剣鎚
タフノティシィは柄に指をかけ、引きずっていた巨剣を無造作に土へと突き刺す。
ズゥン、と重苦しい地鳴りが足元を揺らした。
「俺は――『剣鎚』タフノティシィ・ホライズマン」
名乗り。
命を賭けあう敵に対する、あるいはすでに死線を踏み越えた者に対する、決別と覚悟の誓約。
次の瞬間、タフノティシィの身から爆発的な冷気が噴出し、周囲の落ち葉が一瞬で白く凍てついた。
「付与魔呪綴――『絶頂の刺枷』ッ!」
巨剣を起点に、波打つ白銀の尖角が地表を割って噴出する。
数十、数百という無数の氷の棘が、地を這う大蛇のように魔獣の足元へ群がり、その巨体を抉り穿とうと襲いかかった。
『――ナルホド』
魔獣の命を落としたような眼光が苛立ちに濁る。
残された右腕を一閃。ただの薙ぎ払いの一撃が爆風となり、襲い来る氷の槍の群れを力任せに粉砕、破片を飛散させた。
だが、その砕け散る氷晶の死角から、すでに間合いを詰めていたタフノティシィが肉薄していた。
「ぐあああああッ!!」
鋭い踏み込みとともに振り下ろされる巨剣。
魔獣は半壊した顔面を歪め、右腕でその刃を力づくで受け止めようとする。
硬質な激突音が響き、空間が微振動した。接点から火花と冷気が同時に弾け飛ぶ。
勢いが拮抗した――そう思われた直後、タフノティシィの口元が冷たく歪んだ。
「――甘い」
互いの筋肉が軋み合うゼロ距離で、タフノティシィは低く呪文を叩きつける。
「付与魔呪綴――『永氷の戦鎚』ッ!!」
刃の先から一瞬で冷気が凝縮し、巨剣の先端に超高密度の巨大な氷の塊が形成された。
その形状はまさに、全てを打ち砕く巨大な戦鎚。
「……沈め!!」
刀身に膨れ上がった超質量の氷塊を乗せ、横合いから全身の遠心力を乗せて叩き込む。
防御の姿勢をとっていた魔獣の右腕ごと、巨槌がその側腹部を豪快に捉えた。
ドォンッッ!!!!
肉が潰れ、骨が軋む不快な鈍音が森林に響き渡る。
魔獣の身体が横合いへと激しく吹き飛ばされ、太い幹を何本も折り折りしながら地面を転がった。
『ガ、アアアアッ!?』
吹き飛ぶその先――逃げ道となる地表から、あらかじめ仕掛けられていた無数の『絶頂の刺枷』の尖角がズバズバと突き出していた。
魔獣は宙で強引に身をよじり、追撃をかわそうと足掻く。
しかし、ズタズタに崩壊していたその体では、完全に軌道を逸らすことなど不可能だった。
ドスッ、ガキッ!!
太い氷棘が、魔獣の背中と太ももを深く貫通する。
咆哮を上げ、刺さった氷の槍を力任せに圧し折って脱出しようと、右腕を地面へ突き立てた――その瞬間。
頭上に、巨大な影が差していた。
「逃がすか」
氷の棘を足場にして跳躍していたタフノティシィが、空中で巨剣を逆手に構え直していた。
先端に生成された凶悪な氷塊が、再び冷気の残光を撒き散らす。
「――ッ!!」
振り下ろされた『永氷の戦鎚』の絶対的な質量が、突き刺さった氷棘ごと、魔獣の頭上を力任せに打ち据えた。
バガアアアッッ!!!!
氷が爆ぜ、肉が砕け、魔獣の体が氷棘の残骸もろとも、空高く跳ね上げられるように吹き飛ばされる。
打ち上げられた放物線の頂点で、半壊した巨体が重力に引きずり戻される。
ドズゥンッ、と泥と砕けた氷晶を巻き上げて地上へ落墜。衝撃で周囲の地表が激しく陥没した。
「ハッ……ハッ……」
荒い吐息を白い霧となって散らしながら、魔獣は破れた肢体に這うような力を込め、ゆるりと上体を起こそうとする。
歪んだ首骨を力任せに鳴らし、立ち上がろうとした――その一瞬。
ガキィンッッ!!
『ガ、アッ……!?』
地表の影から無音で這い上がった『絶頂の刺枷』の白銀の尖角が、容赦なくその四肢と胴体を穿ち抜いた。
膝を砕き、肩口を貫き、胸腔を深く刺し縫う。
起き上がろうとした一瞬の隙を逃さぬ罠。血と混ざり合った凍土の棘が、逃げ場を完全に奪い去る。
身体を固定され、指一本動かすことすら叶わない。
完全な無防備。完全な隙。
頭上を仰げば、すでに滞空の頂点へと達したタフノティシィがいた。
逆手に構え直した巨剣。その先端には、先ほどを遥かに凌ぐ超高密度の氷塊が膨れ上がり、周囲の大気を歪めるほどの超質量を宿している。
死が、落ちてくる。
逃げられぬ絶望の杭として、タフノティシィの全存在が肉迫する。
――けれど。
全身を氷棘に穿たれ、退路を断たれたはずの魔獣が、削げ落ちた右半顔の肉芽を奇妙に蠢かせ、その破れた口腔を、歪な形へと釣り上げた。
薄汚れた濁眼に冷酷な暗光を宿し、迫り来る死を前にして、魔獣は静かに――笑った。
『……ク、フ……フヒ、ヒヒッ……!』
死に瀕しているはずの口腔から、気味の悪い吐息混じりの爆笑が漏れ出す。
ズチチチッ!と、不快な肉の裂け音が響く。
魔獣は、己の胸や四肢を穿ち抜いていた氷の槍頭を、自らの骨肉ごと力任せに引きちぎり、拘束を強引に粉砕した。ダラダラと垂れ落ちる腐敗した血など、端から意に介していない。
そして――その肥大化した右腕が、半壊した腰元へと這う。
そこに括り付けられていたのは、使い古されたボロ布に包まれた、一振りの異形。
カチ、と布が払われ、剥き出しになった刃が覗く。
血に塗れた刀身。だが、その表面には、見る者の精神を汚染するような、どす黒く狂った紫の呪いがどろりと蠢いていた。
「……なんだと?」
落ちていく必殺の一撃の最中、タフノティシィの眼球が限界まで見開かれる。
抜刀の動作すら見えなかった。
次の瞬間には、振り下ろした『永氷の戦鎚』の巨大な氷塊と、紫の呪いを纏った一振りの刀が正面から衝突していた。
バツンッッ!!!!
弾け飛んだのは、質量で遥かに勝っていたはずのタフノティシィの方だった。
衝突した瞬間に刀から放たれた『歪な紫の衝撃』が、氷塊の質量を概念ごと打ち消すように爆ぜ、彼の巨体を強烈な力で弾き飛ばす。
「ばかな……ッ」
物理的な力比べで勝てるはずがない。にもかかわらず、まるで目に見えない巨木の激突を受けたかのように、タフノティシィの体は宙で歪み、地上へ叩きつけられた。
凄まじい衝撃を死に物狂いで殺しながら、タフノティシィは巨剣の先端の氷塊を地面に粉砕させ、そのまま刀身を土へ深く突き立ててどうにか滑落を止める。
喉から血の味が込み上げる。だが、休む隙など一瞬たりとも存在しない。
ハッと顔を上げたタフノティシィの視界――そこには、弾き飛ばした勢いそのままに、間合いをゼロまで詰めていた魔獣の影があった。
紫の呪いが揺らめく刀が、首筋を刈り取らんと振り下ろされる。
終わりだ――そう思われた、まさにその刹那。
「付与魔呪綴――『風・刹・雷 雷刃』ッ!!」
横合いの木々を裂き、鼓膜を打ち破る落雷の如き咆哮が轟いた。疾走する青白い閃光。真横から魔獣の側頸部を目がけ、雷光を纏った一筋の刃が突撃する。
――ゼクフィスだ。
「よう、化け物。さっきはよくもコケにしてくれたなぁッ!」
腹から血を噴出し、怨嗟と怒りを吐き出しながら、ゼクフィスは狂ったように刀を振るう。
キン、ギィン、ガァンッ!
超スピードで繰り出される雷の連撃。だが、魔獣は表情一つ変えず、半壊した巨体を最小限に動かしてその全てを腰の呪刀で平然と受け止めてみせた。
――そして、四合目。
魔獣が刀身をわずかに捻ると、その表面の紫の呪いが、ぬめりとゼクフィスの刃へと巻きついた。
『――ウルサイ』
直後。
何が起きたのかすら分からなかった。
ただ魔獣が刃を打ち払っただけ。それだけで、ゼクフィスは骨を砕く重圧に押し潰されるように、勢いよく遥か後方へ吹き飛ばされた。
激しい打撃音とともに木々に激突し、動かなくなる。わずか一打。理不尽としか言いようのない一撃の威力。
地面を這うタフノティシィは、その異常な光景を冷や汗とともに見つめていた。
「……物理的な威力じゃない。……まさか、『呪刀』か……?」
『呪刀』。それは『魔剣』『呪剣』『魔刀』と並ぶ、世界に数本しかないと言われる名刀のことだ。
問われた魔獣は、腐ちかけた頸骨をゴキリと鳴らし、手に残る紫の余韻を確かめるように刀を見つめた。
『……サァ。コレガ、ナニカ、ナンテ……キョウミハ、ナイ』
濁りきっていた魔獣の眼光から、不快な苛立ちが消えていく。
代わりに立ち上ったのは、静まり返った絶望そのものの気配。森全体を支配していた不気味な圧力が、さらに一段、深く重く沈み込んでいく。
『ダガ……ミトメテ、ヤル。ココマデ、カラダヲ、削らレタノは……久しぶりだ』
滑らかに流れる言葉。
カタカナ混じりの拙い発話は消え去り、その声には底知れぬ理知と、絶望的な格の差が宿っていた。
『イノチを芽吹かせる者よ。褒美に……戯れは終わりだ。ここからは、本気で貴様らを殺してやろう』
紫の呪いを揺らめかせる刃を無造作に構え直し、魔獣はタフノティシィへ、ゆっくりとその一歩を踏み出した。




