大樹の中の村長
鳥のさえずりと、窓から差し込む容赦ない朝の光が俺の意識を覚醒させた。
まぶたを開けると、天井の木目が視界に飛び込んでくる。
「……ってて」
身体を起こそうとした瞬間、全身の筋肉が悲鳴を上げた。まだまともに動けない身体を強引に動かし、なんとかベッドから這い出る。
ルカーパの姿はすでに小屋の中にはなかった。
横に置かれていた水を飲み、布団を綺麗に畳む。
そして、軽く息を整えてから外へ出ると、一歩踏み出した瞬間に空気が凍てついた。
「――っ」
突き刺さるような視線。
広場を行き交うエルフたちが、一斉に足を止めて俺を見ていた。
「おい、見ろよ。人間なんだろ?」
「どうしてルカーパはあんなやつを……」
「不愉快だわ。早く出ていけばいいのに」
ひそひそと交わされる、隠す気のない拒絶の言葉。
切れ長の瞳に宿る剥き出しの警戒と奇異の念が、俺の肌をチクチクと刺す。
けれど、彼らの冷たい目線を受けながら、俺の脳裏をよぎったのは昨夜のルナネアの言葉だった。
――「誰もわたしと目を合わせてくれない。まるで、最初からここに存在してないみたいに扱われるんだ」
俺に向けられているのは、敵意だ。でも彼女に向けられていたのは、存在そのものを消し去る無視だった。
どっちがどれだけ残酷か、考えるまでもない。
「おーい、ファイ。何ボサッとしてんだ?」
前方から、呆れたようなルカーパの声が飛んできた。
いつの間にか、彼は少し先で腕を組んで俺を待っている。
「……別に」
「とっとと足を進めろ。ただでさえ人間ってだけで目立ってんだからな」
ルカーパはため息をつき、頭をガシガシと掻きながら歩き出す。
俺はエルフたちの歪な視線を背中に浴びながら、その大きな背中を追いかける。
少し歩いた先に、それはあった。
「でかいな……」
思わず声が漏れた。
村の中央に鎮座していたのは、周囲の原生林を全て見下ろすほどに巨大な、一本の大木だった。もしかしたら、この村自体が大樹を囲むようにしてできているのかもしれない。
そんなことを考えていると、ふと気づく。
大樹の幹そのものをくり抜くようにして、精緻な模様が彫り込まれた家が造られている。圧倒的な威厳。
「ここが村長の家だ」
ルカーパが足を止め、振り返って俺の顔を覗き込んできた。
「言っとくが、中に入ったら余計な口は利くなよ?あの方はお前ら人間を心底嫌っていらっしゃる。生殺与奪の権はあっちにあるんだからな。それと、中で喋る時は、絶対に敬語だからな?」
「……分かってるよ。大人しくしてる」
「ならいい」
ルカーパはそう言って、重厚な木製の扉をゆっくりと押し開けた。
一歩中へ足を踏み入れると、外の喧騒が嘘のように遮断される。
薄暗い空間の中に、重い空気と、ツンとした独特の香木の匂いが立ち込めていた。
「ルカーパです。例の人間を連れてきました」
ルカーパが声を落とし、部屋の奥へと一礼する。
部屋の最奥。年季の入った椅子に深く腰掛け、鋭い眼光をこちらへ向けている老いたエルフの姿があった。この村のトップ――村長だ。
「……ルカーパか。よく連れてきたな」
部屋の奥から、低く、掠れ気味のいかにも年寄りな響きを持った声が聞こえた。
村長は、長い白髭に覆われた顎を撫でながら、品定めするような目を俺に向ける。その瞳は、ルカーパたちよりもさらに深い、底の知れない光を宿している。
「さて……人間よ。まずはお前の素性を聞こう。何故我々エルフの村の近くを歩いていたんだ。外の人間の、差し金か?」
鋭い問いかけに、室内の空気が一気に張り詰める。
となりに立つルカーパの身体が、かすかに緊張したのが分かった。
「違います。差し金なんかじゃありません」
俺は一呼吸置き、努めて冷静に声を絞り出した。
胸の奥で、守れなかったあの光景が、血の匂いとともに蘇りそうになる。それを必死に抑え込みながら、俺は言葉を続けた。
「俺は……ただのしがない冒険者、です。要塞都市の近郊で魔獣に襲われて、仲間とはぐれ、命からがら逃げ惑ううちに、気づけばこの森を彷徨っていました。都市の連中とは、何の繋がりもありません」
半分は本当で、半分は嘘だった。
ただの旅の冒険者なわけがない。全てを失って生き延びた、ただの敗残兵だ。けれど、これ以上自分の過去を暴かれたくなかったし、何よりこの男に余計な警戒をさせたくなかった。
村長は細い目をさらに細め、俺の表情の微細な変化を読み取ろうとするように、じっと沈黙を保つ。
「……ふむ。嘘を言っているようには見えんが、全てを話しているわけでもなさそうだな」
心臓がドクン、と大きく跳ねた。
さすがは一村を統べる長というべきか、直感が恐ろしく鋭い。
「確かに少しマイルドな言い方はしました。ですがそれでも――」
必死に言い訳をする。自分の過去から目を背けるように、一気に言葉をまくしたててしまった。
「よい」
一言。強い一言が部屋に木霊する。
村長は椅子の背もたれに深く身体を預け、天井の大樹を見上げた。
「君がただの迷い人であろうと、我々の平穏を脅かす火種であることに変わりはない。……それで、君はこれからどうするつもりだ?この足で、すぐにでも村を出ていけるのか?」
その言葉は、暗に出ていけと言っているようなものだった。
「それは――」
俺が言い淀んだその時、それまで黙っていたルカーパが、一歩前に進み出た。
「待ってください、村長。ファイはまだ歩くのがやっとの重体です。今すぐ村の外に放り出せば、行き倒れるか魔獣の餌になるのは目に見えています」
「ルカーパよ。我々が人間の命まで保証せねばならん義理はないはずだが?」
村長の無慈悲な一言に、ルカーパは怯むことなく言葉を重ねる。
「死体を村の近くに転がしておく方が厄介です。それに……外の様子を、もっと詳しく聞き出す必要があります」
「ほう?」
村長が白髭をなぞり、わずかに片眉を動かす。その視線を受けながら、ルカーパは俺をちらりと盗み見た。
「我々が外の状況を正確に把握する上で、そこから迷い込んできたこの人間を利用するのが、最も効率的かと存じます」
ルカーパの言葉は、表向きは俺を都合の良い情報源として利用するための進言だった。けれど、その裏にあるのが、今すぐ追い出せば死ぬという俺への不器用な助け舟であることは、すぐに分かった。
村長は深い沈黙に落ちた。ツンとした香木の匂いが、部屋の張り詰めた空気をいっそう際立たせる。
「……よかろう」
やがて、村長は重々しく首を縦に振った。
「怪我が治るまでの七日間だ。ルカーパ、お前が責任を持ってこの人間を監視しろ。村の者たちに余計な不安を与えるような真似は一切許さん」
「はっ。感謝いたします、村長」
ルカーパが深く一礼し、俺の肩を強く叩いた。早くしろ、と目で促され、俺も慌てて頭を下げる。
「……ありがとうございます」
「勘違いするなよ、人間」
部屋を出ようとした俺たちの背中に、村長の敵意を含む声が突き刺さった。
「我々は君を歓迎したわけではない。七日後、君の身体が動くようになったその瞬間に、この村から立ち去ってもらう」
重厚な木製の扉が閉まり、外の朝の光が視界に戻ってくる。エルフたちの歪な視線は相変わらずだったが、俺の胸中にあったのは別の感情だった。
滞在が許されたのは、七日間。
けれど、それで十分だった。
……今夜も、あの場所へ行ける。
脳裏に浮かぶのは、月光に照らされた黒髪の少女の姿。
ルカーパの後ろを歩きながら、俺は胸の奥で、静かに安堵の息を漏らしていた。




