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ロスト・リビルダー ―忘却の罪―  作者: げこきち
二章 永劫の理想郷
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残酷なまでの優しさ


「いや、違くて……。ここは本当に安全な場所なのか?森の魔獣は大丈夫なのか?」


 俺の恐怖を孕んだ問いかけに、メラリカは困った様子も見せず、ただ機械のように完璧な表情で告げる。


「ご安心ください。この『都市国家ユカラディピア』は、ユカラディピアの大部分を囲う大壁と、結界によって完全に隔絶された安全圏。外の世界の脅威など、ここには一切届きません。ですから――」


 ふわり、と紺色の髪を揺らし、メラリカがさらにベッドへと距離を詰めてくる。


「外での悲しい出来事など、もう綺麗さっぱり忘れてしまってはいかがですか?」


「――っ、ふざけるなッ!!」


 怒号が、だだっ広い大部屋の空気をピシャリと引き裂く。

 自分でも驚くほどの激痛が胸の奥から跳ね上がり、俺は思わずベッドのシーツを強く掴みしめる。


 忘れる?


 あの地獄を、何もかも無かったことにしろと言うのか。


 脳裏を過る、あの地獄のような森の光景。

 肌を突き刺す凍えるような霧。容赦なく肉を裂く魔獣の爪。飛び散る赤。耳の奥にこびりついて離れない、骨の砕ける不快な音。


 そして――自分の手の平に残る、リシェラの温かい血の、あの灼熱。


 全て俺が無力なせいなのだ。それを、こんな生ぬるいふかふかのベッドの上で、無責任に忘れてたまるか。

 肩を荒く上下させ、鋭い視線でメラリカを睨みつける。


 だが――

 向けられた怒りの刃を正面から受け止めながらも、メラリカの表情には一滴の動揺すら浮かばない。ただ、澄み切った瞳で、じっとこちらを見つめている。


「……あ」


 ハッと我に返ると急速に脳が冷えた。

 何を熱くなっているんだ、俺は。

 この少女は、ただ案内された通りに俺を気遣ってくれているだけ。この街の人間にとっては、外の地獄を忘れて平穏に生きることこそが救いなのかもしれない。

 それを、新参者の俺が理不尽にぶつけるなど、お門違いも甚だしい。


「……悪い。取り乱した」


 短く息を吐き出し、俺は顔を伏せる。

 怒りの後に押し寄せるのは、ただただ、己の無力さに対する情けない泥のような自己嫌悪。


「いいえ。お気になさらないでください、ファイ様」


 メラリカの声は、どこまでも透き通っていて、やはり少しの濁りもない。

 だが、その徹底された優しさが、今の俺にはどうしようもなく不気味で、冷たい。


「ファイ様、お疲れのようですね。温かいスープでもお持ちしましょうか?」


「いや……いらない。今は食欲がないんだ」


 声をかけるメラリカから逃げるように、俺は視線を逸らす。

 しかし、彼女は流れるような所作で一歩近づき、ベッドの脇にそっと膝を突く。俺の顔を覗き込んでくるその距離、僅か。


「お食事を拒まれては、ウガダ様への申し開きが立ちません。それに……」


「それに?」


「この街の食べ物は、とても美味しいのですよ? 凍えた心も、一口含めばたちまちに溶けてしまうほどに」


 小首を傾げ、歌うように告げるメラリカ。

 その言葉の端々に宿る、圧倒的なまでの善意。それが逆に、俺の神経を逆撫でする。


「……なぁ、お前は本当にそう思ってるのか?」


「はい? そう思う、とは?」


「辛い気持ちも全て、スープ一杯で忘れて笑えると思ってるのか?」


 思わず口を突いて出た言葉。

 それは、メラリカの善意を無下にする言葉だ。分かってる。分かってる。


 だが、俺の言葉を聞いたメラリカは、ただ困ったように眉を八の字に下げるだけ。その顔に宿るのは、憐れみ、そしてやはり——濁りのない純粋な優しさ。


「全てを忘れる、というのは無理だと思います。でも、ファイ様は生きている。なら先ずは、少しでも心を落ち着けましょう。取り乱している間は、何も成功はしません」


「……っ」


 迷いのない、完璧な正論。

 拒絶するように布団を強く引き上げる俺の耳元に、メラリカの冷たくて心地いい声が、なおも優しく滑り込んでくる。


「どうしてもお一人になりたいのでしたら……私は扉の前で控えております。何かありましたら、いつでもお呼びくださいね」


 静かに立ち上がり、見本のような綺麗な所作で一礼するメラリカ。


「……勝手にしてくれ」


「はい。では、失礼いたします」


 音もなく、メラリカの気配が遠ざかっていく。

 パタン、と重厚な扉が閉まる音。

 だだっ広い大部屋に、再び訪れる圧倒的な静寂。


 生き延びてしまった。二人に捨てられて。何も知らない、こんな温かい場所で。


 枕に顔を埋めた俺の視界を、じわりと熱い涙が滲ませていく——



 数十分ほどだろうか、天井の彫刻をじっと見つめる俺の脳裏で、メラリカの言葉が、そして己の不甲斐なさが、何度も何度も渦を巻く。


「取り乱している間は、何も成功はしません」というメラリカの言葉が俺の心をズキズキと抉る。


「……分かってる。分かってるんだよ。そんなこと、分かってるんだ」


 声に出すと、情けなさが喉の奥に苦く残る。

 泣いて、塞ぎ込んで、ベッドの中で現実から逃げ回る。そんなことをして、一体何が変わるというのか。


 リシェラを痛めつけ、二人に捨てられた。

 あの凄惨な失敗も、失ったものも、この生ぬるい絶望の底で蹲っているだけでは、何一つとして取り戻せない。


 動くしかないのだ。その後の行動でしか、俺は俺を証明できない。

 ぎり、と奥歯を噛み締め、俺は布団を跳ね除ける。


 まだ重い身体に鞭を打ち、ベッドの端に足を下ろす。床に触れた足の裏から、冷たい石の感触が脳へと直撃し、思考が一気にクリアに冴え渡っていく。


 まずは、この見知らぬ理想郷を知る。話はそれからだ。


「……メラリカ」


 だだっ広い大部屋の、頑丈な扉に向かって声をかける。

 すると、まるで最初からそこにいることが決まっていたかのように、音もなく扉が開き、紺色の長髪が滑り込んでくる。


「はい、ファイ様。お呼びですか」


 完璧な一礼。その顔には、先ほど俺に怒鳴られたことなど微塵も気にしていないような、無表情。


「……さっきは悪かった」


「いいえ。気になさらないでください」


「それと、さ。……お腹が空いたんだ」


 俺の言葉に、メラリカは一瞬だけ、ハッとしたようにその綺麗な目を丸くする。


「スープでも、何でもいい。さっきお前が言った、美味い昼飯ってやつを、今からでも用意できるか?」


「もちろんでございます。すぐに特製のランチをご用意いたしますね」


 少し弾む声。彼女の無表情に、喜びのような明るい光が灯ったような気がした。


 その反応に少しだけ毒気を抜かれつつ、俺は立ち上がり、メラリカを真っ直ぐに見据える。


「それから、もう一つ頼みがある」


「何なりと、お申し付けください」


「飯を食べ終わったら、この街を案内してくれ。ユカラディピアがどんな場所なのか、自分の目で確かめたいんだ」


 その要求を聞いた瞬間、メラリカが一瞬、微笑みを浮かべたような気がしたのは気のせいだろうか?


「かしこまりました。この美しき理想郷を、余すことなくご案内いたします」


 見本のような美しい所作で、メラリカは再び深く一礼する。

 

 失ったものは、行動で取り戻す。それが、今の俺に出来る唯一のことだ。



 数分もしないうちに、銀のトレイを美しい姿勢で持ったメラリカが部屋へと戻ってくる。


 運ばれてきたのは、湯気を立てる琥珀色のスープと、ふっくらと焼き上げられた白いパン、そして色鮮やかな果物たち。


「お待たせいたしました、ファイ様。特製ランチでございます。どうぞ、温かいうちにお召し上がりください」


「ありがとう」


 促されるまま、俺はスプーンを手に取る。

 漂う芳醇な香りが、忘れていたはずの飢餓感を容赦なく刺激する。一口、スープを口に含む。


「……っ」


「いかがですか?」


 傍らに控えるメラリカが、じっと俺の手元を見つめながら覗き込んできた。


「……めちゃくちゃ美味いな。悔しいくらいに」


「それは良かったです。この街の食材は全て最高の状態に保たれておりますから。たくさん召し上がって、まずは体力を蓄えてくださいね」


「なんだか、身体が軽くなっていく気がするな」


「お気づきになりましたか。そちらのスープには、身体の回復を促す特別な処方が施されているのです」


 無駄な会話は挟まず、かといって急かすでもなく、俺が完食するのを静かに待ち続けるメラリカ。


 最後の一口を飲み干し、俺は深く息を吐き出す。

 本当に不思議なほど身体が軽い。泥水を啜り、死にかけていたあの地獄が、まるで遠い幻だったかのようだ。


「ごちそうさま。……美味かった。これで動けそうだ」


「お粗末様でございます」


「じゃあ、さっきの約束……街の案内、頼めるか?」


 トレイを片付けたメラリカが、我が意を得たりとばかりにスッと背筋を伸ばす。


「もちろんでございます。ファイ様、こちらへどうぞ。外の世界とは違う、私たちの理想郷をお見せいたします」


 仕立ての良いクラシカルなメイド服を翻し、メラリカが重厚な扉を開け放った。


 一歩、部屋の外へ。

 長く、どこまでも白い石造りの廊下を進む。

 すれ違う人々は皆、ウガダと同じように上質な衣服を纏い、穏やかな微笑みを浮かべていた。


「メラリカ」


「はい、何でしょうか?」


「すれ違うやつら、誰も俺のこと気に留めないんだな。怪しい余所者なんだぞ、俺は」


「ここは理想郷ですから。怪我をされた方を不審に思う人間など、ここには一人もおりませんよ」


 メラリカは事もなげに言う。だが、その徹底された平穏と警戒心の無さが、どこか胸に引っ掛かる。


 やがて、巨大な大理石の扉を出て、俺たちはついに理想郷の街へと足を踏み出す。


「――綺麗、だな」


 思わず、言葉が漏れる。

 外に広がるのは、要塞都市とはまた違う、計算されたような美しさを持つ家々や噴水だ。


 俺の言葉を聞くと、メラリカはこちらに振り返り、待っていたかのように言葉を紡ぐ。


「ようこそ、都市国家……いえ、『永劫の理想郷ユカラディピア』へ」

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