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ロスト・リビルダー ―忘却の罪―  作者: げこきち
三章 呪いを孕む樹海
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無傷の代償

 隊列が再び森の静寂の中へと呑み込まれていく。

 頭上を完全に覆い尽くす巨木の葉が光を遮り、湿った空気と土の臭いが喉の奥にへばりついた。進むにつれて木々の隙間は狭まり、馬の歩幅すら慎重にならざるを得ない。先ほどのエサマの言葉が、足元からじわじわと這い上がってくる。


 実力判断……俺たちが、どこで死ぬかを確かめるための実験体……


「――全体、脚を緩めるな!前方の索敵を密にせよ!」


 隊列の最前頭を進むタフノティシィの怒号が、暗がりを揺らした。

 青髪の隊長は手綱を固く握り締め、鋭い視線を先方の暗闇へと走らせている。その威厳に満ちた背中は、兵士たちにとって唯一の支柱だった。


 その時――突風と共に、前方の地面が爆発したように弾け飛んだ。


「出てきたぞ!総員、構え――」


 兵士の悲鳴が上がるより早く、影が跳ねた。

 暗がりから躍り出たのは、これまで対峙したどの異形とも異なる魔獣だった。濡れた角質に覆われた黒い胴体、そこに不気味に蠢く無数の節足。先ほど突破した個体とは明らかに一線を画す、圧迫感に満ちた異彩。

 だが、タフノティシィの動きに迷いはなかった。


「動揺するな!一撃で仕留める!」


 咆哮一閃。タフノティシィは馬上から疾風のごとく踏み出し、大剣を横一文字に振るった。

豪快な斬撃が空間を切り裂き、滑らかな刃先が魔獣の首元を正確に捉える。一滴の無駄もない見事な必殺の一撃。魔獣は断末魔すら上げず、首を打ち飛ばされて地面へと崩れ落ちた。


「さすがタフノティシィさんだ……!」


「これなら行けるぞ!」


 安堵の歓声が上がった、その一瞬――


「上だ!!」


 ゼクフィスの叫びが響くのと同時に、打ち取った魔獣の真上の枝幹から、さらなる影が落下の勢いのまま襲いかかってきた。


 同種の二体目。タフノティシィは大剣を振り抜いた直後で、体勢が完全に崩れている。


「危ないっ!」


 兵士の一人が叫ぶ。

 刃のような爪が、死角からタフノティシィの胴体へと深く突き刺さった。

 鈍い肉衝音が響き渡り、誰もが最悪の瞬間を覚悟して息を呑む。


 だが――


「……何?」


 タフノティシィは眉一つ動かさず、自身の鎧を見下ろした。

 肉を切り裂く感触も、血の一滴すら流れていない。鋭い爪は彼の重甲冑の上で滑り、まるで幻に触れたかのように威力を失っていた。


「脅かしやがって……!皮一枚掠りもしん!」


 タフノティシィがニヤリと不敵な笑みを浮かべ、体勢を立て直そうとした、その刹那。


 ――ドスッ。


 背後で、嫌な湿った音が響いた。


「ぐっ……!?な、ぜ……ッ……!」


 不意に隊列の中央から、苦悶の絶叫が上がる。

 跳び退がろうとした兵士の一人が、突然胸中央から噴き出した血の泡を吐き、崩れ落ちた。その背甲は、内側から弾け飛んだように大きく裂けている。


「な……んだ、これは……!?」


 悲鳴はそれだけに留まらない。

 目の前でタフノティシィを襲う魔獣が爪を振るうたび、爪は隊長の鎧に弾かれているにもかかわらず、離れた位置にいる兵士たちの体から次々と血飛沫が舞った。肩が引き裂かれ、腕が異常な角度に折れ曲がり、絶叫と共に馬から転げ落ちていく。


 タフノティシィに攻撃が当たるたび……後ろのやつらが斬られてる……?


 前線で直接刃を受けているタフノティシィには傷一つつかない。その代わり、彼が食らうはずだったすべての痛撃と破壊が、後方にいる兵士たちの肉体を無差別に噛み砕いていた。


「……これは……呪いっ!?」


 タフノティシィの顔から、一瞬で血の気が引いていく。

 攻撃を受ければ受けるほど、守るべき部下たちの命が理不尽に散っていく。倒すべき敵は目前にいるというのに、自身が耐えれば耐えるほど惨劇が広がるという、逃げ場のない絶望。

 それに加えて、例えタフノティシィが耐えれる攻撃でも、全員が耐えられるわけではない。


「総員、馬を降りろッ!!」


 タフノティシィの血を吐くような叫びが森に響き渡った。

 自身に向けられる刃を避ければ敵を叩けない。だが、受け止めればその衝撃が部下の命を容赦なく噛み砕く。その狂った呪いの理を悟った男の顔は、苦渋に激しく歪んでいた。


「攻撃を受ければ、その威力が後方の誰かへ無差別に飛ぶ!かすり傷一つ食らうな!捌き切れん攻撃は全て避けろ!」


 俺は手綱を投げ捨て、馬の背から地面へと飛び降りた。

 周囲の兵士たちも悲鳴を上げながら鞍から転げ落ちるように地を蹴る。パニックを起こした馬たちが暴れ狂い、隊列は瞬く間に崩壊していった。


 だが、地獄はそれだけでは終わらない。

 絶叫と血の匂いに引き寄せられたのか、周囲の鬱蒼とした草むらや頭上の巨木から、おぞましい羽音と不気味な足音が殺到してくる。


「チッ……群れで集まってきやがったか!」


 ゼクフィスが剣を抜き放ち、前方に飛び出した異形の顎を寸前でかわしながら切り払う。

 俺も腰の短剣を引き抜き、柄を握る手にぐっと力を込める。背後から襲いかかってきた尖角を持つ魔獣の突きを、力任せに受けるのではなく、刃を滑らせて間一髪で殺す。


「ファイ、無理に受け止めちゃ駄目!ガードの衝撃すら誰かに飛ぶかもしれない!基礎魔呪綴《ベーススペル》――『土砲《ソイル》』!」


 ルナネアの短い詠唱と共に土の砲弾が現れ、距離を詰めようとする魔獣を牽制する。彼女の額からは冷や汗が滴り落ちていた。


 防御することすらリスクになる異常事態。

 タフノティシィの頑丈な体で無傷で済む打撃ですら、後方の兵士の胸を打ち砕いて即死させるのだ。もし強力な一撃が誰かに掠りでもすれば――重装甲を持たない俺たちの誰かの体が、一瞬で内側から弾け飛ぶ。


「ルナネア、一撃で殺し切るぞ!反撃の隙を与えるな!」


「……うん!」


 俺の呼びかけに、ルナネアが深く息を吐き出し、静けさを纏って身を低く沈めた。彼女の持つ刀が暗がりの中で鋭い一閃を画し、向かってくる魔獣の首元を寸分違わず一刀両断する。

 一撃の被弾も許されない恐怖の中、俺たちは死の舞踏へと身を投じた。


 黒い影が押し寄せる中、俺の全神経は極限まで研ぎ澄まされていた。


 かわす……絶対に、攻撃を受けるな……


 横合いから襲いかかってきた魔獣の不意打ち。鋭い爪が空を裂く風切り音と共に俺の頭上をかすめる。身を屈めて危うくかわし、次の一撃を横跳びで避けた。一瞬の油断も許されない。息を吐く暇もなく、視界の死角――上空の太枝から、もう一体の異形が弾丸のような速度で牙を剥いて飛び降りてきた。


「ファイッ――!?」


 後方からルナネアの切迫した叫びが届く。だが、彼女の刀も『土砲《ソイル》』の追撃も、この絶妙な死角からの奇襲には間に合わない。


「受け止めるしか――」


 短剣を交差させ、とっさに防壁を築く。直後、凶悪な爪が俺の胸元へと一直線に突き刺さった。


 鈍い肉衝音。


 死を覚悟し、全身の筋肉を硬直させる――だが。


「……え?」


 痛みが、ない。


 自分の身体を見下ろしても、皮膚すら破れていない。身体を伝わるはずの強烈な衝撃すら無く、魔獣の爪はまるで影を穿ったかのように俺の身体をすり抜けた感触を残していた。


 俺が食らった……はずだ。なのに、痛くない……?まさか――


 不吉な予感が脳裏をよぎり、凍りつく。俺の身体が無傷である理由、その残酷な解答は、背後から上がった絶叫によって突きつけられる。


「アァッ!」


 耳を劈く悲鳴。


 視線を投げた先で、ゼクフィスが胸を押さえて激しく血を吐き出していた。


「ゼクフィス……!?」


 ゼクフィスの胸甲が内側から力任せに打ち砕かれ、鮮血が噴き出している。俺に突き刺さるはずだった魔獣の凶爪――その必殺の破壊と激痛の全てが、俺のすぐ背後で戦っていたゼクフィスの肉体を身代わりとして噛み砕いていた。

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