死して始まる戦い
咆哮と共に、ギルディエスの拳がスムライバの顔面を捉える。
胸を剣で貫かれたまま、あえてその剣身を軸にするという狂気の踏み込み。
――バゴォォォオオオォォンッ!!
真っ赤に染まった拳が、スムライバの横っ面へぶち込まれる。
防御も、受け流しも、一切を許さない。ただ圧倒的な物量と殺意が、要塞都市最強の衛兵を軽々と宙へ跳ね飛ばした。
「!?」
スムライバの身体が、まるで紙細工のように吹き飛ぶ。
地面を何度もバウンドし、近くの家の壁に激突してようやく止まった。先ほどまでは美しかった横顔には、綴力を纏うだけでは防ぎきれなかった、ギルディエスの刺々しい拳の形が深く、無惨に刻まれている。
だが、ギルディエスは追撃の手を緩めない。
身体に刻まれた傷たちをなかったことにしながら、再び猛獣の速度で突進する。
「お前にも見せてやるよ!死の先ってやつをよぉ!」
「狂人がッ!」
何事もなかったように、スムライバが立ち上がる。だが、その白髪は乱れ、口からは鮮血が滴っている。
スムライバは過去最高の『付与魔呪綴』を綴り、周囲の温度を一気に引き下げた。
――キンッ、カカカカッ!!
ここからは、もはや言葉の入る余地のない、音と衝撃だけの殴り合いだった。
スムライバの放つ氷を纏った超速の刺突。
ギルディエスの放つ、命を削り、赤く輝く重拳。
氷結の閃光と、真っ赤な衝撃波が広場の中央で激突し続ける。
スムライバの剣がギルディエスの肉を削ぎ凍てつかせれば、ギルディエスの拳がスムライバの鎧を粉砕する。
空気が凍り、熱気で弾ける。
火花と氷晶が混ざり合い、視界を覆い尽くすほどの光の渦を作り出した。
――ギィィィンッ! ズドォォンッ!
打ち合うたび、ギルディエスの傷口からは凍った血が飛び散り、スムライバの剣からはヒビが入るような絶叫が上がる。
圧倒的な技術を、圧倒的な執念がじりじりと押し返していく。
「なぜだ! なぜ、倒れない!!」
スムライバの叫びは、初めて焦燥に染まっていた。
その目の前で、ギルディエスは剥き出しの歯を見せて笑う。
「知るかよ! 倒れ方なんてよぉ!!」
火花を散らす乱打戦。
二人の怪物の衝突は、要塞都市そのものを揺るがすほどの激しさを増していった。
スムライバの顔から、ついに余裕が消え失せた。
歪んだ顔面、乱れた白髪。何より、胸を貫かれてもなお笑いながら歩みを止めぬギルディエスの存在が、スムライバの誇り高い理性を内側から食いつくしていた。
「死ね! この狂人が!!」
それはもはや、優雅な剣士の言葉ではなかった。
スムライバは剣を両手で握り直し、付与魔呪綴を強引に、先ほど以上の力で、暴走気味に剣身へと綴る。
――キィィィィィンッ!!
限界を越えた剣が、悲鳴のような高音を上げる。
スムライバの剣を中心に現れる氷が、周囲の地面を爆発的に凍らせる。
ギルディエスが踏み込む。
だが、それよりも早く、スムライバは恐怖を振り払うかのように、渾身の力で剣を横一文字に薙ぎ払った。
――ガギィィィィンッ!!!
先ほどまでの鋭利な斬撃ではない。
それは付与魔呪綴の質量で強引に叩き切る、泥臭い切断だった。
ギルディエスはそれを一度、二度と躱す。だが、スムライバのフルパワーに耐えきれず、ギルディエスの右足が氷に蝕まれる。
その一瞬の隙をつくように、スムライバの剣が― 届く。
凄まじい衝撃音と共にギルディエスの首と胴が、根元から分断される。
ギルディエスの巨体が、その衝撃だけで後方へねじ切れるように回転した。
断ち切られた首が、高く、高く宙を舞う。
切断面からは凍結が追いつかないほどの鮮血が噴き出し、スムライバのボロボロの鎧を真っ赤に塗りつぶした。
膝をつき、激しく肩で息をするスムライバ。
その瞳は血走っており、手にした剣は小刻みに震えている。
「はぁ、はぁ、…死ね、今度こそ、永遠に!」
勝利の確信ではなく、追い詰められた獣がようやく外敵を退けた時のような、浅く、荒い呼吸。
スムライバは自身の背後にゴロリと落ちてきて、血溜まりの中に転がった頭部を見据え、自らの勝利を自分自身に言い聞かせるように、震える声でそう吐き捨てた。
遂にギルディエスとスムライバ、要塞都市最強の筋肉と剣の決着がついた― ように思われた。
肩で息をするスムライバの目の前、血溜まりを転がるギルディエスの頭部、その顔が再びニカッと笑い、叫んだ。
「死して始まるォォォォォォォォォォォォ!!!」
「は」
スムライバから息が漏れた。それは、勝利による気の緩みではなく、無理解が示す困惑だった。
スムライバが息を漏らした直後、スムライバの背後で、膝をついていたギルディエスの胴体が爆発的な熱量を放った。
首の切断面から噴き出したのは鮮血ではない。肉や骨、人間の身体を構築するものが、失った頭部を再生するように膨れ上がる。
バキバキ、と骨と肉が強引に編み上げられる不快な音が響く。
一秒に満たない再生。
スムライバが振り返った時には、そこには血管を怒張させ、かつてない殺意を瞳に宿したギルディエスの顔が、元通りに鎮座していた。
「あ、ありえ―!」
「よそ見してんじゃねぇよぉ!!」
驚愕に目を見開くスムライバの懐へ、ギルディエスが地を砕く踏み込みで肉薄する。
彼は拳ではなく、丸太のような足をしならせ、渾身の力で蹴りを放った。
――バキバキバキッ!!
防御が遅れたスムライバの脇腹に、体重の重圧を乗せた足がめり込む。
大気を震わせる衝撃。スムライバの身体は砲弾のように横へと吹き飛び、近くの壁を深く抉り、ようやく石の山に埋もれた。
「がはっ…ごほっ!!」
石を跳ね除け、立ち上がるスムライバ。
その白銀の鎧はもはやボロボロにひび割れ、脇腹からは折れた肋骨が内臓を圧迫する激痛が走る。
石の山から這い出したスムライバの視界で、信じがたい光景が固定されていた。
そこには、首を再生し、涼しい顔で佇むギルディエスの姿があった。
胸を貫かれ、首を落とされ、全身をズタズタに切り刻まれたはずの男。だというのに、彼はまるで軽い準備運動でも終えたかのように、悠然とそこに立っている。
「バケ、モノ…」
スムライバの口から、震える声が漏れた。
衛兵として、数多の戦場を生き抜いてきたスムライバのプライドは、目の前の理解不能な現実を前にして粉々に砕け散っていた。
ギルディエスは、首の繋ぎ目を無造作にさすりながら、ニカッと笑う。
その余裕に満ちた笑みが、スムライバにとっては死神よりも恐ろしいものに映った。
「し、死ねぇぇぇぇ!ッ!!」
恐怖が、スムライバの理性を塗りつぶした。
スムライバは限界を越えた剣を振り回し、狂ったようにギルディエスへと斬りかかる。
先ほどまでの精密機械のような洗練はどこにもない。それは、ただ恐怖から逃れたい一心で振り下ろされる刃だった。
――グチャッ!!
ギルディエスは避けることさえしない。
スムライバの剣、それを真正面から受け止めて― 死んだ。
「死して始まるォ!」
―再び叫ぶ。
スムライバが凍りつく。
二閃。胸を貫く。
ドロリ、と心臓が抉れる。
「死して始まるォ!」
―再び叫ぶ。
スムライバが震える。
三閃。四閃。五閃。
斬り、刻み、壊し、殺す。
だが、終わらない。終わってくれない。
「死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ねぇ!!」
スムライバの絶叫。
洗練は、とうに消えた。
スムライバの誇りは、今やただの怯えに成り果てていた。
必死に、無様に、ギルディエスの肉を削り続ける。
「死して始まるォ!」
「死して始まるォ!」
「死して始まるォ!」
咆哮が重なる。
殺すたびに、ギルディエスは笑った。
殺すたびに、ギルディエスは笑った。
殺すたびに、殺すたびに、殺すたび、殺すたび、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺殺殺殺殺殺― ギルディエス死ななかった。
そして――
渾身の力で振り下ろされた白銀の刃を、ギルディエスは避けなかった。
だが、今度の一閃はギルディエスを死に至らしめなかった。
何故なら――
――ミシミシ
「あ」
スムライバの顔から血の気が引く。
全力の付与魔呪綴を綴ったはずの刃が、ギルディエスの厚い大胸筋の上で完全に固定されている。
――パキィィン
虚しい音が響いた。
要塞都市の最強を象徴する白銀の剣が、ギルディエスとの戦いによって、紙細工のように粉々に砕け散った。
手元に残ったのは、無惨な柄のみ。
スムライバは、砕け散った剣が地面へ滴り落ちるのを、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
「どうしたよ、隊長さん」
一歩。
絶望を振りまきながら歩み寄ってきたギルディエスに対し、スムライバは状況を打開するため頭を働かす。さすがと言えよう。ここまで追い詰められてなお打開策を考えるあたり、やはりその辺の衛兵とは格が違う。
しかし―
「あ、あ……」
打開策などなかった。
絶望に染まるスムライバの胸ぐらを、ギルディエスが強引に掴み上げた。
引き寄せられる至近距離。そこにあるのは、死を嘲笑う男の狂気。
「残念だったな」
ギルディエスの綴力が拳に集束し、振り抜かれる。
――グチャッ!!
衝撃がスムライバの顔面に突き刺さる。
鼻骨が砕け、頬が歪み、最強の衛兵の端正な容貌が、一瞬で肉塊へと変貌した。
抵抗する間もない。
二撃、三撃、四撃。
殴るたびにギルディエスは笑い、殴るたびにスムライバの輪郭が消えていく。
最後の一撃は、頭部ごと地面へ叩きつける渾身のストレートだった。
――ズドォォォォォンッ!!
地面が円形に爆ぜ、スムライバの身体がピクリとも動かなくなる。
そこにあるのは、もはや誰だったかも判別できない無惨な残骸だけだった。
「やりすぎちまったか」
ギルディエスは血濡れた拳を振り払い、満足げにニカッと笑った。




