双子
大樹の家を後にし、ルカーパの少し後ろを歩きながら、俺はこれからの七日間について考えていた。
怪我を治すのが先決だが、夜になればあの岩場でルナネアが待っている。まずは彼女に、一週間はこの村にいられることになったと伝えよう。それだけで、暗かった視界に少しだけ光が差したような気がした。
「ファイ」
前を歩くルカーパが、振り返らずに声をかけてくる。
「村長の前でのあれ、肝が冷えたぞ。危うく俺まで追放されるかと思ったぜ」
「……隠しているってわけじゃないんだ。ただ……話したく、ない」
「まぁいい。話したくなったら話してくれ。俺はお前の話が聞きたくて助けたんだからな」
ルカーパが親指で背後を指した、その時だった。
「――ねえねえ、あれがにんげん?」
「うん、おっきいね。耳がまあるいよ」
頭上から、愛らしい声が二重になって降ってきた。
「ん?」
見上げると、小ぶりな木の枝の先端に腰掛け、小さな足をぱたぱたと揺らしている二人の少女がいた。
見事なまでに左右対称の顔立ち。肩口で切りそろえられた亜麻色の髪に、クリッとした大きな瞳。仕草まで完全にシンクロしている、エルフの双子だろうか。
「ピピ、リュリュ。そんなところで何してんだよ。危ないから降りてこい」
ルカーパが慣れた様子で声を張り上げると、双子は「はーい!」と声を揃えて、鳥のように軽がると地面へと飛び降りてきた。
着地音がほとんど響かないあたり、身体能力の高さが窺える。
二人はトコトコと俺の目の前まで歩み寄ると、物珍しそうにぐるぐると俺の周りをまわり始める。
「わあ、本当に耳が丸い!」
「本当だ、丸いね!お肉みたい!」
「こら。初対面の相手に失礼だろ」
俺が苦笑いしていると、双子は俺の正面でピタッと動きを止め、小首を傾げて顔を見合わせた。
「ねえ、人間のお兄ちゃん。お兄ちゃんはどこから来たの?」
「人間は悪いやつだって、お父様が言ってたよ?」
無邪気だからこそ、突き刺さる言葉。
村の大人が見せる敵意とは違う、子供特有の純粋な疑問の視線に、少しだけ息が詰まる。
「俺は別に悪いやつじゃ……ない」
「ふーん……」
「じゃあ、良い人間なんだね!」
双子は納得したように交互に頷くと、今度は俺の顔をじっと覗き込んできた。
「お兄ちゃん、お名前は?」
「私はピピ!」
「私はリュリュ!」
「俺は、ファイだ」
俺が二人の目線に合わせて少し腰を落とし、名乗ると、双子は、ぱあっと顔を輝かせた。どうやら、人間の存在そのものが珍しくて仕方がないらしい。
「ファイお兄ちゃん!今から一緒に遊んでくれる?」
「美味しい木の実の場所、教えてあげる!」
「そいつはまだまともに動けないんだよ。お前たちの遊びにつき合ったら骨が折れるぞ」
ルカーパが大きな手で双子の頭をぽんぽんと叩き、俺を引き離すように歩き出す。
「行くぞ、ファイ。こいつらに捕まると一日中解放されないからな」
「あぁ」
「ファイお兄ちゃん、またねー!」
後ろから手を振る双子の声を背中に受けながら、俺はルカーパの後を追った。
排他的なエルフの村。けれど、あんな風に無邪気に話しかけてくる子供たちもいるのだと思うと、少しだけ冷え切っていた心の緊張がほぐれていくのを感じていた。
双子の無邪気な声が遠ざかっていく。
俺は少しだけ歩調を緩め、まだ手のひらに残る、かすかな子供たちの温もりを感じていた。別れ際に、ピピとリュリュが俺の服の裾をぎゅっと引っ張ってきた時の感触だ。
こいつらは、人間にビビらないんだな……
大人のエルフたちが見せる、あの敵意。それに比べると、あの双子の態度は拍子抜けするほどに真っ直ぐだった。
人間という異物に対する恐怖よりも、見たことのない存在への純粋な好奇心が勝っているのだろう。そんな子供たちの在り方に、少しだけ救われたような気がする。
「……なぁ、ルカーパ。あの双子、人間に偏見がないっていうか、随分と懐っこいんだな」
俺が背中に語りかけると、ルカーパは歩みを止めずに、鼻でフンと笑った。
「子供なんてそんなもんだ。外の世界の残酷さも、人間がどれだけ業深い生き物かも、あいつらはまだ何も知らないからな」
「そういうものか」
「そういうもんだ。……おっと、噂をすれば」
ルカーパの視線の先――広場の向こうから、血相を変えてこちらへ走ってくる一人の大人のエルフの姿があった。
長い髪を振り乱し、その端正な顔を恐怖と怒りで歪ませている。双子の母親だろう。
「ピピ!リュリュ!どこへ行ったの――」
母親は、ルカーパの横にいる俺の姿を認めた瞬間、ビクッとその場に凍りついた。
まるで、目の前に狂暴な魔獣でも現れたかのような怯え方だった。彼女はすぐさま双子の肩を掴むと、俺から引き離すように自分の背中へと強引に隠す。
「お母様……?」
「痛いよ、お母様……」
突然の母親の剣幕に、双子が不安そうに声を漏らす。
母親はそんな子供たちの声など耳に入らない様子で、俺を親の敵のように睨みつけてくる。
「ルカーパ!何故その男を自由に歩かせているの!村長の許可が出たとはいえ、人間の立ち歩きなど、私は絶対に認めないわ!」
「落ち着けよ。今は家まで帰ってるところだよ。お前の娘たちには指一本触れさせちゃいないよ」
ルカーパが面倒そうに手を振るが、母親の興奮は収まらない。彼女は背中の双子を振り返り、言い聞かせるように、けれど周囲に響き渡るような厳しい声で叱りつけた。
「ピピ、リュリュ!よくお聞き。その男……人間と二度と話してはいけません!人間は嘘つきで、残虐で、私たちの平穏を壊す穢れた存在なのだから!」
「――っ」
突き刺さる言葉の刃。
向けられたあからさまな罵倒に、胸の奥がズキリと痛む。
言い返そうと思えば、いくらでも言葉は出てきた。だが、怯える母親の目と、その背後から不安そうに俺を見つめる双子の琥珀色の瞳を見た瞬間、俺は口を閉ざすしかなかった。
「……すみません」
俺は小さく頭を下げ、視線を地面に落とした。
どれだけ子供たちが無邪気でも、これが、この村の厳然たる現実なのだ。
「はぁ、行くぞ、ファイ」
ルカーパがわざとらしく大きなため息をつき、俺の肩を叩いて歩き出す。
背後からは、まだ母親が双子を厳しく叱り飛ばす声が聞こえていた。歓迎されていないどころか、害獣と同じ扱い。
重くなった足取りでルカーパの背中を追いながら、俺は改めて、この村での七日間の重さを噛み締めていた。
ルカーパの小屋へと戻った俺は、案内された簡素な一室のベッドへと、倒れ込むようにして身体を投げ出した。
「……はぁ」
思わず、重苦しいため息が口から漏れる。
きしむベッドの上で板張りの天井を見つめながら、今日起きた出来事を頭の中でぐるぐると反芻していた。
村長の射抜くような眼光。広場を行き交うエルフたちの、肌を刺すような視線。ピピとリュリュの無邪気な笑顔。そして、それを引き剥がした母親の、恐怖に満ちた絶叫。
――「人間と二度と話してはいけません!嘘つきで、残虐で、私たちの平穏を壊す穢れた存在なのだから!」
あの母親が吐き捨てた痛烈な言葉が、頭の奥で何度も、何度も呪いのように繰り返される。
存在そのものを全否定された胸の痛みは、全身の生々しい怪我の疼きよりもずっと深く、俺の心をガリガリと削っていくようだった。
「穢れた存在……。何も、違わないな」
自嘲気味に呟き、どろりとした自己嫌悪が胸に広がりそうになった、その時。
目を閉じれば脳裏に真っ直ぐ浮かび上がってきたのは、あの静かな月光に照らされた翠色の瞳だった。
――「隠さなくていいよ。ここでは誰もあなたのことを責めない。……わたしとファイしか、いないんだから」
世界中から拒絶されているようなこの村で、彼女だけは、俺が人間だと知っても拒絶しなかった。傷ついてボロボロになった俺の心をそのまま、温かい毛布のように全肯定して包み込んでくれた。
もしも、あの母親の言う通り人間が本当に穢れた存在なのだとしたら――
「……だったら、俺を認めてくれたルナネアを、今度は俺が、この世界の理不尽から全力で肯定してやりたい」
声に出すと、不思議と胸の痛みがすうっと引いていくのが分かった。
「ファイ、夕飯だ。部屋の前に置いとくぞ。冷めないうちに食えよ」
扉の向こうから、ルカーパのぶっきらぼうな声が聞こえる。
「あぁ、ありがとう。後で食べる」
短く返した俺の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
窓から差し込む陽の光が、ゆっくりと部屋の床を這い、やがて鮮やかな茜色へと溶けていく。
じりじりと焦がれるような沈黙の中、俺はただひたすらに、世界の色彩が夜の闇に塗り潰されるのをじっと待ち続けた。
――そして、ついにその時が訪れる。
村の喧騒が完全に途絶え、窓の外から心地よい虫の音が夜の訪れを告げた頃。
俺はルカーパに気づかれないよう細心の注意を払いながら、静かに、だけど確かな足取りでベッドから身を起こした。




