僅かな隙
さらにスピードが跳ね上がる。
『雷刃』の稲妻が周囲の瓦礫を加熱し、空気を焼き焦がす臭いが広場に満ちる。一撃一撃の重みと速度が加速度的に増していき、残像はもはや一筋の閃光ではなく、第一区画を覆い尽くす雷の網目と化している。
ギィンッ!ガガッ!ズバァンッ!
「――っはァ……!!」
ゼクフィスの追撃が、ついにシャルヴィエラの絶対的な防御領域を打ち破り始める。
宙を切り裂く長剣の切っ先が、シャルヴィエラの頬を掠め、太ももを裂き、肩口の布地を切り飛ばす。微かな浅い傷――だが確実に、バケモノの肉体に朱色の線がいくつも刻み込まれていく。
しかし、命を削るような超神速の連撃を繰り出すゼクフィスに対し、シャルヴィエラは死角からの斬撃を短剣と鎖で最低限受け流しながら、何でもない雑談でもするかのようにくすくすと喉を鳴らし始める。
「風雷さんの最初の攻撃、ウチ驚いたわぁ。だってぇ、いきなり『あれ』がくると思ったからぁ」
「……っ!!」
全神経を加速に集中させていたゼクフィスの表情が、一瞬固まる。
言葉の意味に思い当たる節はあった。だが、これは自分に集中を切らせるための罠だと判断し、一切の言葉を返さずに刃を振るい続ける。
思考の一瞬の遅れこそが、この怪物相手には命取りになるからだ。
だが、攻撃を受け流しながら、シャルヴィエラは軽やかな声で追撃するように言葉を重ねる。
「でもぉ、その様子だと『あれ』は使えないようねぇ」
「ガタガタ抜かしてる暇あんのか……ッ!!」
ゼクフィスに苛立ちが募る。
自身の最高速をいなされ、上から目線で底を見透かされたような不快感。そして何より、『あれ』を使えないと断定された屈辱が、ゼクフィスを逆撫でした。
怒声とともに振り下ろされた落雷の一閃。しかし、それすらもシャルヴィエラは片腕の鎖と短剣で防いでみせる。
金色の髪をなびかせ、シャルヴィエラは冷徹なまでの笑みを深めていく。
「じゃあ、ウチが『あれ』見せてあげるわぁ」
その言葉が落ちた瞬間、世界の重力が変質したかのような錯覚がゼクフィスを襲った。
「――っ!?」
ゼクフィスの皮膚が、一斉に総毛立つ。
シャルヴィエラの全身から溢れ出したのは、これまでの戯れのようなプレッシャーとは根本から次元の異なる、狂おしいほど濃密で禍々しい綴力の奔流だ。
地面が、ただその圧力を受けるだけでミシミシと音を立てて爆砕していく。
同時に、三つの異質な気配が、シャルヴィエラの周囲で不気味に渦を巻き始める。
これまで死線を潜り抜けてきたゼクフィスの顔に、初めて明確な焦燥と汗が滲む。
荒い息を吐きながらも、間合いを潰そうと強引に踏み出しかけた足が一瞬だけ縫い止められた。
――シャルヴィエラは狂気的な愉悦を瞳に宿し、その可憐な唇を滑らかに動かす。
「黒鎖・血海・風魔――三――」
世界が死の色に染まりかけた、まさにその刹那。
「独自魔呪綴!!『天界の杭』!!」
背後から響き渡ったのは、必死の叫び声だった。
ここまでゼクフィスの超高速戦闘を邪魔させまいと、遮蔽物の影に身を潜めていたリシェラだ。
リシェラには、シャルヴィエラが何を企み、どんな大技を出そうとしているのか、その詳細までは理解できていない。
だが、肌を刺す圧倒的な死の気配と、シャルヴィエラの放つ異質な綴力から直感していた。
あれが発動された瞬間、自分も、そしてゼクフィスすらも一瞬で消し飛ばされるということを。打たせてはならない。何としてでも、今この瞬間に遮らなければならない――
放たれたのは、白銀の光を纏った幾十もの巨大な光の杭。それらが空間を切り裂き、殺気を孕んでシャルヴィエラへと殺到する。
「……ッ」
シャルヴィエラは振り返り、途中で『あれ』を綴るのを中断せざるを得なくなった。
振り返りながら、左手に握られた鎖を風車のごとく旋回させる。
ギャリリリリッ!ガガガァンッ!!
大気を唸らせる鎖の防壁が、飛来する『天界の杭』と正面から激突。無数の硬質な破壊音とともに、白銀の杭は次々と粉砕され、眩い光の粒子となって爆ぜ散っていく。
「あんがとよッ!」
吐き捨てながらも、ゼクフィスの身体は既に極限の反射速度で反応していた。
リシェラの決死の介入によって生まれた、ほんのコンマ数秒の不備。この千載一遇の好機を逃すほど、ゼクフィスは甘い男ではない。
「付与魔呪綴――『風・刹・雷 風迅!!』」
ドッ、と激しい爆風が爆ぜる。
リシェラの光の杭を激しい鎖の旋回で叩き砕くシャルヴィエラに向け、ゼクフィスは疾風の加速を爆発させて肉薄する。
「良い判断だと思うわぁ」
杭をさばき続ける猛攻の最中でありながら、シャルヴィエラの反応は依然として鋭い。ゆるゆるとした顔のまま、空いているもう片方の手に握られた重厚な鎖を同時に翻す。
宙を切り裂き、向かってくるゼクフィスの急所を的確に穿とうとする必殺の迎撃。
だが、ゼクフィスは踏み込みと同時に、『風迅』が巻き起こす絶大な暴風の渦を前方に解放した。
ガガガァンッ!!
「あらぁ……」
猛烈な風圧の衝撃波が直撃し、襲い来る鎖と短剣の軌道が強引に押し戻され、宙へと激しく吹き飛ばされる。いくらシャルヴィエラといえど、絶妙なタイミングで叩き込まれた大気の奔流までは抑え込めない。
シャルヴィエラの胸元が、完全にがら空きとなる。
「付与魔呪綴――『風・刹・雷 雷刃』ッ!!」
迎撃の武器を吹き飛ばしたその刹那、ゼクフィスは間髪入れずに『雷刃』の稲妻を長剣に纏わせる。
風の勢いをそのまま殺さず、雷光の如き踏み込みへと変換する。空気を焦がしながら、ゼクフィスはシャルヴィエラの懐深くへと一気に接近し――一閃。
ゼクフィスの刃が夜気を切り裂き、がら空きになったシャルヴィエラの首元へと吸い込まれていく。
肉を断ち、骨を砕く、確固たる手応えの直前――勝負は決したと誰もが確信する一瞬。
――ズバァンッッ!!
爆音とともに、不可解な衝撃がゼクフィスの両腕を襲う。
「――ッ!?」
首を跳ね飛ばすはずだった長剣の刃線が、首元まで数ミリの空間でぴたりと凍りつく。
切っ先を押し止めていたのは、金属でも、防具でもない。
――血だ。
先ほどゼクフィスが刻んだ、シャルヴィエラの腕にできた傷。そこから滲み出ていた朱色の鮮血が、あり得ない密度と硬度で凝集し、まるで無数の結晶体のごとく刃のような形状へ変質している。
幾層にも重なり合った血の結晶の刃が、ゼクフィスの放った雷光の一閃を、寸分の狂いもなく正面から受け止めていた。
火花と血煙が撒き散らされる至近距離。
ゼクフィスと視線が交錯するその渦中で、シャルヴィエラは唇を可憐に歪め、心底おかしそうに目を細める。
「あらぁ、使うつもりなかったのにぃ、残念だわぁ」
血の結晶越しに、シャルヴィエラはとろけるような笑みを深めてみせた。




