今、ここに到る
「舐めてんじゃねぇぞ、バケモノがッ!」
絶望的な詰みの局面。しかしゼクフィスの眼光は死んでいない。
長剣を阻む血の結晶刃に、無理やり『雷刃』を叩き込む。稲妻が至近距離で爆じけたような爆発が起こる。
ガガギィンッ!!
死力を尽くした強撃が、血の防壁を無理やり削り取る。
死角からの強烈な返し刃。シャルヴィエラの太もも、脇腹、首筋へと、再び浅い斬撃の線が奔る。血が滲み、舞う。
だが――シャルヴィエラは一切揺るがなかった。
「良い攻撃ねぇ。今日戦った中だと一番だわぁ」
刻まれた傷口の数々を見つめ、シャルヴィエラはうっとりと瞳を細める。
次の瞬間、ゼクフィスが刻んだ全身の傷口――頬、太もも、肩口、そして脇腹。その全てから溢れ出した鮮血が、あり得ない速度で醜い赤の結晶へと変質する。
数にして数個、いや数十個を超える血の結晶ナイフが、シャルヴィエラの全身を包むように一斉に生成される。
「——いくわよぉ」
刹那。
殺意の針山と化した血の結晶群が、推進力を伴って一斉に射出される。
ドバババババババッ!!
「チッ」
あまりの質量と密度。ゼクフィスは咄嗟に風後退り、長剣を閃光のごとく振るって迎撃を試みる。
ガギンッ!ガコンッ!と硬質な破壊音が嵐のように鳴り響くが、降り注ぐ血の弾幕を完全に捌き切るなど不可能なこと。
剣撃の防壁を破り、剣の死角を抜けた結晶ナイフが、ゼクフィスの肉体を容赦なく穿っていく。
ズスッ!ガチッ!ズスッッ!!
「捌き切れねぇ……!」
肩、腹部、太もも、右腕。
鋭利な結晶が肉を断ち深く刺さる。痛みと衝撃が身体を突き抜け、ゼクフィスの口から熱い血が吐き出された。超速を誇った脚が、ついに膝をつく。
「まだ動くだろぉが!!」
「しぶといわねぇ」
膝をつき、激痛に耐えながらも、ゼクフィスは血走った目でシャルヴィエラを睨みつける。刺さったナイフの激痛を力任せに無視し、震える手で剣を構え直そうとした。
しかし、シャルヴィエラは追撃の手を緩めない。
先ほど『風迅』の暴風によって宙へと吹き飛ばされていた重厚な鎖――それを引き戻すように腕を翻すと、頭上で凄まじい速度で旋回させた。
ガガガガガッ!!
大気を引き裂き、質量と遠心力を極限まで高めた黒鎖。
シャルヴィエラは不敵な笑みを浮かべたまま、その極大の破壊力をゼクフィスへ向けて一直線に振り下ろした。
「――チッッ!!」
直撃のコンマ数秒前、ゼクフィスは本能で悟る。避ける猶予はない。
刺さった結晶ナイフの痛みに叫びを噛み殺しながら、両腕の残力を全てと己の綴力、その殆どを剣へ注ぎ込み防御姿勢をとる。
――ガゴォォォンッッ!!
鉄と鉄が衝突したレベルではない、魔呪綴が至近距離で爆発したかのような重爆音が響き渡る。
ゼクフィスは長剣の腹でなんとか直撃を防ぎ切った。しかし、全身にナイフが刺さり踏ん張りの利かない体では、その圧倒的な質量を受け止め切ることは不可能。
骨が軋む悲鳴とともに、衝撃波がゼクフィスの身体をまるごと呑み込む。
「ッッ!?」
ガードの上から力任せに叩き潰され、ゼクフィスの巨体は弾丸のような勢いで後方へと吹き飛ばされた。
街の家々を何十重にも突き破り、崩壊した石造りの建築物の奥深くへと埋もれていく。もうもうと立ち込める砂塵の向こうで、雷光の気配は完全に途絶えた。
「――風雷さんはサヨナラねぇ。次はぁ……」
シャルヴィエラは舞い散る砂塵を優雅に払いながら、ゆっくりと振り返る。
その妖しく輝く瞳が向けられたのは、影から飛び出し、ただ立ち尽くすことしかできないリシェラだ。
「……嘘っ、ゼクフィス……!」
圧倒的な絶望が、リシェラの全身を縛りつける。
頼みの綱だったゼクフィスが沈み、眼前にはバケモノ。逃げ場などどこにもない。
震える脚を強引に踏み締め、リシェラは綴力を練り上げる。真っ向勝負で勝てる相手ではないことは百も承知。狙うは一瞬の隙を作る絡め手だ。
「独自魔呪綴――『天界の杭』!!」
白銀の光を纏った光の杭が、連続で大気を穿つ。
だが、シャルヴィエラは退屈そうに口元を歪めるだけ。
「それしかないのぉ?」
あざ笑うような呟きとともに、翻る黒鎖。
ガガッ!ギャリッ!
正面から放たれた杭は、ことごとく鎖の残影に叩き落とされ、弾け散っていく。一発たりとも届かない。圧倒的な防壁。
――しかし、リシェラの狙いは最初からそこにはない。
わざと軸をずらして放たれた四本の杭が、シャルヴィエラの四方を囲むように地面へ深く突き刺さる。
「……お願い!!」
リシェラが手を掲げる。
途端、四本の杭を結ぶように光の陣が地表に走り、突如としてその内側の空間に力が叩きつけられる。
ズドォンッ!!
四角形の領域内だけが、目に見えるほどの力によって圧殺され、既に砕けた地面が一瞬で粉末状に爆砕した。相手を拘束し、ダメージを与えるトラップ。
「甘いわねぇ」
だが、その強大な力が空間を押し潰すまさに直前――シャルヴィエラの身体は軽やかに宙を舞っていた。
リシェラの領域が完成する前に跳躍して回避してみせた。
「そんなに必死だとぉ、今すぐにでも殺したくなるわぁ」
空中から見下ろすシャルヴィエラの瞳に、冷ややかな殺意が宿る。
浮遊する無防備な一瞬――ではなく、シャルヴィエラの手から放たれたのは、大気を切り裂く必殺の一閃。
ギャリリリッ!!
頭上から振り下ろされた黒鎖が、超音速の鞭となってリシェラの首元へと襲いかかった。
「――!?」
思考より先に、本能が弾け飛ぶ。
リシェラは前傾姿勢のまま地を這うように身を投げ出した。
ドガァンッッ!!
直後、リシェラが直前まで立っていた場所の地面が、爆破されたように削り取られる。
頬をかすめた瓦礫だけで皮膚が裂け、朱色の血が舞う。
「さようならぁ、天杭さん」
軽やかな、けれど確定した死を告げる声。
宙から着地したシャルヴィエラが、なんの溜めもなく腕を振るう。
ガッ――ギィンッッ!!
空気を絶裂させ、目前から迫る黒鎖。
地に伏せたままのリシェラには、それを避ける脚力も、防ぐための綴力も残されていない。
「あ……っ」
視界を埋め尽くす黒い質量。死の気配が肌を撫でる。
思考が凍りつき、リシェラが静かに死を覚悟して瞳を閉じた――その刹那。
――ズバァンッッ!!
「……あらぁ?」
耳を穿ったのは、激しい金属の衝突音と、シャルヴィエラの不可解そうな声。
想像していた激痛は来ない。恐る恐る目を開いたリシェラの視界に飛び込んできたのは、自分の真前に立ち塞がる、見覚えのある黒髪の男だった。
間一髪。
横合いから割り込んだ人影が、手にした短剣で、死を運ぶはずだった黒鎖の軌道を強引に側方へ受け流す。
削られた石畳の粉塵が舞う中、その男は鎖を弾いた残光を纏いながら、首だけを軽やかにこちらへ向ける。
「怪我はないか?リシェラ」
「え……あ……」
助かった。その事実が脳に届くより先に、リシェラの思考は別の混乱によってフリーズした。
記憶の引き出しが急速に遡り、ひとつの答えに行き当たる。
命の恩人に対して抱くべき感謝よりも先に、警戒と驚愕が表情を支配した。
かつて遭遇した、あの正体不明の存在。
ゼクフィスからも注意するよう言われていた、あの――
「あ、あなたは……っ!あの時の不審者……!?」
助けに来てくれた英雄に対する第一声としては、あまりにも酷い一言。
しかし、命を救われた安堵と、わけのわからない人物が乱入してきた混乱が混ざり合い、リシェラの口からは素の叫びが飛び出していた――




