呪いの連鎖
「チッ、飛んできやがったか……!?」
痛みと衝撃に思わず身体が折り曲がり、ゼクフィスは膝をついた。
俺への攻撃を肩代わりさせられた突然の大ダメージ。卓越した剣技を誇るゼクフィスでさえ、予期せぬ内側からの破壊に体勢を完全に崩してしまう。正面から迫る魔獣に対し、剣を構え直すことすらできず、無防備な体が晒された。
「ゼクフィス、伏せろッ!」
俺の叫びも虚しく、二発目の凶爪がゼクフィスの顔面を狙って容赦なく振り下ろされた。
ゼクフィスは血を吐き出しながら必死に身体を捻り、間一髪で直撃を避けて横へと跳ぶ。だが、完全に殺し切れなかった爪の威力が、彼の頬から顎にかけて深く刺さった。
――ドパンッ!!
直後、嫌な破裂音が後方から響き渡る。
「ひゃっ……!?」
悲鳴すらまともに形にならなかった。
ゼクフィスの後方にいた幼さの残るエルフの女兵士。彼女が自分の顔面を押さえる間もなく、その頭部が内側から爆発したように弾け飛んだ。潰れた目玉と血肉が、容赦なく周囲の葉を赤く染め上げていく。
ゼクフィスが食らった深い顔面へのダメージ。
それがそのまま増幅されるように後方へと叩きつけられ、一瞬でその命を奪い去ったのだ。
「冗談じゃねぇ」
ゼクフィスは顔を歪めて激しい悪態をつき、血を撒き散らしながら咄嗟に大きく後方へと跳んだ。
俺のせいだ……
足元から血の気が引いていく。
俺が攻撃を受け止めたせいでゼクフィスが重傷を負い、そのゼクフィスが追い詰められて傷を負ったことで、後ろの兵士が惨殺された。
俺の判断ミスが、俺の弱さが、連鎖するように味方の命を奪っていく。
短剣を握る手が激しく震え、視野が焦燥と恐怖で狭まっていくのを止められない。
俺の……せいで……
思考が真っ白に染まり、足元から崩れ落ちそうになる。
惨劇の映像が脳裏に張り付き、短剣を握る指先から感覚が消えていく。目の前で蠢く魔獣の姿すら歪んで見え、俺の動きは完全に止まっていた。
――シュッ!
死角から迫る鋭い爪。
直撃を悟り、身体を硬直させたその刹那。
「独自魔呪綴――『天界の杭』!」
頭上から降り注いだ圧倒的な光の杭が、魔獣の巨躯を力任せに撃ち抜いた。
耳を劈く咆哮と共に、爪が俺の鼻先数ミリで止まり、魔獣の体が大きく後退りしていく。
「ぼーっとしてたら危ないわ!」
リシェラの切迫した、でもどこか気抜けする叫びが、途切れかけていた俺の意識を引き戻す。
「あ……ありがとう、リシェラ……!」
「お礼は後で!ここはルナネアと一緒に食い止めるわ!今はゼクフィスをお願い!」
「……うん、任せて!」
前線へと躍り出たルナネアが、刃を閃かせて魔獣の追撃を遮る。
俺は二人にここを任せ、血だまりの中に崩れ落ちているゼクフィスの元へ遮二無二駆け寄る。
「ゼクフィス、ごめん……ッ!」
ゼクフィスの腕を自分の肩へ回し、無理やり身体を引き上げる。
肩に伝わるズシリとした重みと、服を濡らす生温かい血の感触。胸甲は内側からひしゃげ、激しく上下する呼吸のたびにゼクフィスは苦しげに喉を鳴らしていた。
「……俺の……俺のせいで、お前が……!」
声が激しく震える。焦燥と罪悪感で胸が押し潰されそうで、まともにゼクフィスの顔を見ることすらできない。完全に動転している俺の肩を、ゼクフィスが血で濡れた手で力任せに掴んだ。
「……何が「ごめん」だ、ボケが……っ!」
ゼクフィスは血を吐き捨てながら、顔を歪めて俺を睨みつけてきた。
「テメェに肩貸せだなんて頼んだ覚えはねぇよ……!まだ足は動く……テメェはガタガタぬかしてねぇで、疾く、戦え!」
強がりだと分かる。ゼクフィスの手が、俺の肩の上で痛いほど震えていた。
荒い吐息と血の匂いの中で、俺の心拍数は跳ね上がったまま、少しも落ち着いてはくれない。
「手ぇ離しやがれッ!」
ゼクフィスは荒い息を吐きながら、俺の手を強引に振り払う。
血に濡れた脚で不格好に地面を噛み締め、無理やりその身体を起こし上げる。激痛に顔を激しく歪め、破れた口端から溢れる血を手の甲で雑に拭うと、ゼクフィスは俺を力任せに押し退けた。
「邪魔だ、引っ込んでろ!」
ガタガタと震える膝を気合でねじ伏せ、ゼクフィスは抜身の刀を両手で固く握り直した。その刃に、荒々しく狂おしいまでの綴力が集束していく。
「付与魔呪綴――『風・刹・雷 雷刃』!」
叫びと共に、刃が爆発的な青白い雷光を撒き散らす。
バチバチと鼓膜を刺す雷鳴と、焦げつくような臭いが周囲の空気を満たす。痛みを力へと変換するかのように、ゼクフィスは地を蹴った。
激痛を力でねじ伏せ、文字通りの雷光となって疾駆する。
目の前に立ちふさがる魔獣が、迎撃のために太い前腕を振り下ろそうとしたその瞬間――ゼクフィスは身を沈め、すれ違いざまに雷刃を閃かせる。
ズバッ……ッ!
閃光が走ると同時に、魔獣の太い腕が根元から呆気なく切断され、宙を舞う。
宙に散る緑色の体液と雷撃の余波。肉を斬り裂く感覚すら残さず腕を削ぎ落としたゼクフィスは、そのまま勢いを殺さずに倒れかけた巨木の幹へと跳び乗った。
「失せやがれッ!」
幹を強く蹴り上げ、上空から死角へと舞い戻る。
残された片腕で上空を仰ごうとした魔獣の首元へ、旋回する雷の軌跡が落ちていった。
刃が巨躯の首筋を駆け抜ける。
一瞬の静寂の後、首を刃で絶たれた魔獣の胴体が、雷火の煙を上げながら盛大に崩れ落ちた。
魔獣の胴体が倒れ込み、激しい地響きと共に上がった煙がゆっくりと収まっていく。
ゼクフィスが肩を激しく上下させ、血と汗に塗れた刀を地面に突き刺して体を支えていた。
周囲を見渡せば、リシェラやルナネア、そしてタフノティシィ率いる衛兵たちも、群がる魔獣をどうにかすべて斬り伏せたようだった。刃の交錯する金属音と咆哮が止み、森に異様な静けさが戻ってくる。
「……はぁ……はぁ……っ」
「終わった……のか……?」
生き残った兵士たちが次々とその場に倒れ込んだ。
膝から崩れ落ち、血に塗れた地面に座り込む。ただ一戦を交えただけだというのに、誰一人として立ち上がろうとしない。
傷を食らえば、その破壊が無差別に味方の肉体を内側から噛み砕く狂った呪い。
攻撃を受け止めることすら許されない死の舞踏は、兵士たちの精神と体力を根こそぎ削り取っていた。至る所に転がる、原形をとどめていない味方の残骸。惨状を目にしながら、誰もがただ死んだような目で息を整えている。
俺もまた、短剣を握りしめたまま地面へ膝をついた。
荒い息を吐き出すたび、血の匂いが喉の奥を刺す。焦燥と罪悪感で、吐き気が胃の底からこみ上げている。
――その時だった。
カツン、と。
静まり返った森に、不釣り合いなほど小さく、硬い音が響いた。
「……何だ?」
タフノティシィが血走った目を向け、大剣の柄に手をかける。俺も息を殺し、音のした方角へと視線を走らせる。
ゆっくりと、奥の暗がりから『それ』が歩み出てきた。
一見すれば、人間のようなシルエットだ。
だが、その姿を認識した瞬間、全身の毛穴という毛穴から一斉に嫌な汗が噴き出した。
脳の深層から鳴り響く、狂おしいほどの警報。死そのものが歩いてくるような、圧迫感。
それは、五体が異常なまでに破壊された、落ち武者のような人型の怪物だった。
左腕は肩口から引きちぎられたように欠損し、胸の中央には風穴が空いて肋骨が剥き出しになっている。顔の右半分は削げ落ち、異質な肉芽が引きつりながら蠢いていた。本来なら生きていることすら不可能なはずの惨状。
それなのに――漂う雰囲気が、次元の違う強さを物語っている。
立っているだけで周囲の空間が歪むような重苦しい気配。今まで戦ってきた魔獣の群れなど、この化け物の足元にも及ばない。本能が絶叫していた。勝てるわけがない。触れた瞬間に死ぬ、と。
「……アイツは……」
ゼクフィスの声が、先ほどまでの威勢を完全に失っている。
タフノティシィでさえ、大剣を握る手が固まり、一歩も動けずにいた。あまりの圧倒的な存在感を前に、誰もが呼吸することすら忘れて硬直する。
欠損した人型の魔獣は、泥に塗れた俺たちを、ただただ冷淡な、光の宿らない単眼で見下ろした。
そして、肉の削げ落ちた半分の口を開く。
『……チガウ……』
歪んだ音節。空気を震わせる不気味な声が、耳から脳へ直接へばりついてくる。
『オマエタチ……ジャ……ナイ……』
片言の言葉を発しながら、赤黒い見た目をした化け物は面倒そうに、残された右腕を軽く横に振った。
ただそれだけの動作。
それだけで、俺たちの世界の全てが崩壊した。




