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ロスト・リビルダー ―忘却の罪―  作者: げこきち
二章 永劫の理想郷
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希望の鍵


「話……?」


 死刑が決まった罪人と、何を話す必要がある。

 

「今更、命乞いでも教えにきてくれたのかよ」


 床に顔を伏せたまま、俺は低く吐き捨てる。

 だが、衛兵は苛立つ様子もなく、ただ淡々と話し続けるだけだ。


「まさか。私は、貴方の命になど興味はありませんよ。今話しに来たのは、今回の件についてですよ」


「今回の件……?」


「はい。知らない過去を語りかけてくる狂人。そして、その後の出来レースのような裁判。……どうにも、既視感があるんです」


 男の言葉に、心臓が小さく跳ねる。

 

「既視感……何の事だ……?」


「過去にもあったんですよ。このユカラディピアでは、稀に狂人が現れます。色々な状況がありますが、基本的に全員が孤立し、最後には罪人として処理されるんです……」


 衛兵の双眸が、暗闇の中で妖しく細められる。


「……ッ、じゃあ、リシェラたちが俺を忘れたのは、誰かが仕組んだって言うのか!?」


「そこまでは分かりません。ただ、あまりにも綺麗にはまりすぎています。偶然が重なり続けたら、誰かが意図してそれを起こしたと疑うのが自然ですよ」


 淡々と、しかし確信を突くような口調。

 絶望に染まりきっていた頭の中に、泡のような疑問が次々と湧き上がってくる。

 あいつらは本当に、ただ俺を忘れただけなのか? 


 もし、その裏に何かあるのだとしたら――


 いや、待て。


「……何で、何でそんなことを俺に言う。お前は理想郷《ここ》の衛兵だろ。俺にそんな話をして、何が目的だ」


 俺の鋭い視線を受け止めながら、男はゆっくりと立ち上がる。

 そして、流れるような動作で胸元に手を当て、深く、美しい一礼をして見せた。


「目的、ですか。私はただ、この都市を真の意味での理想郷へと変えたいだけですよ。……そういえば、まだ名乗っていませんでしたね」


 衛兵は横に流した紺色の髪を指先で払い、衛兵らしい、キリッとした微笑を浮かべる。


「私はエサマ。しがない一衛兵ですが……以後、お見知り置きを、ファイ・ニアス」


「……」


 エサマと名乗った衛兵は、横に流した紺色の髪の隙間から、相変わらず底の知れない双眸で俺を見つめている。


 この都市を、真の意味での理想郷に変えたい。そのために、死刑を待つだけの俺に接触してきたというのか。


 だが、今の俺の心に去来するのは、湧き上がるような希望などでは断じてない。ただただ、目の前の男に対する強烈な違和感と不信感だけだ。


「だから、何だよ……」


「はい?」


「俺は、自分の大切な人一人すら守れないやつだぞ?そんなやつと話して何になるんだよ……」


 自嘲気味に吐き捨て、床へと視線を戻す。リシェラたちのあの怯えた目が脳裏をよぎり、胸の奥がまたドス黒い絶望で満たされていく。


「随分と小さくなってしまいましたね。本当にそれでいいんですか?」


「うるさい……。お前に俺の何が分かる……!関係ないだろ?どうせ処刑されるんだ。放っておいてくれよ……!」


「分かりませんよ、貴方の気持ちなど。ですが、関係は大いにあります。今のおかしな状況、ひっくり返すには貴方の力が必要です」


 エサマの言葉と同時に、チリン、と金属の擦れ合う小さな音が響いた。

 見上げると、彼の手元でさっきまで弄ばれていた古びた鍵の束が、妙な位置に移動しているのが見えた。


 いや、移動したんじゃない。エサマは、鉄格子の外側にある燭台の僅かな隙間に、その鍵の束をわざと引っ掛けたのだ。


 床に走る俺の手が、精一杯に伸ばせば、ギリギリ届くかもしれないという、実に意地悪な位置に。


「お前、これ……何のつもりだよ」


「いけませんね。どうやら私は、酷く不注意な人間のようです。見回りの鍵をこんな場所に忘れてしまうなんて」


 エサマはわざとらしく眉を下げて、くすりと笑う。その瞳には、こちらの覚悟を試すような、鋭くギラついた光が宿っていた。


「……俺を逃がすつもりなのか?何でお前がそんなリスクを背負う。お前は理想郷の衛兵だろ。罪人にこんなことして、ただで済むと思うのか。いや、罠か?」


「罠?まさか。そんな回りくどいことをせずとも、貴方は数日後に死ぬ身です。言ったはずですよ、私はこの都市を、真の理想郷に変えたいと。それに、これしき私にとってはリスクにもなりません。今夜のこの時間、ここの地下通路の見回りルートは、私の手配で一時間ほど空白に設定してありますからね」


「一時間……」


 それが、この男が用意した舞台の猶予か。

 エサマは正義の味方として俺を助けようとしているわけではない。ただ、レリガたちの行動に怪しさを覚えたから、俺という爆弾を檻の外に放り投げて、ボロを出させようとしているだけだ。


 だからこそ、手枷を直接外すような真似はせず、自分で鍵を拾って逃げろと暗に示している。もしここで俺が諦めて死ねばそれまで。逃げ出して騒ぎになっても、「勝手に脱出した」とでも言い張るつもりなのだろう。


「この通路を真っ直ぐ進んだ突き当たりに、下水道へと繋がる古い網があります。そこを抜ければ、中央区画の外壁の裏手に出られますよ。……もっとも、そこから先は完全にこちらの管理外、何が起きても責任はとれませんがね」


「俺を利用してでも問題を起こしたいのかよ……」


「どちらを選ぶかは貴方次第です。このまま歪んだ理想郷の犠牲者として無様に死ぬか、それとも、決死の覚悟で外の世界へと這い出るか。楽しみにしていますよ、ファイ・ニアス」


 その言葉を最後に、紺色の髪を揺らした男は、夜の静寂の中に溶けるように消え去った。


 静まり返った独房。

 残されたのは、重い手枷をはめられた俺の身体と、鉄格子の向こうで鈍く光る一本の鍵だけだった。

 

「……ふざけやがって。本当に、どいつもこいつも……!」


 喉の奥から、乾いた声が漏れる。


 エサマの意図は分かっている。俺はあいつにとって、ただの道具に過ぎない。


 乗せられるのは癪だし、外に何があるかも分からない。


 ――そして、リシェラたちに拒絶された俺の居場所なんて、この都市国家のどこにもない。


「あいつらは俺を忘れた。気持ち悪い不審者だって、言ってた。……だったら、俺が生きる意味なんて、もうどこにも無いじゃないか」


 このままここでじっとしていれば、数日後には楽に首を落とされて終わる。その方が、ずっと、ずっと楽なはずだった。何も考えず、ただ終わりを受け入れればいい。

 なのに――


「……いやだ。死に、たくない……」


 胸の奥底で、ドロドロとした何かが燃え上がるのを感じた。

 悔しかった。何もかも奪われ、罵られ、泥魚のように嘲笑われて、そのまま都合の良い悪者として殺されるなんて、どうしても我慢がならなかった。


「苦しみたくない……」


 本能だ。死にたい人間なんて、ほとんどいない。いるわけがない。


「エサマ……お前が何を考えてるかは知らないが、俺はやりたいようにやらせてもらうぞ……」


 ずる、と身体を引きずる。

 少し前にザラオに踏みつけられた背中が悲鳴を上げ、手枷の擦れた手首から新たな血が滲む。激痛が全身を走る。だが、そんなものはもうどうでもいい。


 鉄格子へと這い寄り、額を鉄の棒に押し付ける。

 右腕を、限界まで格子の隙間から外へと伸ばした。


「届け……っ!まだ、俺は……っ!」


 指先が、燭台の隙間に引っかかった鍵の束に触れる。ジャラリと冷たい音が響き、あと僅かの距離がもどかしい。


 腕の皮膚が鉄格子に擦れて削れ、鋭い痛みが走る。それでも構わずに腕を突き出すと、ついに人差し指の先が、鍵のリングに引っかかった。


 慎重に、だが必死に手元へと引き寄せる。


 ガシャリ。


 古びた鍵の束が、俺の手の中に収まった。


「はは……取れた。取れたぞ……!」


 手のひらに伝わる金属の冷たさが、妙に現実味を帯びて感じられる。

 震える手で鍵を鍵穴へと差し込み、力を込めて回す。カチリ、という短い音と共に、重苦しかった手枷が左右に割れて床へと落ちた。


 自由になった両手を何度も握り締め、ゆっくりと立ち上がる。身体はボロボロで、視界もまだ血と涙で濁っているが、足には確かに力が戻っていた。


「逃げなきゃ……」


 一言呟く。

 何も守れなかった。だが、まだこの命がある限り、完全に終わったわけじゃない。


「俺は、こんなところで死にたくないんだ……ッ!」


 本能が訴える。


「まだだ……。俺はまだ、諦めない……」


 自然と、口元が不敵に歪んでいた――

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