歪み
粉塵が完全に晴れる前に、俺は動いた。
粉塵の中で、原型のなくなった分厚い扉の断片を手に、突撃する。
「扉の断片…?」
ソフーテが呟く。
一瞬思考を巡らせたソフーテ。だが、ソフーテは即座に迎撃の『土砲』を放つ。
俺は綴力を纏わせたナイフでそれらをミスなく弾く。
ドン! と重い衝撃が腕を伝うが、止まらない。
その間にソフーテは、突撃で粉砕された二体を補充するように、四体の泥兵が壁となって立ち塞がった。
「基礎魔呪綴――『土砲』!」
ソフーテの杖が振られ、四体の泥兵が、同時に加速する。
「もう!見切ったッ!」
俺は泥兵たちを、傷を負いながらも躱す。
俺を仕留めきれなかった泥兵たちが、勢いのまま俺の後方へと虚しく通り過ぎていく。
残る数十体。
俺は地面すれすれまで上体を反らし、左右から迫る斧のなぎ払いを紙一重で躱す。
そのまま、スライディングの勢いで正面の泥兵の股を抜け、背後へ。
「一、二…三!」
すれ違いざま、綴力を纏わせたナイフを、左右の泥兵の膝裏、そして正面の泥兵の足首へと、僅か一秒の間に突き立てた。
ゴボッ! と湿った音。
泥兵たちは、一瞬にしてバランスを崩す。
ソフーテとの距離、あと四歩。
「逃げるなよ。ソフーテ」
俺の前に、泥兵たちがソフーテを庇う壁となって立ち塞がった。
「邪魔だ…」
俺は泥で重い地面を強く蹴った。
狙うは泥兵の肩。
嫌な湿った感触を足裏に感じながら、俺は泥兵たちの攻撃の隙を見て跳ぶと、泥兵を足場に、ソフーテの頭上へと向かって大きく跳躍した。
「自ら退路を断ちましたか」
「あぁ、前に活路が見えたからな」
ソフーテが杖を振り、空中の俺へ向けて最後の一撃を放とうとする。
同時に、ソフーテは足元から新たな泥兵を作り出そうとした。
――だが、それこそが奴の致命的なミスだ。
過剰なまでの新たな泥兵の生成。ソフーテの足元には、先ほどよりもひどい歪みができている。
俺は空中で、ナイフをソフーテへと投げつけ、ソフーテが魔呪綴を綴るのを止める。
そして、もう片方の手に持った扉の断片を、投げ飛ばすように構える。
「そんな物で何が――」
そこまで言ったところで、何かに勘づいたソフーテが目を見開く。
「――もう遅いぞ」
そう言うと俺は、ここまで温存しておいた異能――ソフーテ曰く、『神玄』という呼び方をするらしいものを発動する。
「再構築ッ!!」
俺は再構築を発動すると同時に、扉を投げる。
急速に再構築される巨大な扉が、物理法則に従い、ギロチンのごとく落下した。
「まさかッ!」
ソフーテが自身の失敗を嘆く。
そして、咄嗟に『独白魔呪綴』を綴るのを止めようとするが、間に合わない。
俺に再構築された扉は、過剰な使用によって限界まで歪んでいたソフーテの足元へと、垂直に突き刺さった。
ドォォォォォン!!!
轟音と共に、扉が地面を割って深々と刺さる。
それは、単に地面に刺さっただけじゃない。
ソフーテが泥兵を生み出そうとしていた、まさにその歪みの核心に、巨大な異物が物理的に割り込んだのだ。
グチュグチュッ! と、制御を失った、ソフーテの『独白魔呪綴』が暴走する音が響く。
ソフーテの足元にあった泥沼が、扉という巨大な質量攻撃によって、その役割を放棄し、泥を吹き出しながら消滅し始めた。
どうやら、俺の推測は正しかったらしい。
あの地面の歪み。あそこに綴力を流し込み、魔呪綴を綴っていたようだ。
泥沼が弾けたことにより、泥兵たちが消滅し、『独白魔呪綴』の起点を物理的に潰されたソフーテは今、無防備な空白を晒している。
「ッ!しまっ――」
ソフーテが慌てて距離を取ろうとするが、俺の跳躍はまだ終わっていない。
着地の寸前、落下の勢いを利用し、ソフーテに蹴りを打つ。
狙うは、その忌々しい面だ。
「歯ぁ食いしばれよ!」
全力の蹴りがソフーテの顔面を襲う。
だが、ソフーテも魔呪綴師としての矜持か、咄嗟に杖を横に寝かせ、腕を交差させてガードの体勢を取った。
ドォォッ! と、肉と木材がぶつかり合う鈍い衝撃。
「くっ、重いッ!?」
ガードの上からでも関係ない。
今の俺の蹴りには、落下による威力上昇と、綴力による威力上昇という二段構えの強化が入ってる。
ミシミシと杖が悲鳴を上げ、ソフーテの体が宙に浮いた。
ガードした腕ごと、その体が紙屑のように後方へと弾き飛ばされる。
背後の壁に激突し、ソフーテが崩れ落ちる。
「気絶、したの――」
そう確信しかけた俺の目の前で、ソフーテの指先がピクリと動いた。
ソフーテが無理やり上半身を押し上げる。
「はっ、あ…」
ソフーテの口端から一筋の血が流れる。
だが、その眼光はまだ死んでいない。致命傷には至っておらず、むしろその痛みすらも綴力の出力を上げるための薪にしているような、不気味な執念が宿っていた。
ソフーテは手のひらを背後の壁にベタリと密着させた。
「素晴らしい、威力でしたよ。ですが、まだ終わりません…」
ソフーテの全身から、これまでにない禍々しい綴力が吹き出した。
「独白魔呪綴!!『泥兵化生』!!」
「っ!?」
俺の直下、逃げ場のない足下の地面が突如として激しく波打つ。
そこを発生源として、泥を滴らせた新たな泥兵が、俺を殺そうと一気に這い出してきた。
回避不能、防御も間に合わない超至近距離からの生成。
ソフーテは血に濡れた口元を歪め、不気味な笑みを浮かべた。
地面から現れた泥兵の槍が、俺の心臓へと槍を突く。
「くそッ…!」
咄嗟に左手を出して致命傷は防ぐが、泥の槍が、俺の左手を深々と貫通した。
熱い鉄を押し当てられたような激痛が走る。
俺は貫かれた左手の痛みも顧みず、突き刺さった槍を無理やり引き抜きながら、後ろへと大きく飛び退いた。
どくどくと溢れ出す鮮血が、泥塗れの地面を赤く染めていく。
「流石の君も、これには反応しきれなかったようですね」
壁を背にしたソフーテが、口端の血を拭いもせずに狂ったように言う。
ソフーテの周囲では、さらに数十体の泥兵が地を割って這い出し、俺を仕留めるための包囲網を形成し始めていた。
視界が、じわりと熱に滲む。
数体どころじゃない。
十、二十……。部屋を埋め尽くさんとするほどの数の、泥の軍勢が、感情のない顔で一斉に武器を構える。
「さようなら。ファイ・ニアス君」
ソフーテが死を宣告するように、細い右手をゆっくりと振り下ろす。
――負けるのか。
圧倒的な数の暴力が、満身創痍の俺を飲み込もうと一歩踏み出した。




