渦巻く陰謀
巨門を潜った先――そこに広がっていた光景に、俺は一瞬だけ呼吸を忘れた。
門の先で待ち構えていたのは、整然と隊列を組み、馬に跨がった三十人ほどの集団だった。
一分の隙もなく組み上げられた全身甲冑、完璧に統一された挙動、そして何より、通り抜ける風の音すら凍りつかせるような無機質な圧迫感。第一区画の崩壊と混沌に塗れていた俺たちとは、文字通り生きている世界が違った。
集団の最奥――その整列した騎兵たちの中心に、あの男がいた。
豪奢な馬上で、退屈そうな紫髪の影。アルフォリエだ。
周囲の空気すら、全てその男の身勝手な威光のために用意された舞台装置に過ぎないかのように錯覚させられる。
その威容に気圧されそうになりながらも、俺たちはゆっくりと馬を進め、男の座すところへと近づいていった。
「……遅い」
馬を並べた瞬間、アルフォリエは視線すらこちらに向けず、低く、声を落とした。
「余を待たせるとは、どこまでも身の程を知らん人間どもだな。貴様等が最後だ」
「……朝一で来たつもりだったんだが。待たせて悪かった」
一応の謝罪を口にしながら、俺はアルフォリエのすぐ隣に佇む人物へ視線を向けた。
豊かにたくわえられた白い長髭を胸元まで垂らした白髪の老人だ。
仕立の良さがひと目でわかる豪奢な長衣と、背筋を一切曲げない立ち姿。何より、周囲の騎兵たちが微かな緊張を孕んでその姿を見守っている。……間違いなく、この都市の相当上層に位置する重鎮。
下手に刺激しない方が賢明だな……
余計な摩擦を避けるため、俺は無言のまま、短く会釈だけを交わした。
老人は眉ひとつ動かさず、ただ深みのある灰色の瞳で俺の姿を凝視している。その眼差しに、背筋を嫌な汗が伝った。
「くだらん挨拶など不要だ」
アルフォリエが心底不快そうに鼻で鳴らし、手綱を握る手で雑に後方を指し示す。
「一番後ろへ並べ。早急に始めるぞ」
「……あぁ、分かった」
短く応じ、俺たちは手綱を引き直して部隊の最後尾へと馬を進めた。
部隊の最後尾へと回る道中、視線を感じて前方の騎兵たちを観察する。
ほとんどが揃いの装具を纏った集団だが、その約半数は人間ではない。鋭利な耳の先端、澄み切った皮膚の質感、そしてどこか他者を排斥するような眼差し。アルフォリエの同胞――エルフたちだった。
「……チッ、嫌な空気だな」
後ろを走るゼクフィスが、舌打ち混じりに小さく吐き捨てる。手綱を握る拳には力が入っており、露骨な警戒心を隠そうともしない。
「静かに、ゼクフィス。余計な口戦を起こす場面じゃないわ」
「わかってるよ。ただ、あの澄ました面々が気に食わねぇってだけだ」
リシェラが静かな声で窘め、ゼクフィスは不機嫌そうに視線を外した。ルナネアは不安を隠すように俺の馬のすぐ隣へと寄り添い、短く息を吸い込む。
「ファイ……わたし、あの中にいるの、ちょっと怖い」
「大丈夫だ。余計な干渉はせず、ただ列についていけばいい」
緊張してるルナネアをほぐすため短い言葉をかけ、俺たちは一番後ろの枠へと馬を収めた。
全員の位置取りが完了したのを見届けると、アルフォリエの隣にいた長髭の重鎮が、朗々と響く声で口を開いた。
「これより『幻憶の森』への行軍を開始する。長年被害者を出し続けているその根幹を断つべく、全力を尽くしたまえ。指揮はアルフォリエ殿に委ねる」
重厚な声が場を支配し、周囲の兵たちが一斉に姿勢を正す。老人はそれだけ告げると、ゆっくりと歩みを引いた。
「言われるまでもない」
アルフォリエは老人に一瞥もくれず、馬上から全体を見る。
「これより南の門を抜け、第三区画へ移動する。そこから先が目指す樹海だ。余の脚を引っ張る者は、その場に放置して捨て置く。……立ち遅れるな」
身勝手な発言を残し、アルフォリエは手綱を引いて先頭を切った。
それに連なり、約三十の騎兵が一糸乱れぬ動作で進み始める。地鳴りのような足音が周囲の静寂を塗り替えていった。
「……行くぞ」
俺たちも深く息を整え、重い足取りのまま、ゆっくりと馬を前進させ始めた。
――整然と並ぶ騎兵たちの足並みは、驚くほど速かった。
以前、俺が必死の思いで歩を進めた道のりが、まるで幻だったかのように破格の速度で削り取られていく。寸分の乱れもなく進む部隊に置き去りにされぬよう、俺たちはただ無心で馬の脇腹を蹴り続けた。
――わずか数十分。
視界の先に、見覚えのある光景が姿を現す。かつて俺が凄惨な悪夢を見た、俺にとってのこの都市国家始まりの場所――第三区画だ。
忌まわしい記憶が脳裏を掠め、無意識のうちに手綱を握る手に力が入る。街並みを苦々しい思いで見回していると、並走していたリシェラが何かを察したように口を開きかけた。
「あなた――」
だが、その声は最後まで紡がれることはなかった。
先頭を進んでいたアルフォリエが唐突に馬を止め、それに連なって部隊全体がピタリと停止したからだ。
目の前にそびえ立つのは、第三区画の最果てに位置する巨大な出口門。
その向こう側には、異様な圧迫感を放つ鬱蒼とした木々の影――『幻憶の森』が広がっている。
「これより進軍を開始する!!」
アルフォリエは振り返ることすらなく、良く通る声で全体に告げた。
「これより先、現場の指揮権はタフノティシィ・ホライズマンに委託する。やつの指示に従い、戦え!」
そう言い捨てると、アルフォリエは馬の頭を巡らせ、傍らに控えていた例の老人と共に列の脇へと退いた。まるで高みの見物でもするかのように、門を潜って森へと足を踏み出していく騎兵たちへ、威厳に満ちた激励の言葉をかけていく。
先頭から順に部隊が森へ消えていき、リシェラやルナネア、ゼクフィスもまた、表情を強張らせながら門の外へと馬を進めていった。
……だが、俺はその場から動くことができなかった。
胸の中に湧き上がった強い疑問を抑えきれず、通り過ぎる直前、馬を止めてアルフォリエを見上げる。
「……あんたは、行かないのか?」
率直な問いに対し、アルフォリエは心底呆れ果てたように片眉を跳ね上げた。
「一国の王が、正体不明の領域の捜索に自ら赴くわけなかろう。少しは頭を使って物を言ったらどうだ、人間」
「……は?」
提示された言葉の意味が理解できず、俺はただ呆然と立ち尽くす。
思考が完全に停止した俺の様子を見て、アルフォリエはこれ見よがしに深く、重い溜息を吐き出す。
「……貴様は。余を。知らなかったのか?」
ゴミクズを見るような視線に、一切の冗談めいた色は混じっていない。
アルフォリエは馬上で傲然と胸を張り、絶対者たる言葉を突きつけてきた。
「余は――エルフの国『ラ・ムドラニア帝国』を統べる王だ」
「……っ!?」
心臓が跳ね上がった。言葉の意味を脳が理解した瞬間、全身の血が引いていくような錯覚に襲われる。
一国の王。この絶対的なまでの傲慢さや、都市上層部の重鎮すら従える圧倒的な立ち振る舞い――その全ての理由が一気に繋がった。そんな存在が、何故自分たちの前で直接命令を下していたのか。
絶句する俺の無様な反応に、アルフォリエは心底くだらなそうに鼻で鳴らした。
「……呆れたものだな。貴様の仲間も。余の素性を。知らないのか?」
「……さぁな。あいつらが知っていたかどうかは……分からない」
掠れた声でそう答えるのが精一杯だった。
思考が酷く混乱し、アルフォリエの放つ圧迫感にただ気圧される。
「無知なやつめ。くだらん雑談は終わりだ。とっとと行け、置いていかれるぞ」
アルフォリエはそれ以上俺に興味を示すことなく、鬱蒼とした森の方角へ顎をしゃくった。その催促に、ハッと正気に戻る。
「……あぁ、そうだな。……行ってくる」
手綱を強く握り直し、馬の脇腹を蹴る。
駆け出した馬の背の上で、俺は何度も深く息を吐き捨てた。エルフの王という絶大な存在の影、そしてこれから足を踏み入れる『幻憶の森』という暗闇。重くのしかかるプレッシャーを振り払うように、前方を走る仲間たちの背中を目指して馬を走らせた。
――眼帯の男――ファイ・ニアスが出ていった門を見つめ、アルフォリエは笑みを深めた。
「アルフォリエ殿、何か面白いことでもありましたかな?」
アルフォリエが隣を見ると、不思議そうに尋ねる白髪の老人、この『都市国家ユカラディピア』の最高責任者である男――モフササフ・ユカラディピアと目が合った。
「いや、少し面白いやつを見つけたのでな」
「先ほどの少年ですな?」
モフササフの問いにアルフォリエは「あぁ」とだけ返す。
「やつの目だ。……かつての余の兄に、酷く重なるものがあってな」
遠ざかるファイの背中を追う視線のまま、アルフォリエは淡々と口にした。
「自らの無力さに苛まれながらも……その奥にある瞳だけは、恐ろしいほどに澄んでいる」
「……なるほど」
モフササフは深く蓄えられた白い長髭をそっと撫で、感慨深げに呟く。
「……やつは、いずれ己の過去という呪いに喰らい尽くされるか、あるいは全てを薙ぎ払って生き残るか……どちらにせよ、極上の一幕を見せてくれそうだ」
ふっ、と底意地の悪い笑みを口元に浮かべ、アルフォリエは馬の頭を反転させた。
「……して、モフササフ。やつらはあの樹海から、生きて戻ってくると思うか?」
「さぁ、どうでしょうな」
問われたモフササフは、表情ひとつ変えずに肩をすくめてみせた。
「我が都市から『幻憶の森』へ調査隊を向かわせるのは、これで六度目。過去に生還を果たした者が現れたのは……たったの一度きりでございますゆえ」
それを聞くと、アルフォリエ・ラ・ムドラニアは一層笑みを深めた。




