来たら国からの増援が来なくなるみたいな言い方だな」
「そうだ!その通りなんだよ!」
ギルディエスが食い気味に答える。
「どういうことだ?」
「お前の賞金を考えたら分かるが、どこの人だろうが街だろうが村だろうが、お前を見つけたら一人占めしたいんだよ」
ギルディエスは、顎についた泥を手の甲で拭いながら続けた。
「いいか、ファイ。もしお前を見つけて国に報告して増援なんて呼ばれた日にゃあ、手柄は国や騎士団に持っていかれる。賞金だって山分けだ。そんな損な真似、要塞都市の欲深い連中がすると思うか?」
奴は汚水の中に唾を吐き、不敵に笑う。
「どいつもこいつも、お前を自分、もしくは自分達で見つけ出し、そいつらだけで殺して、その莫大な金を独り占めすることしか頭にねぇ。だから国には報告がいかない。お前を見つけた奴は、それを家族にすら秘密にする。その強欲さが、結果的にお前への追手を遅らせ、国を動かさねぇ理由になってるのさ」
皮肉な話だ。
俺を殺そうとする奴らの欲が、俺を皮肉にも国軍の包囲から守っている。
「要するに、お前がいる限り国には何があっても報告が行かないって言うことだ」
ギルディエスはそう言うと、豪快に笑いながら俺の肩を叩いた。
「オレの言いたいことは分かったな?」
そこまで言うとギルディエスは改まってこちらを見て言った。
「なぁファイ、オレと一緒にこの糞みたいな都市をぶっ潰そうぜ」
それは、逃げるしか選択肢のなかったファイに出された新たな選択肢だった。




