逃走
「な、何を言っているのですか!?その槍を納めなさい!ここは教会ですよ!?」
感情を感じさせない冷静な声はどこへやら。
神官は、槍を構え、こちらにジリジリと詰め寄ってくる衛兵に、声を荒げる。
だが、そんな神官の怒りも虚しく―
「全員、かかれーッ!」
異彩を放つ男の号令と共に、衛兵たちが一斉に槍を構え、俺たちへ向かって突き進む。
死の予感が、教会の冷えた空気の中に蔓延する。
「ファイ!」
怒号のような声を聞いて部屋から出てきたリシェラと目が合うと同時、彼女は躊躇なくその両手を教会の高い天井へと突き出す。
「独自魔呪綴――『天界の杭』!」
リシェラが叫ぶと同時に、教会の天井辺りからまばゆい極光を纏った無数の光の釘が俺と衛兵を分断するように降り注いだ。
ドドドドドドドドドドドン!!
まるで教会の床そのものを切断するかのような、轟音と閃光。
突き刺さった光の釘―
否、光の杭は、等間隔で地面に刺さり、衛兵たちの進行を、杭と杭の間を光る、光の壁で遮る。
「な、なんだこれは!? 光の壁だと!?」
突進していた衛兵たちは、目の前に突然現れた光の障壁に阻まれ、足をもつれさせて転倒
それはまさに、俺たちと衛兵を物理的に分断する、リシェラ渾身の『独自魔呪綴』だった。
「ファイ、今よ!私が足止めしている間に逃げて!」
リシェラが俺の方を真剣に見つめる
光の杭に阻まれた衛兵たちの、怒号と混乱の声が背後から聞こえる。
「ッ!でもそれじゃリシェラが…!」
「私なら大丈夫!それよりもミレッタと一緒に逃げて。衛兵たちの狙いはファイみたいだし!」
リシェラが無理に笑顔を作る。
「わ、かった…。でも必ず、必ず後で会おう!」
「えぇ!」
少しきょとんとした後、リシェラが、心のそこから笑顔を作る。
俺とミレッタは、光の杭が作り出した少しの隙をつき、教会の裏口へと全力で駆け出した。
「あなたは逃げなくて良いのですか?」
ファイたちが逃げたのを確かめた後、改めて衛兵たちの方を見たリシェラの背後から、少しは冷静さを取り戻したであろう神官の声が聞こえた。
「えぇ、私が残らなきゃファイたちが捕まっちゃうかもしれないもん!」
リシェラが当然のように答えると、神官は鼻で笑うような声を漏らした。
「はぁ。賞金首を匿い、あまつさえその賞金首のために衛兵に刃を向けるとは。あなたはつくづく頭がおかしいのですね」
その言葉とは裏腹に、神官はリシェラの隣まで歩み寄る。その手には、どこにあったのか物々しい杖が握られていた。
「え、」
「気が変わりました。祈りを捧げる大切な教会をいきなり攻撃してくるような不届き者共……。あの衛兵たちの横暴を、どうも私は許せそうにありません」
神官の瞳にが、先ほどまでの困惑の色がなく、静かな怒りの炎が宿っていた。
「そうね。ファイたちとまた会うために、一緒に頑張りましょう!」
「別にあなたの仲間になったわけではありませんよ。あなたと肩を並べて戦うのなんて、今日限りのことでしょうから。」
二人は、神官の言ったように肩を並べ、押し寄せる衛兵の軍勢を正面に見据えた。リシェラが再び綴力を集中させ、力が胸の辺りに集まっていく。
「準備はいい?神官様」
「フェルミーテ…」
「?」
「私の名前、フェルミーテです」
「私はリシェラ。一緒に頑張りましょう、フェルミーテ!」
「そろそろ来ますよ、リシェラ」
そんなたどたどしい会話を繰り広げ、リシェラとフェルミーテ、二人の戦いが始まった。
――何故だ、何故ばれた………
まさか、つけられていたのか?いつから?どこから?
逃げながら、俺は頭を抱えるようにして自問自答を繰り返していた。心臓の鼓動が耳の奥でうるさく鳴り響き、視界が焦りで狭まっていく。
「ファイ、少し止まって。深呼吸しなさい」
隣を走るミレッタが、俺の腕をしっかりと掴んだ。その小さな手の力強さに、俺はハッとして足を止める。
「ミレッタ……。くそっ、どうしてだよ。俺のことなんて、誰にも言ってないはずなのに!」
「落ち着いてファイ。考えるのは安全な場所に辿り着いてから。今は前だけを見て。アタシたちが今すべきことは、『琥珀のまどろみ』に戻ること、違う?」
いつものへろっとした顔を真剣なものへ変えたミレッタは俺の目を見つめ、静かに、けれど拒絶を許さないトーンで語りかけた。ミレッタの瞳には、俺の焦燥を溶かすような、透き通った強さがあった。
「あぁ。そう、だな。悪いミレッタ。少し冷静じゃなかった」
「それならいいのよ~。さあ、『琥珀のまどろみ』はもうすぐ。あそこなら、暫くは落ち着けるはずだから~」
そういうミレッタの声と表情はいつものへろっとしたものに戻っていた。
ミレッタの言葉に導かれるように、俺は再び走り出した。
二人は死に物狂いで街を駆け、ようやく見慣れた看板が掲げられた宿屋兼酒屋『琥珀のまどろみ』の前に辿り着いた。震える手で店の重い扉を押し開ける。
「ハァッ、ハァッ、ここまで、来ればっ!」
店内に滑り込み、膝を突いて荒い息を吐く。その時、薄暗い店内の奥から聞き覚えのある、野太く落ち着いた声が響いた。
「そんなに焦って、何があった?」
カウンターの陰から姿を現したのは、ゾルドンだった。
その大きな体と、いつも通りの、厳しいがどこか温かい眼差しを見た瞬間、俺の張り詰めていた緊張が音を立てて崩れ去った。
「て、店長!どうしてここに?今日は休業のはずじゃ…」
「いや、何やら外が騒がしかったんでな。お前らが来るんじゃないかと思って来たんだ。それで……リシェラはどうした?」
「!俺たちを逃がすために、教会で衛兵たちと……」
俺の言葉に、ゾルドンは短く鼻を鳴らした。
「何でそうなったかは聞かねぇ。でもそうか。どうやら、ここで立ち止まっている暇はねぇな。従業員が困ってんだ、店長の俺が行かなくて誰が行く」
ゾルドンの力強い言葉が、絶望に沈みかけていた俺の心に再び火を灯した。そのゾルドンは息切れしている俺とミレッタを交互に見て言う。
「お前らのそのザマじゃ満足に逃げれねぇな。お前らは水でも飲んで息整えて待っとけ。俺一人で行ってくる」
ゾルドンはそう言うと、手慣れた手つきで両刃斧を持ち上げ、店の入り口を正面にして立った。
「店長! 俺も、俺も行かせてくれ!」
「馬鹿やろう!お前らを逃がす為にリシェラが命張ってんだろうが!!」
「っ…!」
「てんちょーの言う通りだし、アタシたちが行っても足手まといにしかなんないよ…」
「くそっ!!!」
なんでこうなった。俺のせいか?そうだ、俺のせいだ。俺が弱いからリシェラに場を任せることになったんだ。俺が、もっと、強ければ…
「ほら、また下向いてる!ファイ、あんたが今やるべきなのは自分の弱さを呪うことなの?」
先程と同じ真剣な顔のミレッタが、下を向く俺の顔を持ち上げる。
「そう、だな。悪い、またやっちまった」
「分かればよし!アタシたちはてんちょーとリシェラの帰りを待つ!ひとまずはそれでいいね?」
「あぁ…」
店の中に少しの沈黙が訪れる。
だがそれは―
「…ッ、店―!」
その音に気づいたファイが叫ぶより早く、店内に鋭い風の音が響く。
扉を破ってなだれ込んできたのは、斬撃のような風属性の魔呪綴。
それが扉の前に立つゾルドンの後ろの、俺とミレッタの方に飛んでくる。
「きゃっ!」
とっさにミレッタを横に突き飛ばす。だが―
間に合わない…!
躱しきれなかった俺の全身に、風の刃が飛び込んでくる。それと同時に風の余波により俺とその近くのテーブルが激しく弾け飛ぶ。
「い、たい…」
全身に切り傷が出来る。クーガと戦った時と違い、痛みが、痛みが身近に感じる。
「ッ…!」
相手に先手を許してしまったゾルドン。その筋骨隆々とした男の顔は怒り心頭で、見たこともないほど険しく歪んでいた。
ギィ…と、不快な音を立てて店の正面、魔呪綴により壊された扉からその犯人が入ってきた。
扉を割った時とは裏腹に、その動きはあまりに緩やかで、かえって不気味な圧迫感を店内に撒き散らす。
逆光の中に浮かび上がったのは、一人の屈強な男だった。男は急ぐ様子もなく、獲物を追い詰めた愉悦を噛み締めるように、一歩、また一歩と店内に踏み込んでくる。
「おい、何のつもりだ。今日は休業日だぞ」
ゾルドンが地を這うような低い声で警告する。しかし、応えない。
割れた酒瓶から溢れ出した琥珀色の液体が、無機質なブーツの底で踏みにじられ、泥と共に汚されていく。その光景を見つめるゾルドンの拳が、怒りに震えた。
「生きて帰れるとは思うなよ?」
安らぎの場であった『琥珀のまどろみ』は、逃げ場のない戦場へと一瞬で変貌した。




