離脱
「まったく、若者というのはすぐに血が上って困るよん。人と真に触れ合うことが出来るのは言葉だよねん」
のんびりとした、緊張感の欠片もない声が夜風に乗って漂ってくる。
固まる衛兵たちの隙間を縫うようにして歩み出てきたのは、優美な金刺繍の施された聖衣を身に纏う金髪の男だった。
「し、司教様……!?なぜこのような場所に……!?」
先ほどまで殺気立っていた衛兵たちが、一斉に目を見開いて武器を下げる。
男は困ったように肩をすくめ、槍を構えていた衛兵の肩をポンポンと優しく叩いた。
「困っている少女の話も聞かずに、いきなり攻撃とは……衛兵としては恥ずべき行為だよん」
「は、はっ!申し訳ございません!」
あまりにも穏やかで、けれどどこか拒めない威圧感を秘めたその制止に、衛兵たちはそそくさと後退した。
緊迫していた空気が一瞬で霧散していく中、男は視線を前に向け――リシェラと目が合うと、親しみやすそうな笑みを浮かべた。
「司教様……!」
「前に一度会ったきりだねぇ、リシェラちゃん……だったっけん?怪我はないかい?」
「はい。私は大丈夫です。それより、聞いて下さい!この人たちは――」
「うんうん、分かっているよん」
必死に訴えかけようとするリシェラを、司教は優しい手つきで制した。温かな眼差しで彼女を見つめ、ゆっくりとうなずく。
「取り乱さずに、まずは君の話をゆっくりと聞かせておくれん。君が嘘をつくような子羊じゃないことくらい、私にはよーく分かっているからん」
リシェラは意を決したように深呼吸を一つ挟むと、ことの顛末を語り始めた。
突如として現れた金髪の魔族『死導赦』シャルヴィエラのこと。地下通路の惨状と、絶体絶命の危機。そして、俺たちが命懸けで自分を守り、満身創痍になりながらもその脅威を退けてくれたこと――
「――だから、この人たちは街を壊した犯人なんかじゃありません!命を懸けて、この場所を守ってくれたんです!」
声を張り上げ、必死に言葉を紡ぎ終えたリシェラ。
司教は「ふむふむ」と深く頷き、慈愛に満ちた眼差しでリシェラを見た。
「よく話してくれたねん、リシェラちゃん。事情はよーく分かったよん」
そう言って満足そうに頷くと、司教は振り返り、控えていた衛兵たちへと向き直った。
「というわけだよん。リシェラちゃんがそう言っているんだよん。ここにいる子羊たちを、まずは負傷者として保護してあげておくれん」
「な……ッ!?司教様、正気ですか!?」
先頭の衛兵が思わず声を荒らげ、信じられないといった様子で食ってかかった。
「いくら司教様のお言葉とはいえ、そちらの男は街を騒がせた指名手配犯ですよ!そんな罪人と、その一味である少女の言い分をそのまま信じるというのですか!?」
「……おやおやん、私の目を疑うのかい?」
一瞬、司教の瞳の奥に怪しい光が宿り、衛兵は息を呑んで言葉を詰まらせた。
だが、司教はすぐに破顔し、ひらひらと手を振る。
「まぁ、君たちの忠義ももっともだよねん。ならば……少し確認させてもらうとしようか」
そう言うと、司教はくるりと体を返し、ゆっくりと俺の前まで歩み寄ってきた。
優美な聖衣を揺らし、じっと俺の顔を見つめてくる。
「そこの眼帯の君。名前を伺ってもいいかいん?」
「……ファイ・ニアス」
「ファイ・ニアス君……」
俺が名乗った、その瞬間だった。
「君が……」
司教の薄い唇が、静かに歪んだ。
慈悲深い聖職者のそれとは微妙に異なる、ねっとりと絡みつくような、どこか異様な笑み。
……なんだ、この違和感は?
背筋を冷たいものが撫で上げていく。
リシェラに向ける優しさとも、衛兵を制した威厳とも違う、得体の知れない闇のようなものが一瞬だけ垣間見えた気がした。
だが、俺が身構えるより早く、司教は元の柔らかい表情に戻り、パンと手を打ち鳴らした。
「よし、決まりだよん!他の皆さんは無罪放免として手厚く保護するけれど……ファイ君、君だけは指名手配犯としての懸念も残っている。事態が整理されるまで、一時的に隔離させてもらうよん」
「司教様!そんな……この人は私を守ってくれたのに!」
リシェラが悲痛な声を上げる。
だが、俺はそっと手を掲げて彼女を制した。
「……分かった。俺はそれで構わない」
「――!?」
「元はと言えば俺が指名手配されてるのが原因だしな。それに、これ以上の混乱は避けたい。皆の……特にルナネアの手当てが優先だ。ヴレイヴァ、ルナネアを頼む」
腕の中でぐったりと意識を失っているルナネアを、慎重にヴレイヴァへと引き渡した。
左肩の痛々しい深傷から溢れる血が、服を赤く染めている。早くしかるべき治療を受けさせなければいけない。
「任せるがいい。我の同胞の命、この我が責任を持って安寧の地へと届けてやろう」
ヴレイヴァはルナネアを傷つけないよう、その強靭な腕でしっかりと受け止めてくれた。
「本当にいいの……?」
不安そうな瞳で俺を見つめてくるリシェラ。
「あぁ、大丈夫だ。命まで取られるわけじゃない。それに……」
俺は視線を少しずらし、側に立つ緑髪の男を見た。
「ゼクフィス。お前たちが無事でよかったよ」
「……勝手に感傷に浸ってんじゃねぇよ。テメェが大人しく引っ立てられるってんなら、俺としちゃ手間が省けて好都合だ」
相変わらずの悪態。だが、そこに先ほどまでの剥き出しの殺気はない。
これでいい。ルナネアが助かり、リシェラとゼクフィスの安全が確保できるなら、一時的な隔離なんて安い代償だ。
「行こうか、ファイ君。早く傷を癒やすためにもねん」
司教が柔らかい声で促す。
その穏やかな表情の裏にチラついた、あの不気味な歪みを頭の隅に焼きつけながら、ゆっくりと歩き出した。
「大人しく歩けよ」
衛兵たちに厳重に包囲され、両脇を固められる。
すれ違いざま、リシェラが胸の前で強く拳を握りしめ、必死な顔で俺を見送っているのが視界に入った。
……必ず戻ってくる。
背中に仲間たちの視線を感じながら、俺は崩落した街の中へと連行されていった。




