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ロスト・リビルダー ―忘却の罪―  作者: げこきち
二章 永劫の理想郷
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罪人、ファイ・ニアス


「これにて閉廷だ!ザラオ、さっさとその薄汚い罪人を連れて行くんだ!」


 レリガの手が、まるでゴミを払うかのように無造作に振られる。


「もう少しだけ待ってくれ!そうすれば、全部説明して――っ」


 その言葉の終わりを、ザラオの厚底なブーツが踏み潰す。


 踏みつけられた背中に強烈な衝撃が走り、顔面は再び冷たい床へと叩きつけられた。鼻腔に鉄の錆びたような血の匂いが混じる。


「往生際が悪いな、罪人。レリガ様の御前だ、大人しく引きずられておけ」


「離せ……離してくれ!まだ、話は終わってない!」


 狂ったように腕を振り回し、手枷の鎖をジャラジャラと鳴らして抵抗を試みる。

 床に、爪のあった部分から出た、赤い鮮血が醜い線を引くが、そんな俺の必死の足掻きなど、彼らにとってはただの滑稽な喜劇に過ぎない。


「あはははは!見るんだ、あの無様な姿を!」


「まるで網にかかった泥魚だな。見苦しいったらありゃしない」


「死刑前に死んでしまうんじゃないかしら?」


 すり鉢の底へ降り注ぐのは、四方八方からの容赦のない嘲笑。

 段々畑のように重なる高い席から、数え切れないほどの人間が、歪んだ笑顔で俺の絶望を指差している。


 助けを求めるように見上げた視線の先。

 玉座に腰掛けるレリガは、もはや俺に興味すら失ったかのように、退屈そうに自身の爪を眺めていた。


 誰も。本当に、誰も俺の言葉を拾わない。


 あの温かい日々も、命を懸けて潜り抜けた死線も、全てはこの薄暗い巨大空間の熱気に溶けて、無に帰していく。


 俺がここに存在している理由そのものが、彼らの都合の良い悪として塗り替えられていく。


「いやだ……。何で、何でこんな……ッ!」


 喉の奥から、言葉にならない嗚咽がせり上がる。


 心臓を冷たい氷の棘で何度も突き刺されるような、圧倒的な、暴力的なまでの絶望。

 視界が涙と血の混じったもので赤黒く染まり、思考が急速に白濁していく。


「立て。見せ物は終わりだ」


 両脇を二人の衛兵に強引に掴まれ、俺の身体は物切れのように引きずられ始める。


 抵抗するだけの力は、もう残っていない。

 ずるずると床を擦る自分の足の感覚だけが、妙に遠くで他人事のように感じられる。


 押し開かれた時と同じ、重々しい扉がゆっくりと近づいてくる。

 その向こうに待つのは、弁明の余地なき死の未来。

 遠ざかっていく高い天井と、今なお背中に浴びせられ続ける、耳をつんざくような歪んだ笑い声。

 

 俺はただ、絶望の濁流に押し流されるまま、静かにその場を連れ去られていく。



 ――扉が、重々しい金属音を立てて閉ざされる。

 同時に、耳をつんざくほどに響いていたあの醜悪な嘲笑は一瞬にして遮断され、世界は酷い静寂に包まれた。


 来た道を戻る。


 衛兵は何も発しない。


 俺も何も喋らない。


 ――沈黙だけが、酷く現実を突きつけた。 



 ――再び放り出されたのは、光すら満足に差し込まない、ジメジメとした独房だった。


 カツン、と衛兵の足音が遠ざかっていく。

 完全に一人になったその空間で、俺はただの肉塊のように転がったまま動くことができない。

 

 手枷が擦れて痛む手首も、ザラオに踏みつけられた背中の痛みも、もうどうでもよかった。


 それ以上に、胸の奥に居座るドス黒い絶望が、俺の呼吸を何度も浅く狂わせる。


「死刑、か……」


 カサカサに乾いた唇から漏れたのは、ひどく掠れた自嘲の呟きだった。

 

「俺、何のためにあんなに必死に走ってたんだろうな……」


 天井を見上げる。何も見えない暗闇の向こうに、さっきまで浴びせられていた言葉の刃が、再び鮮明に蘇ってくる。


 ――お前が旅人たちにしつこくつきまとい、その尊厳を踏みにじった。


 ――彼らが恐怖に怯え、お前を拒絶した。


「……あいつの言う通り、なのかもしれないな」


 ポツリと、誰に宛てるでもない言葉が落ちる。

 

 リシェラたちを助けたかった。謝りたかった。


 それは全部、俺の独りよがりな、独善的なエゴに過ぎなかったんじゃないか。


 二人は本当に俺のことを忘れていた。

 リシェラのあの怯えた目。あの拒絶の表情。 

 あれは決して、レリガたちに無理やり言わされていた偽物なんかじゃない。

 

「……怖かったよな、リシェラ。気持ち悪かったよな、ゼクフィス。ごめんな……知らない男にいきなり「仲間だ」なんて言われて、つきまとわれて、怖かったよな……」

 

 俺を忘れて、新しい世界で生きていた二人。

 そこに、過去の絆なんていう実体のない幻影を盾にして、しつこくつきまとった不審者。

 それが、今の俺の正体だ。


 そもそも、俺にとっては大切な仲間であっても、リシェラたちにしてみれば、会って少しの存在だ。

 

 理想郷のやつらが下した罪人という評価は、彼らにとっては、そして今のリシェラたちにとっては、これ以上なく正しく、妥当なものだったのだ。


「何が、一緒に歩んでいただ、よ……。ただただ俺が依存してただけじゃねえか……っ」


 奥歯を噛み締めると、情けないほどに涙が溢れて、傷口に沁みた。


「皆を守るための力だったはずなのに……。何が再構築リビルドだ……。何も守れてない、何も始まってすらいないじゃないかよ……!」

 

 命を懸けた戦いも、あの日々も、全部俺が独りで昂っていただけだ。

 誰も俺を求めていない。誰も俺を信じていない。

 

「最初から……俺なんて、いなければよかったんだ。あの要塞都市で、そのまま死んでいれば……」


 残されたのは、ただ処刑の日を待つだけの、無様な骸が一つ。

 

 己の愚かさと、独りよがりな優しさが招いた最悪の結末。いや、優しさですらない、ただのエゴだ。


 その事実が、心臓を直接雑巾のように絞り上げるかのように、俺の心をどこまでも、どこまでも深く、暗い底へと引きずり込んでいった。



 ――ガシャン。

 永遠のようにも、一瞬のようにも感じられる暗闇の中で、鉄格子の擦れる鋭い金属音が静寂を切り裂いた。


 引きずり込まれていた自己嫌悪の底から、強制的に意識が浮上させられる。

 重い瞼を辛うじて持ち上げると、独房の入り口の檻の向こうに、一人の衛兵が立っていた。


 衛兵の髪は、光の届かない空間でも不気味なほどに映える、鮮やかな紺色。

 少し前に見たレリガや貴族たちの、ギラギラとした下品な装飾とは一線を画す、どこか底の知れない不気味な雰囲気を纏った衛兵だった。


「……何の、用だ。俺を、笑いに来たのか……?」


 床に這いつくばったまま、カサカサの喉から掠れた声を絞り出す。

 今さら誰に何を言われようが、もう傷つく心すら残っていない。どうせこいつも、あのすり鉢の広場で俺を無様に足掻く泥魚として嘲笑っていた、観客の一人に過ぎないのだ。


 だが、紺髪の男は、罵声を浴びせることも、分かりきった嘲りを見せることもしなかった。

 ただ、感情の読めない双眸で、ボロ布のように転がる俺を静かに見下ろしている。


「随分と無様な姿ですね、ファイ・ニアス。床に這いつくばっていれば何か変わるとでも?」


 衛兵は小さく肩を揺らして笑う。だが、その声にレリガのような浅薄な愉悦はない。むしろ、値踏みするような、昏い光が瞳の奥で妖しく蠢いていた。


「放っておいてくれ……。俺は、死刑囚だ。お前たちの、言う通りの……ただの、犯罪者だよ……」


 自嘲を交えて顔を背けようとする俺の前に、衛兵はゆっくりと歩みを進め、その場に屈み込んだ。

 鉄格子の隙間から差し込む僅かな光が、衛兵の紺色の横に流した髪を妖しく照らし出す。

 

 衛兵は懐から古びた鍵の束を取り出すと、それを指先でジャラリ、と弄んだ。

 そして、逃れられない誘惑のように、酷く静かな声で俺に告げた。


「安心して下さい。貴方と事を構えようとは思いませんよ。ただ、貴方がここで完全に壊れてしまう前に――」


 紺髪の衛兵は薄い唇を三日月のように歪め、俺の目をまっすぐに見据える。


「少し、話をしようと思いまして」

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