要塞都市
「これより、要塞都市首脳会議を始める」
円卓を囲む首脳たちの議題は、都市の防衛予算や物流の滞りといった、退屈な事務連絡を終始していた。
彼らにとって、この要塞都市は盤石であり、平和そのものだった。
「以上で、今月の関門通過者数の報告を終わります。……市長、何か補足は?」
司会役の男が、上座の影に問いかける。
フードを深く被った男、市長は、組んだ指の上に顎を乗せ、ぼんやりと虚空を見つめていた。
その青い瞳には、全てを見透かすような不気味さがある。
「……補足、ですか。ええ、一つだけ。……皆様のお耳に入れておくべき、素晴らしいニュースがあります」
市長の声は、静かな水面に石を投じたように、会議室の空気を震わせた。
「ニュース? 我々の把握していない不祥事でもありましたか」
「いいえ、不祥事などではありません。むしろ好機ですよ。……この街に、とてつもない価値を持った獲物が迷い込んできました」
市長が指をパチンと鳴らすと、後ろの扉からチンピラ風の男が二人出てきた。
「二人とも、例の話をお願いします」
「は、はい…」
「これは五日前、俺たちが路地裏に入った時の話なんですけど――」
男たちが話し終えると、会議室は、水を打ったような静寂に包まれた。
首脳たちの顔には、隠しきれない困惑と、わずかな戦慄が浮かんでいる。
「魔眼……だと?」
首脳の一人が、掠れた声で呟く。
「そんな危険な者が、今この瞬間も街を徘徊しているというのか!」
「ええ。ですが、場所までは特定できていません」
市長は、影の中から青い瞳を冷ややかに光らせた。
彼の仕立ての良い漆黒の外套が、わずかに揺れる。
「五日前、路地裏で彼らがその眼に遭遇した。それが分かっただけでも、とてつもない収穫です。……彼がまだこの街のどこかに潜んでいる、確固たる証拠なのですから…」
市長はゆっくりと立ち上がり、窓の外、複雑に入り組んだ下層区の街並みを見下ろした。
「場所は知れずとも、牙を隠した怪物は確かにそこにいる。……首脳の皆様、これより街の警戒レベルを引き上げてください。……その眼が再び開かれた時を、その男の最後にします
」
俺がミレッタの働く店で眼を覚ましてから、もう四日になった。今は酒屋兼宿屋をやっている『琥珀のまどろみ』でミレッタと一緒に働いている。
昼下がりの店内は、酒の抜けない労働者たちの愚痴と、安酒のツンとした匂いが混じり合っていた。
「おい、ファイ! 次、三番テーブルにエール持ってけ!」
厨房の奥から、店長のゾルドンが野太い声を飛ばす。恰幅のいい体に、油汚れのついたエプロン。乱暴な言い方だが、身元不明の俺を『働けるなら置いといてやる』と拾ってくれた恩人だ。
「今行きます!」
俺が木製の大ジョッキを運んでいると、不意に背中をパシッと叩かれた。
「ファイは本当に働き者だよね~。…でも、アタシにはまだかなわないかな~。じゃ、それ終わったら次、六番テーブルお願い」
ミレッタが空の樽を顎で指しながら、俺の横を通り抜ける。彼女のテキパキとした動きはこの店の名物みたいなものだ。客の相手をいなしながら、鋭い視線で店全体に目を光らせている。
昼休憩まであと少し。頑張らなくては。
「やっと昼休憩かー」
俺は働いて疲れた身体と脳をリフレッシュさせるため、腕を上にピンと伸ばす。
「ファイ、お疲れ様…。キツそうだったらいつでも言ってよ?」
可愛らしいリシェラが、微笑みながら、俺の顔に流れる汗をハンカチで拭ってくれた。たまに来て手伝ってくれる彼女の存在は、この殺伐とした酒場の中では、唯一と言って良い癒やしだった。
「ちょっとリシェラちゃ~ん、あんまりファイを甘やかさないでよ~」
リシェラの優しさに甘え、顔を拭われる俺の背後から、呆れたようなミレッタの声が飛んできた。
ミレッタは腰に手を当てて、俺のボロボロの服を上から下まで品定めするように睨みつける。
「……ファイ、あんた、いつまでそのヘンテコな格好でいるつもり? いくらなんでも『琥珀のまどろみ』の店員として、それはナシだよね~」
「悪い。でも、着替がなくてだな…」
「わかってるわよ~そんなこと。だから今から買いに行くの! てんちょーからも許可は取ってあるから。ほら、行くよ!」
ミレッタは俺の返事も待たずに、ぐいっと腕を引っ張った。
「二人とも、いってらっしゃい!」
リシェラがパタパタと手を振るのを背に、俺は半ば強引に店の外へと連れ出された。
昼下がりの要塞都市は、いつも以上に騒がしかった。
通りには重装備の兵士たちが、通行人の顔を鋭い目つきで確認している。今日はいつにも増して空気がピリついてるのを感じる。
「……ちょっと、ファイ。あんまりキョロキョロしないでよ~?」
ミレッタが前を向いたまま、小さな声で言った。
「あんたのその眼、今は眼帯を着けてなんとか隠してるけど……。目立たない格好に着替えるまで、挙動不審な真似はしないよーにね?全員が全員、アタシやてんちょー、クーガにリシェラちゃんみたいに優しくはないんだから。衛兵にでもバレたら即処刑よ、即処刑」
「クーガは優しいと言うよりはシスコンってやつだろ」
「突っ込むとこそこ~?」
気の引き締まらない会話をしながら、雑踏を抜け、俺たちは下層区にある古びた服屋へと辿り着いた。
「おばあちゃ~ん。いる? このボロボロでヘンテコな服を着てる男に、似合う服ある~?」
「ひどい言いようだな…」
ミレッタが勢いよく扉を開けると、埃っぽい匂いと、色とりどりの布地が積まれた独特な空間が広がっていた。
奥から一人の老婆が出てきた。
「おやおや、ミレッタちゃん、お友達かな?」
「まぁそんなとこ!」
俺はミレッタと共に店の奥へ足を進めた。
「服、か…」
老婆が奥から布束を抱えて出てくる間、俺は改めて自分の格好を見下ろした。
目覚めてから今まで、生きることに精一杯で、自分の身なりを気にする余裕なんて一秒もなかった。あちこちが擦り切れ、ボロボロのこの服は、記憶のない俺が持っていた唯一の自分の持ち物だった。
だからこそ、無意識のうちに執着していたのかもしれない。
「これなんてどうかな~」
ミレッタが棚から引っ張り出してきたのは、丈夫で動きやすそうな濃紺で長袖のシャツ。そして、下半身を包むのは動きやすさを重視したダークグレーのトラウザーズだ。
膝から下をブラウンのロングブーツに押し込めば、要塞都市の石造りの地面を蹴り上げる準備は万全だった。
「おしゃれで動きやすそう!いいんじゃない?」
「……ミレッタは、いつもそんなにオシャレに気をつかっているのか?」
ふと気になって口に出すと、ミレッタは意外そうに目を丸くした。
ミレッタはいつも、動きやすそうで、尚且つ可愛らしくもある、質素な給仕服を着ている。給仕中もその華やかな服が揺れるたび、殺風景な酒場に色が灯るようだった。
「アタシ? アタシは接客業だもん、オシャレには気を使うよ~。リシェラちゃんだって、たまに手伝いに来る時は、あんなに可愛らしい真っ白なワンピースを着てるじゃない。ボロボロの服着てるのなんて、要塞都市広しといえどあんただけだよ~?」
「まぁアタシも?休日なんかはこう、華やかなワンピ―」
「……確かに、リシェラの服は綺麗だったな」
「最後まで聞きなさいよ!っもう…。ほら、さっさと着替えてきなさいよ。おばあちゃん、試着室借りるね~!」
「ま、まて…。この服たちじゃ予算が―」
俺はミレッタに背中を押され、奥の狭いスペースへと押し込まれた。
「あ、これもあった方がいいかも!」
試着室の上から追加の服たちが降ってきた…
「自分の金じゃないからって…」
まぁいい…
差し出された新しい服に袖を通すと、驚くほど体が軽かった。
「ね?いいでしょ~それ?」
「おー、良く似合ってるよ、お兄さん」
ミレッタと店主の老婆の言葉に、俺は少し照れ臭さを感じながらも、新調した服に身を包んだ。
「…なんで結局、レザーベストとユーティリティ・ベルトも買うことになるんだ…」
「いいじゃない。いいじゃない。そっちの方がカッコいいしさ~」
「俺の金が…」
「てか、そのベルト、ユーティリティ・ベルトなんて言うんだ…。道具入れベルトって呼んでた」
支払いはゾルドンから貰った給金でギリギリ足りた。
「ちょっとファイ、ゆっくり歩かないで! 昼休憩が終わっちゃう!急いで戻らないとてんちょーに雷落とされる!」
ミレッタに急かされ、俺たちは服屋を飛び出した。要塞都市の大通りを、休憩時間が終わって無いことを祈りながら駆ける。
だが、大通りの角を曲がった、その時だった。
ドンッ
肩に鈍い衝撃が走り、俺は数歩後ろによろめいた。
急いでいたとはいえ、完全にこちらの不注意だ。
「……すみません」
俺が短く謝り、やり過ごそうとしたその時。
ぶつかった相手の男が、微動だにせず俺を見下ろしていることに気づいた。
男は上質な仕立ての漆黒の長衣を纏い、いかにも貴族と思わしき、印象的な服装だった。
だが、それにも増して印象に残るのは―
顔がほとんど見えないフード、その隙間からこちらを見る、青い冷酷な瞳だった。




