束の間の休息
翌朝、差し込む強い日差しと、身体のあちこちから走る鈍い痛みで目が覚めた。
「んっ……」
ゆっくりと上体を起こすと、包帯の隙間から少し血が滲んでいるのが分かる。夜中にこっそり抜け出して暗い原生林を往復したツケが、きっちり身体に回ってきたらしい。
のろのろと部屋の扉を開けると、廊下の床に置かれた木皿の上に、少し冷めたスープと堅焼きのパンが置かれていた。ルカーパが置いていってくれた朝飯だ。
「……いただきます」
部屋に持ち帰り、一人で黙々と咀嚼する。
村のエルフたちからの強烈な敵意に晒されながら食べる飯は、味がほとんどしなかった。それでも生きるために胃袋へ流し込み、食後はベッドに横になって、ただひたすらに傷が癒えるのを待つことにした。
――静かすぎる時間が流れる。
目を閉じれば、昨夜のルナネアの温かい笑顔が思い浮かぶ。あの甘やかな余韻に浸りながら、現実の痛みを麻痺させるように、俺はぼんやりと天井を見つめていた。
――そんな静寂をぶち破ったのは、小気味いいバタバタという足音だ。
「ファイお兄ちゃん!あーそーぼっ!」
「お兄ちゃん、入るよー!」
ガラッと勢いよく扉が開くと、そこには昨日出会ったエルフの双子、ピピとリュリュが元気いっぱいに立っていた。
左右対称の愛らしい笑顔が、狭い部屋に飛び込んでくる。
「お前ら……俺のところに勝手に入ったら怒られるぞ」
俺がベッドの上で身を固くすると、双子はトコトコと迷いなくベッドの脇まで歩み寄ってきた。
「大丈夫!今はお母さんはいないし、ルカーパもお仕事でお外行っちゃったもん!」
「お留守番のお兄ちゃんを、私たちが元気にさせてあげるの!」
どうやら確信犯らしい。二人は俺の左右からベッドに身を乗り出し、クリッとした大きな瞳を輝かせて俺の顔を覗き込んでくる。
「ファイお兄ちゃん、お外行こう?今日はね、お花の綺麗な特等席があるの!」
「そうだよ!かけっこもしよう!私、すっごく足が速いんだから!」
「悪いな。せっかく誘ってくれたんだけど、そういうわけにはいかないんだ」
首を振って、二人の誘いを断る。
「えーっ!なんでー?」
「昨日、ルカーパも言ってただろ。俺はまだ、まともに身体を動かせないんだ」
実際、今の満身創痍の身体でエルフの子供の体力につき合ったら、夜にルナネアの元へ行く体力が残らなくなってしまう。それに何より、昨日のあの母親の、引き裂くような悲鳴と罵倒が脳裏をよぎった。
――「人間は嘘つきで、残虐で、私たちの平穏を壊す穢れた存在なのだから!」
あんな風に、この子たちの親にこれ以上の敵意を向けられたくない。この子たちを巻き込みたくない――そんな防衛本能が、俺の口を重くさせていた。
「だから、また今度な」
俺がそう言って布団を被り直そうとすると、ピピとリュリュが顔を見合わせ、ニヤリといたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ふーん……お兄ちゃん、どうしても遊んでくれないんだ?」
「おとなしく遊んでくれないと、私たち、お父様とお母様に言っちゃうよ?」
双子はフフンと胸を張り、小悪魔のような顔で俺に指を突きつけてきた。
「人間のお兄ちゃんが、私たちにいきなり意地悪しようとしてきたの!って!」
「悪いお兄ちゃんが、私たちの服を引っ張って悪戯しようとした!って、おっきい声で泣いちゃうもんね!」
「待ってくれ!それは洒落にならない」
慌ててベッドから跳ね起きる。
ただでさえ害獣扱いされている人間の俺だ。
そんな嘘を村の大人たちに告げ口されたら、一発で追放どころか、最悪の場合ルカーパまで巻き込んで吊し上げを食らいかねない。
「あはは!お兄ちゃん、顔がすっごく青くなってる!」
「じゃあ、一緒に遊んでくれる? ファイお兄ちゃん」
完全に形勢は双子のものだった。
無邪気な子供の、とんでもなく強力な脅し文句に、俺は完全に降伏するしかなかった。
「……分かった、分かったよ。激しい運動は勘弁してほしいが、近くを少し歩くくらいならつき合う。だから、その物騒な嘘だけは絶対に勘弁してくれ……」
肩を落とす俺の前で、双子は「やったあ!」と声を揃えてハイタッチを交わす。
こうして俺は、おませな双子に完全に振り回される形で、しぶしぶと二人の遊び相手として部屋を引きずり出される羽目になった。
ルカーパの小屋の玄関をくぐる直前、俺は先走ろうとする二人の小さな背中を慌てて掴まえた。
「二人共、外へ出るなら一つだけ絶対に守ってくれ」
「えー、なになにー?」
「難しいのはやだよー?」
「……他のエルフには、指一本、髪の毛一筋だって見つかるな。絶対にだ」
俺の必死の形相に引いたのか、ピピとリュリュは顔を見合わせると、こくりと頷いた。
「わかった!かくれんぼだね!」
「狩人ごっこだよ、ピピ!お兄ちゃん、私たちに任せて!」
頼もしいんだか不安なんだか分からない声を残し、双子は素早く扉の隙間から外の様子を覗き込む。二人の小さな手がちょこちょこと手招きするのに合わせ、俺は極力身を低くして小屋を飛び出した。
目指すのは、双子の言う特等席だ。
――小屋を出ると、ルナネアに会いに行くのとは別の方角へと歩く。
緑が鬱蒼と生い茂る獣道を進む間、遠くから村の生活音が風に乗って聞こえてくるたびに、心臓が嫌な汗をかくようにドクドクと跳ね上がる。全身の傷口が、緊張で引きつって痛む。
「ファイお兄ちゃん、こっちこっち!」
「あっちに大人の足音!隠れて!」
さすが森で暮らす子供たちだ。気配を察知する感覚が並じゃない。
二人の小さな手指示に合わせて、俺は這うようにして巨木の根元に滑り込み、湿った葉を被って地面にしがみついた。ガサガサと草を分ける音がすぐ近くを通り過ぎていく。大人のエルフたちだ。見つかれば終わりの状況に、口の中がカラカラに乾き、呼吸の音すら喉の奥で押し潰す。
なんで俺は、子供と遊ぶために密入国者みたいな危険を冒しているんだ……
心底情けなくなってくるが、隣で「しーっ」と小さな指を口元に当てている双子の、本気すぎる真剣な横顔が視界に入ると、なんだか緊張の毒気が抜けていく。
そんな息の詰まる隠密行動をどれくらい続けただろうか。
目の前の暗い茂みを潜り抜けた瞬間、視界がパッと明るくなった。
「ついたー!ここが私たちの特等席だよ!」
「お兄ちゃん、見て見て!」
双子が誇らしげに両手を広げた先には、巨木の根元にぽっかりと開いた小さなひだまりがあった。そこには、見たこともない淡い青色の小花が、絨毯のように一面に敷き詰められている。
耳を澄ませても、ここにはあの凍りつくような村の気配は届かない。完全に世界から切り離された、静かな隠れ家だ。
「……綺麗だな」
膝をつき、思わず掠れた声が漏れる。
「でしょー!お兄ちゃん、ここに座って!」
「お花、いっぱい集めよう!」
柔らかい草の上に腰を下ろすと、二人はすぐに楽しそうに小走りで花を摘み始めた。
激しい運動はしないという約束を、子供なりに考えてくれたんだろう。俺は小さな手のひらから溢れんばかりの青い花を、渡されるがままに、不器用な手つきで受け取っていく。
「はい、お兄ちゃん、これあげる!」
「こっちの大きなお花も!」
「あぁ、ありがとな……」
手元に溜まっていく、瑞々しい青。
その鮮やかさを見つめていると、胸の奥が少しだけチクチクと痛んだ。
俺の膝元で無邪気に笑いながら花を押しつけてくる、この小さな手の温かさ。
この子たちの真っ直ぐな瞳を見ていると、どうしても考えてしまう。
この純粋な瞳が、もしルナネアの存在を知ってしまったら。その時もやっぱり、あの大人のエルフたちと同じような色に染まってしまうのだろうか。
「ファイお兄ちゃん、どうしたの?」
「また、ぼーっとしてる」
いつの間にか、ピピとリュリュが俺の顔を覗き込んでいた。濁りのない瞳。真っ直ぐに俺を見る視線を受け止めていると、自分の頭の中に渦巻く暗い思考が、酷く汚いものに思えてきて胸が痛む。
「いや、なんでもない。……ほら、せっかく集めたんだから、もっとたくさん持ってこい。お前たちの分も合わせて、何か作ってみるから」
「えっ、なにつくってくれるの!?」
「冠!お花の冠作ってよ!」
「分かったよ……でもまぁ、不器用だからあまり期待はするなよ」
俺が言い終わると、双子は「わーい!」と今日一番の笑顔を弾けさせて、また忙しそうにひだまりの中を駆け回り始めた。




