因果律
地平線を遮るようにして、ようやく、目指すユカラディピア第一区画の巨大な鉄門が、その圧倒的な威容を現し始めた――
輝きを放つ、美しく巨大な鉄門。その前には、鎧に身を包んだ衛兵たちが待機している。
「第三区画での情報が流れてないといいんだけどな……」
俺は鉄門の手前で手綱を引き、荒い息を吐く黒馬の首を叩いてどうにか速度を落とす。
今の俺の上着には血が滲み、泥にまみれた暴れ馬に跨っている。理想郷を自称するこの街のエリート衛兵たちは、俺を通してくれないかもしれない。
頭を高速で回転させる。
思い浮かべるのは、さっき通り抜けてきた、あの穏やかで鬱陶しい村だ。
「……あそこの住人のフリをするしかないか」
俺は息を整え、極力、普通の村人を装いながら、ゆっくりと門へ馬を進めた。案の定、近づくにつれて衛兵たちの視線がこちらに集中し、一人が歩み寄ってくる。
「おい、そこのお前。止まれ」
俺はわざとらしく大袈裟なため息をついて、サドルからずり落ちるようにして馬を降りる。
脇腹の傷が痛いが、顔には出さない。
「どうかしましたか?」
俺は怯えた哀れな村人を演じるべく、わざと猫背になり、衛兵を見上げた。
「何があった。その怪我と、その馬はどう見ても普通ではないぞ」
「実は……ここからしばらく行ったところにある、村の者なんです。今朝、急に馬が暴れだしてしまって。手綱を掴んだまま引きずられて、この有り様ですよ。納屋の裏の納品用馬車を壊しちまいそうだったんで、慌てて背中に飛び乗って、ここまで宥めながら走らせてきたんです」
俺はさっき見た村の光景をそのまま嘘に混ぜ込んで吐き出した。
衛兵は疑わしげに俺のボロボロの服と、未だに不機嫌そうに鼻を鳴らす黒馬を交互に見つめている。
「怪しい者ではないのだな?」
「はい。ただ、この馬の気性を落ち着かせるために、少しだけ中で休ませて欲しくて……。すぐにまた村へ連れて帰りますから。お願いします」
思ってもないことを、メラリカの喋り方を参考にして喋ってみる。
追加で、怯えと、必死に懇願する目を向ける。
衛兵は、俺の泥まみれの格好と、俺の態度を見て、次第に警戒を哀れみに変えていった。
「貴様も大変だったのだな。いいだろう、少し中で休むといい」
「ありがとうございます」
俺は頭を下げながら、黒馬の手綱を引いて門の奥へと歩き出す。一部の衛兵たちの警戒する視線が背中に刺さるが、そんなものは知ったことか。
鉄門を潜り抜けた瞬間、俺はペコペコしていた腰を伸ばし、顔に卑屈な笑みを浮かべた。
「……バカ共が」
吐き捨てた言葉は、汚れ一つない第一区画の地面へと消えていく。
目の前に広がるのは、身なりの良い人々が行き交う、気持ちが悪いほどに整った厳かな街並み。
再び黒馬の手綱を強く握りしめる。
「リシェラ、ゼクフィス……どこにいる」
二人を探すため、俺は理想郷の冷たい石畳を蹴り立てて、歩き出す。
――とはいえ、このまま泥にまみれた暴れ馬を引いて第一区画を徘徊すれば、今度こそ衛兵に捕まるのは目に見えている。
なので、先ず俺は、この街の宿を見つけ、要塞都市でギルディエスに貰った懐の硬貨を叩きつけて、黒馬を強引に預けた。
「おい、その馬――」
「しばらく預かってくれ。余計な詮索はするな」
疑問を投げかける初老の言葉を鋭い一瞥で遮り、すぐさま人混みへと紛れ込む。
第一区画の空気は酷く澄んでいた。
それでも、俺には立ち往生する暇など一秒もない。
リシェラとゼクフィスがこの区画に運び込まれたのだとすれば、人の出入りが激しい大通りの店に何らかの情報が落ちているはずだ。
上着の汚れを隠すように腕の位置を調整し、先ずは大通りに面した比較的大きい飲食店へ足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ」
店員が怪訝そうな、それでいて愛想笑いを貼り付けた顔で迎えてくる。この都市国家の人間特有の、異常に優しい目付きが酷く不快だ。
「……腹は減ってない。人を探している」
カウンターに低めの声を落とし、店員を正面から睨み据えた。
「ここ最近、負傷した男女の二人組がここの区画に来たか?何か少しでも知っていれば話してほしい」
「さぁ……。そのような目立つ負傷者の方々は、私は知りませんが……」
店員は面倒ごとに巻き込まれたくないと言わんばかりに、あからさまに視線を逸らす。
「そうか」
すぐにその店を後にし、今度は隣の区画に近い、情報が集まりやすそうな大衆酒場や路地裏の小さな店たちを片っ端から当たり始めた。
「――数日前に怪我をした二人組の男女が運び込まれなかったか?」
「怪我人?知らねえな。衛兵にでも聞いたらどうだ?」
「――頼む、リシェラとゼクフィスという名に心当たりは……」
「お引き取りください。うちはお尋ね者を匿うような場所ではありません」
門前払いを食らい、空振りを繰り返すたびに、焦燥感がじわじわと胸の奥で膨れ上がっていく。
尋ね歩く足取りは、脇腹の痛みと比例するように、一段と重さを増していく。
大きく息を切らし、綺麗な装飾が施された豪奢な建物の壁にそっと背を預ける。
行き交う着飾った住人たちの笑い声が、やけに耳障りだ。
「……どこだ。どこにいるんだ……」
一瞬、衛兵に聞こうかとも思ったが、今の俺の状況を考えると、それは最善策とはとても言えない。
苛立ちに任せ、握りしめた拳を壁へ叩きつける。
胸の焦燥は止まらない。次はどこに行こうかと考えていた、その時。
「――だから、言ったのよ」
雑踏の隙間を縫うようにして、背後から、聞き覚えのある澄んだ声が鼓膜を震わせる。
心臓がドクンと大きく跳ね上がる。
幻聴か、あるいは過労のあまり脳が見せる都合の良い妄想か。
確かめるべく、俺は音のした方へと、吸い込まれるように足を一歩踏み出す。
道を歩く有象無象の中、見覚えのある者たちがいた。
「……リシェラ、ゼクフィス」
乾いた唇から、自然と名前が溢れ出る。
数日前まで俺と一緒に楽しく話していた声、間違いなくずっと探し求めていたリシェラとゼクフィスだ。
生きていた。ここにいる。
その事実が脳に染み渡るにつれて、胸の奥から熱い塊がせり上がってくる。
俺は一歩、また一歩と、二人のもとへゆっくりと歩みを進める。
冷たい地面を踏みしめる感触が、今はやけに愛おしい。
脇腹の痛みさえ、二人のもとへ辿り着くための勲章のように思える。
あの第三区画を抜け、ボロボロになりながらも馬を走らせた苦労が、今この瞬間にすべて報われる。
笑みが、自然と頬を伝って零れ落ちる。
ようやく、本当にようやく、俺たちの旅が再びここから始まる。
二人にどんな言葉をかけようか。先ずは謝罪だろうか?それとも、街についてだろうか?ともかく、二人の顔を見るのが、これほど待ち遠しいことはない。
俺は二人の目の前まで辿り着き、溢れんばかりの歓喜を噛み締めながら、そっとその肩に手を伸ばす。
「……無事、だったんだな」
森での失態を考えると、声をかけにくいと思っていたが、今はそれどころではない。ただただ、再び会えたことへの喜びを込めて声をかける。
俺の指先が触れた瞬間、リシェラが、錆びついた人形のような緩慢な動きで、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳が、俺を正面から捉える。
だが――
かつて俺を真っ直ぐに見つめてくれた、あの強い輝きがどこにもない。
まるで磨りガラスのように濁り、光を失った硝子玉のような眼差し。それが、歓喜に震える俺の顔を、何もない空間でも見るかのように虚無的に通り抜けていく。
「少し場所を変えたい。話したいことがあるんだ」
俺の言葉にキョトンとするリシェラ。
だがやがて、困ったようにゼクフィスを一度見ると、再びこちらを見て、その美しい口で言葉を紡ぐ。
「えーっと……あなたは……誰?」
その声は、うるさい朝の世界に良く響いた――




