綴る者
その言葉を口にした瞬間、ハッと世界が視界に押し寄せてきた。
耳を刺すような極光の破砕音。全身を苛む焼きつくような激痛。そして、氷のような冷たさ。
ルナネアだけに絞られていた世界が一気に広がり、俺たちを包む過酷な現実が容赦なく引き戻される。
――ドォンッ!!
すぐ眼と鼻の先、地が爆発するように弾け飛んだ。
極光ビームが大地を抉り、熱風が全身を叩きつける。
「くっ……!」
逃げる?……無理だ。足はもう限界を超えている。それに、あの光の射程が分からない以上逃げるのは得策とは言えない。
じゃあ地面を掘って隠れるか?……だめだ、そんな時間も残されていない。
正面を見上げる。
巨大な魔獣の目で、再び禍々しい熱量が爆発的に収束を始めていた。一過性の攻撃じゃない。俺たちを骨も残さず消し去るための、最大威力の照射体勢。
「ファイ……っ!」
ルナネアが息を呑み、傷だらけの身体で俺の前に立ち塞がろうとする。
……駄目だ。もう二度と、守られるだけで終わってたまるか。
逃げるのも、守られるのも、ここで終わりだ。
戦うんだ。俺の、この手で。
……だけど、どうやって?
今の俺には、あいつを打ち破る術はない――
思考が詰まりかけたその時、ふと視線が下に落ちた。
足元の泥の中、乱れた水溜まり。
そこに、汚れた男の顔が映っていた。右眼の奥で、剥き出しになった魔眼が怪しく歪な光を散らしている。
……待て。
水溜まりの中の自分と、真っ向から目が合う。
記憶がない?術がない?……何を言ってるんだ、俺は。
忘れたのなら、思い出せばいい。
知らないんじゃない。俺の中に、眠っているだけだ。
……あぁ、そうだ。
泥の中で、じわじわと胸の奥が熱くなっていく。
……まだ、できる。俺にはまだ、やれることがある……!
逃げるための免罪符として過去を求めたんじゃない。
ルナネアと生きてここを立ち去るため、今、この瞬間に戦う力として――俺は俺自身の記憶を、過去を、深く抉り出す。
「思い出せ……!眠ってんじゃねぇ、俺……!!」
水溜まりの中の右眼を、射抜くように見つめる。
「今やるんだ!今やらなきゃ、全部終わるんだよッ!!」
身体に、眼に、変化はない。
「思い出せ!思い出せ!思い出せ!」
身体に、眼に、変化はない
魔獣に収束した熱量が今にも爆発しそうになる。
「逃げるな!出てこい!今しか、ねぇだろうがぁ!」
瞬間、その猛烈な欲望が、臨界点を超えた。
右眼が爆発的な輝きを放ち、水鏡を透かして、脳に絶大な負荷がかかる。
魔眼が抉り出したのは、失ったはずの情報の断片――かつての自分が刻んできた、魔呪綴の残滓。
記憶が、干上がっていた脳の回路を駆け巡っていく。
「ファイ……!?眼が……!」
ルナネアの驚愕した声が聞こえる。
目の前では、魔獣の口元から極大の極光が解き放たれようとしている。世界を白く染め上げる死の光線。
――だが、焦らない。
再び刻まれた魔呪綴。体内を巡る綴力。
今なら――打てる。
ルナネアを背中に庇うように前に踏み出し、魔獣が極光を発動させるその瞬間に、世界に魔呪綴を綴る――
「基礎魔呪綴――『絶綴掠頁』!!」
叫びと同時に、右眼の奥、カチと不可視の歯車が噛み合った。
魔獣の口元で過密に凝縮され、解き放たれる寸前だった極光――その膨大な熱量が、俺の中へと、文字通り掠め取られ、吸い込まれていく。
――ヒュンッ。
世界を白く染め上げるはずだった死の光線が、嘘のように消絶した。
『……ッ!?』
空を切った衝撃波すら残らず、ただ静寂だけが泥の原野に残される。
魔獣は一瞬、何が起きたのか理解できないといった様子で、巨大な頭部をわずかに揺らして周囲を見回した。解き放たれるはずだった威力が、跡形もなく消え失せたのだから無理もない。
だが、その困惑は一瞬だ。
本能的な危機感を覚えたのか、魔獣は威嚇の咆哮をあげる間すら惜しみ、溜めも溜め時間も無しで、先ほど以上の凶悪な光をその口内に暴発気味に生み出す。
文字通りの即射。俺たちを即座に蒸発させようという、殺意の暴走。
「ファイ……!?よく分からないけど……っ、下がって!!」
攻撃が消えた理由も分からないまま、ルナネアは再び立ち塞がろうと、その身体を俺の前へと投げ出そうとした。
――ポン、と。
俺は、彼女の華奢な肩を優しく、けれど強く叩いて引き止める。
「ファイ……?」
驚いて振り向くルナネアを背中に押し戻し、俺は一歩、泥を蹴って前に出る。
構造は完全に理解した。
魔獣の放とうとしているその光の、全てをもらった。
短剣を握り直し、迫り来る死の光束を見据えながら、静かに、そして鋭く紡ぐ。
「――刻め!!」
ドドォッ……!!!!
俺の前に、渦を巻くような純白の極光が爆発的に湧き上がってくる。
魔獣が今まさに解き放った光線と全く同じ極光が現れ、一直線に放たれる。
放たれた二つの極光が、正面から激突する。
空間を歪めるほどの衝撃波と閃光が吹き荒れ、互いの威力が拮抗した末に、天地を揺るがす大爆発となって大気を弾き飛ばした。
爆風が猛烈に泥を巻き上げ、二つの閃光が互いを相殺するように爆散する。
背後で息を呑む気配がダイレクトに伝わってきた。ルナネアが瞠目し、信じられないものを見るような眼差しでこちらを見つめている。この一撃程度で眼前なる脅威を押し切れるほど甘くはないはずだ。
視線を鋭く前に固定したまま、静かに口を開く。
「ルナネア、力を貸してくれ。……一緒に、勝とう!」
「……っ!うん。勝とう、一緒に!」
戸惑いは一瞬。すぐに力強い頷きが返り、傷ついた手足の痛みなど吹き飛ばすように、彼女の強い瞳へ決意の火が宿る。
二人で息を合わせ、眼の前の魔獣を見据えた——まさにその瞬間。
「—―二人で、か」
爆心地の破砕音を切り裂き、爆発とは全く別の方向から、低く滑らかな男の声が唐突に響き渡った。
思わず視線を奪われる。魔獣の放つ殺意とは異質な、けれどどこか底知れない異様な気配。
木陰にひっそりと佇むその影へと、肌を刺すような緊張感が走る。
「誰だ……!?」
警戒を強め、短剣を構え直したその瞬間――
バサァッ!!
何もない空間から突如として漆黒のマントが翻り、月光を遮るように、それは現れた。
木陰の暗がりから悠然と踏み出してきた男は、前髪がかかってない方の目を光らせ、芝居がかった大袈裟な動作で胸に手を当てる。
「……愚者共よ、今しがた、二人でと言ったか?」
「嘘……ッ!?どこから……!?」
ルナネアが息を呑み、思わず一歩身を引く。
気配すら与えず、まるで夜闇そのものから湧き出たような唐突すぎる出現。
男は、爆発や迫り来る魔獣の威圧など気にも留めない様子で、掲げた長指をゆっくりと俺たちに向けた。
「我が刮目するこの領域において、数を数えることすら叶わぬとはな。……よいか?言葉を正せ」
「お前は――」
「三人で、だ」
漆黒の男――ヴレイヴァは片目で天を仰ぎ、わざとらしいほど重々しい溜め息を一つ吐き出した。
そして、いつかの時と同じように目を細める。
「我、真打ち、今より貴様等を救ってやろう」
「え、」
ルナネアが完全に口をぽかんと開けて固まる。
魔獣の咆哮が響く極限状態の戦場で、物理的な脅威とは全く別のベクトルで、俺たちの頭に強烈な頭痛が駆け抜けた。




