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ロスト・リビルダー ―忘却の罪―  作者: げこきち
三章 呪いを孕む樹海
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白銀の誓い

 一歩、足を踏み出そうとした膝が折れる。

 指先ひとつ、届かない。伸ばした手の先で、ファイの背中が遠ざかっていく。

 必死に息を吸い込もうとした――その瞬間。


 ――ドクン、と。


 胸の奥深く、魂の底に沈んでいた何かが、熱い鉄杭で爆ぜた。


「……え……?」


 激痛ですらなかった。

 それは、水底で途切れていた記憶の重い鎖が、音を立てて繋ぎ直される感覚。

 脳髄を焼き尽くしながら、見覚えのないはずの光景が、共に過ごしたかけがえのない時間が、圧倒的な濁流となって溢れ出してくる。


 ――「あれ見てよファイ!美味しそうなアイス屋さんが出てるわよ。属性検査が済んだら、お祝いに買ってよね!」


 ――「ファイが自分の記憶を探すためにユカラディピアへ行くなら――私を、一緒に連れて行ってほしいの。私も、自分の目的のために進みたい」


 ――「置いていかれる方が、百倍嫌よ!」


 要塞都市での出会い。陽だまりのような温もり。

 皆のためにボロボロになったファイの、血の匂い。


 ――知っていた。


 妄想でも狂人の戯言でもない。

 何も分からない世界で、傷つきながらも進んだ人。リシェラを目覚めさせてくれた大切な人。そして、命を賭けてまでリシェラを助けてくれた人。それを。リシェラは。リシェラたちは――


 ――「何を……あなたは何の話をしてるの?」


 ――「もしふざけてやってるなら、こんなことは二度としない方がいいと思うわ。世の中どんな人がいるか分からないから」


 ――「……知ら、ない。知らないわ。もう、やめてください。こんな嫌がらせ」


 リシェラが向けた、刃物よりも鋭い拒絶。

 それが鋭い破片となって、リシェラの胸を内側からぐちゃぐちゃに抉り刻む。

 激しい嘔吐感が突き上げ、喉からヒッと掠れた声が漏れた。

 忘れていたのだ。温もりを。優しさを。この人(ファイ)を。

 あんな残酷な言葉で追い詰め、孤立させ、死の淵に追いやりながら――それでもファイは、最後の一滴まで命を燃やして、リシェラたちを守るために笑った。


 ――「――ありがとう」


 あの笑顔には、恐怖すらなかった。


「ぁ……あ……っ、ぁ……」


 呼吸の仕方を忘れたように、喉の奥が小さく痙攣する。

 視界をぐちゃぐちゃに濡らす涙と、胸が張り裂けそうな痛みが、全身を侵食していた。


 嫌だ。

 こんなの、あまりにも残酷で――あまりにも、身勝手すぎる。

 ファイは何も悪くなかった。嘘なんてついていなかった。

 リシェラたちを守るために傷つき、ボロボロになりながら、ただ言葉を届けるために必死だった。

 それなのに――冷たい目で射ち抜き、不審者を見るように突っぱねて、ファイの歩んできた居場所も、注いでくれた温もりも、その存在すべてを言葉の刃で切り刻んだ。

 どれほど傷ついただろう。どれほど、一人で暗闇を彷徨っただろう。

 謝らなければいけない。


 「ごめんなさい」と。私を見てほしいと。たとえどれほど憎まれても、許されなくても、ファイの足元に縋りついてでも伝えなければいけないのに。

 話したいことも、聞きたいことも、届けるべき想いも――山ほど、山ほど残っているのに――それを全部、ファイの犠牲と優しさの中に置き去りにして。

 自分だけが守られた者として綺麗に生き残るなんて――そんな絶望、死んでも背負いきれるはずがない。


「置いていかないで……っ!私に……私に、ファイと同じ……っ!!」


 血の味のする吐息とともに、絞り出すような声が漏れる。


 ――ッッッ―――!!


 大気が、静かなる爆鳴を上げて跳ね上がった。

 それは、これまでの静謐で洗練された魔呪綴《スペル》などではない。

 リシェラの胸を押し潰す後悔。喉を焼き切る切望。そしてファイを二度と失いたくないという、あまりにも一途で、あまりにも狂おしい執着。それらが魂の底で澄み渡る白銀の濁流となり、リシェラを中心に吹き荒れた。

 世界を揺らす圧迫感。リシェラの身体を渦巻く綴力《グラフィー》が死地に立ち込める不快な血臭を力任せに吹き散らす。


 届かないかもしれない。足を引っ張るだけかもしれない。

 リシェラが向けた言葉のナイフは、きっと今も、ファイの胸を刺したままだから。


 ――だけど。


 このまま綺麗に守られて殺されるくらいなら、嫌われてもいい、拒絶されてもいい。失った空白のぶんだけ、傷ついたファイの隣に這いずり回ってでも立ち続ける。

 突き放してしまった指先を、二度と離さないために――リシェラは、魔呪綴《スペル》を綴る。


「独自魔呪綴《オリジナルスペル》!!『白銀の乱槍《シュトリオン・ランサー》』――ッ!!」


 天線が、空間が、世界そのものが静かに破断した。

 ただただ圧倒的な質量の純白の光が天から滲み出し、鋭利な槍の群れのように空間を埋め尽くしていく。


「そこを……どきなさいッ……!!」


 振り下ろされた振るえる両腕に応じ、無数の光槍が天空から一斉に爆進した。


 ――ズガガガガガガガガアアアンッッッ!!!!!


 それは射出というより、天そのものが落石のごとく叩きつけられた錯覚だった。

 無数に降り注ぐ槍のような光は、ファイへと群がろうとしていた魔獣の群れを容赦なく穿ち、その存在を浄化させる。

 直撃を受けた弱い魔獣は悲鳴を上げる暇すら与えられず、光の質量に押し潰されて塵すら残さず消し飛んだ。命拾いした大型の個体とて無傷では済まない。穿たれた白銀の光芒が肉体を内側から焼き焦がし、白煙と肉の焦げる惨烈な臭いが一瞬で戦場を支配する。


 地殻を削り取るほどの圧密な光の乱槍《らんそう》。

 あまりの威容と威圧感に、残された魔獣どもですら本能的な恐怖に気圧され、唸り声を上げながらわずかに後退した。しかし去るわけではない。赤く濁った眼光を死地にギラつかせ、異様な光景に身をすくめながらも、こちらをギラギラと睨みつけている。

 だが、今の不気味な静寂など、リシェラの視界には少しも入っていなかった。


「……ファイ……っ!」


 その名を呼ぶ。

 足が縺れ、服を汚しながらも、前だけを見つめて駆ける。

 あまりの光景に呆然と立ち尽くし、傷だらけの身体を向けたまま固まっている青年――ファイの元へ。

 二度と離さない。届かなかった指先を、今度こそその温もりに届かせるために、リシェラはなりふり構わず走り抜ける。


 そして――


 ガシッ、と。


「……っ!?」


 硬直していたファイの肩を、震える両手で掴み寄せる。

 そのまま崩れ落ちるように、ファイの傷だらけの胸の中へと頭から飛び込んだ。


 ――温かい。


 冷たくなりかけていた死地の中で、血の匂いとともに確かに脈打つ、ファイの体温。消えていなかった。間に合った。皆を庇って独りで消えていこうとした背中に、今度こそ、その手に届いたのだ。


「り……シェ、ラ……?」


 あまりの衝撃と、天から舞い降りた白銀の爆威。そして突然抱きついてきたリシェラの体温に、ファイの思考は完全に凍りついているようだった。呆然と見開かれた瞳が、ファイにしがみついて胸を上下させている少女を映す。

 伝えるべき言葉が、言わなければならない過ちが、喉の奥まで溢れ返っていた。


 「思い出したの」「拒絶してごめんなさい」「もう離れないで」――その全てを吐き出そうと、リシェラが途切れ途切れに唇を開こうとした、その瞬間。


『――グァアアアアアアッッッ!!』


 空気を振動させる生臭い咆哮が、静寂を切り裂いた。

 光の乱槍を浴びて退いていた魔獣どもが、焼き焦げた肉躯を激痛に痙攣させながらも、再び殺意をギラつかせてじりじりと距離を詰めてきている。白銀の光芒に焼かれた傷口から血を撒き散らしながら、目の前の獲物を喰らい尽くそうと赤い瞳を蠢かせていた。


 ――まだ、終わっていない。


 この地獄は、二人の間に横たわる後悔を語り明かす猶予すら与えてはくれない。

 リシェラはファイの胸からゆっくりと顔を上げた。

 涙に濡れた双眸に宿るのは、もう迷いも、揺らぎもない。


「……話は、後でしましょう」


 絞り出すような、けれど力強い声。

 リシェラはファイの横へ立つように一歩前へ踏み出すと、未だ熱を帯びる手のひらを、襲い来る死の群勢へと固く向け直した――

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