命の代償
「大罪人――ファイ様のご息災をお尋ねする……これほど当然の問答に対して、あのように不遜な態度をとられるのですから。教育が必要だったまでのことです」
「狂ってる……お前、狂ってるよ……」
「狂っている、ですか?私はただ、自分の失敗を取り返そうとしているだけです」
メラリカは刃物ブーメランの血を軽やかに振り払うと、一歩、また一歩と血の海を踏み越えて俺へと近づいてくる。
洗練されたメイドの佇まいのまま、メラリカは、さも感心したというように深く頷いて見せた。
「ですが……驚きました、ファイ様。このエルフの村の者の中には、心底あなた様を大切に思っておられる方がいらっしゃったのですね。最後まで、すんなりと口を開こうとはなさいませんでしたから」
「……え?」
メラリカの発した言葉の旋律が、脳の奥深くに重く引っかかった。
――違和感。
息が止まるほどの強烈な違和感が、俺の思考を冷たく殴りつける。
「俺を、庇う……?」
そんなはずがない。
俺はこの村にとって、ただの余所者だ。害悪であり、村の掟や『贄の式』を脅かす厄介者でしかなかったはずだ。
ルカーパだって俺に何かを盛り、部屋に鍵をかけて閉じ込めた。村人たちの俺を見る目は、いつだって冷ややかで、排他的で、警戒に満ちていた。
この村の誰が、命を賭してまで俺を庇うというんだ?
村長か?ルカーパか?いや、あり得ない。彼らが守りたいのは村の平和であって、俺なんかじゃない。
胸の底から湧き上がる気味の悪い疑惑に、呼吸が浅くなる。
「な……何を、言って……」
「お心当たりがおありになりませんか?」
メラリカが不思議そうに首を傾げる。
「……あのお幼いお子様たちは、本当に健気でいらっしゃいました。大人たちが恐怖に怯えて固まる中、真っ先に前に飛び出してこられて……」
「っ……!?ま、待て……やめろ……!」
血が引いていく。指先が急速に体温を失い、冷たく痺れていく。
脳裏を駆け巡る、二つの小さな影。
昼間、俺の服の裾を無邪気に引っ張っていた姿。木の実を差し出して、弾けたような笑顔で見上げてきたあの双子――
「最初は無邪気に「ファイお兄ちゃんなら知ってるー!」とおっしゃっていたのですけれど……私が周囲の大人たちを少々切り刻みましたら、事態の深刻さに気づかれたようで」
メラリカは目を細め、思い出を噛みしめるように言葉を紡ぐ。
「「言わない!ファイお兄ちゃんは悪いやつじゃない!絶対に教えない!」……そう泣き叫んで、最期まで固く、固くお口を閉ざしていらっしゃいました。……あのように幼い身でありながら、素晴らしい忠誠心でした。ファイ様は、誠に果報者でいらっしゃいますね」
「やめろ……やめろやめろやめろ!!嘘だ!!お前が言ってることは全部嘘だッ!!」
俺は自分の頭を抱え込み、必死に叫んだ。
認めるわけにはいかない。そんな言葉を信じるな。ピピとリュリュが、そんな目に遭っているはずがない。二人はどこか安全な場所に隠れているはずだ。そう思わなければ、心が惨状の重みに耐えきれず崩壊してしまう。
「嘘……?忠実な使用人として、嘘などつきません」
メラリカは足元へ、すっと細い手を伸ばした。
濡れた布を引っ張り上げるような、嫌な音が静寂に響く。
「これが、その者です」
その手が、血の海から掴んで持ち上げたそれを、俺の目の前へと掲げた。
月光の下、ポタリ、ポタリと赤黒い雫が地面へ垂れ落ちる。
「――っ、あ、」
喉から、声にならない悲鳴が漏れた。
メラリカが、まるで摘み取った花籠でも示すように掲げていたのは――首だった。
胴体から下が無残にも削ぎ落とされ、断面から潰れた肉と骨を覗かせた、無惨に切り裂かれた首。
白磁のように美しいメラリカの指先がその髪を掴み、夜風に揺らしている。
原型を留めないほど傷つけられ、泥と濃密な血に塗れたその顔。だが、見間違うはずがない。
俺に向かって弾けるような笑顔を向けてくれた少女、ピピの顔だった。
見開かれた小さな瞳は、絶望と激痛、そして恐ろしいほどの恐怖に染まったまま光を失い、固まっている。引きつった小さな口元は、最期まで俺の名を呼び、かばい続けようとした形のまま止まっていた。
「……ピ……ピ……?」
喉の奥で、ひゅっと乾いた空気が漏れる。
視界が真っ白に染まる。
足元から世界が崩れ去り、立っていることすらできなくなる。
「本当はリュリュ様の首も一緒にお見せしたかったのですが……あちらは少し遠くに行ってしまいました。申し訳ありません、お持ちできたのはピピ様だけです」
メラリカは申し訳なさそうに眉をひそめながら、持ち上げたピピの頭を撫でた。
「ご覧下さい、ファイ様。この子は、あなた様を庇って死んだのです。あなたがこの村に逃げ込み、この子たちに優しくなどしたから……この子はこんな姿になるまで、激痛に苛まれながら死んでいったのです」
刃のような言葉が、俺の胸を深く、深く刺し穿つ。
俺のせいだ。
俺が逃げたから。俺がこの村に足を踏み入れ、あの双子と笑い合ったから。
俺の存在が、あの幼い命を……この村の人間を殺したんだ。
絶望と自責の念が、ドロドロとした泥となって全身を押し潰す。
一刻も早く助けに行かなきゃならないルナネアの顔と、俺のせいで物言わぬ肉塊となったピピの姿が激しく交錯し、思考が狂いそうになる。
「……追いかけっこは終わりにしましょう、ファイ様」
絶望のどん底で動けない俺を、メラリカが見下ろす。
ピピの首を無造作に血の海へと投げ捨て、二丁の刃物ブーメランを構える。
月光に濡れる血の海の真ん中で、惨絶な静寂が、俺とメラリカを包み込んでいた。
「――さようなら、ファイ様」
静謐な宣告と共に、真空を断ち切る鋭利な風切り音が夜の空気を引き裂いた。
二丁の巨大な刃物ブーメランが、月光を抱いて放たれる。その銀光は、動けない俺の胴体と首元を同時に断ち切らんと直線的に迫ってきた。
――死ぬ。
脳がそう理解した。だが、自責の念で腐り果てた心は「これで終わるならそれでいい」と諦滅を叫んでいた。俺のせいでピピが死んだ。リュリュが死んだ。村が死んだ。俺みたいな奴は、ここで肉塊になって死ぬのがお似合いだ。
だから、身体を固まらせてその刃を受け入れようとした――その、瞬間。
ぐねり、と。
腹の底から、粘ついて汚悪なナニカが鎌首を持ち上げた。
――生きたい。
そんな高尚な意思じゃない。もっとドロドロとした、醜く惨めな生存本能――ファイ・ニアスという生物が持つ、泥に塗れたいじ汚い生への執着が、絶望に支配された脳を力任せに殴りつけたのだ。
「――がッ!?」
死にたくない。痛いのは嫌だ。死にたくない死にたくない死にたくないッ!!
――身体が、勝手に跳ねた。




