表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/31

第二十四話 最高峰の片鱗

彼は、缶の蓋を閉じた後も、しばらくそのワックス缶を手にしていた。


甘く優雅な香りが、まだ手に微かに残っている。


この究極のワックスに辿り着いた興奮が、彼の視野を狭くしていた。


しかし、その高揚感からしばらくして、彼は同時に買った下地剤の存在を思い出した。


「あっ、そうだった……」


彼は苦笑いを浮かべながら、ワックス缶の隣に置かれていた専用の下地剤のボトルを手に取る。


小ぶりなボトルは、ワックスと同じデザインで統一され、とても落ち着いた見た目をしていた。


彼は軽く振ってみて、パシャパシャという音から、それが粘度の低い液体であることを知る。


慎重に数滴手のひらに出し、色と匂いを確認してみる。


乳白色で、香りづけはされていないようだった。


若干の匂いはあるものの、特に嫌な臭いもしない。


「こっちは匂いしないのか……」


少なからず期待をしていた彼は、少し残念そうに呟く。


ワックスの開封に没頭しているうちに、すでに昼前になっていた。


興奮冷めやらぬまま、彼はいつも通り簡単に昼食を済ませると、ワックス缶と下地剤を持ってガレージへと向かった。


ガレージに着くと、彼はすでに並べられている高耐久ワックスの隣に、北欧ワックスと下地剤を置いた。


それだけで、言いようのない満足感に包まれる。


少し立ち止まってしまった彼だが、その余韻を胸に、いつものルーティーンで洗車を開始した。


数十分後。


いつものルーティーンより少し時間のかかった洗車を終え、彼はガレージへと車を入れた。


本来は、年明けの時間のとれる連休に、しっかり準備をしてワックスを使う予定のはずだった。


だが、案の定というか、当然というべきか、試さずにはいられなかった。


それを自覚している彼は、今日の洗車の時にボンネットだけワックスをしっかりと落とし、下準備を整えていた。


一番目立つ場所で、このワックスを堪能することにしたのだ。


最高峰のワックスの性能を引き出すには、下地が不可欠だ。


彼はそれを、改めて強く意識する。


興奮は収まり、彼の顔はすでに、最高峰のワックスの仕上がりへの期待で緩んでいた。


彼はまず、専用下地剤を専用のアプリケーターに取り、丁寧にボンネット全体へ塗り広げた。


その作業は、かつて行っていたワックス塗布の予行演習のようだった。


下地剤は塗り跡を残すことなく、スムーズに拭き取られていく。


ボンネットの塗装面は、ワックスを待つ最高のコンディションへと整った。


そして、いよいよ本命の出番だ。


彼は再び北欧ワックスの蓋を開けた。


指先にワックスを取り、手全体になじませ、しっかりと溶かしていく。


そして、それをボンネットへと塗り広げていった。


施工は、高耐久ワックスより少し溶かすのに時間がかかった。


塗り広げる時にも、わずかな重さを感じる。


しかし、数回繰り返すうちに、それも気にならなくなった。


この北欧ワックスの質感や香り。


そして何より、最高峰と言っていいワックスを施工しているという満足感が、彼を満たしていた。


ボンネットを塗り終え、乾燥を待つ間に、彼はひとつ実験を試みた。


ボンネットに影響が出ないよう注意しながら、隣接するフェンダーに、簡易的なリセットをしただけの状態でワックスを塗り込んでみる。


すると、ボンネットの下地剤を使った箇所と比べて、明らかな施工しづらさを感じた。


「……なるほど。これが専用品か」


彼が知っていたのは、他社製品による汎用品の範囲だった。


しかし、専用品は違った。


二層目のワックスを施工するかのように、というのは大袈裟かもしれない。


それでも、汎用品との差を言い表すなら、それが一番近いように思えた。


「なぜ、あの高耐久ワックスを買う時に、専用下地剤を買わなかったんだ……」


彼は思わず、過去の自分の行動を悔やんだ。


ワックスが乾燥した後、彼はクロスで丁寧に拭き上げた。


その艶は、過去に経験したものとは別物だった。


高耐久ワックスが、光を反射して輝く光沢だとするなら、北欧ワックスは、光を一度受け止め、その上で静かに纏うような艶だった。


凪状態の静かな湖面のような、落ち着いた艶。


「なんだ、これ……」


彼は思わず声に出し、そのボンネットの仕上がりにただただ驚愕した。


これは、単なる艶ではない。


触れば手が吸い込まれそうな艶を放っている。


彼はこの時、自分がこのワックスメーカーの世界へ、完全に足を踏み入れてしまったことを悟った。


彼はまだ、このメーカーが持つ世界の、ほんの片鱗しか見ていなかった。


この先には、さらに多様なワックスがあり、今回手にしたものを上回る高額な製品も存在している。


そして、さらに高みを目指した新たな製品が発売されることなど、この時の彼は知る由もなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ