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ロスト・リビルダー ―忘却の罪―  作者: げこきち
三章 呪いを孕む樹海
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一人じゃない

 風が吹く。

 静寂が舞い戻り、残されたのは重苦しい紫の呪気を撒き散らす『呪刀《じゅとう》』と、それを杖代わりに突き立てる俺だけだった。


「……あ、くそ……っ」


 膝が笑い、視界がぐにゃりと歪む。

 倒れそうになる身体をどうにか踏みとどまらせる。

 白く煙る視界の向こう。倒れたタフノティシィの巨体を取り囲むように、見慣れた面々が集まっているのが見える。

 俺は『呪刀《じゅとう》』を深く地面へと突き刺すと、身体の重みをあずけるようにしてどうにか立ち上がった。一歩、また一歩と足を前に出すたび、胸の大きな傷口から嫌な熱が溢れ出し、地面に赤い点を落としていく。短剣を回収し、ゆったりとした足取りで歩み寄る。

 こちらに真っ先に気づいたのは、腕を組んで仁王立ちしていた顔色の悪い男だった。


「――チッ。生きてやがったか、死にぞこないが」


 ゼクフィスだ。

 肩を揺らし、呆れたような、だがどこか獰猛な笑みを口元に浮かべてこちらを見下ろしてくる。


「テメェ……いつの間にやら、なかなか強くなったじゃねぇか」


「……ゼクフィスに褒められると……余計に命が縮みそうだ……」


 掠れた声で軽口を返すと、ゼクフィスはハッと鼻で笑い、道をあけるように軽く顎をしゃくった。


「よかった。私、ファイが死んじゃうんじゃないかって思って……」


「悪い。心配かけたな」


 リシェラがあわあわと言葉を紡いでくる。

 それに応えると、そのすぐ後ろ。腕を組んだままそっぽを向いているザラオが見えた。

 魔獣を倒してくれた感謝と、それを素直に口へ出したくない意地が完璧に半々でせめぎ合っているのだろう。こちらと一切目を合わせようとせず、チラリと横目でこちらの無事を確認すると、フンと短く鼻を鳴らしてそっぽを向いた。わかりやすいやつだ。


「……タフノティシィの……容態は……?」


 膝をつきそうになりながら尋ねると、タフノティシィの胸元で必死に手をかざしていたルナネアが、ハッと顔を上げた。

 彼女の手元からは、柔らかな水と土が混ざり合った『水土抱擁《すいどほうよう》』が脈動し、巨体の凄惨な傷口を包み込んでいる。


「今はわたしの『水土抱擁《すいどほうよう》』でなんとか塞いでる……でも、気休め程度。傷が深すぎる。一刻も早くちゃんとした治療を受けさせないと、本当に命が危ない」


 ルナネアの顔には焦燥と疲労が濃く滲んでいた。

 そして、視線をゆっくりと俺の全身――ズタズタに裂け、血に濡れた胸元へと移すと、その眉がハの字に歪む。


「……ファイの方こそ無茶しすぎ! ……もっとわたしたちに頼ってくれたっていいのに……!」


 語気には怒りと、それ以上に泣き出しそうな心配が混ざっていた。

 無理もない。俺の格好は、誰がどう見ても今すぐ倒れておかしくない惨状だ。


「……頼らなかったわけじゃない。ただ……全員でまとめて突っ込んだら、前みたいにまた吹き飛ばされて……離れ離れになるかもしれないだろ。あれを警戒しただけだ」


 ふう、と荒い息を吐き出しながら、血のついた唇を緩めた。


「それに……本当に厳しくなったら、ちゃんと助けを乞うつもりだった」


「……私には、さっきのが十分すぎるほどピンチに見えましたけどね」


 呆れ果てたような声で割り込んできたのは、目を細めたエサマだった。

 大袈裟に肩をすくめ、深い溜め息とともにやれやれと首を振っている。


「手元に己の武器もない、胸からは血が噴き出していて、目の前には化け物。あれでピンチと言わなければ、世の中の九割の修羅場は平穏と言って差し支えないですよ、ファイ・ニアス」


「違和感ない屁理屈を言わないでくれ……」


 そう呟いた瞬間、ついに脚の糸がプツリと切れた。

 ガクリと膝から崩れ落ちそうになった俺の身体を、間一髪でゼクフィスの乱暴な手が受け止める。


「見ろ。強がってられるのもここまでだ。おいルナネア、タフノティシィのついでに、この馬鹿の傷口も適当に塞いじまえ」


「今やるから。ファイ、じっとして!」


 ルナネアが素早く俺の胸元に手をかざす。

 タフノティシィを包んでいた青緑の光が薄く引き伸ばされ、俺の切り裂かれた胸口へと覆いかぶさった。

 皮膚に触れた瞬間、灼熱の痛みが柔らかな水気によって和らいでいく。


「……助かった」


「お礼は後。……あくまで出血を止める一時的な処置だから。急いでユカラディピアに戻ってちゃんと治療しないと、またすぐ傷口が開く」


 ルナネアの言う通りだ。だが――俺は一巡り見渡した煙る視界に、顔をしかめざるを得なかった。


 ……とはいえ、どうやって戻る?


 魔獣に飛ばされたせいで退路は分からないのだ。周りは見渡す限りの森だ。帰り道の手がかりどころか、自分が今どちらを向いて立っているのかすら判然としない。

 思案に暮れかけた、その時だった。


 ――ズ、と。


 地面を震わせる重厚な鳴動が響いた。

 横たわっていた巨大な影――タフノティシィが、胸元の痛みに耐えるように緩慢な動作で、ゆっくりと身体を起こしかけていたのだ。

 凄惨な傷口からは未だ血液が滲んでいるが、その瞳には確かな生気が戻りつつある。


「……ファイ・ニアス」


 大気を震わせる重低音が、俺の耳に直接届いた。


「ん?」


「――感謝する」


 一言いうと、タフノティシィは深く呼吸を吐き出す。そして、ふと、その大きな視線を俺の後方へと向けた。

 そこにあるのは、その見た目が大きく削られた巨大な金属の塊だ。


「……ん? あの金属塊は……」


 タフノティシィの瞳が、わずかに見開かれる。

 巨大な質量と、その足元に転がる『呪刀《じゅとう》』、そしてボロボロの俺の姿を交互に見比べ――絶句したように呟いた。


「一体……どんな戦いをしたんだ……?」


 タフノティシィに驚愕の視線を向けられ、俺は血混じりの苦笑を漏らすしかなかった。


「そのあたりの詳しい話は、後でたっぷりする。……それより今は、どうにかしてここから無事に帰る方法を探すのが先決だ」


「あぁ? 帰る方法なんて思いついたのか、テメェ」


 ゼクフィスが半眼で俺を覗き込んできた。

 俺は視線を明後日の方向へ泳がせ、喉の奥を鳴らす。


「……実を言うと、一つだけ思いつきはした。……ただ、あまり乗り気にはなれない案だ」


「あぁ?」


 ゼクフィスが眉間に深いシワを寄せ、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「四の五の言ってんじゃねぇよ。どんな悪手だろうが、このままここでくたばるよりはマシだ。案があるなら、疾《と》く、言え」


「でも――」


「いいから言えッ!」


 圧に押され、俺は渋々、地面に突き刺さった『呪刀《じゅとう》』へと視線を落とした。


「……この『呪刀《じゅとう》』の重さを利用して、人を上に跳ね上げる。それで上空から現在地とユカラディピアの方角を特定する……っていう案だ」


「……は?」


 全員の動きが止まった。

 ルナネアも、エサマも、ザラオも、果てはリシェラまでポカンと口を開けて俺を見つめている。人間を打ち上げるなんて言い出せば、正気を疑われても無理はない。

 だが――その中で唯一、巨大な体を横たえたタフノティシィだけが、瞳を細めて深く頷いた。


「……なるほど。理に叶っている」


「えっ!? タフノティシィ、これ納得できる!?」


 ルナネアが叫ぶ。タフノティシィは重々しく息を吐き出すと、呆然とする一同へ向けて大気を震わせた。


「あの『呪刀《じゅとう》』は、ただ重いのではない。刃が触れた対象の質量そのものを書き換えるかのように、不条理な力を生み出す。……俺は、あの不自然な質量の前に力押しを許されたんだ。上手く扱いさえすれば、人間一人を遥か高空へ弾き飛ばすことなど造作もない」


「そういうことだ。まず、誰か一人を上空へ跳ね上げて現在地と方角を確認してもらう。方角が分かったら、そのままユカラディピアの方向へ一人ずつ順番に飛ばす」


「……待って」


 腕を組んで話を聞いていたリシェラが、冷静さと困惑が混ざった声で割り込んできた。


「その移動方法を使うとして……最後に残る人はどうするの? 自分自身を自分で跳ね上げるなんて無理だわ」


「あぁ。だから最後のやつは、直前に飛ぶやつと即席のロープで体を繋いでおく。引きずられる形で一緒に飛ぶ算段だ」


 俺は視線をルナネアへと向けた。


「問題は着地だ。いくら打ち上げられても、落ちるときはただの激突になる。……ルナネア、飛んで行った先で、落ちてくる俺たちを『水土抱擁《すいどほうよう》』で受け止めてほしい。お願いできるか?」


 指名されたルナネアは一瞬目を丸くしたが、すぐにこちらを見つめ、キッと強い眼差しで俺を見返した。


「……勿論。ファイたちが怪我ひとつしないように受け止めてみせる」


「頼もしいよ。……じゃあ」


 俺が血に濡れた息を吐きながら言おうとした瞬間、すっと一歩前に出た影があった。


「最初に打ち上げられる『方角の確認役』なら、私がやるわ」


 リシェラだ。

 彼女は涼しげな顔でそう言い切ると、少し離れた場所に突き刺さっている『呪刀《じゅとう》』へと迷いのない足取りで歩み寄っていった。

 紫の不気味な呪気を放つ漆黒の刀身。その柄をしっかりと掴むと、泥を押し切るようにして引き抜き、こちらへと引きずりながら戻ってくる。


「私は怪我もしてないし、万全だわ。任せてちょうだい!」


「リシェラ……。無理はするなよ」


「えぇ。心配いらないわ。頼んだわよ、ファイ」


 俺はリシェラから『呪刀《じゅとう》』を受け取り、激痛で歪む体に鞭打って柄を逆向きに固く握り直した。


 ――ガガアァンッッ!!


 地を穿つような爆破音とともに、『呪刀《じゅとう》』の生み出す不条理な運動エネルギーが爆ぜる。

 リシェラの身体が、垂直上空へと一直線に跳ね上げられた。

 急激に縮んでいくリシェラの影。やがてそれが大きくなり、ルナネアの『水土抱擁《すいどほうよう》』により着地を助けられる。


「見えたわ……! 北西……ユカラディピアよッ!!」


「よし……次は目的地だ。いくぞ、ルナネア」


「うん。いつでも行ける」


 角度を北西へと微調整し、俺は『呪刀《じゅとう》』のしなりを叩きつける。

 弾丸のような速度で空へ躍り出たルナネアが、絶叫と共に北西の茜色へと消えていった。


 そこからは、息をつく暇もない連続射出だった。次々と『呪刀《じゅとう》』を振るう。かなりの力がいるため、腕の負担が半端ではない。


「はぁぁぁぁッッ!」


 重傷のタフノティシィの膨大な質量すらも呪いの力で強引に夕闇の空へ弾き飛ばす。

 そして、最後に残ったゼクフィスが、俺の身体と自分の体を、即席の頑丈なロープでガッチリと縛りつけた。


「おいファイ、全員飛ばして最後はお前だ。……しくじるなよ」


「言われなくても……全員まとめて帰るぞッ!」


 全身の命脈を絞り出し、俺は『呪刀《じゅとう》』の柄を叩きつけた。


 ――ズバァアァンッッ!!!


 衝撃波が爆ぜ、引きずられる強烈な重力が胸の傷を容赦なく引き裂く。

 声すら風に掻き消されながら、俺とゼクフィスの二つの影は、空の下を一直線に突き進んだ――。


 ◇ ◇ ◇


 ――何回『呪刀《じゅとう》』を振るっただろうか。


 視界が激しく揺れ、今日何回も見た『水土抱擁《すいどほうよう》』の泥のクッションへと突っ込む。

 激しい衝撃が全身を包み込み、そして柔らかな泥濘が俺たちの着地を完全に殺してくれた。


「うわっ……!」


 泥に汚れたまま見上げれば、雲の切れ間から差し込む月光に照らされて浮かび上がる巨大な建造物。

 松明の放つ鈍い橙色の光が、行く手に微かに浮かび上がった。

 門だ。都市国家ユカラディピア、その第三区画と外を繋げる、巨大な鉄格子の堅牢な城門。


「……着いた……本当に……戻ってこれた……」


 先に着いていたルナネアが膝から崩れ落ち、荒い息を吐きながら力なく笑っていた。


「何か落ちてきたのか?」


 足音が聞こえる。


「あれって……おい、大丈夫か……!! もしかしてお前たち、遠征に行っていた者か? 酷い怪我だ。生きてるのが奇跡だぞ。おい、応援を呼べ! すぐに治療だ!」


 門にいた衛兵たちの混乱した叫び声が聞こえる。

 慌ただしく駆け寄ってくる足音を聞きながら、俺の意識はゆっくりと沈んでいく。……ふと、記憶の底が揺れた。

 初めてこのユカラディピアの門を潜ったときも、こんな感じだった。

 あの頃の俺はただ弱く、情けなく、己の運命に怯え、何ひとつ守る力も持たずに、たった一人でこの巨大な門を通った。


 ――だけど、今は違う。


 傷だらけの体で横に立つ仲間たちの気配を感じる。

 命を削り合い、無茶な戦いにすら互いの命を預け合える、掛け替えのない仲間たちがここにいる。


 ――俺はもう、一人じゃない。


「ファイ、だ、大丈夫!?」


「チッ……最後まで世話の焼ける野郎だ……」


 駆け寄ってくるリシェラの切迫した声と、泥まみれの俺の体を強引に支えるゼクフィスの乱暴で、けれど確かな温もり。

 胸を満たす温かな安堵感に包まれながら、俺は静かに瞼を閉じ、深い深い眠りへと落ちて行った――。

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