生命の吐露
ぽろり、と視界を遮っていた布切れが地に落ちた。
焼き切れた眼帯が、泥の中に落ちる。
直後、右『眼』の奥が焼けるように熱くなり、世界の色が一変した。長らく隠し続けてきた右眼――魔眼が、剥き出しのまま外気に晒されている。
血に塗れた顔のまま、俺はゆっくりとルナネアの方を振り向いた。
「っ……!」
ルナネアが息を呑むのが分かった。
彼女の大きな瞳が丸くなり、俺の右眼を捉えて固まる。無理もない。
驚き、引きつるルナネアの顔。
……ああ、やっぱりそうだ。こんな眼を見たら、誰だって気味悪がる。関わりたくなんてなくなるはずだ。
これでいい。この目を見せてしまえば、ルナネアも俺のことを信じれず、一人で逃げてくれる――そう思った。
だが、ルナネアは違った。
ほんの数秒、驚愕に目を見開いた後、ルナネアはすぐに歯を喰いしばって表情を切り替えた。恐怖や嫌悪なんて微塵も見せない瞳のルナネアに腕を捕まれる。
「何度でも言う、絶対駄目……!一緒に逃げる!!」
必死な叫びだった。
俺の右眼がどうあろうと関係ないと言わんばかりに、ルナネアは俺をこの絶望の地から引き剥がそうとしてくる。
その温もりと純粋な必死さが、今はただ、たまらなく痛い。
胸の奥が焼きちぎれるほど苦しくて、吐き気がする。
「……離せよ」
低く、掠れた声が出た。
「離してくれよ、ルナネア……」
「離さない!絶対に離さない!!こんなところで、ファイを見捨てない!!」
「やめてくれッ!!」
俺は掴まれた腕を強引に振り払った。
ルナネアがハッとしてよろめく。その拍子に、ルナネアの目から熱いものが溢れ出して、頬の傷口を濡らす。
もう、駄目だった。
隠し通してきた自分の薄汚い本心が、抑えきれずに溢れ出していく。
「もう、自分が嫌なんだ……。俺は、目覚めてから何も分からなくて……記憶がないことを、力がないことを免罪符にして、ずっと逃げてただけなんだよ!」
胸元に爪が食い込む。
「何も覚えてないから仕方ない。自分が弱いから戦えない。そうやって自分をかわいそうに見せかけて、傷つくことから、苦しみから逃げてただけなんだ!分からないことを都合のいい言い訳にして……向き合うべきことから全部、目を背けてきたんだよ!」
頭の中で、後悔が怒涛のように押し寄せてくる。
リシェラとだって、ゼクフィスとだってそうだった。向き合う時間なんていくらでもあったはずなのに、傷つくのが怖くて、自分の価値が認められなくなるのが怖くて――そして、そのツケが今、ここに支払われている。
「そうやって俺が自分勝手に生きて、自分を守ることだけを考えて右往左往した結果がこれだ!ルカーパを、ピピを、リュリュを、村長たちを死なせた!皆を巻き込んで、命を奪った!全部、全部俺のせいなんだよ!!」
「ファイのせいじゃない!そんなの、誰だって――」
「俺のせいなんだよ!!」
ルナネアの言葉を遮り、泥の中に膝をつく。
視界が涙と血で赤く滲んで、何も見えない。
「もう……うんざりなんだ……」
両手が震える。何もしたくない。
「生きてることに、うんざりなんだよ……」
息を吸うだけで胸が痛い。生きているだけで、誰かを壊していくような気がする。
目覚めてから今日まで、俺がやってきたことなんて何一つなかった。約束を守ることもできず、仲間を守ることもできず、ただ自分の保身のために周囲を踏みにじってきただけ。
「自分がどこまでも勝手で、最低な奴だってことは分かってる……。ルカーパが命を懸けて俺たちを助けようとしてくれたのに、それを無駄にしようとしてる俺は、反吐が出るほど身勝手だ……」
ポタポタと、泥の上に涙が落ちる。
声が震えて、うまく力が入らない。
「だけど……もう無理なんだよ、ルナネア。立っていられないんだ。一歩踏み出すだけで、心が全部壊れそうなんだ……」
泥の中から顔を上げ、涙で霞む瞳で、眼の前に立つ彼女を見上げた。
「だから……お願いだから、俺を置いて逃げてくれ……」
自分勝手な願いだということは分かっている。ルナネアにどれほどの重荷とトラウマを背負わせるか分かっていて、それでも――
「お前だけでも生き残ってくれ……。俺はもう、ここで死にたいんだ……」
消え入りそうな声でつぶやいた本音。
それは、世界を救うためでも、ルナネアを守るためでもない。
ただ、これ以上自分の醜さに耐えきれなくなった男が、楽になるために差し出した、最低で切実な最後のお願いだった。
「分かってくれたか……?」
これで、分かってくれただろうか。
これだけ己の薄汚さを晒して、惨めに泥を舐めて懇願したんだ。
ルナネアならきっと、俺のこのどうしようもない壊れようを見て、涙を呑んで背を向けてくれる。そう思った。
――パァンッ!!
乾いた重い音が、境内に響き渡った。
「……っ!?」
激しい衝撃と熱が、左頬を突き抜ける。
強烈な力で顔を横へ弾かれ、地面に倒れる。
口の中に広がる鉄の味と、遅れてやってくる猛烈な痺れ。
……叩かれた?ルナネアに?
困惑しながら体を起こし、腫れ上がる頬を押さえて見上げる。
そこにいたのは、俺の知っている、大人しくて優しいルナネアじゃなかった。
肩を激しく上下させ、瞳に見たこともないほどの炎を宿した、一人の少女だ。
溢れ出る涙を拭おうともせず、ルナネアは俺を見下ろしている。
「……ふざけないで!」
震える声だった。
「ふざけないで!!何が「分かってくれたか」だ!何が「ここで死にたい」だ!!」
「ルナ、ネア……?」
「被害者ぶらないで!反省したフリしてカッコつけるな!!」
ルナネアが俺の胸ぐらを掴み上げ、強引に顔を至近距離まで引き寄せた。
泣きじゃくりながら、でもその目は逃げようとする俺を逃がすまいと鋭く刺さってくる。
「全部自分のせい?さっきの人が死んだのも自分のせい?そう言っておけば満足!?「俺が悪いから死んで罪を償います」って言えば、悲劇の主人公になれるとでも思ってる!?」
「な……」
「結局ファイ、会った時からずっと変わってない!!」
耳元で炸裂する絶叫。
「記憶がないから逃げる。弱いから逃げる。今度は「自分が最低だから」って理由をつけて、一人で死んで楽になろうとしてるだけ!!「自分のせい」って言えば聞こえはいいけど、結局そうやって一人で勝手に納得して、わたしの気持ちも、さっきの人の言葉も全部踏みにじって、自分の都合だけ押しつけて逃げようとしてるだけ!!」
言葉の刃が、胸ぐらを、心臓を直接抉ってくる。
「「お前だけでも生き残ってくれ」?そんなの優しさでも何でもない!わたしに一人で生き残る地獄を押しつけて、自分だけさっさと死んで逃げたいだけの、ただの最悪な我儘!!」
反論しようにも、口が上手く動かない。
「リシェラ?ゼクフィス?その人たちとも向き合えなかった?約束を守れなかった?……じゃあ、今ここで死んだら、その約束はどうなる!?一生破ったまま、死んで逃げ切るつもり!?」
「……ち、が……」
「違わない!!」
掴む力が増す。ルナネアの指先が、痛いほど服に食い込んでいた。




