偽りの幕引き
崩落した第一区画の惨状を背に、ヴレイヴァは静かにその場を離脱していた。
第一区画がどうなろうと、ヴレイヴァにとっては知ったことではなかった。
元より、あの場に留まる意味などどこにもない。金髪の魔族が暴れ、ヴレイヴァが求める舞台の土台はすでに整っていた。
瓦礫の山を越え、焦げた石礫を踏み砕きながら、ヴレイヴァは闇の中を一人歩む。
肌を刺す風が通り抜けるたび、黒衣の裾と、目元を覆う長めの前髪が静かに揺れた。
「……フハハ」
薄い唇から、小さく笑みが漏れる。
己の記憶すらまともに保持できぬ人形たち。かつて何者かに奪われ、書き換えられたはずの痕跡が、ほんの少しの破綻によって呆気なく表面化しようとしている。
破片となった記憶を必死に抱え直し、互いを庇い合う様は、まるで怪我をした魔獣同士が傷を舐め合っているかのように滑稽であった。
だが――それこそが、ヴレイヴァの思い描く配役の正しき姿だ。
崩壊した街並みを遠ざけ、ヴレイヴァは街道をひとり進む。
目指すは、この街の心臓部。
広がる草原をも越えた先――ユカラディピアの真ん中に鎮座する、中央区画。
第一区画の狂騒が嘘のように、中央区画へ入ると、周囲の空気の密度が明らかに変化していく。
街灯の光は厳かさを増し、整然と並ぶ石造りの建築群は、まるで巨人の墓標のように無機質に聳え立っていた。
やがて、その視界が開ける。
中央区画の中央――広大な広場を押し潰すように佇む、圧倒的な異様を誇る巨大な建造物。
天を突く尖塔と重厚な外壁。街のあらゆる場所から見上げることができるその城塞は、夜の闇の中で黒々とした巨大な影となり、威圧的に街全体を見下ろしていた。
あらゆる権力、あらゆる思惑、そしてこの街の歪んだ歴史の全てが集まるする場所。
「……クッ! 『魔眼』が……導きを求めて疼くッ……!」
目元を覆う長髪の隙間に手をあてがい、ヴレイヴァは低く呻くように吐き捨てる。
「――応えよう。世界がそれを望むのならば」
巨大な建造物が落とす深い影に身を潜め、ヴレイヴァは静かに微笑んだ。
ファイたちが足掻き、記憶の糸を手繰り寄せようとしているその裏で、運命の盤面はすでに次の手へと動いている。
ヴレイヴァは髪を軽くかき上げると、躊躇いなき一歩を、巨大な建造物の内部へと踏み入れた――。
◇ ◇ ◇
――侵入経路として選んだのは、城塞の北側にひっそりと佇む通用口――裏門であった。
重厚な鉄扉をすり抜け、ひんやりとした石造りの廊下に足を踏み入れる。普段であれば厳重な警備と給仕の往来で密度の高いはずの通路は、不自然なほど静まり返っている。
「……フッ、閑古鳥が鳴いているな」
人影の絶えた静寂の廊下に、ヴレイヴァの低い声が小さく響く。
この異常な静けさの理由は、明白である。
第一区画で発生した金髪の魔族による襲撃――そして空の崩落。あの壊滅的な被害を受け、この都市国家の中枢すらも未曾有の混乱に陥っているのだ。
さらに言えば、混乱の理由は街の惨状だけに留まらない。
エルフの国の王が、第一区画の惨状をその目で確かめるべく、自ら現地へと視察に赴いたという噂が中央区画を駆け巡っていた。
他国の王が直々に被災地へ動いたとなれば、迎賓や警護、外交的政治決断のために、城内の兵力や高官の大半が第一区画周辺へと忙しなく借り出されるのは当然の理であった。
「……愚者たちが暴れ回った余波が、こうも易々と我が道を切り開くとはな」
予期せぬ形で整えられた完璧なお膳立てに、ヴレイヴァは満足げに目を細める。
彼らにとっては命懸けの逃避行であり、必死の抗いだったのだろう。しかし運命の盤面においては、それすらもヴレイヴァを深部へと導くための必然的な布石に過ぎなかった。
薄暗い廊下の奥を見据え、ヴレイヴァは静かに足を前へ進める。
人の消えた無機質な城塞の中を、ただ一人、世界の導きに従う死神が滑るように深部へと潜り込んでいった。
人の気配が途絶えた回廊を抜け、ヴレイヴァは地下へと続く長い螺旋階段を降りていく。
降り進むごとに、空気は冷気を帯び、重たく湿った異様な匂いが漂い始めていた。やがて足音が途絶えた先――建物の最深部と思われる地下大空間へ辿り着く。
そこに鎮座していたのは、圧倒的な存在感を放つ鈍い銀色の硬質な金属――鉄とも鋼とも違う、滑らかな質感を覆わせた巨大な構造体。角ばった箱のような部分もあれば、太い管のようなものが複雑に絡み合い、幾重にも連結されている。その表面には、紋様や柄のような装飾すら一切見当たらない。
魔呪綴でもなければ、古代の遺跡にあるような石造りの物でもないもの。
精巧に、寸分の狂いもなく組み上げられた異質な塊。
「……ほう。これが、な」
ヴレイヴァは口元に薄い笑みを浮かべた。
運命の導きが指し示す装置を前に、戯れに興じる猶予すら不要と判断する。
「刹那の時で終わらせるとしよう……『独自魔呪』――」
腕を掲げ、魔呪綴を綴ろうとしたその瞬間――背後から、静かに忍び寄る気配があった。
カツン、カツンと、硬い靴底が不規則なリズムで石造りの床を叩く音が響く。
ヴレイヴァが緩やかに視線を巡らせると、暗がりから一人の男が姿を現した。
細身の身体に仕立てのいい聖職者の法衣を纏い、目元には薄い眼鏡。深々と被った円筒形の帽子が、地下の不気味な光源に影を落としている。一見すれば、ただの穏やかな司教の佇まいだった。
「……こんな暗がりの深部で、一体何をなさっているのかなー?」
男は眉のあたりを指先で掻きながら、のらりくらりとした独特のイントネーションで語りかけてくる。その眼光は少しも笑っておらず、油断なくヴレイヴァの佇まい、そして掲げられた手元を見定めていた。
「路傍の影が何事かと問うか。我が歩む道に立ち塞がるには、いささか分不相応な問いだな」
「……誤魔化し方が少々お上手ではないねー。侵入者として首を差し出す気がないのなら、こちらも相応の対応を考えねばならないのだがー」
男は眼鏡のブリッジを押し上げ、貼り付けたような笑みを深める。漂う殺気を隠そうともしない警戒が、地下の空気をさらに研ぎ澄ませていく。
ヴレイヴァは鼻で小さく嗤うと、背後の金属塊へちらりと視線を向けた。
「愚教徒め。貴様……『操律教』の徒か?」
「おや……? それが今、ここで何か関係があるのかなー? 迷い込んだ子羊君」
「関わりが大いにあるとも。……あそこに転がっている不格好な鉄の偶像も、貴様らが拝む神とやらからの贈り物か?」
「部外者にペラペラとお喋りするほど、私たちの戒律は緩くなくてねー」
男はのらりくらりとした口調を崩さぬまま、すっと姿勢を正す。
「立ち入ってはならぬ領域に踏み込んだ罪は重い。でも……ただちにここを去るというのなら、貴方のような憐れで迷える子羊にも、我らが神、『操律神』は寛大なる『救い』を差し伸べまーす」
その言葉に含まれた歪んだ響きを、ヴレイヴァは見逃さなかった。
「……クッ」
ヴレイヴァは前髪の隙間から眼光を滑らせ、低く吐き捨てた。
「都合よく記憶を削ぎ落とし、虚飾の平和を塗たくることを『救い』と騙るか。誇りすら奪うその程度の御業が救済だというのなら――貴様らの奉る神とやらも、随分と矮小で底が知れた存在だな」
「…………」
男の薄笑いが、瞬時に凍りついた。
のらりくらりとした口調が姿を消し、眼鏡の奥の細められた瞳に、静かだが苛烈な殺意が宿る。
「……撤回したまえ。我らが神を愚弄することは、この場で肉を削がれることと同義だぞ」
「言いたいことは言えたか? 狂――」
ヴレイヴァが次の軽口を唇に乗せようとした、まさにその瞬間だった。
「――やれ、マオーフ」
男の短い呟きが地下の空気を切り裂く。
ドッ、と激しい打撃音が地下空間に鳴り響いた。
ヴレイヴァの視界が横へと一気に吹き飛ぶ。左側面の空気が凝縮し、巨大な質量となってヴレイヴァの側頭部と肋を同時に押し潰したのだ。認識が追いつく前に、ヴレイヴァの身体は弾丸のような勢いで投げ出され、数丈先の分厚い石壁へと叩きつけられていた。
激しい落石の音とともに煙塵が舞い上がる。
壁に大きな亀裂を残し、ヴレイヴァはそのまま床へ崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった。
煙がゆっくりと晴れていく。
ヴレイヴァが先ほどまで立っていた場所に、一人の女が降り立っていた。
腰まで伸びた粗雑な長髪に、岩石を削り出したかのような厳めしい顔つき。法衣の上からでもわかる異常なまでに発達した肉体を誇るその女――マオーフは、感情の失われた眼差しで打ち捨てられたヴレイヴァの身体を見下ろしていた。
「……これで良かったんですか? ヌシル司教」
マオーフの感情の消えたような声に、司教――ヌシルは胸の前で手を組み、溜め息混じりに肩をすくめてみせる。
「仕方なーいじゃないか。我らが理想郷の秘密に触れた上、我らが神を無知ゆえに愚弄したのだからねー。……あ、そこの死体、後で例の場所に処理しておいておくれー」
「承知しました」
短く応じ、マオーフは処分に取りかかるべく、崩れ落ちたヴレイヴァへと向かって無造作に歩み寄る。
――その時だった。
瓦礫の影で、突伏していたヴレイヴァの口元が、歪に釣り上がった。
「ッ……!?」
直感的な悪寒に、マオーフの全身の毛髪が逆立つ。
血の気が引くほどの明確な死の兆候。死体だと思っていた男の、隠されていない目から、爛々と狂気を孕んだ眼光が覗いていた。
「な――」
一瞬。
ヴレイヴァが不自然な速度で上体を跳ね起きさせ、右腕を振るった。
大気が爆ぜる音。その袖口から解き放たれたのは、しなやかにしなる漆黒の帯――怪異の如き黒鞭であった。
マオーフの反応は尋常ではなかった。瞬時に両腕を交差させ、肉体を硬質化させて前面を固める。直後、ガキンッ!と金属が打ち合わさるような狂暴な硬衝撃がマオーフの腕を襲った。
だが――攻撃は、そこだけでは終わらない。
「そんな、ぁ……っ!?」
正面で攻撃を受け止めたはずのマオーフの口から、苦悶の声が漏れた。
腕の皮膚が裂けたのと全く同時に、マオーフの背中――一切の接触すらなかったはずの背衣が大きく引き裂かれ、深い斬線から鮮血が吹き出したのだ。
「な……なに、をくらった……!?」
衝撃に目を見開くマオーフへ、ヴレイヴァは追撃の猶予すら与えない。
嘲笑を浮かべたまま、再び腕を高速で振り抜く。
しなる黒鞭。
マオーフは瞬時に左肩へ意識を集中させ、防御の姿勢を取ろうとした。しかし、マオーフの視界が捉えた鞭の軌道が肩へ届くよりも速く――ズサッと、不条理な切断音が二つ重なる。
――マオーフの左肩が裂けた。
そして、全く別の部位――何ひとつ攻撃の届いていないはずの左足の太腿にまで、肉を断つ深い傷が刻まれていた。
防御のタイミングも、攻撃の軌道も、受けるダメージの部位すらも、ことごとく物理の理から逸脱している。
「……どうした? 司教の傀儡め」
膝をついたマオーフを見下ろし、ヴレイヴァは傷ついた首を首骨の音を立てて鳴らした。その腕から這い出る黒い影が、生き物のように蠢いている。
「我が魔呪綴の理、貴様らの浅薄な経験則で測れるとでも思ったか?」
漆黒の帯――怪異の如き黒鞭が、物理的な余韻を残さず、滑らかにヴレイヴァの袖口へと引き込まれ消えていく。
血を流し、膝をついたまま呼吸を乱すマオーフは、眼前で不敵に立つ男を凝視していた。肉体の屈強さも、磨き上げた戦術も、何ひとつとして機能しない理不尽。その異様な圧迫感に、マオーフの背筋を冷たい悪寒が駆け抜ける。
「……貴様、何者だ……!?」
掠れた声で問い詰めるマオーフに対し、ヴレイヴァは一瞥すら与えず、ただ一度鼻を鳴らし切り捨てた。
「貴様のごとき傀儡に、我が名を語る道理などない」
その言葉に乗せられた絶対的な底知れなさに、マオーフの肌がゾワリと粟立つ。先ほど壁へ叩きつけた時のただの侵入者とは、醸し出す存在感の質そのものが違っていた。
沈黙を守っていたヌシルが、ゆっくりと眼鏡の奥の細い目をさらに細める。貼り付けたような笑みの中に、隠しきれない疑念と興味を混ぜ込みながら、のらりくらりと口を開いた。
「おやー……? 不思議なこともあるものだねー。迷える子羊君……君は本当に、先ほど私と言葉を交わしていた者と『同じ者』なのかーな?」
ヌシルの言葉には、鋭い観察眼と含みが潜んでいた。急激な豹変、そして物理法則を無視した異様な魔呪綴。目の前に立つ男の内側に、何か別の怪異が蠢いていることを察知したかのような問いかけであった。
だが、ヴレイヴァ――その瞳の奥で爛々と導きの光を宿す者は、ヌシルの問いを意に介さず、視線を背後の巨大な金属構造体へと戻した。
「……戯言は不快だ。我が求めるのは、ただこれのみ」
静かに金属塊へ手を差し伸べるヴレイヴァ。その無造作な動作に、ヌシルは静かに眉根を寄せた。
「ふむ……困ったねー。その機械は、我が神より授かりし至宝。どれほど異様な力をお持ちであろうと、部外者に好き勝手させるわけにはいかないのだよー」
「勘違いも甚だしいな」
ヴレイヴァは心底くだらなそうに首を振ると、視線すら合わせぬまま、嘲笑を含んだ声でヌシルの言葉を切り捨てた。
「神より授かりし至宝だと? ……笑わせるな。ただの無機質な鉄の塊を神の威光と信じ込み、崇めているだけの豚が。貴様らが奉る神とやらも、その程度の玩具しか与えられぬほど落ちぶれていると見える」
「……言わせておけば」
ヌシルの唇から、のらりくらりとした語尾が完全に消え失せた。
ピシリ、と眼鏡の奥で血管が浮き上がる。貼り付けたような薄笑いは影を潜め、その顔に張り付いたのは純粋な殺意の塊だった。偶像を、そして信仰する神を徹底的に踏みにじられた激憤が、司教としての理性を容易く塗り潰していく。
「死ね……マオーフ!! 今すぐその男の肉を削ぎ落とし、首を跳ねろッ!!」
ヌシルの叫びを受け、膝をついていたマオーフの肉体が躍動した。
複数箇所から血を吹き出させながらも、その瞳には怨念じみた執念が燃え盛っている。歯を食いしばり、骨が軋むほどの踏み込みで石畳を砕きながら、地を這うようにして立ち上がる――。
だが、その執念の跳躍が完了することはなかった。
「部族魔呪綴――『不安樹の弔い』」
言葉が綴り終わるのと同時。
ヴレイヴァの袖口から這い出た黒鞭――否、黒い樹木の枝が、しなりながら、空間そのものを切り取るか超速で閃いた。
肉が断たれる重厚な音など、存在しない。
ただ、不条理な切断の結末だけがその場に現出する。
空中へと跳び出そうとしたマオーフの肉体から、一瞬で両脚が付け根から吹き飛んだ。
そして間髪置かず――一切の抵抗を許されぬまま、マオーフの首が胴体から綺麗な円を描いて離脱する。
「は……っ」
声にすらならない気泡が口元から漏れ、マオーフの頭部が石畳の上を転がった。遅れて、宙に浮いたままだった胴体と吹き飛んだ両脚が床に激突し、大量の鮮血を撒き散らして物言わぬ肉塊へと変わり果てる。
圧倒的な殺戮の完了まで、わずか一瞬。
床を赤く染め上げる血の海の中、黒枝を静かに収めたヴレイヴァは、呆然と固まるヌシルへとゆっくり視線を向けた。
「……『不安樹の弔い』……? お前、まさか『弔人』か!?」
床に広がる血の海と転がる肉塊を見つめ、ヌシルが声を絞り出した。
『弔人』――数百年前に全滅したはずの、異様な秘術で暗殺を業とした幻の部族。その絶滅したはずの技が、なぜ目の前の男から覗いているのか。
「……否だ。我が身に流れる血は、そのような生易しいものではない」
「では、なぜそれを――」
「貴様に教える道理はない」
「――ッ!!」
静絶なまでの重みが地下空間を支配する。
そこまで至り、ヌシルはようやく理解した。自分の立つ状況を。自身の傲りを。目の前に立つ怪物は、交渉も威嚇も通じぬ次元にいるのだと。膝の震えが止まらなくなり、メガネを直す手すら激しく痙攣するように揺れる。
「た、助けてくれ! 頼む、命だけは……! 私は司教だ。金でも権力でも、望むものを何でも用意するッ!」
無惨に命乞いをする男を見下ろし、ヴレイヴァは振り上げかけた右腕を、ふっと静かに下ろした。
「さっきまでのふざけた喋り方はどうした? まぁいい……答える内容次第では、一瞬の慈悲を与えてやろう。この鉄塊をどこで見つけた?」
「それは……数年、いや十数年前、モフササフ様がどこからか持ち込まれたものだ。だから元々どこにあったのか、私には……分からない」
「……ならば、これの機能をどこまで把握している?」
「記憶を消去……いや、書き換えるための装置だということだけだ。それ以上は何も――」
「記憶の書き換えのみか……。やはり、完璧に使いこなしているというわけではないようだな……。まぁいい、それで『結界』についてはどうだ」
ヴレイヴァの低い問いに、ヌシルはびくりと肩を跳ねさせた。
「知っている。この都市国家ユカラディピアは、全域に巨大な『結界』を張り巡らせている……。そして、『結界』の内側にいる者は常にこの機械の影響下に置かれ、記憶を操作され続ける……それは確かだ」
「ほう。それは理解していたか……これもモフササフとやらの口からか?」
「そ、そうだ。モフササフ様から伺った。間違いない」
必死に頷くヌシルを余所に、ヴレイヴァは思考を巡らせる。
頭裏に浮かぶのは、先刻第一区画で目撃した、あの『結界』のひび割れ――空の崩壊だ。あの金髪の魔族が暴れ回った衝撃で、都市を覆う『結界』の精度はすでに限界を迎えている。放っておいても、いずれこの偽りの平穏は崩落するだろう。
「……だが、これが他者の手に渡るのは少々都合が悪いな」
舞台装置としてはあまりに異質。人族に与えるにしては――否、魔族や呪族に与えるものとしても、不純物が過ぎる。
「……何故、そんなことを知りたがるんだ……? 答えたんだから、命だけは――」
縋るような視線を向けてくるヌシルへ、ヴレイヴァは心底不快そうに目を細めた。
「死者に教える道理はない」
「――ッ!?」
「部族魔呪綴――『不安樹の弔い』」
命乞いの叫びすら途中で途切れ、一閃の黒枝が地下の空気を断ち切る。
ヌシルの首が綺麗に胴体を離れ、壁際へと転がっていった。
静寂が取り戻された地下大空間。
赤く濡れた床を踏みしめ、ヴレイヴァは鈍い銀色を放つ巨塊の前に佇んだ。
寸分の狂いもなく接合された不気味な鉄の皮膚に、ゆっくりと細く長けた指先を彷徨わせるように這わせる。ひんやりとした無機質な冷たさが、皮膜を通して伝わってきた。
この歪んだ都市を閉じ込め、人々の記憶を弄び続けてきた偽りの心臓。
それを見ながら、ヴレイヴァは薄い唇を吊り上げ、暗がりの中へとなだらかに右腕を掲げた。
「これでまた、貸しが一個増えるな、ファイ・ニアス」
闇の中で、ヴレイヴァは深々と微笑んだ。
――ズ――――――ッ!!!!
中央区画の最奥で、地下の空気を全て押し潰すような、莫大な破砕音が一度だけ響き渡った――。
これにて第三章は完結となります。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます!
次なる物語、四章の幕開けは 11月8日 となります。




