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ロスト・リビルダー ―忘却の罪―  作者: げこきち
二章 永劫の理想郷
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無能の使命

 俺は門を見上げ、忌々しげに男を睨みつけた。


「……導く?お前、何だ?こいつらの仲間じゃないのか?」


「仲間?我をあのようなカス共と一緒にするではない……。我はそう、もっとこう……漆黒的な者だ」


 男は門の上に立ち、月を背にして優雅にマントを翻す。その姿はあまりにも胡散臭いが、今の俺には救いの神にも悪魔にも見えた。


「そうか、凄いな」


「適当にあしらうでない!命の恩人になるかもしれない相手に、その態度は素晴らしいとは言えないぞ」


 男は不敵に笑うと、どこからともなく取り出した黒い縄をスルスルと解き、こちらの足元へと下ろす。


「さぁ、掴むがいい……」


「何を企んでるんだ?」


 俺がギロリと睨みを効かせると、男は困ったように息を吐き出した。


「疑うのは勝手だが、今の貴様に、我の力を借りずにこの境地を乗り切る術はあるのか?後ろを見るがいい。すぐそこに追手が来てるぞ」


「っ……!」


 男の言葉にハッとして振り返ると、遠くの通路から松明の炎がいくつか揺れているのが見えた。衛兵の増援だ。大きな声や戦闘音を不審に思ったに違いない。


「どこまでも邪魔なやつらだな……!」


「さぁ、縄を掴め。死にたくなければな。もし貴様が、自分の置かれた状況すら理解できない愚者ならば、ここで散るのもまた一つの選択だと、我は思うぞ」


「……っ、分かった。今はお前に従う」


「それが最適解だ」


 男は、隠れてない方の目を楽しそうに細めて俺を急かす。

 背後から迫る足音が、確実に俺の元へ近づいてくる。


「……頼むぞ!」


「任せるがいい!」


 男が合図とともに片手で縄をぐっと引き上げると、俺の身体がふわりと宙に浮いた。男の見た目からは想像もつかないほど、力強い引き上げ方だった。

 俺は必死に足を壁にかけ、夜の門の天辺へと這い上がっていく。


 壁の天辺に辿り着くと同時に、俺は息を切らしながら壁の上へと転がり込む。


「あ、ぁ、……助かった」


 少し乱れた呼吸の間からどうにかそれだけを絞り出す。だが、俺の心臓は安堵とは違う理由で、未だに狂ったように脈打っていた。


 俺は何でこんなに息が上がってんだ。たかだか壁を一つ登るだけで……


 自分の不甲斐なさに、激しい苛立ちが込み上げてくる。

 リシェラを守るだの言ってたくせに、こんな壁すら正体不明の怪しい男に文字通り引き上げられなければ登ることすらできない。


 焦りが、ドス黒い澱のように胸の奥へ溜まっていく。


「礼には及ばないさ。我の気まぐれに、貴様が乗った。それだけのことだ」


 男はマントを翻し、片目でじっと俺の焦燥を見つめていた。その余裕に満ちた態度が、余計に俺の焦りを煽る。


「なぁ、お前は何で俺を――」


「待て。お喋りはここまでだ、愚者よ」


 男は俺の言葉を遮り、鋭い視線を街の中へと向けた。


「ガヤガヤと、うるさいカス共がすぐそこまで来てるらしい」


 見下ろせば、街中には先ほどよりも遥かに多い数の松明が群がっていた。増援どもが色めき立っているのが分かる。


「きりがないな」


「会話の続きは、この薄汚れた檻から降りてからだ。行くぞ、我に続け!とうッ」


 男はダサいかけ声と共に、躊躇うことなく門の外側に向かって、闇の中へとしなやかに飛び降りた。

 

「おい、ちょっと待て……っ!」


 俺は休みたい身体を無理やり奮い立たせ、男の後に続くように、ユカラディピアの外へと広がる漆黒の闇へと飛び降りる。


 着地に失敗した。


「い……た……っ!」


「情けない声をあげるではないか。さぁ、夜は短いぞ。カス共が見えぬ深淵まで一気に駆けるのだ」


 闇夜に黒いマントをなびかせながら、男は振り返りもせずタタタタと走り出す。俺はその後ろ姿を必死に追いかけた。



 第三区画の外に広がっていたのは、見渡す限り緑の平原だった。


 遮るもののない夜風が、俺の切り裂かれた上着の隙間から容赦なく体温を奪っていく。背後の街を見返すと、巨大な城壁の向こうで松明の明かりが慌ただしく行き交っているのが見えたが、こちらを追ってくる気配はひとまずなさそうだ。


 草を踏み締める音だけが響く中、どれほど歩いただろうか。

 街の明かりがすっかり小さくなり、夜闇の静寂が辺りを完全に支配した頃、前を歩いていた男が不意に足を止める。


「ふむ……ここまで来れば大丈夫だろう。漆黒の帳が、我らの足跡を完全に覆い隠してくれた」


 男は芝居がかった仕草で大袈裟に息を吐くと、くるりとこちらを振り返り、腰に手を当てて胸を張った。


「さて、愚者よ。まずは互いの存在を定義せねばなるまい。名乗るがいい」


「……今はそれどころじゃない。俺にはやらなきゃいけないことがあるんだよ」


 俺は膝に手を突き、未だに苦しい呼吸を整えながら、男の隠れていない方の目を睨みつける。


「それより、何度も聞くが、お前、何者だ? 何のために俺を助けた?」


「貴様、自分は答えないのに我には問うか……。まぁいいだろう、我が何者か、か。よくぞ聞いてくれた!」


 男は待ってましたと言わんばかりに、バサァッと音を立ててマントを弾き、片目で月を仰ぎ見るような奇妙なポーズを決めた。


「我は闇を統べ、世界のことわりの裏側に住む者!その名はヴレイヴァ・アレイビス!以後、畏怖と共にその名を刻むがいい」


「……」


 あまりの胡散臭さと、底知れない痛さに、俺は頭を抱えたくなる。物理的な痛みとは別のベクトルで、脳の芯がズキズキと痛む。


「……ヴレイヴァ。それがお前の名前だな」


「何かもっと反応をしてくれ。調子が狂うだろ……」


「うるさい。そんなことより俺は急いでるんだ。他に用がないなら先に行くぞ」


 俺は一歩踏み出し、ヴレイヴァの目をまっすぐに見据える。


「せめて名前だけでも答えるんだ!我は貴様を助けたのだぞ?」


 ヴレイヴァは一転して、前髪の隙間から鋭い光を放ち、不敵に笑ってみせた。


「分かった。俺はファイ・ニアス。ただの旅人みたいなもんだよ」


「そうか、ファイ・ニアスか!良き名だ、我に刻むにふさわしい!」


 ヴレイヴァは満足げに腕を組み、一人で何度も頷いている。その余裕に満ちた態度が、今の俺にはたまらなく苛立たしい。


「名前は教えた。もういいだろ。俺は仲間を探しに行かなきゃならないんだ。お前と違って、一分一秒が惜しいんだよ」


 俺はヴレイヴァを乱暴に押し退けるようにして、先を急ごうと足を前に踏み出した。


「待ちたまえ」


 背後から、ヴレイヴァの呆れたような声が飛んでくる。


「先ほどから見ていれば、貴様のその態度は何だ?命の恩人に対して、あまりにも不敬極まる。我でなければ、今の一歩で首が飛んでいたぞ。少しは心を落ち着けたらどうだ」


「落ち着いてられるかよ……!」


 俺は思わず少し声を荒らげ、鋭い視線でヴレイヴァを睨み返した。


 胸の奥で、どす黒い焦燥が暴れ回っている。あの街の死体の山が、メラリカの悲しいまでの無表情が、あの森での出来事が、今も脳裏に焼き付いて離れない。


「仕方ないだろ……っ!のんびり突っ立ってる暇なんてないんだ。ずっとここに居たら、俺はどうなるか分からない。それに、仲間がどこにいるかも分からないのに、こんなところで足止めを食らっててたまるかよ!俺は行動で示さなきゃいけないんだ。失態を取り戻すために」


 ぶつけるような俺の言い訳を、ヴレイヴァは否定も肯定もせず、ただ前髪の隙間からじっと見つめていた。その隠されていない方の目が、一瞬だけ酷く光った気がした。


「……ふん。やはり、ただの愚者だな」


 ヴレイヴァは小さく鼻を鳴らすと、バサァッと音を立ててマントを翻す。


「おい、結局お前は何のために俺を――」


「我が何故動いたか、それを貴様が知る必要はない。深淵の意志は常に孤独なものさ」


 ヴレイヴァは質問を煙に巻くように答え、背を向けると、暗闇の広がる平原の先を、長い指先でスッと指し示した。


「この先を数時間ほど歩けば、小さな村がある。そこなら、身体を休めるくらいはできるだろう」


「村……?」


「行くがいい、愚者、ファイ・ニアス。我が導くのはここまでだ。次に相見える時、貴様が真の闇に呑まれていないことを祈るぞ。……とうッ!」


 ヴレイヴァは再びその妙なかけ声と共に地を蹴り、驚くほどの速さで夜の闇の中へと溶け込んでいく。黒いマントが闇に紛れ、タタタタと足音が遠ざかっていくのは一瞬だった。


「本当に何なんだよ、あいつは……」


 残された俺は、静寂が戻った平原で一人、ぽつりと言葉を吐き出した。

 ヴレイヴァが俺を助けた理由は分からない。


 だが、立ち止まっている暇がないことだけは確かだ。


 俺は冷たい夜風を遮るように服をきつく合わせ、ヴレイヴァが指し示した暗闇の先へと、身体を無理やり動かして歩き始めた。

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