もういい
思考が、白く塗られていく。
「ルナネア……」
動かなくなったルカーパの体を静かに地面へ下ろす。指先に残る生温かい血の感触が、俺の罪をどこまでも証明していた。
泣いても、叫んでも、死んだやつは戻らない。
俺の失態だ。俺が殺した。
だったら――せめて、この男が最後に残したお願いだけは、果たさなきゃいけない。
ルカーパの腰元に目をやる。血に濡れた革鞘に、銀色に輝く一丁の短剣が収まっていた。それを引き抜き、握りしめる。
「ファイ……?何を――」
「逃げろ、ルナネア」
震える膝に無理やり力を込め、立ち上がる。
ルナネアを背中に隠すようにして、前に出た。
「どう、いうこと!?一緒に行くって――」
「このままじゃ、二人とも逃げ切れない!」
振り返らず、短剣を構える。刃先が情けないほど細かく揺れる。
「ルカーパが死んだのは、俺のせいだ。……俺が余計なことを言ったからだ!俺が……俺さえいなきゃ、あいつは死なずに済んだんだよ!」
「ファイのせいじゃない!そんなの――」
「いいから行け!ルカーパの最後の頼みなんだ!お前だけでも生き残らなきゃ、あいつが報われない……!」
頭上でパシッと無機質な音が弾ける。
光の軌道が、空間を気まぐれに折り曲げながら、まっすぐ俺たちの頭上へ収束していく。
どうせ、光の速度なんて人間には避けられない。
なら、俺がここで肉の壁になる。短剣で光を一本でも逸らせれば、コンマ数秒の時間が稼げるかもしれない。
それでいい。俺の命なんて、最初からその程度の価値だ。
「さっさと走れ!後ろを見るな!!」
「そんなの嫌!」
ルナネアの叫びを無視し、死線を見据えて歯を食いしばる。
来い。俺を射ち抜け。
その瞬間――
ヒュンッ、と不快な風切り音が耳に響いた。
極光の屈折音とは違う。質量を持った鉄が、猛スピードで空間を削りながら迫ってくる音。
「なっ――!?」
ブーメランのように回転しながら飛来したのは、異様な曲身を描く巨大な刃物。
狙いは俺の首。極光への警戒で意識を上に向けていたせいで、完全に反応が遅れた。
死ぬ――そう覚悟したコンマ一秒前。
ガギィィンッ!!
耳を刺す激しい火花が、俺の目の前で弾ける。
「……え?」
重厚な金属音が境内に響き渡り、飛来した刃物ブーメランが斜め上へと弾き返される。
視界の端で、金属の鞘が落ちるのが見えた。
俺の横に並び立っていたのは、ルナネアだった。
華奢な両腕で固く握られていたのは、社の中に祀られていたはずの刀。いつの間に手に入れて、帯びていたのか。
震える手で刀を構え、俺の前に立ちふさがる彼女の背中は、今まで見たこともないほど小さく、そして鋭かった。
「……手酷い惨状ですね」
煙の奥から、足音が近づいてくる。
弾かれた刃物ブーメランを軽々と手元へ呼び戻し、それを腰に収めた女――メラリカだ。
その衣服には煤ひとつついておらず、周囲の凄惨な死体の山を、まるで道端の石でも見るような眼差しで見下ろしている。
「メラ、リカ……」
「はい、メラリカです」
メラリカは静かに一歩を踏み出す。
「ファイ様のせいで随分と沢山の方がお亡くなりになられましたね」
「……っ!!」
「怒りに任せて立ち上がろうとしないでください。ファイ様のようなお方が足掻いたところで、何も変わりません」
メラリカが冷ややかに腰につけた武器の柄へ手をかける。
「ここでファイ様を斬り捨てれば、私の完璧な計画が完成します。……死んでください」
メラリカの身体が沈み込む。
殺気が肌を刺し、息が止まる。
ルナネアが刀を構え直すが、相手は訓練されたであろう暗殺者だ。叶うはずがない。
やるしかないのか。ルナネアを守るために、このボロボロの体で――
そう思った、まさに次の瞬間。
パシッ。
頭上で跳ねた無機質な屈折音が、一度だけ響く。
「え――」
メラリカの首から上が、唐突に消失していた。言葉の途中で。動作の途中で。
そこにあったはずの頭部が、極光の一撃によって、痕跡すら残さず無へと変換された。
ジュッ……と、切断面から小さな湯気が上がる。
首を失ったメラリカの体が、数秒間だけ構えの姿勢を保ち、そのまま力無く泥の中へ倒れ伏した。
ドサリ、と生温かい塊が泥を叩く音がした。
首を失ったメラリカが転がっている。つい数秒前まで、俺たちをゴミみたいに見下し、完璧な計画とやらを誇っていた女だ。それが言葉の途中で、何の余韻もなくただの肉塊に変わっていた。
あぁ……そうか。そうなんだ。
死なんてものは、最初から誰に対しても平等だったんだ。
覚悟を決めて命を張ったルカーパも、他人を死に追いやったメラリカも関係ない。この理不尽な世界では、命の重みなんて誰一人として変わりやしない。
――なら、俺が今まで必死に右往左往していたのは、一体何の茶番だったんだ?
胸の奥で、何かがぶつりと切れた。
恐怖も、悔しさも、すべてが嘘みたいに冷えていく。
もう、嫌だ。
全部、心底どうでもいい。
「……はは」
喉の奥から、乾いた掠れ声が漏れた。自分の声なのに、まるで遠くの他人が笑っているみたいに聞こえる。
「ファイ……?」
ルナネアが引きつった声で俺を呼ぶ。その手に握られた刀が、カタカタと情けない音を立てて震えていた。
握りしめていた短剣の手を緩める。
カチャン、と泥の中に刃が落ちる音がした。重荷をひとつ捨てたような、不快な解放感だけが残る。
「……もう、終わりにしたい……」
「何、言って……っ」
「勝てるわけない。逃げられるわけもない。俺たちが何を思おうが、どれだけ泣こうが……あの光はただ、俺たちを消すだけだ」
ルナネアの肩を掴む。
その体は小さく、頼りなく、信じられないくらい冷たかった。
焦点の合わない瞳に、俺の顔が映っている。泥と血に塗れて、情けなく歪んだ最悪の顔だ。
――思い返せば、最初からそうだった。
俺は何一つ、成し遂げちゃいない。
約束すら守れなかった。リシェラやゼクフィスとだって、まともに向き合って話すことすらできなかったじゃないか。
いつだって自分の都合ばかり優先して、勝手に怯えて、逃げて、土壇場になって周りを巻き込んで――その挙句が、死だ。
結局俺は、どこまで行っても自分勝手で、愚かで、反吐が出るほど無力な人間のままで……
そんな奴が、今さら誰かを守るだの、生き残るだの言ってること自体が図々しいんだ。
吐き気がする。自分の存在そのものに、目を開けていられないほどの嫌悪感が込み上げてくる。
「俺がここに残って光の標的になる。だからお前は……今度こそ、振り返らずに走れ」
「一人で死ぬつもり!?そんなの許さないから!!」
「お願いだから、もう俺に構わないでくれよ!!」
叫ぶと同時に、口の中に血の味が広がる。
「もう……疲れたんだ。ルカーパを、死なせて、皆を巻き込んで……こんな最低な俺が生きてたって、誰も救えるわけないだろ!俺の命なんて、最初から少しの価値もなかったんだ!!」
ルナネアの目から涙が溢れ、泥に濡れた頬を伝っていく。
分かっている。これは自己犠牲なんかじゃない。ただの逃避だ。ルカーパの遺志を勝手に免罪符にして、自分が楽になりたいだけの、どこまでも最低な自分勝手だ。
だけど、もう一歩も前に進めない。胸の奥が焼きちぎれそうで、息を吸うたびに絶望が肺を満たしていく。
「お前だけでも……行ってくれ」
ルナネアの体を押し出すように強く突き飛ばす。自分は逆を向き、不気味に歪み続ける空を見上げた。
パシッ。
顔の横で、あの無機質な屈折音が弾ける。
頬を掠めるようにして光が俺の横に刺さる。
眼帯が取れ、顔から血が流れる。
――心底、どうでもよかった。




