次なる目的地
「……どうして、その名前を」
絞り出すようにそう問いかけた瞬間、脳裏にあの一瞬の情景が鮮烈によみがえった。
公園のベンチでクーガと別れた直後、背後の木立ちから聞こえた、あの微かな音。不自然に揺れた木陰。
――あそこにいたのは、風なんかじゃなかった。リシェラだったんだ。
点と点が一気につながり、俺の動揺を察したのか、リシェラは気まずそうに、だけどそらすことなく俺の目を見つめ返した。
「ごめんなさい……。ファイのことが心配で、こっそり後ろを追いかけちゃったの。そうしたら、お兄ちゃんと話しているのが聞こえて……」
「聞いていたのか、あの話を」
「うん。……ファイが、記憶を戻すために旅に出ようとしてるって」
リシェラはきゅっと胸元を掴み、高台からの風に吹かれながら、静かに、だけどはっきりとした口調で言葉を続けた。
「自分の過去も分からないまま、賞金首っていう危険を抱えて……それでも、前を向いて歩き出そうとしているファイを見て、私、ハッとしたの」
リシェラの視線が、どこか遠くの空へと向けられる。
「オコーの腕のことがあって、私は自分の弱さが悔しくて、ただ俯くことしかできなかった。でもね、ファイの姿を見ていたら、私だっていつまでもここに留まって、ただ守られているだけじゃ駄目なんだって思ったの。私も、前へ進まなきゃいけないんだって……」
前へ進む。その言葉が意味するリシェラの目的地を、俺はすぐに察した。
以前、リシェラの口から直接聞いた、あの切実な願い――。
「……母親を、探すんだな」
「うん……」
俺の言葉に、リシェラは小さく、だけど強く頷いた。
自分を捨てて、行方をくらませた母親。
どれだけ傷つけられても、どれだけ突き放されても、リシェラにとっては今なお断ち切ることのできない、たった一人の肉親だ。
「ユカラディピアは、ここから一番近くて、情報も人もたくさん集まる大都市なんでしょ? だったら、私のお母さんの手がかりも見つかるかもしれないわ」
そこまで一気に言うと、リシェラは一歩、俺の方へと歩み寄った。
いつも一歩引いて俺の後ろをついてきていた彼女が、初めて、自分の足で俺との距離を詰めてくる。
「ファイが自分の記憶を探すためにユカラディピアへ行くなら――私を、一緒に連れて行っていほしいの。私も、自分の目的のために進みたい」
「リシェラ……。だけど、そこがどんな場所かも分からないし、俺の旅にはこれからも危険が付きまとう。お前をそんな目に遭わせるわけには――」
「置いていかれる方が、百倍嫌よ!」
リシェラが声を荒らげた。いつものお淑やかな彼女からは想像もつかない大声に、俺は思わず言葉を失う。
リシェラの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。だけど、その奥にある決意は、何があっても揺るがないほどに固かった。
「ただ守られるだけの足手まといのままでいたくない。私も強くなって、お母さんを絶対に見つけ出すの。だからお願い、ファイ。私を一緒に連れて行って!」
朝の光を浴びながら、リシェラの震える、だけど力強い言葉が高台に響き渡った。
自分の過去のために進む俺と、自分を捨てた母親を探すために立ち上がったリシェラ。
その真剣な瞳を前にして、俺の胸の奥にあった重苦しさは、いつの間にか、彼女と共に新たな地へと進むという確かな覚悟へと形を変え始めていた。
ただ守られるだけの存在でいたくないと、涙を堪えながら必死に訴える彼女を、これ以上突き放す言葉なんて見つかるはずもない。
「……分かったよ」
俺は小さくため息をつき、だけど口元には自然と苦笑が浮かんでいた。
「ファイ……っ?」
「置いていかれる方が百倍嫌、か……。 そこまで言われて、置いていくわけにいかないな」
「じゃあ……!」
パッと顔を輝かせたリシェラに、俺は一歩歩み寄り、彼女の目をしっかりと見つめ返した。
「一緒に行こう、ユカラディピアへ。俺の記憶探しと、リシェラのお母さん探し――二人で行けば、手がかりだって二倍見つかりやすいかもしれないしな」
「うん……っ! ありがとう、ファイ……!」
リシェラは本当に嬉しそうに、何度も何度も頷いた。
「よし。そうと決まれば、ひとまず宿に戻ろう。リシェラも、今日はしっかり体を休めてくれ。皆に話をするのは、明日、落ち着いてからにしよう」
「えぇ、そうね。……ありがとう、ファイ」
お互いに顔を見合わせて笑う。高台へと吹く風は相変わらず少し冷たかったけれど、俺たちの間に流れる空気は、もうさっきまでの重苦しさを完全に無くしていた。
宿に戻ったその日は、激動の疲れを癒やすように、静かに休むことにした。
張り詰めていた緊張が解けたのか、とろけるように眠り、目が覚めると新しい朝が来ていた。
翌朝。俺とリシェラは、宿の談話室に皆を集めた。
禿頭を掻きながら、まだ少し眠そうに左手で欠伸を噛み殺しているオコー。そして、その隣で「急に改まってどうしたの~?」と不思議そうに首を傾げているミレッタ。
その他、ここに来てくれた面々の顔を見回した後、俺はリシェラと一度視線を交わし、深く息を吸い込んでから、皆を真っ直ぐに見据えた。
「急に集まってもらってごめん。……俺たち、明日にはこの街を出て、『都市国家ユカラディピア』に行こうと思ってるんだ」
俺の言葉に、談話室の空気が一瞬だけピリッと引き締まった。
「ユカラディピアだって……? 随分とまた、デカいのをぶち込んできたな、ファイ」
オコーが残された左手で顎をさすりながら、驚いたように目を丸くする。
「あそこは、情報も人も大陸中から集まる場所だって聞いた。俺の失われた記憶のことも、俺の賞金首の件も、いつまでもここで立ち止まっていたら何も変わらない。だから、前に進むために、一番近い大都市であるあそこを目指すことに決めたんだ」
「なるほどねぇ……。で、リシェラちゃんも一緒に行くってわけ~?」
ミレッタがリシェラに目を向けると、リシェラは一歩前に出て、力強く頷いた。
「えぇ。私も行くわ。ファイの姿を見て、私もいつまでもここで守られているだけじゃ駄目なんだって気付いたの。消えたお母さんの手がかりを見つけるために……私も、自分の目的のために歩み出したいの!」
リシェラの毅然とした言葉を聞いて、ミレッタは一瞬だけ呆気に取られたように目を見開いた。だけど、すぐにいつものふんわりとした笑みを浮かべ、わざとらしく大きなため息をついてみせる。
「もう~、リシェラちゃんがそんな顔をする時は、アタシが何を言っても聞かないんだから~。……いいわよ、ファイ! リシェラちゃんをあんまり危険な目に遭わせたら、アタシが承知しないからね?」
「あぁ、分かっているよ」
ミレッタは嬉しそうに微笑むと、この場にいる面々を見回し、口を開く。
「そうと決まれば、今日は一日かけて街で旅の買い出しね!あと、今日の夜は送り出しパーティーやるわよ~! ファイ、荷物持ち、た~っぷり手伝ってもらうんだから~!」
「お手柔らかに頼むよ」
ミレッタの明るい声につられるように、談話室に笑い声が響く。
隣に立つリシェラの横顔は、昨日よりもずっと晴れやかで、引き締まっていた。
俺たちの新しい旅路――『都市国家ユカラディピア』への道が、今、確かに動き出そうとしていた。




