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ロスト・リビルダー ―忘却の罪―  作者: げこきち
一章 要塞都市の怪物
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――そこに私はいないから

 俺の不敵な笑みに、ソフーテの眉が微かに跳ねる。

 だが、ソフーテはすぐさま冷静に身体を引いた。俺の指先が届く直前、完璧なタイミングで後退し、躱す。


「未来はまだ、私の手の中にありますよ」


 ソフーテは淡々と言い放ち、後退した勢いのまま杖を鋭く突き出してきた。

 なんの前兆もない。ただ、俺が次に動く場所へ、吸い込まれるように杖の先端が迫る。


「くっ…!」


 俺は咄嗟に上体をひねったが、身体強化のない肉体じゃ完全に避けきることはできない。杖が頬を掠め、鋭い痛みが走る。

 だが、俺はそこで怯まなかった。痛みを奥歯で噛み潰し、握り締めた鉄の剣をソフーテの首元めがけて真横に一閃する。


 ガキィンッ!と、不自然な位置で受け止められた。

 ソフーテは俺の剣の軌道を完全に先読みし、すでにそこに杖を置いて防いでいたのだ。


「無駄だとなぜ分からないのですか」


「分かってたまるかよッ!!」


 俺は叫びとともに、剣を押し込む。

 ソフーテの『部分未来視パートビジョン』は確かに厄介だ。俺が次にどう動くか、稀にその瞳が未来を捉え、的確に俺の攻撃を躱し、弾いてくる。


 だが、かわされるなら、それ以上の速度で踏み込むだけだ。弾かれるなら、相手の腕ごとへし折る気で剣を振るうだけだ。

 

 俺は弾かれた剣の勢いをそのままに、二撃目、三撃目と泥臭く剣を叩きつけていく。

 ソフーテは最小限の動きでそれを躱し、時に杖で受け流すが、俺の狂気じみた気迫と猛攻に、ジリジリと後退を余儀なくされていた。


 どれだけ未来が視えていようと、俺の実力と意地がその未来の隙間を容赦なく埋めていく。


「はァッ!」


 脳の奥が焼け付くように熱い。視界がときおり赤く明滅する。

 限界なんてとっくに過ぎている。だけど、俺の腕は、足は、まだ止まっちゃくれない。止まってはいけない。


 ソフーテの放つ鋭い一撃が、俺の左の肩をを深く抉った。

 鮮血が舞う。だが、俺はその痛みを推進力に変えて、さらに一歩、前へと踏み込んだ。


 ソフーテの瞳に、明確な焦燥が走る。

 未来を視て、合理的にかわしているはずなのに、距離が離れない。それどころか、血塗れの俺の執念が、ソフーテの目の前まで強引に距離を詰め、その牙城を物理的に揺るがしていく。


 遮るもののない議事堂の屋上で、二人の距離は、再び完全にゼロになる。


 右の拳を振るう。

 その手に握るは、再構築リビルドされた鉄の剣。

 ソフーテは俺の剣撃を完璧な角度で防ぐため杖を構え、俺の刃を迎え撃つ。


 カツン、と。

 互いの武器が激突する、その寸前だった。



「――再構築リビルド・解除」



 俺が呟くと同時に、剣の形状が、一瞬で変わる。


 伸びた剣は塵のように消え、元のただの小さな鉄片へと戻っていく。


「!?」


 当然、ソフーテの杖に当たるはずだった刃の長さは、消失した。

 空を切るソフーテの杖。

 どれだけ完璧に軌道を予知していようと、受けるべき物質そのものが消え去れば、その防御行動はただの大きな隙でしかなくなる。

 賭けではあった。未来が見られていたら、これすらも防がれていただろう。


 一瞬の硬直。

 俺はその瞬間に、全身のバネを絞り出すようにして身体を鋭くひねった。

 がら空きになったソフーテの懐へとさらに踏み込む。


 軸足を議事堂の床に深く突き立て、ひねった身体の遠心力のすべてを、自らの右足へと乗せた。


「うおおおッ!!」


 ソフーテの杖の柄めがけて、俺の渾身の蹴りが炸裂する。


 メキキィィィンッ!!

 鈍い破壊音とともに、これまで俺の行く手を阻み続けてきた漆黒の杖が、中央から真っ二つに叩き割られた。

 

「しまっ…!」


 ソフーテの手から、へし折れた杖の破片が転がり落ちる。

 最大の武器であり、魔呪綴スペルの起点でもあった杖を失い、ソフーテの顔に初めて剥き出しの戦慄が走った。



 杖を失い、完全にがら空きになったソフーテの胸元。

 この好機を、俺の身体が逃すはずがなかった。

 手の中で元の大きさに戻った鉄片に、俺は魂を、命を、ありったけの怒号に変えて叫ぶ。


「もう一度だ! 再構築リビルドッ!!」


 再び眩い光を放ち、鋭利な鉄の剣が姿を現す。

 俺は剣を両手で強く握り締め、ソフーテの胸元へと真っ直ぐに突き出した。


 ――刺さる。


 いや、『部分未来視パートビジョン』なら――例え発動していなくとも、ソフーテなら、紙一重でかわしてくるはずだ。かわされたその先で、どうやって追撃を叩き込むか。俺の脳は、まだ次の泥臭い攻防を必死に演算していた。

 ――なのに。


「…え?」


 刃の先、僅か。

 ソフーテの身体は、微動だにしなかった。

 避けるための予備動作も、抗うための綴力グラフィーも、全てが嘘のように消えている。

 ソフーテはただ、大きく見開かれた青色の瞳で、虚空を――俺の遥か後ろの何かを、愛おしそうに見つめていた。



 死の間際、極限状態の中でソフーテの『部分未来視パートビジョン』が映し出したのは、ほんの数秒先ではなく、遥か遠くの愛しい未来の光景。


「あぁ…」


 ソフーテの脳裏に、静かで、穏やかな光が差し込む白い部屋が広がる。

 ベッドの上では、長い間苦しみ続けていた妻が、ゆっくりと愛おしい瞼を開く。その顔や身体には火傷の跡が一つもない。

 彼女は微かに身体を起こし、愛する夫の姿を探すように、優しく、弱々しい声でソフーテの名前を呼ぼうとしていた。

 ソフーテが、ずっとずっと願い続け、そのためにすべてを犠牲にして、悪の組織に入ってまで作り上げようとした、完璧な救済の未来。

 ――だが。


 目覚めた彼女の視界のどこを探しても。

 彼女が生きる正しい未来の図の中に、罪を重ねすぎた自分の居場所なんて、最初からどこにも残っていなかった。


「…そう、ですか」


 ソフーテの瞳から、一粒の雫が零れ、頬を伝って流れ落ちる。

 それは、望んだ未来を求め続けた男に対する、残酷すぎる答え合わせだった。



「あんた何で――」


 俺の叫びは、もう引き返せない速度の刃にかき消される。

 涙を零した敵を、無防備に立ち尽くす男を、俺の意志とは関係なく、突き出した慣性だけが容赦なく襲う。


 ズブゥ!!


 肉を裂き、骨を砕き、命の芯を貫く最悪の感触が、両手を伝って俺の脳を直接殴った。

 刃はソフーテの胸の真ん中を深く、深く貫通し、議事堂の屋上へとしぶきを散らす。


「ぁ…」


 ソフーテの口から、大量の鮮血が吐き出された。

 その熱い血が、俺の顔や胸元へと言い訳の立たない質量で豪快に飛び散る。

 

 ソフーテの身体が、ガクリと力の抜けた人形のように、俺の肩へと崩れ落ちてきた。

 突き立てた剣を挟んで、お互いの心臓が触れ合うほどの距離。ドク、ドクと、俺の耳元で、ソフーテが必死に繋ぎ止めてきた命の拍動が、急激に弱まっていくのが嫌というほど伝わってくる。


「何で、避けなかったんだ…?」


「あぁ…妻が、妻が…見えたんです」


「妻…?」


「火傷の跡一つない、私がずっと…願っていた、本当に…綺麗な姿で笑っていました」


 ソフーテは弱々しく、けれども嬉しそうに話す。


「異能の力…。じゃあ何で…!」


「言った…でしょう?未来は…変わらないと…。私の未来は…絶対です」


「どう、いう――」



「――彼女の笑う未来。そこに…私はいなかった…」



「え…?」


「私がどれだけ手を悪に…染めようと…悪に魂を売ろうと…彼女が救われる未来は…もう確定しています。…彼女の火傷は治り…苦しみから解放される。私の望みは…叶うのです…」


「そう、いうことか…」


「未来は変わりません。彼女が救われる結末が…絶対なら…未来に私がいないのも…また絶対…」


 ソフーテは血の混じった涙を流しながら、自嘲気味に、だけど狂おしいほどに穏やかな笑みを浮かべた。


「最後に…ファイ君。君は…間違えないで…下さいね」


「間違い…?」


「……」


 俺の肩に預けられていたソフーテの身体から、完全に力が抜ける。

 ゆっくりと、ソフーテは俺の肩から滑り落ち、二度と動かなくなった。


 ――彼女の隣に。私が望んだ未来に、私はいない。

 ――なら、私の旅は、ここで終わるのが正しい。


 それが、要塞都市を統べていた魔族の、妻のために全てを捧げた男の最期の言葉だった。


 ソフーテは最後まで、ただ一人の女性の幸せを

 ――否、家族の幸せを願った、あまりにも不器用で、孤独な男だった。



 どれほどの時間が経っただろう。

 俺はただ立ち尽くしていた。


「ファイっ!!」


 屋上の扉が跳ね返り、泥にまみれたゾルドンとクーガが飛び出してきた。二人は横たわるソフーテと、血塗れの俺の姿を見て、息を呑む。

 俺の顔についているのが、自分の血なのか、それとも殺した男の血なのかも、もう分からなかった。

 ゾルドンが震える声で、俺の肩を強く抱きしめた。


「やったな、ファイ! お前が、あの怪物を止めてくれたんだな!」


「…よく耐えた、ファイ」


 二人の温かい声が、俺の冷え切った身体に届く。


 皆が笑える。皆が救われた、正しい世界が、ここにある。

 

 だけど、この正しい世界は、たった一人の男の歪んだ愛と、その絶望を生贄にして成り立つものだった。


 ――いや、それだけじゃない。

 ここに来るまでに奪った命。その家族。それらは全ての人生を犠牲にして、今俺は生きている。


 俺は赤く染まった自分の両手を見つめていた。

 胸の奥に、じわりと冷たい、拭いきれない違和感が広がっていく。


 ソフーテが最後に遺した言葉。

 ソフーテが最期に見せた、あの涙。


 皆が喜ぶ中で、俺の心だけが、答えのない空白に置き去りにされていた。


「…正義って、何だ?」

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