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ロスト・リビルダー ―忘却の罪―  作者: げこきち
三章 呪いを孕む樹海
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死線に立つ者


「――成功したか」


 タフノティシィの低く掠れた声が、吹き荒れる白に溶けて消える。

 直後、地を揺るがす咆哮とともに、円周を描くようにして巨大な氷の棘が爆ぜ生えた。

 無数の氷柱が鋭利な牙となって大地を深く穿ち、二人を取り囲む絶壁の城壁を形成する。さらにはその上空から、視界のすべてを覆い尽くす猛烈な氷の嵐が吹き荒れ、天と地を完膚なきまでに遮断した。


『……っ!?』


 迫りかけていた魔獣が、踏み出しかけた前足を反射的に引き戻す。

 紫の呪いが、激しさを増す冷気に押されて威勢を削がれていく。異形は凶悪な眼光を鋭くさせ、己を取り囲む異様な結界を睨みつけた。


『これは……何だ……?』


 戸惑い混じりの呟き。

 だが、タフノティシィは応えない。

 地へと深く刺し立てていた巨剣を、力任せに引き抜く。

 体内の綴力《グラフィー》は枯渇し、視界の端から意識が削れ落ちていく感覚がある。けれど、全身の骨が悲鳴を上げる中で、その瞳だけが燃え上がるような熱を宿して魔獣を一直線に見据えていた。


「ハァッ……!!」


 踏み込み一閃。

 タフノティシィの巨体が、極寒の嵐を切り裂いて肉薄する。

 魔獣も即座に反応し、その膨大な殺意とともに『呪刀《じゅとう》』を構え、迎え撃つべく地を蹴り跳んだ。

 正面衝突――その直前。


 ガキンッッ!!


『なんだと?』


 魔獣の死角――その足元の大地を突き破り、氷の棘が槍となって跳ね上がった。

 一瞬の差で『呪刀《じゅとう》』の刀身を滑らせ、弾き飛ばす魔獣。だが、追撃は一頭にとどまらない。


 ズバッ!ズガガガガッ!!


 二本、三本、十本――周囲の吹雪と同化するようにして、無数の氷の棘が意思を持った生物のごとく群がり、魔獣の肉を穿たんと狂乱の刺撃を繰り出す。


『鬱陶しい罠を……!』


 魔獣は跳躍し、連撃の渦から脱出しようと上空へ逃れようとする。

 だが、上空を覆う氷の嵐は、立ち入る敵を削り刻む猛烈な刃の渦だ。触れただけで肉が凍てつき、刃のごとき風圧に叩き落とされる。


『逃げ場はない……か……』


 異形が戦慄とともに理解する。

 これこそが、タフノティシィの持つ『三源觸《さんげんしょく》』――その真の威容。

 単一の物事に特化した必殺型とは異なる、領域型の全貌。

 一度発動すれば、この空間そのものがタフノティシィの絶対的な領域と化す。

 外への脱出を阻む極寒の嵐。そして、領域内に足を踏み入れた侵入者を、全方位から半永久的に自動で穿ち続ける無数の氷の棘。相手がどれほど神速の乱撃を誇ろうと、この空間にいる限り、無尽蔵に湧き出す棘の対処に追われ続けるのだ。


「そこだ――っ!!」


 無数の棘を必死に弾き、体勢を崩した魔獣の隙。

 タフノティシィはその絶好の瞬間を逃さず、死力を振り絞って肉薄していた。

 全身の体重、残された全命脈を巨剣にのせ、渾身の一撃を叩きつけんと振りかぶる。


『面白い、受けて立とう』


 無数の棘が肉を穿ち、魔獣から液体が撒き散らされる中、魔獣は退くどころか前へ踏み込んだ。

 体勢は崩れ、四肢には深々と氷の棘が突き刺さっている。にもかかわらず、その濁った瞳に宿るのは圧倒的な獰猛さのみだ。


 ドゴォンッ!!


 降り下ろされたタフノティシィの巨剣と、魔獣の『呪刀《じゅとう》』が真っ正面から噛み合わさる。

 凄まじい衝撃波が極寒の大気を揺らした。


「ハァアァァァァァァァァアっ……!!」


 タフノティシィは歯を食いしばり、腕の筋を断ち切らんばかりの力で巨剣を押し込もうとする。全身の体重、残された生命のすべてを叩きつけている。間違いなく、腕力も踏み込みもタフノティシィが上回っているはずだった。


「くっ……!」


 だが――押し切れない。

 相変わらずの異質な手応え。

 『呪刀《じゅとう》』から伝わってくるのは、質量を超越した不気味な重さと軽さの矛盾だ。どれほど力を込めようと、その圧倒的な重圧に阻まれ、刃は一寸たりとも前に進まない。まるで、世界そのものの硬度に刃を立てているかのような不条理。


『見事な策だ。だが、地力の差までは埋まらん!!』


 魔獣が咆哮する。

 背後から、側面から、大地を破って迫る無数の棘。それらが魔獣の背を、脇腹を、腿を容赦なく穿ち抜く。肉の裂ける鈍い音が響き、血飛沫が凍りついて宙に舞う。

 しかし、異形はその激痛すら戦意へと変えてみせた。

 刺さり続ける棘を無視し、身を肉削ぐ痛みに晒したまま、魔獣は強引に踏み込んでくる。

 タフノティシィの懐――無防備な防御の内側へ。


「――がっ……!?」


 冷や汗が吹き飛ぶ。

 目の前に迫る、紫の呪気を撒き散らす死の刀身。


 ズバッッ!!


 躊躇のない一閃が、タフノティシィの胸元から斜めに一気に切り刻む。

 肉が裂け、骨が鳴り、凄まじい血飛沫が白銀の世界を赤く染め上げた。

 圧倒的な質量の刃が巨体を叩き伏せ、タフノティシィの身体が斜めに大きく跳ね踊る。


『――素晴らしい。死線の中でここまでの威容を形作るとはな』


 肉を刻まれた棘の痛みに全身を震わせながらも、魔獣は口元を歪め、目前の男を賞賛するように低く嗤った。

 そして、そのまま留めを刺さんと動こうとした――その瞬間。


 ズガッ!!


 魔獣の頭部、その眉間を穿とうと、極大の氷の棘が背後から迫る。

 死角からの確実な一撃。寸分違わず異形の頭蓋を叩き割るはずだった。

 寸前――あと数ミリというところで。


 ピキィン……ッ。


 棘が、ピタリと動きを止めた。

 次の瞬間、先端からさらさらと透明な粒子となって空中に崩れ去っていく。


『……なに?』


 魔獣が目を見開く。

 棘だけではない。二人を取り囲んでいた白銀の城壁も、天を覆い尽くしていた猛烈な氷の嵐も、潮が引くように一瞬で霧散していく。

 吹き荒れていた極寒が嘘のように消え去り、静寂だけがその場に取り残された。


 ……ドサッ。


 地に叩きつけられたのは、胸を深く切開され、全身から血を流すタフノティシィの身体だった。手から滑り落ちた巨剣が、無機質な音を立てて転がる。


「……身体、が……」


 視界が急速に黒く染まっていく。

 決死で張り巡らせた領域の維持。体内に残されていた微量な綴力《グラフィー》すら完全に底を突き、三つの源の重なりが維持できなくなったのだ。


「……やはり……不完全……」


 かすれた呟きとともに、タフノティシィの瞼が重く落ちていった。

 胸の激痛に顔を歪めながら、タフノティシィの口から血の泡が溢れ出す。


「……ここまで、か……」


『――引き際を誤ったな』


 血を吐き出しながら嗤い、魔獣がゆっくりと『呪刀《じゅとう》』を持ち上げる。

 無防備に横たわるタフノティシィの首元へ、紫の呪気を纏う刀身が狙いを定める。万全の体勢で放たれる、死の一撃。


 ――その時だった。

 崩壊した領域の残骸――白く煙る極寒の霧の奥から、静かな足音が響いた。


 ザッ、ザッ、と。


 氷片を踏みしめるような重い足取り。

 激しい吹雪が嘘のように失われた静寂の中、その音だけが不気味なほど鮮明に戦場へ通り抜ける。


『……誰だ』


 魔獣が鬱陶しそうに眼光を向け、刀を止めた。

 霧が、ゆっくりと揺れて割れる。

 姿を現したのは、全身傷だらけの男だった。

 破れた服から覗く皮膚は泥と返り血で黒く汚れ、申し訳程度の応急処置をした箇所からは今なお朱色の液体が滲み出している。立っていることすら不自然なほどの満身創痍。


 しかし――その歩みには、一切の躊躇がなかった。

 薄っすらと立ち込める白い煙を背に追いながら、男は片手で短剣の柄を固く握り締めている。

 視界を塞ぐ血を拭いもせず、ただまっ直ぐに、目の前の異形だけを射抜く眼光。死線の果てで研ぎ澄まされたその左目には、恐怖も、焦燥も、何ひとつとして残っていない。ただ、静かな殺意と、譲れぬ覚悟だけが黒く澄んでいた。


「――待たせたな。ここからは、俺がお前を刻む番だ」


 掠れた低い声が、静寂を切り裂く。

 ファイ・ニアスが、一歩を踏み出した。

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