牢獄の一日
ジャラッ、ジャラリ。
甲冑の擦れる嫌な音に囲まれながら、俺は歩幅を合わせていた。
両脇を固める衛兵たちの殺気が、痛いくらいに肌を刺す。下手に動けば即座に集団で叩き潰される空気感だ。
おとなしく連行されつつ、ふと視線を前に向ける。
先頭を上機嫌に歩いているのは、豪華な聖衣を着た金髪の司教だ。
「おやおやん、そんなに警戒しないでほしいよねん。子羊が怯えるのは見たくはないんだよん」
のんきな声を上げながら振り返る司教。
語尾の「~だよん」が壊滅的にうさんくさい。
違和感。さっき俺の名前を聞いた時、一瞬だけ目の奥が笑ってなかった。……あの反応は絶対にただ事じゃない――
――嫌な予感を拭えないまま辿り着いたのは、第一区画の地下に設けられた無機質な部屋だった。部屋といっても、どちらかと言うと牢獄の方が近いであろう部屋だが。
「君たちは外で見張りをお願いするよん」
「司教様、指名手配犯と二人きりで対話をするなど危険です」
「大丈夫、大丈夫。可愛い子羊とお話するだけだからねん」
衛兵たちを強行突破で追い出すと、司教はカチャンと鍵をかけた。
部屋に残されたのは俺と司教の二人だけ。木製の椅子を勧められ、俺は重い体を預ける。
「さて、ファイ・ニアス君」
司教は向かいに座ると、眼鏡の奥からねっとりとした視線を向けてきた。
「単刀直入に聞くけれど……君、なんであの現場にいたんだい?まさか、あの破壊が全て君のせい……なんてことはないんだよねん?」
「……俺は仲間を助けに行っただけだ」
「仲間?」
司教はわざとらしく首をかしげて見せる。
「リシェラちゃんや緑髪の粗暴な剣士君のことかい?でもね、ファイ君。この『都市国家ユカラディピア』は、今とってもセンシティブな時期なんだよん。だからあんまり迂闊なことは避けた方がいいよん」
「……センシティブ?」
「そう、独立だよん!我らがユカラディピアが国から独立しようっていう大事な時にさ、素性の分からない指名手配犯にウロウロされたら困るわけん」
語尾は相変わらずふざけているが、声のトーンがじわじわと低くなっていく。
「君が街を救った英雄だろうが関係ないんだよん。……君にはしばらく、ここで頭を冷やしてもらうよん。再び裁判が行われるまでの間はねん」
「最初から無罪放免で帰す気なんてなかったってわけか」
「当たり前だよん。中央区画から逃げ出した指名手配犯なんかを無罪放免にしたら、私たちの権力や支配力が揺るぐかもしれないんだからん」
司教がいやらしく笑う。
「なぁ、司教さん。一つ聞いてもいいか?」
「ん?なんだい?」
司教が面白いとでも言わんばかりに首を傾げる。
「リシェラやゼクフィスたちが俺を忘れたのは……お前たちのせいなのか?」
突拍子のない質問。だが、俺は確信している。この男は何かを知っていると。
リシェラとも顔見知りであった、何よりさっきの反応が根拠である。
「は?記憶……?一体何の話をしているんだい?」
司教は心底おかしそうに肩を揺らし、芝居がかった手つきで額を押さえた。
「何を言い出すかと思えば、急に奇怪な妄想かい?リシェラちゃんたちの記憶なんて、私たちがどうこうできるわけないじゃないかん。指名手配された衝撃で、頭でもおかしくなっちゃったのかなん?」
「……とぼけるな」
「とぼけてなんていないよん。私はただの司教だからねん」
白々しく両手を広げてみせる姿に、奥歯を噛み締める。
だが、俺の追及をあっさりと受け流した司教は、そのままゆっくりと立ち上がった。
「さて、無駄話はここまでだよん。裁判の日まで、そこでじっくりと過去の過ちを反省しておくれん」
司教は翻り、足早に扉へと向かう。
重厚な扉を開け、外に控えていた衛兵たちへ指示を出しながら、すっと部屋を出ていく――その、最後の一瞬だった。
「……あの子たちが君を『忘れた』のはね、それがユカラディピアの『救い』だからだよん」
「――なっ!?」
言葉の意味を問い質そうと身を乗り出した瞬間、ガチャンッ!!と重々しい鉄格子と扉が閉ざされた。
固く鍵がかけられる金属音が地下室に虚しく響き渡る。
「おい!待て!どういう意味だ!?」
鉄格子を叩きつけるが、返ってくるのは遠ざかる司教の足音と沈黙だけだった。
「あの司教……絶対に何か知ってる。リシェラたちの記憶が奪われたことだけじゃない……もっと根深い何かを……」
疲労、そして拭いきれない底知れぬ不気味さに苛まれながら、俺は冷たい石の床へ腰を落とすしかなかった。
「……クソッ」
静電気のように耳の奥に残る「ユカラディピアの『救い』」という司教の言葉。
救い?リシェラたちが俺を忘れることのどこが救いだと言うのか。
駄目だ。今は考えるべきじゃない。頭を冷やした方がいい。
――そうして俺は深い眠りについた。
――それから、どれほどの時間が過ぎただろうか。
地下には陽の光すら届かない。聞こえてくるのは時折上層から届く微かな音と、ポタリ、ポタリと天井から落ちる水滴の音だけだった。
「……暇すぎるな」
膝を抱え、薄暗い天井を見上げる。
やることもなければ、話し相手もいない。シャルヴィエラとの死闘で痛む関節をさすりながら、ただひたすらに時間を潰すしかないのだ。
最初は壁の石組みの数を数えたり、自分の呼吸音に耳を澄ませたりしていたが、それもすぐに飽きた。
「ルナネアの怪我……大丈夫だったかな」
時間が経てば経つほど、思考は悪い方へと傾いていく。
ゼクフィスやリシェラは俺を不審者扱いしたままだろうか。治療は無事に終わっただろうか。
そして何より――あの司教の不気味な言葉。
あいつらは本当に記憶の消去に関わっているのか。
何度か届いた差し入れの乾いたパンと水を胃に流し込み、硬い床で再び深い眠りについた。
身体の節々が痛む。壁の影がわずかに揺れ、器に汲まれた水が濁り……手持ち無沙汰に指先で床のチリを弄り回すような、退屈で不毛な時間が永遠のように思えた。
「……だいたい一日、か」
感覚でしか測れないが、おそらく丸一日は閉じ込められている。
いつ始まるかも分からない裁判――といっても出来レースだが――とやらを待つだけの時間は、思っていた以上に精神を削ってくる。
無力感と焦燥感が胸をじわじわと焼き焦がし、ため息すら枯れ果てかけた――まさに、その時だった。
ジャリ……ジャラ……
重い金属音が地下通路の奥から近づいてくる。
また食事の差し入れか、あるいは前倒しの取調べか。そう思って顔を上げた俺の目に思いがけない光景が飛び込んでくる。
ガチャン!と威勢よく解錠された鉄格子。
その向こうに立っていたのは――
「よぉ、生きてたか眼帯」
「ファイ!」
「よかった。無事だったのね」
「ゼクフィス……!?ルナネア!?リシェラまで……!?」
驚きに目を見開く俺の前に、手当てを終えた仲間たちが勢揃いしていた。
それだけじゃない。彼らの先頭に立ち、呆然とする衛兵たちを従えるようにして一歩前へ踏み出してきたのは、豪奢な服を纏った見知らぬ男だ。
息をのむほど美しい、肩ほどで切り揃えられた紫髪に、尖った長い耳――エルフだ。しかも、只者ではない圧倒的な威権を全身から漂わせている。
「ファイ・ニアスだな。……行くぞ」
エルフの男は、短くそれだけ口にした。
「は……?ちょっと待ってくれ、一体どうなって……?」
「説明は後。行こう、ファイ」
傷の癒えたルナネアが、安堵の笑みを浮かべながら手を差し伸べてくる。
何が起きているのか全く理解できないまま、俺は二日間閉じ込められていた暗闇から引き揚げられたのだった。




