リミット
救護施設を抜け出したルナネアたちは、崩落の爪痕が痛々しく残る第一区画のメインストリートへと足を踏み入れた。
上空には不気味な黒い亀裂が刻まれているというのに、路上の市民たちに空を見上げる余裕はない。倒壊した建物の下敷きになった家具を引っ張り出す者、怪我人を抱えて走り回る医療班、そして彼らを機械的に誘導する甲冑姿の衛兵たち。
「……クソみたいな有様だな」
ゼクフィスが腰の剣の柄に手を置いたまま、不機嫌そうに呟く。
「愚痴を言っている暇はないわ。……行くわよ」
ルナネアは二人を促し、まずは瓦礫の撤去作業が行われている現場へと向かった。
怪しまれずに街中を動き回り、なおかつ衛兵たちの会話に耳を澄ますには、作業の手伝いを装うのが一番手っ取り早い。
「そこの若いやつら!手が空いているなら、この石材をあっちの集積場まで運んでくれ!」
通りがかった作業員に声をかけられ、三人は即座に頷いた。
「分かりました!」
ルナネアは重たい崩落した外壁の破片を両手で持ち上げ、汗を拭いながら往復を始める。ゼクフィスは溜め息をつきつつも持ち前の腕力で巨大な岩を軽々と運び、リシェラは細身ながらも手際よく小石や崩れた木材を片付けていく。
作業に没頭する振りをしながら、ルナネアは全神経を耳に集中させていた。
「第一区画の警備、さらに増員されたって本当か?」
少し離れた崩壊店舗の陰で、胸当てをつけた衛兵二人が声をひそめて話しているのが聞こえた。ルナネアはさりげなく歩みを緩め、瓦礫を拾う動作をしながら距離を詰める。
「あぁ、街中がこんな惨状でピリついている時に、眼帯の重罪人が収監されたらしい。これは俺も噂程度でしか聞いてないんだけどよ、司教様からの命令で、例の教会の地下室に隔離されているらしい」
「ちょっと前の戦いに関わっていたとかいうやつか……? まったく、この時期に余計な仕事を増やしやがって」
「裁判までは投獄だとよ。上層部もそいつの存在を相当警戒しているみたいだな」
「――教会の地下室……。ファイはそこにいるんだ……」
ルナネアの胸が激しく高鳴る。
ついにファイの居場所を特定できた。ここから教会の地下へ忍び込む方法を探ろうと、さらに前へ踏み出そうとした――その時。
ガシッと、強い力で肩を掴まれた。
「……おいルナネア。今日はここまでだ」
振り向くと、ゼクフィスが低い声でルナネアを制していた。
「でも、ファイの居場所が分かった。もう少し近くまで行って、警備の配置だけでも確かめないと――」
「焦んじゃねぇよ」
ゼクフィスは静かに鼻を鳴らし、周囲を鋭い視線で警戒しながら囁く。
「これ以上うろついてみろ。ただでさえピリついてる衛兵共に顔を覚えられて直ぐに捕まるのがオチだ。情報を一個掴めただけでも上出来だろうが。深追いして足元掬われたら、助け出せるもんも助け出せなくなるぞ」
「ゼクフィスの言う通りよ、ルナネア」
リシェラも静かに寄り添い、ルナネアの手の上にそっと自分の手を重ねた。
「教会の地下にいると分かっただけでも大きな前進だわ。今日は一度引いて、頭を冷やしましょう」
「……」
二人の筋の通った説得に、ルナネアはぎゅっと唇を噛み締め、小さく息を吐き出した。
「……うん。ごめん。わたし、少し焦ってた」
三人はそれ以上深追いをせず、作業員たちに軽く挨拶を済ませると、怪しまれない自然な足取りでメインストリートを後にした。
夕闇が迫り、薄暗くなっていく街並みを歩いて救護施設へと戻る。
診療室に入ると、昼間と変わらない消毒液の匂いが鼻を突いた。衛兵たちに不審がられることもなく部屋へ戻れたことに、ルナネアは密かに安堵の胸を撫で下ろす。
疲れ切った身体をベッドに預けると、急激な眠気と緊張の反動が押し寄せてきた。
窓の外をチラリと見やると、不気味な青空の中に浮かぶ黒い裂け目が、夜の闇に紛れて静かに蠢いているように見えた。
「待ってて、ファイ……」
胸の中でそっと呟きながら、ルナネアはゆっくりと瞼を閉じる。
明日からの調査に向けて体力を蓄えるように、三人は静かな眠りにつくのだった。
――そして、翌朝。
薄暗い朝もやが立ち込める中、目を覚ましたルナネアたちは、他の患者たちに紛れるようにして再び診療所を後にした。
昨日の今日だ。無闇な行動は命取りになる。
だが、ただ手をこまねいて時が過ぎるのを待つことなど、ルナネアにはどうしてもできない。
「……行くのね?」
静かに尋ねるリシェラに、ルナネアは深く頷く。
「うん。昨日は焦って引いたけど……やっぱり、教会の周りを自分の目で確かめておきたい。どんなに小さな手がかりでもいいから」
「凄ぇやる気だな」
ゼクフィスは呆れたように肩をすくめたが、その瞳には鋭い戦意が宿っている。
「まぁいい。だが言っとくぞ、怪しい動きを見せたら、疾く、撤収だ。衛兵の目を盗んで、建物の配置と潜入できそうな隙を探す。いいな?」
「うん、分かってる」
ルナネアたちは作業員を装うため、昨日と同じ崩落現場へと向かった。
瓦礫を運ぶフリをしながら、警戒の目をかいくぐり、じりじりと教会の周囲へと距離を詰めていく。
「……ルナネア、あっち」
作業を続けていたリシェラが、目線だけで路地裏の先を指し示した。
そこは、元々は教会だった場所の裏手で、大規模な崩落によって外壁が大きく削れ、地下へと続く重厚な鉄扉と下り階段が半ば露出している。
「あの階段……昨日言ってた地下牢へ続いているんじゃないかしら」
リシェラが極小の声で囁く。
「……そうかもな。でも、見てみろよ」
ゼクフィスが顎でしゃくった先には、鉄扉の前を固める二人の衛兵。
守ってるのが分からないように少し散らばってはいるが、いわれてみれば直ぐに分かってしまうレベルだ。
「正面突破は無理だろうな。もし中に眼帯がいるか確認してぇんなら裏口でも探すしかねぇ」
ゼクフィスの低い囁きに、ルナネアとリシェラは静かに頷いた。
教会の表周辺は崩落の整理をしているように見せかけつつも、配置された衛兵たちの視線が巧みに交差している。あの中を突き抜けるのはどう考えても不可能だ。
「……あっちの崩れかけた外壁の裏へ回ってみましょう。元が大きな教会なら、裏手にも搬入口か聖職者用の勝手口があるはずよ」
リシェラが顎で示したのは、半倒壊した礼拝堂の影になっている狭い路地だった。
ルナネアたちは手にした瓦礫をその場にそっと下ろすと、周囲の作業員や衛兵の目を盗むようにして、ゆっくりと影から影へと移動を開始する。
崩れた石材が散乱する足場は、足元を掬われやすい。
ルナネアは一歩踏み出すごとに、靴底が小石を噛んで余計な音を立てないよう、細心の注意を払いながら重心を慎重に移動させた。胸の奥で心臓が早鐘を打ち、手のひらにはじんわりと嫌な汗が滲む。
崩壊した教会の側面に沿って回り込むと、そこには表の喧騒が嘘のように静まり返った薄暗い裏通りが広がっていた。
頭上を覆う巨大な崩落瓦礫が日差しを遮り、湿った空気が肌を撫でる。
その奥、ひび割れた石壁の影に、ひっそり佇む――否、倒壊し中が丸見えになった教会の裏口が存在していた。
「……あった」
ルナネアが極小の声で呟く。
幸いなことに、裏口のすぐ前には衛兵の姿はない。放置された古い木箱や崩れたアーチの残骸が散らばっているだけだ。
「見張りはいねぇみたいだが……油断すんなよ」
ゼクフィスが背中の剣の柄に軽く手をかけ、鋭い視線で周囲の物陰を警戒する。
「慎重に行きましょう」
三人は息を殺し、忍び足で裏口へと一歩ずつ近づいていく。
元々扉があった場所の隙間から、風が吹き出しているのが分かった。ファイがこの下に囚われているかもしれないという現実味が、一気にルナネアの胸へと押し寄せる。
――だが、そのときだった。
不意に、裏口の向こう側――地下へと続くであろう階段から、重々しい金属鎧の擦れる音と不規則な足音が近づいてくる気配が漂った。




