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ロスト・リビルダー ―忘却の罪―  作者: げこきち
三章 呪いを孕む樹海
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ニセモノ


「――セニモ……お前、何の真似だ……!」


 血の匂いが、静寂を取り戻しかけていた森の空気を一瞬で塗り替える。

 膝から崩れ落ちた衛兵の死体と、そこから滴る赤黒い血。その渦中に立つ男の姿に、脳の理解が追いつかない。

 さっきまで俺たちの背中を守り、二振りの剣で魔獣の細腕を刻んでいた頼もしい仲間。

 だが、眼前で血塗れの腕を見つめるその男は、まるで雑草でも踏み潰したかのように無造作に、ゆっくりと首を傾けた。


「バレたか」


 セニモの口から漏れ出たのは、どこか他人事のような、ひどく軽薄な声だった。

 次の瞬間、その口元が不自然なほど左右へ大きく引き裂かれ、瞳から完全に光が途絶える。


「俺は、俺は、俺は、俺は、俺は、俺は、俺は、俺は――」


 壊れた機械のように同じ言葉を連呼しながら、セニモの頭部がガクガクと奇怪なリズムで揺れ始める。皮膚の裏側で何かが這い回っているかのように、顔面の肉が蠢き、歪んでいく。


『――オレハ、セニモ・パーティラノノ、カワヲ、カブッタ……ナニカ、ダヨ』


 鼓膜を擦りつけるような、人間のものではない二重の濁声。

 声帯を強引に引き千切って発声しているかのようなその異音に、ゾワリと全身の鳥肌が立ち跳ねる。


「な、なんだ……なんなんだよ、こいつ!?」


 叫んだのはザラオだった。俺を背中で跳ね上げた時の屈強な男が、顔面を蒼白にしてリシェラの前に割り込み、大身の斧を半乱乱に構えながら数メートル後ろへと飛び退く。

 リシェラも息を呑み、血の気を失った顔で手を構える。


 俺とエサマも瞬時に短剣を引き抜き、地を蹴って限界まで距離を取る。残された衛兵たちが激しい動揺とともに武器を構えるが、その手は尋常じゃないほど震えていた。

 全員が死の恐怖に跳ね起きる中、それはゆっくりと腕にこびりついた血を舐めとり、爛々とした眼光で俺たちを見回した。


『ヒドイナ。ナカマダロ?サッキマデ、イッショニ、タタカッタ、ナカマダロ……?』


 セニモの顔をした怪物が、心底不思議そうに首を九十度近く折り曲げ、歪んだ笑みを深めてみせる。

 親しげな言葉とは裏腹に、そこに含まれているのは生者に対する純粋な観察と悪意だけだ。胸の奥がざわめき、激しい怒りと吐き気が同時にこみ上げてくる。

 俺は手元の短剣を強く握り直し、刃先をその狂気へ叩きつけるように向けた。


「……お前は、誰だ……!?」


『オレ?イッタロ……。オレハ、セニモ・パーティラノ、ダヨ。オマエラト、イッショニ、マジュウヲ、タオシタ、タノモシイナカマ……ダロ……?』


 九十度折れ曲がった首の隙間から、人間の舌がねっとりと覗く。セニモの声帯を無理やり引っ張り回して絞り出しているような、引きつった二重の濁声。耳の奥を撫で回されるような不快感に、全身の毛穴という毛穴が激しく泡立つ。


「ふざけるな……っ。本物のセニモはどこだ!」


『ココニ、イルヨ……。ホラ、コノ、ニクモ、コノ、ホネモ、コノ、チモ、ゼンプ、セニモ・パーティラノ……。ヒヒッ、ヒヒヒ……ッ』


 話すたびに、喉の奥からグチュグチュと濡れた肉の擦れる音が漏れ出る。皮膚の裏側で無数の虫が這い回っているかのように、セニモだった顔面の肉が蠢き、瞳孔は死人のように開ききったままだ。

 直視しているだけで精神が削り取られていくおぞましさ。その時、隣に立つエサマが短剣を低く構え、鋭い声を搾り出した。


「……『幻生種《げんせいしゅ》』ですか」


『……ン?』


 エサマの言葉に、怪物の開ききった眼球がギギギと異音を立ててこちらを向いた。エサマは警戒を露わにしたまま、化け物から視線を逸らさずに言葉を重ねる。


「対象の肉体を奪い、その記憶ごと模倣して群れ(にんげん)に紛れ込む異形の魔獣……。いつから入れ替わっていたのですか?――いや、どうやって紛れ込んだのですか?」


『キヅイタカ?オレハ、サイショカラ、ニセモノ。セニモ・パーティラノハ、トックニ、シンデル』


 ぬちゃり、と口角が耳の根元まで裂け、血の混じった唾液がポタポタと泥へ垂れる。のらりくらりと核心を外し、俺たちの動揺をなぶり殺しにするような気味の悪い間。


「……目的は何だ」


 俺は一歩踏み込み、手元の短剣の刃先を突きつけた。


「俺たちを一人ずつ殺すつもりだったのか?それとも、何か他に目的が?」


『モクテキ……?ソンナ、タイソウナ、モノ、アルワケ、ナイ、ダロ。オレハ、タダ、クイタカッタ、ダケ。シンジキッタ……マヌケナ、カオヲ、ゼツボウニ、ソメテ、ヤリカッタ!』


 会話による情報引き出しも、時間稼ぎも無意味だと悟った。やつにとって俺たちの問いかけすら、恐怖を煽って肉を美味くするための前菜に過ぎないようだ。


『サテ、オシャベリハ、オワリ……ダ』


 ミシミシッと、セニモだったものの背骨が怪異な音を立てて大きく跳ね上がった。

 両腕の関節が逆方向へとメリメリ折れ曲がり、二振りの剣を握った手が、人間の可動域を完全に無視して異様な角度で天を突く。


『サア……ナカマゴッコ、ツヅケヨウゼ、ファイ・ニアス!!』


 ドォンッ!!


 足下を粉砕する重酷な踏み込み。

 セニモの皮を被った怪物が、人理を外れた速度で疾走し、二振りの狂刃を一直線に俺の首元へ振るいかざす――


「来ますよ!」


 エサマの切羽詰まった叫びと同時に、視界一面に血塗れの銀閃が弾けた。

 速い――なんてレベルじゃない。人体の可動域を完全に無視した出鱈目な踏み込みと軌道。かろうじて両手の短剣を交差させ、頭上から振り下ろされた二振りの刃を真っ向から受け止める。


 ガンッ――ガギィンッ!!


 重い。骨の奥まで激震が突き抜け、地にめり込んだ足下から鈍い衝撃が体内を駆け巡る。セニモの力に、バケモノ自身の異形な腕力が上乗せされている。

 歯を食いしばり、火花を散らしながら刃を滑らせて間一髪で首筋への一撃を逸らした。 

 そのまま間髪入れずに繰り出される二撃目、三撃目。短剣の短い間合いをフルに使って必死に刃を弾き、死線の上をギリギリで踏みとどまる。


「避けてください。ファイ・ニアスっ……!」


 そこへ、俺の右脇をすり抜けるようにしてエサマが跳び込んだ。

 鋭い踏み込みから放たれた剣の一閃が、化け物の無防備な側腹を深々と引き裂こうと走り――


 ガギンッ!


「やはりっ……!」


 セニモの首が、あり得ない角度で真後ろへと旋回した。関節を無視して逆方向に跳ね上がった左腕の剣が、エサマの刃を完璧に打ち払い、火花を撒き散らす。


『イイノカ……?オレニ、コウゲキヲ、スレバ、オマエラガ、キズツク、ゾ……?』


 耳の奥をねっとり撫で回すような嘲笑。

 その言葉の意味が脳裏に跳ね返ってきた瞬間、背筋に冷や汗が吹き出す。


「エサマ、下がれッ!」


 俺は叫ぶと同時に泥を蹴り、数メートル後ろへ跳び退いた。エサマも青ざめた顔で俺の意図を察し、即座に距離をとる。


 ――そうだ。この森には、呪いがある。


 誰かが負ったダメージが、そっくりそのまま他者へと転移する呪詛。

 もし……もしもセニモの身体がまだ人間としてあの呪いに認識されているのだとしたら。

 あの化け物の肉体を俺たちが斬り刻めば、その損傷は、巡り巡って俺やリシェラ、あるいは他の誰かの身を切り刻むことになる。

 だからこそ、やつは一切の防御を捨てて突っ込んできているんだ。


「セニモの身体が人間として判定されているなら、迂闊に攻撃すれば、俺らが苦しむことになる……」


 短剣を構え直す手のひらに、嫌な汗がじわりと滲み出していた。


『キヅイタカ……?オマエタチハ……マモルコトシカ……デキナイ!』


 俺とエサマが攻撃を躊躇した隙を見逃さず、セニモだったものがゲラゲラと狂った笑い声をあげた。

 歪んだ首が向いた先、そこにいたのは――


「っ、リシェラの方か!行かせ――」


『ソッチカラ……クイチラカシテ、ヤル!』


 音が爆ぜる。セニモは俺たちを無視し、死の針山となってリシェラと衛兵たちへ一直線に襲いかかった。


「調子に乗るなよ、化け物がぁぁぁッ!!」


 割って入ったのはザラオだった。

 全身の血を沸騰させたような咆哮とともに、巨大な大身の斧を上段からフルスイングで叩き下ろす。空気を切り裂く重厚な圧力が、化け物の進路を強引に塞いだ。


「駄目です、ザラオ!攻撃してはいけません!」


 エサマの切迫した叫びが飛ぶ。だが、ザラオは歯を剥き出しにしたまま、踏み込んだ足にさらに力を込める。


「構ってられるかッ!そうしなきゃ俺たちが殺されるんだよ!最初にこいつが衛兵を貫いた時、俺たちにダメージは移動しなかった!なら、こいつ自身にダメージが通るまで叩き潰すだけだろ!!」


 無謀だが、理屈の通った判断だった。

 だが、関節を無視した異形の動きは、ザラオの力任せの剛腕の上をいっていた。

 振り下ろされた斧の側面を、二振りの剣先が滑るように叩く。最小限の軌道修正で斧の威力を受け流し、逆にザラオの懐へと潜り込んでいく。


「なっ……!?」


『アサイ……アサイゾ、ザラオッ!』


 気味の悪い軌道で迫る刃に翻弄され、ザラオの攻撃は虚しく空を切り、激しい金属音が森に響く。体制を崩しかけたザラオの目が、激毒のような怒りに染まる。


「ぶっ殺してやる……っ!付与魔呪綴《アタッチスペル》!!『轟粉雷《ごうふんらい》』!!」


 ザラオの叫びに呼応し、大身の斧全体にバチバチと荒々しい青白い火花が巻き起こる。雷光を纏わせた絶対の一撃。

 瞬間、それを見たセニモの口角が、耳の根元までさらに引き裂かれた。


『……シカタナイ。セニモ・パーティラノノ、技ヲ、ミセテヤル……』


 狂ったような二重の濁声が空間を震わせる。


『付与魔呪綴《アタッチスペル》――『双炎剣火《フレイム・ブレイド》』!!』


 二振りの刃に、一瞬で禍々しい紫炎が巻きついた。


 ――衝突。


 ザラオの解き放った雷光を、二振りの刃に蠢く紫の炎が容赦なく飲み込んでいく。


「……雷を、喰って――!?」


『コレガ……セニモノ、オレノ、ワザダッ!!』


 絶望的な困惑に目を剥くザラオの胸元へ、紫炎を纏った双剣が狂暴な軌道で叩き込まれた。


 ドバァァンッ!!


 重厚な衝撃音とともに、ザラオの巨躯が紙屑みたいに宙を舞う。

 視界の中央で、ザラオの身体が背後の太い幹へ激しく衝突し、メキメキと嫌な音を立てて樹皮を撒き散らすのが見える。吐血したザラオは、そのまま泥の上に崩れ落ち、ぴくりとも動かなくなる。


「ザラオ……ッ!?」


 喉の奥から絞り出した叫びが、虚しく森に霧散する。


『ツギハ……ダレダ……?』


 ゆっくりと振り返った化け物の足元から、気味の悪い紫の火の粉が雑草を焦がしながら舞い上がる。

 ザラオが一瞬で沈められた。呪いの制約がある以上、不用意に打ち込みにもいけない。


「どうすれば……」


 思考を高速で回転させる。迂闊に仕かければ呪いで味方にダメージが跳ね返るかもしれないし、受けに回ればザラオのように喰われる。八方塞がりの絶望が胸を締めつけた、その瞬間――


「独自魔呪綴《オリジナルスペル》――『天界の杭(ヘブンズ・ステイク)』」


 響いたのは、凛としたリシェラの声だった。

 ザラオの巨躯に守られていた彼女が手を掲げている。

 直後、セニモの周囲の地面へ、眩い光を放つ何本もの光る杭が刺さる。


『……ン?ナン、ダ……コレ――』


 化け物が困惑の声を漏らす間もなく、リシェラが掲げた掌をぐっと握り込む。

 瞬間、刺さった光杭が一斉に共鳴し、眩烈な閃光を放つ。

 結界のように囲まれた空間の内側全体に、見えない天の超重圧が激しく叩きつけられる。


 ドォォォンッ!!


『ガッ……ハ、ァァッ!??』


 ミシミシと音を立ててセニモの骨が無数に砕け、膝が地面へと激しく叩きつけられる。 

 首筋から赤黒い血が噴き出す。

 誰も怪我はしていない――つまり、呪いの転移が起きていない。


「攻撃が入った……」


 初めて見せた化け物の苦悶の表情に、俺は短剣を強く握り直した。

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