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ロスト・リビルダー ―忘却の罪―  作者: げこきち
二章 永劫の理想郷
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贄(にえ)

 二人との時間を名残惜しく思いながらも、俺たちは傾きかけた日差しに急かされるようにして腰を上げた。


「二人とも、そろそろ戻るぞ。お母さんたちに見つかったら、せっかくの冠を取り上げられるかもしれないぞ」


「えー、もっと遊びたい!」


「ダメだよ、リュリュ。お兄ちゃん困っちゃうよ」


「ぶー」


 リュリュが頬を膨らませる。


「じゃあ、一緒にかけっこで帰ろう!」


 物分かりのいいピピがリュリュの手を引き、俺より一足先に林の抜け道を走っていく。


「転ぶなよ」


 双子の元気な姿を目に刻みながら、俺は必死に双子についていった。



 ――身を隠すようにして宿へと戻る。


 幸い、大人のエルフたちは双子の言葉通り『贄《にえ》の式』の準備とやらに追われているのか、村は不気味なほど静まり返っており、誰とも出くわすことなく部屋へ滑り込むことができた。


 薄暗い室内に戻り、ベッドの縁にどさりと腰を下ろす。


 どっと押し寄せてきた安堵感とともに、膝の上に残った微かな花の匂いが、さっきまでの時間が現実だったのだと教えてくれる。だが、息を整えるうちに、胸の奥に燻っていたあの言葉が、再びのらりくらりと現れ始めた。


 ――『贄《にえ》の式』


 双子は何の疑いもなく「ご飯をたくさん集める」と言っていた。


 だが、本当にただの収穫祭のようなものなのか。不吉な文字が頭の裏にへばりついて離れない。


 思考の海に沈みかけていた、その時だった。


 静まり返った部屋のドアが、遠慮がちな音を立てて小さくノックされる。


「ファイ、入るぞ」


 聞き覚えのある落ち着いた声。ルカーパだ。

 俺は思考を切り替え、努めて平静を装いながら声を返した。


「大丈夫だ。入ってくれ」


 扉が開き、ルカーパが静かに足を踏み入れてくる。その手には、昨日と同じように俺の分の食事と思わしきトレイが握られていた。相変わらず、その表情は柔らかく、何を考えているのか読み取りづらいが、どこかいつもより足取りが重いようにも感じられる。


「体の具合はどうだ?少しは動かせるようになったか?」


 ルカーパはトレイを枕元の机に置きながら、視線だけで俺の包帯を確かめるように尋ねてきた。


「おかげさまでな。この通り、指先もそれなりに動く。お前がいなきゃ、今頃どうなっていたか分からない。感謝してるよ」


「それならいいんだが……あまり無理はすんなよ」


 ルカーパはそう答えると、何かを言い淀むように視線を落とした。その様子に、俺は今がチャンスかもしれないと直感する。直球で聞けば警戒される。


 あくまで世間話の延長を装い、記憶の端に引っかかった程度の温度感で、じわじわと言葉を紡いだ。



「なぁ、ルカーパ。ちょっと気になったんだが……今日は外がやけに静かじゃないか?昨日まであれだけ俺にピリピリしてた奴らの気配が、急に消えたみたいだ。何か村の行事でも、重なってるのか?」


 俺の問いかけに、ルカーパの手が一瞬だけピクリと止まった。彼は表情を変えないまま、淡々と部屋のカーテンを閉め直す。


「実はな、少し大きな儀式が控えてんだ。だから皆、その準備に追われていて、今は余所者に構っている余裕がないってこった」


「儀式、か……。エルフの村特有の、伝統的な祭りか何かなのか?」


「……そんなところだな。つっても、ただの古い習わしみたいなもんだよ。そんな気にするほどじゃねぇ」


 あからさまに話を切り上げようとする態度。その頑なな様子が、かえって俺の猜疑心を煽る。ただの祭りなら、ここまで隠す必要はないはずだ。


 俺はベッドに深く背を預け、わざと自嘲気味な笑みを浮かべてみせた。


「それは良かった。てっきり、村人が揃って消えたから、裏で俺をどう殺すかでも話し合ってるのかと思ったよ。……生贄だか何だか知らないが、余所者を神に捧げる怪しげな儀式なんて、おとぎ話じゃ定番だしな」


 冗談めかして言ったその言葉に、室内の空気が、凍りついたように静まり返った。


 ルカーパの背中が、目に見えて強張っている。彼は振り返らない。だが、握りしめられたルカーパの指先が、わずかに震えているのを俺の目は見逃さなかった。


「……そんな悪趣味な冗談、二度と口にするもんじゃないぞ」


 振り返ったルカーパの声は、低く、どこかひび割れていた。その瞳の奥にあるのは、怒りではない。もっと暗く、深い、怯えのような色だった。


「この村の儀式は、お前が考えているような、そんな軽いものじゃない。……だから、余計なことは考えずに、早く体を治すことだけを考えとけ」


 それだけを言い残すと、ルカーパは逃げるようにして部屋を後にした。バタン、と静かに閉まったドアの音が、やけに重く室内に響く。


 一人残されたベッドの上で、俺は自分の手のひらを見つめる。


 ルカーパのあの過剰なまでの反応。ただの邪推だと笑い飛ばしてくれないその態度が、何よりの答えだった。


 平和を象徴するようなエルフの村。その裏で、この村は確実に、何かしらの狂気へと向かって動き出している。確信に近い予感が、冷たい汗となって俺の背筋をつたっていった。



 ――夜が来る。ルナネアの元へ行く時間が。

 すっかり日が落ち、村全体が深い闇と静寂に包まれた頃、俺は音を立てないようにベッドから抜け出した。


 ルカーパの言っていた通り、大人たちが『贄の式』の準備で手一杯なのだとしたら、今夜の移動はむしろ好都合のはずだ。窓から音もなく這い出し、昼間とは違う、村の境界線にある鬱蒼とした原生林へと足をそっと踏み入れた。


 冷たい夜気を含んだ木々の葉を掻き分けながら、いつもの岩場へと急ぐ。


 昼間の子供たちの足音とは違う、自分の足が踏みしめる湿った土の感触と、どこか遠くで鳴く夜鳥の声だけが耳に届く。


 やがて、視界が開けた。

 月明かりがうっすらと照らすいつもの岩場に、その白い人影はもう佇んでいた。


「ファイ……!」


 俺の姿を認めると同時に、ルナネアの顔がぱっと輝いた。まるで世界に二人しかいないかのような、その濁りのない歓喜の表情を見るだけで、日中に溜まった胸の澱がすうっと引いていくのが分かる。


「待たせてごめんな」


「ううん、わたしも今来たところ」


 駆け寄ってきたルナネアの髪から、夜の森の涼しい匂いがふわりと漂う。身体は相変わらず痛むが、彼女の前に立つと、不思議とその痛みを忘れられた。


「ルナネア、今日はいつもみたいにここで座って話すんじゃなくて……少し、一緒に歩かないか?あんまり遠くへは行けないけど」


「歩く……?ファイと一緒に?」


 ルナネアは驚いたように、真ん丸な瞳をまたたかせた。


「あぁ。ルナネアがいつも、夜にどんな景色を見てるのか、少しだけ知りたくなったんだ」


 半分は本音だった。そしてもう半分は、彼女がいつもどんな場所で寝起きしているのか、この目で確かめておきたいという俺の懸念があったからだ。


 村のエルフから理不尽に嫌悪されている彼女が、一体どこに身を寄せているのか。


「うん……!じゃあ、わたしの秘密の通り道を案内する」


 ルナネアは嬉しそうに微笑むと、俺の歩幅を気遣うように、ゆっくりとした足取りで歩き出した。

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