合流
「がっ……!?」
衝撃なんて生易しいものじゃない。巨大な鉄塊で殴りつけられたような威力が、一瞬で俺の体を宙へと跳ね飛ばした。
化け物が腕を振った。ただそれだけだったはずだ。
理由も理屈も理解できないまま、視界が恐ろしい速度で旋回する。耳元を切り裂く暴風の音。直後、胃が浮き上がるような強烈な感覚が全身を襲った。
浮いてる――?
必死に目を開く。視界一面に広がっていたのは、緑の樹海だった。
木の頂よりも遥か上。俺の体は、森の天井すら突き抜けて空へと打ち上げられていた。
嘘だろ……っ。
死の恐怖で全身の血が凍りつく。
だが、幾度も生死の境を潜り抜けてきた肉体は、死に瀕した土壇場でも意識を手放さなかった。視界が急速に反転し、猛烈な勢いで重力が俺を落ちていく感覚へと引き戻す。
枝葉を激しく叩き割りながら、下へと突き落とされていく。
バキバキと体中に激痛が走り、容赦なく枝が肉を打ち据える。俺は地面へと激しく叩きつけられた。
「ぐぁ……う……っ!」
激痛に息が詰まり、血を吐き出しながら必死に上半身を起こす。
激しい眩暈の中、血で霞む目を必死に動かして周囲を見回した。
そこに広がっていたのは、見たこともない鬱蒼とした森の深層と、恐ろしいほどの静寂だけだった。
「ふー……っ……!」
荒い息を吐き出すたび、喉の奥から鉄の味が込み上げてくる。
激痛に耐え兼ね、掠れた呼吸を必死にしがみつくように繰り返す。
仲間は――皆どうなった……?
あの化け物の一撃で、全員があの場所に留まれていたはずがない。
リシェラも、ルナネアも、ゼクフィスも、タフノティシィも……俺と同じようにどこかへ吹き飛ばされたのか。それとも――頭に過った最悪の光景を、俺は慌てて首を振って打ち消した。考えたくもない。
焦燥と恐怖で、心臓が肋骨を内側から破らんばかりに跳ね上がっていた。
いても立ってもいられず、今すぐにでも大声で仲間の名前を叫び散らしながら走り出したくなる。
「誰か――っ」
開いた口から声を発しようとした、その一瞬。
脳裏に警報が鳴り響き、冷や汗が背筋を駆け抜けた。
待て……叫んじゃ駄目だ……
喉まで出かかった声を、唾と一緒に力任せに飲み込む。
ここはどこだかも分からないのだ。
先ほどまで戦っていた魔獣の群れ、そしてあの異次元の化け物――もしここで大きな声を上げれば、周囲の闇に潜むあらゆる死が、一斉に俺へ殺到してくる。
短剣を握る右手に、血と汗で滑る柄を固く握り直した。
叫ぶな。焦るな。息を殺せ。
仲間を探すのが先だ。だが、その前に自分が死んだら元も子もない。
俺は足音を出来る限り殺しながら、暗がりの広がる深い樹海の中へとゆっくり歩みを進めた。
不気味なほどの静寂が、鼓膜を痛いほど圧迫する。
一歩踏み出すごとに湿った腐葉土が沈み込み、足元から嫌な湿気が這い上がってきた。全神経を耳に集中させ、短剣を胸元に深く構えて影から影へと移動する。
サ、と。
背後で、枯れ葉を踏みしめるわずかな不快音が鼓膜を打った。
「誰だ……ッ!?」
反射的に跳び下がり、刃先を音のした闇へと向け直す。直撃を覚悟して腰を落とした俺の視界に入ってきたのは――見覚えのある、横に流した鮮やかな紺色の髪だった。
「慌てないでください、ファイ・ニアス。私ですよ」
「……エサマ……?」
そこに立っていたのは、眉一つ動かさずに佇むエサマだった。衣服に多少の汚れはあるものの、あの怪物の一撃を喰らったとは思えないほど静かな佇まいを見せている。
「無事でしたか。あの化け物の衝撃波で、隊列は完全に散開させられたようですね」
「皆……他の仲間はどこに……」
「それは分かりません。ですが、この森を一人で動くのは自殺行為です。まずは生存者を拾い上げつつ、状況を整理しましょう。ついて来てください」
「……あぁ。頼む」
異常なまでの落ち着きを保つエサマの存在に、ほんの少しだけ焦燥が薄れるのを感じた。
俺たちは互いの死角を補うように背中を警戒しつつ、湿った森の奥へと進んでいく。
――しばらくの後、倒木を迂回した先、開けた樹洞の影から微かな話し声が漏れてきた。
「……誰か、そこにいるの!?」
「その声……リシェラか!?」
声の主はリシェラだった。彼女の後ろには、五人の衛兵たちが身を寄せ合っている。リシェラは俺とエサマの姿を視界に捉えると、胸を撫で下ろして駆け寄ってきた。
「よかった……無事だったのね!」
「あぁ、なんとか……。リシェラも怪我はないか?」
無事を確認し合えた安堵が広がりかけた、その時――リシェラの背後にいた衛兵の一人が、あからさまに吐き捨てるような声を上げた。
「げっ……なんでお前がここにいやがる」
眉をひそめて視線を向けると、嫌悪感を隠そうともしない金髪のでかい男と目が合った。
歪んだ蔑視の瞳、鋭く尖った威圧的な眉根。忘れるはずもない。裁判の際、裁判所の床に俺の頭を力任せに押さえつけ、踏みにじってきた男――ザラオだった。
「……ザラオ……だったか」
不快な記憶が脳裏を掠め、短剣を握る指先に思わず力が入る。最悪の状況で、嫌な相手と顔を合わせることになってしまった。
「二人は……知り合いなの?」
不穏な空気を察したリシェラが、不安そうに俺とザラオの顔を見比べる。
「知らねぇよ、こんなゴミ屑」
ザラオは唾を吐き捨てるようにそう言い切ると、あからさまに軽蔑の籠もった視線で俺を睨みつけた。
「裁判で無様に床に這いつくばってた犯罪者がよ……なんで生きてここにいやがる。吐き気がするぜ」
不快な罵声が耳を刺す。短剣を握る右手にじわっと力が入るが、俺は歯を食いしばって言葉を呑み込んだ。ここで言い争っている余裕なんてないことくらい、頭では分かっている。
すると、俺の前に静かに一歩踏み出した人物がいた。
「そこまでにしてください、ザラオ」
エサマだ。エサマは感情の窺えない落ち着いた声で、ザラオを見据えている。
「……なんだお前、エサマか。お前も何でそんな犯罪者にヘラヘラ対応してんだよ。衛兵としてのプライドはないのか?」
ザラオが苛立ちを隠しもせず、エサマへ食ってかかる。だが、エサマは眉一つ動かさずに淡々と言葉を返した。
「論理的に考えてください。今この状況で不毛な私怨を持ち込み、戦力を削ぎ合うことに何の意味がありますか?私たちは今、正体不明の化け物によって散開させられ、危険な森に取り残されているのですよ」
「ッ……」
「ファイ・ニアスが過去にどう扱われようと、現状では彼も貴重な戦力の一人です。個人的な感情で足を引っ張り合うつもりなら、あなたをここに置いて私たちだけで先へ進みますが?」
静かだが逃げ場のない正論。
エサマの冷ややかな眼光に射抜かれ、ザラオはぐうの音も出ないといった様子で顔を歪めた。
「……クソがッ」
ザラオは忌々しそうに悪態をつき、力任せに視線を逸らした。
険悪極まりない空気が一応の収まりを見せたことで、リシェラの背後に控えていた衛兵たちが「はぁ……」と安堵の息を漏らすのが分かった。緊張で固まっていた彼らの肩が、ようやく少しだけ弛緩していく。
「で……これからどうするんだよ」
ザラオが吐き捨てるように問いかけてきた。
その声には依然として棘があったが、周囲の状況を把握したいという焦りも透けて見えた。
俺は改めて、リシェラの側にいる集団へと視線を巡らせる。
ザラオを含む人間の男が五人。そして、険しい表情で剣を握りしめているエルフの兵士が二人。俺、エサマ、リシェラを合わせれば、この場にいるのは全部で十人だ。
「まずは情報の共有ですね」
エサマが落ち着いた足取りで全員の輪の中心へと進み出る。
「先ほどの化け物の一撃で、隊列は完全に崩壊しました。現在把握できている生存者は、ここにいる十人のみ。タフノティシィさんたちの行方は不明です」
「タフノティシィさんたちが生きている可能性は?」
人間の兵士の一人が、低く固い声で尋ねた。
「分かりません。あの化け物の異常な威力を考えれば、無事である保証はどこにもありません。最悪の事態も視野に入れておく必要があります」
エサマの容赦のない言葉に、全員の顔に重苦しい緊張が走る。だが、誰も声を乱すことなく言葉の続きを待った。
「現在地も不明、主力であるタフノティシィさんたちとも分断された。この状況で私たちが取るべき選択肢は二つです。一つはこの場に留まり他の生存者を待つこと。もう一つは、警戒を維持しつつ移動を開始すること」
「待つなんて論外だろ」
ザラオが冷ややかに切り捨てた。
「あの化け物がいつ来るかも分からねぇんだ。身を隠せる保証もない場所で足止めなんて喰らってられるかよ」
「私もザラオの意見に同意です。一箇所に留まるのはリスクが高すぎる」
エサマは頷き、周囲の暗い木立を見回した。
「ですが、闇雲に歩き回るのも危険です。幸い、ここには私やザラオ、そしてファイ・ニアスのように戦える者が揃っている。隊形を整え、気配を殺しながら移動を開始しましょう」




