呪い転じて吉となす
だが、その胸の奥に引っかかる妙な違和感をぬぐい去ることができない。
……何だ、この感覚は。
人理を外れたスピード、関節を無視した異様な動き、凶悪な魔呪綴。やつの戦力は間違いなく圧倒的だ。なのに、この戦闘にはどこか奇妙な単調さがまとわりついている。
『イ……、タイ……!』
気味の悪い呻き声とともに、砕けたはずのセニモの膝が、ミシミシと不快な音を立てて伸びる。
首筋から血を撒き散らしながら、化け物はゆっくりと、何事もなかったかのように立ち上がってくる。
「……嘘だろ、あの状態で立つのかよ……」
衛兵の一人が引きつった声を漏らす。
致命傷のはずの傷を負っても、その瞳から殺意は微塵も消えていない。消えてないどころか、再び俺たちを喰らい尽くそうと眼光を爛々と輝かせている。
「ファイ・ニアス……何か策があるのですか?」
隣に並んだエサマが、剣を構えたまま俺に問いかけてきた。その視線は化け物から一切逸らされていない。
「いや……まだだ。何かが見落としている気がするんだ……」
思考の糸が手繰り寄せきれず、悔しさで歯を噛みしめる。
エサマは短く息を吐くと、薄く首を振った。
「現状、この戦いで私たちが勝つ方法は、偶然の幸運を祈る運任せ以外にありません。……貴方に託します、ファイ・ニアス」
エサマはそう言い切ると、これまで惨状に呆然としていた衛兵たちへ素早く鋭い指示を飛ばした。
「全員、動ける者は武器を取ってください!あの化け物を一箇所に留め、円陣を組み、全方位から牽制して囲い込むのです!」
エサマの決死の叱咤にハッと我に返った衛兵たちが、震える脚に力を込めて駆け出す。
リシェラも、少し恐怖している顔のまま、再び魔呪綴を使おうと手を構える。
化け物を包囲するように、仲間たちが陣形を広げていく。
その間も、俺の頭の中では思考が狂ったように回転し続けていた。
何故だ……?何故化け物はこれだけのハイスペックを持ちながら、俺たちの防御を突き崩すだけの攻め方しかしない?何故さっきからずっと――
『……ズニノルナ!!』
セニモだったものが地面を爆砕させ、再び突進を開始する。
包囲陣を組もうとしたエサマたちの牽制を、狂暴な二振りの紫炎を纏わせた剣で強引に蹴散らしながら迫ってくる。
――やはり、正面からだ。
これだけの速度と異形の可動域があれば、俺たちの背後や側面へ一瞬で回り込んで奇襲することなど容易いはずなのに、化け物は頑なに、俺たちの視界の真正面からしか突っ込んでこない。
「絶対に食らってはいけません!」
エサマの叫びとともに、衛兵たちが必死に刃を交差させて襲い来る双剣を受け止める。ガガガァンッと苛烈な金属音が森に響き渡り、火花が周囲を照らし出す。
耐えている。仲間たちは必死に耐えて化け物の足を止めようとしている。
――だが、決壊は一瞬だった。
『ヒヒッ、マダマダ、アマイ!!』
強引な力任せの押し込みの直後、セニモの首がぎちぎちと不気味な音を立てて一足飛びに伸びた。
交戦していた衛兵の一人が反応する間もなく、その首元へと二振りの刃が真っ直ぐ突き刺さる。
ドッ、と激しい血飛沫が舞い上がった。
首を直接跳ね飛ばされた衛兵が、声もなく倒れ伏す。
正面からの、あまりにも無慈悲で力任せな殺戮。
噴き上がる赤黒い血を見ながら、俺の頭の中で、バラバラだった思考のピースが一気に噛み合わさった。
……待て。違う。そうじゃない……
――思い出せ。
最初、タフノティシィが受けた攻撃。
その後、俺が受けた攻撃。
そして、腹を貫かれた衛兵。
最後に、首を跳ねられた衛兵。
受けた攻撃が移動しなかった時と移動した時の違い。
考えろ。考えろ。考えろ。
この森全体を支配している、ダメージが他者へと転移する恐ろしい呪い。
この呪いは、化け物自身が発動させた魔呪綴の類じゃない。この森そのものに最初から仕掛けられている絶対的な環境のルールだ。
「そうか……そういうことか……」
カラクリが解けた。
この森の呪いの真実と、やつが頑なに隠していた絶望的な弱点が、今までの戦いからはっきりと脳裏に浮き上がってくる。
「エサマ!そのまま全員でそいつを引きつけてくれ!絶対に視線を外すな!」
俺は叫びながら、疾走を開始する。
「何か分かったのですか!」
「いいからやってくれ!そいつをその場に繋ぎ止めろ!」
エサマは一瞬目を見開いたものの、俺の意図を察して即座に剣を低く構え直した。
「全員、退かずに化け物の意識をこちらへ集中させてください!」
エサマの決死の叫びに合わせ、残された衛兵たちが死の恐怖を押し殺して武器を突き出す。
『ナニカ、オモイツイタ?ムダナアガキ、ダケドネ!』
セニモだったものが咆哮を上げ、再び正面からエサマたちへ襲いかかろうと足を踏み出す。
「私も、本気で行きます。――付与魔呪綴――『風斬纏』!!」
エサマの叫びとともに、その構えた剣の刃に嵐のような凄絶な風が巻き起こる。
緑白色の風刃を纏った一閃が、セニモの振るう紫炎の双剣と正面から激しく激突した。
ガガガガギィンッ!!
渦巻く風と激しい火花が周囲の草花を消し飛ばす。
人理を外れた化け物の力に対し、エサマは『風斬纏』の鋭利な風圧で攻撃軌道を強引に逸らし、間一髪でその狂刃を受け流す。
『イイコウゲキ、ダナ。エサマ!!』
首を奇怪な角度に曲げたセニモが狂わしく笑い、畳みかけるように二撃、三撃と刃を叩きつける。
エサマは歯を喰いしばり、風の刃で幾重もの受け流しを繰り出しながら、ギリギリの死線上で踏みとどまる。
「今だ……全員で押し込めぇッ!!」
引きつけられたセニモの隙を見逃さず、死の恐怖を跳ね除けた衛兵たちが一斉に雪崩れ込んだ。
突き出される数本の剣。
だが、異形の可動域を持つ怪物は、腕の関節をぎちぎちと逆方向に叩き折り、人間ではあり得ない角度からの紫炎でそれらを薙ぎ払う。
ドカァァンッ!!
「ぐあぁぁっ!?」
重厚な衝撃波とともに衛兵たちが一瞬で弾き飛ばされ、遠くへと転がっていく。
エサマの剣も紫炎の圧力を受けきれず、激しい火花とともに大きく弾かれ、その体制が大きく崩れ、転がる。
『ハイ、オシマイ!!』
勝ち誇る化け物の口角が耳の根元まで引き裂かれ、無防備になったエサマへ、二振りの狂刃が一直線に振り下ろされる――
――その、瞬間。
「――まだだ」
俺はエサマと化け物の直線上の隙間、セニモの目の前へと滑り込んだ。
『……ハ?』
突如視界に割り込んできた俺に、化け物の瞳が驚愕で見開かれる。
セニモの目の前に、俺。
そして、俺の背後に位置するのは――前傾姿勢のまま固まっている、化け物自身だ。
『カバッテル、ツモリ?』
信じる。俺の読みは、絶対に間違ってない……
「何を……してるのですか?」
エサマが困惑してるのが見てとれる。
だが、そんなのは今、どうでもいい。
俺は両手で短剣を順手に握り直すと、一切の躊躇なく、己の腹部へと深々と突き立てた。
ドスッ。
鋭い刃が己の肉を断ち切る感触。
――痛みは、ない。
刺さった瞬間の激痛も、溢れるはずの血も、俺の身体には一切生じなかった。
何故なら、全てのダメージと損傷が、呪いによって背後へ丸ごと転移したのだから。
ドッガァァァンッ!!
『ゴッ……ヤリヤガッタナ!!??』
直後、俺の背後に位置していたセニモの腹部が、内側から弾けるように四散した。
肉片と赤黒い血飛沫が盛大に四方へと飛び散る。
俺の短剣が突き刺さった深さと全く同じ、巨大な風穴が一瞬で化け物の腹へ穿たれていた。
二振りの紫炎が勢いよくかき消え、握られていた剣がカランと虚しい音を立てて地へ落ちる。
『ナゼ……ナゼダ、オレノ……オレノ、カラダガ……ッ!!』
「お前が怯えてた、この森の呪いだよ」
『ウンニ、マカセテ、ジブンノ、ハラヲ、サシタノカ……!?』
風穴の開いた腹を押さえ、赤黒い血を撒き散らしながら、化け物が声を絞り出す。
俺は無傷のまま短剣を持ち直し、視線を眼下へと向ける。
「それは違うな」
『フザケルナ……!オレガ……オレサマガ、コンナ、マヌケナ、ニンゲンニ……ッ!』
「これはダメージを無作為に飛ばすだけの呪いじゃない、だろ?」
『……ッ!』
今までの全てを思い出した時に引っかかったこと。それは、ダメージが転移する場所だ。あの時も、あの時も、あの時も、そして、今も。攻撃は全て――
「後ろにいるやつへ飛んだ。――つまり『誰かを庇おうとした者にダメージがいく呪い』って言った方が適切だな。仲間を庇うやつから順に殺すための、性根の腐った呪いだ」
『クッ……ガハッ……!』
「だからお前は怯えてたんだろ。自分が誰かの後ろにいる状態で攻撃すれば、その庇うためのルールが自分に跳ね返って自爆するから。だから正面からしか来られなかった。まぁ、多少は勘頼みなところはあったがな」
『キサ、マ……ッ!!タダデハ……タダデハ、シナ……ッ!!』
血反吐を吐き散らしながら、セニモの皮を被った怪物が死に際の発狂とともに残った片腕を持ち上げようとする。最後の悪あがきで俺を道連れにするつもりだったのだろう。
「往生際が悪いな」
俺は迷わず両手で短剣を握り直すと、刃先を自らの額へ向けた。
『ッ――!?』
その意味を悟った化け物の顔が、恐怖と絶望に引きつる。
「消えろ」
『フザケルナァァ!!』
一切の躊躇なく、短剣を己の額へと突き刺した。
刃が皮膚を断ち切る感触。
だが、痛みも、血の一滴すらも俺には訪れない。
ドッバァァァンッ!!
『ギャアアアアアアアアアッ!!??』
直後、化け物の頭部が内側から破裂し、赤黒い肉片と骨の破片が盛大に四散した。
脳天を一瞬で吹き飛ばされた肉塊が、ぐにゃりと崩れ落ちる。
静寂が、再び森を包み込んだ。




