49.赤の紋様
騎士団の留置塔は敷地のほぼ中央に位置する。
狭い石階段をぐるぐるひたすら登るライアは左右前後を騎士に囲まれていた。
「こちらです」
「……グス、……」
鉄の扉が開かれ中に入る。
騎士たちは気まずそうに視線を落とし、食事の時間や留置場での過ごし方を説明した。
侍女もメイドも付かない牢獄での生活にライアが耐えられるのか心配しているのだろう。男ならば多少は野営の経験があるが、女はそうもいかない。
簡素な寝台に小さなテーブルと椅子。
水瓶の置かれた台は簡単な衝立で区切られ手洗い場となっていた。
牢獄と比べても最悪に近い。刑も確定していない留置ならば客室のような部屋のはずなのに。
ライアはシクシク泣いて、扉の窓から騎士たちを見上げる。
「ど、どうして…… わたくし、なにもしてないわ」
「……話は後日聞くことになっておりますので」
「嫌よ、こんなところ少しも居たくないわ。ねぇ、お願い……」
「申し訳ありません。失礼します」
騎士たちは鍵を何度も確認し、最後に魔法で封をして逃げるように塔を降りて行った。
ライアは鼻を啜りながら足音が聞こえなくなるのを確認すると、スッと顔を上げて扉に背を向ける。
「……あの悪魔め。嫌がらせにも程があるわ」
後ろに手を回してホックをいくつか外すと胸元が楽になる。スカートのリボンを解いてボリュームのあるパニエと一緒に脱ぎ捨てた。胸当てを抜き取り、キツく締めたコルセットの紐を緩めて上着もすべて脱ぐと透け感のある肌着だけになる。
「ガウンくらい用意してくれてもいいじゃない」
備品はほとんどない。着替えは神官が着るような質素な寝巻きだけ。
ぶつぶつ不満を口にしながら水差しの水を飲むと少しは気も落ち着いた。
……すぐに、ぜんぶ、取り戻すわ。彼の目的は分かっているもの。母を奪われた報復にわたしからアルフォンスを奪う気なのよ。
ユリウスの入学当初はアルフォンスを壊すか殺すつもりなのだと思っていた。真っ先に自分を殺しに来ると身構えていたのに、気配があるだけで実際に命の危機は無かったから。
夜中、寝台のそばにユリウスがボーッと立っているだけの夢を見た。
雨の日、生垣の向こうから小さなユリウスがジッとこちらを睨んでいる幻覚を見た。
静かな朝、部屋の外では使用人が血の海で折り重なっている妄想が止まらず扉の前で震えた。
ほとんど毎日、そんなふうにユリウスの影に怯えていた。
ユリウスが入学してからは気が気ではなくて、早急に排除しようと学院に手を伸ばした。が、どれもこれも失敗。でもまだアルフォンスは生きている。そのかわりアルフォンスはおかしくなってしまった。
外から入って来る話はアルフォンスを誉めそやすものばかりだったが、離宮に顔を出さなくなり。ライアの身辺を探るようなこともあった。
決定的だったのは祭司ゲルルトの断罪だ。
それで、ユリウスの狙いがハッキリした。
ユリウスに母への憎しみを植え付けてしまったから、アルフォンスにも……
そうやって母子を引き離して、自分を殺した後にひっそりアルフォンスも処分する気だろう。いや、アルフォンスが先かもしれない。
目の前でアルフォンスの首が落ちる夢を何度も見た。たまに、本当にあったことのように思えて涙が止まらなくなる。
『早くこの生き地獄から抜け出したい』
『終わらせたい』
それでも穢れを溜めずに生きてこれたのは“愛”があったからだろう。
愛する息子と愛する男。
それこそ、コンラッドと会っていない時間はほとんどアルフォンスと過ごしていた。
穢れが負の感情から来るものならば、それを癒す一番の感情は愛だ。
アルフォンスに苛立ってもコンラッドを想い。
コンラッドに苛立ってもアルフォンスを想う。
だからユリウスはコンラッドを。
……コンラッド様。
でも、まだアルフォンスは完全に悪魔の手に堕ちてはいない。彼との関係を知ってもまだ母を見放していなかったから。もうダメかと思ったけれど。
本当に優しい子……
ユリウスに突き付けられた証拠を見て、たしかに動揺した。数日前にアルフォンスが「自首してくれ」と言い出したときにはユリウスからそう信じ込まされたのだろうと思っていたから。
本当に証拠が揃っていたなんてね……
開き直る事もできたけれど、ユリウスが持つ紙束はいくつもあった。彼もそのつもりでああしてひけらかしたのだろう。
それでも親子の絆はそう簡単に断ち切れない。
どんなに出来の悪い子でも、思い通りにならなくても、不甲斐無さに苛立っても、アルフォンスを愛しているように。
アルフォンスもきっといつか分かってくれる。
悪魔の化けの皮を剥いで、泣いて謝るアルフォンスを母の大きな愛で許して、それで…… 三人で仲良く暮らすのだ。
もし、最悪、あの悪魔の手にかかろうとも……
「……殺せばいいッ! そうよ、殺せばいいのよ! 殺してみろ! 見ているんでしょう! わたしを殺したいなら殺しなさい! それでも最後に笑うのはわたしよ! もう遅いんだから! わたしを殺すとき、お前も破滅する! わたしの地獄も、お前の人生も終わるんだ! アッハハ…… アハハハハハハッ…… 終わらせ、なさいよ……」
ライアの叫びは誰にも届かず狭い部屋の中で反響した。
◆
「先生、ちょっと……」
「目を瞑っていようか? 手の感覚だけでも手伝えるよ」
「それはそれで……」
シェリエルの寮室にある客用の寝室。
転移した途端、彼女は急激に体温を上げていた。これまで気力で抑え込んでいたのか、他人の魔力で転移したことで体内の魔力均衡が崩れたのか。とにかく顔を赤くして目も潤んでいる。
「病の種類は?」
「ミルドム風邪と土壁病です。ハピオも反応があったのですけど…… 先ほど調べたら自然治癒していました」
「ハピオ…… 変異種か」
「勝手に祓われたみたいですね。あとのふたつもまだそれほど進行してないようです」
「この熱は?」
「……っ! それは違いますから」
「そう? で、薬は?」
「ここに……」
シェリエルはまた顔に熱を集めながら片手で空を裂いて、小さな陶器の壺を取り出した。塗り薬のようだ。
「ほら、時間が無いんだろう」
「う……」
この期に及んで何を恥じらうことがあるのか、とユリウスは首を傾げる。
シェリエルはしばらく顔を真っ赤にして目を泳がせ、覚悟を決めたように薬壺を渡すとクルッと背を向けた。チャリチャリと鎖を外す音がして、踵まで長さのある細身のジャケットを脱ぐ。それを受け取って椅子の背に掛けている間、彼女はモタモタとウエストのリボンを解いていた。
ユリウスはシェリエルの長い髪を指先で分けて肩の向こうへやる。首のうしろにあるホックを外して、その下にも手を掛けると、シェリエルが「ヒッ」と息を飲む音が聞こえた。
「何も思わないよ」
「そこは、思ってください……」
「は?」
「万年情緒最底辺人間め」
なぜ罵られなければならないのか……
不思議に思いながらもシェリエルの緊張が伝わってきて、ホックを外す手も慎重になっていた。
彼女が背を割るようにドレスを肩から落とせば、肌が透けるような薄いシュミーズとドロワーズだけになった。
今夜着ていたシュミーズドレスとか言うものとは全く違う。肩を露出させ、締まった腰に沿うように薄布が曲線を描いている。
「……ふむ」
「……そ、気持ち悪いですよね、やはり賢者様に」
「いや、問題ない」
彼女が気にしているのは肩甲骨から腰にかけて、真っ白な肌に浮き上がった赤い鱗状の痣のことだろう。左右対称に伸びたそれは猛禽類の翼のようにも見える。
「わ。脇腹にも回ってますね。背中もです、よね?」
「ああ」
「でもまだ発疹にもなってない…… 組織は取れなさそうです」
「まだ諦めてなかったのかい?」
「可能性はあるでしょう?」
顔は見えなかったが未練がましい声だった。
本命ではないものの、魔力結晶が採れることを期待していたのは確かなようだ。
「どうしてそこまでする?」
「……?」
「ディディエに任せてすぐに治療すればこうして肌を傷めることもなかっただろうに」
「ベリアルドは基本自己責任の精神なので」
「アレはそれほど頼りない?」
「いいえ。とても頼りになる兄です」
魔力持ちの患者に抗病原魔法を使うと反動がある。まだ目立った症状もないシェリエルでも治療すれば寝込むことになるだろう。ディディエもそれを察して最速で準備を進めたのだ。
ユリウスが学院に戻った頃にはほとんど終わっていて、結局ディディエに「役立たず!」と罵られるはめになった。
それに、彼女は口にはしないがマリアに対しても義理を通そうとしているように思えた。
マリアを贄に差し出す代わりに自分も検体となろうと。どうせあの娘には伝わらないだろうに。
「あ、先生。薬だけ塗ってもらえますか」
「まだ現場に出るつもりか」
「どうせ夜明けまでですし。勝手に穢れが祓われるからか進行が遅いようなのです。もしかしたらミルドム風邪の方は自然治癒してしまうかもしれません」
「なるほどね」
「さ、最厄期の疫病は穢れによるものですから。普通の人には脅威ですけれど、わたしや先生には影響がないみたいですね。でも、だからこそ死者数が跳ね上がるというのも納得です。変異種じゃなくても祓いをした方が良いかもしれません。土地の穢れが濃くなっているから感染力や進行速度も——」
「緊張している?」
「〜〜!」
シェリエルは痣に負けないくらい首まで真っ赤にして俯いた。
薬壺の蓋を開けて指に取るとシュミーズの裾を捲り上げて手を滑り込ませる。
指先が肌に触れるとシェリエルはビクッ、と肩を跳ね上げた。
「せ、せんせ、結界……は」
「私も全属性だ、必要ない」
「ッ!」
指の腹を使って丁寧に塗り広げていけば、冷たい軟膏が彼女の温度に変わっていく。
燃えるような赤い紋様があっても陶器のように滑らかな肌だ。
真っ直ぐ縦に線が入った背中は適度に筋肉が付いていて、柔らかさを残しつつもハリがある。
「……赤紋病のようだけど、土壁病で間違いないのか」
「っ、ヤ、はい…… あの、あとは自分で、ッ」
「ついでだ。服を持っていて」
「ひゃッ……」
薬の付いていない手で薄布の裾を持ち上げ、シェリエルに前で持たせる。
露わになった肌は赤椿が踏み散らされた雪道のようだった。
ユリウスは両手に薬を取ってシェリエルの脇腹に手を伸ばす。そのまま腹へと指を這わせるとシェリエルは面白いくらいに鼓動を速めて苦しそうに息をした。
「見ないから。どこまで塗ればいい?」
「ふっ、もう少し上、の」
ヘソのあたりから真ん中に薄く筋が入っている。
「すごい腹筋だね。これ以上鍛えると男が怯むよ」
「先生と、結婚するので。問題ありませン」
「それは無理だな」
「乙女の肌に触れておいてッ!」
「期待に応えただけなのに」
シェリエルは胸元で服を押さえたままキッと睨み付けるように半分だけ振り返った。
正直、揶揄い過ぎたと反省しそうになるほど怖い。病人とは思えない殺気を纏っている。普段ならここで止めにするが、なぜかこの時は黙ることが出来なかった。
「ま、私が適任であることには違いない。ディディエやリヒトでは命の加護に反応して悪化する可能性があるし、メイドの結界では心許ないだろうから。そういう意味では私しかいない…… な」
「そ、そうです。だから、べつに。そんな深い意味は無くてですねッ……」
パッと手を離して。彼女の潤んだ瞳に焦点が合った。
ドクドクと強く鳴る鼓動と、頭に血が昇るような熱っぽさ。
……まさか私にも病が?
粘膜から感染するというので今も頭部には結界を張っているが、いつどこで病を貰ったのだろう。
真面目に考えていれば心拍が安定し、「ん?」と思っていれば、シェリエルは半分ほど瞼を下ろしてどうしようもない人間を見るみたいな光のない瞳に変わっていた。
「先生ェ……」
「問題ない」
「問題大有りですよ。他人の感情に敏いのに自分の感情には鈍いってどういうことですか?」
「、? 少しは改善しているはずなんだけど」
「左様ですか…… お薬ありがとうございました。これでしばらくは悪化しないと思います」
シェリエルは急にスンとしてひとりで例の緩いシュミーズドレスに着替える。
お役御免となったユリウスは薬壺を片付けたり手を洗浄したりしてシェリエルを視界に入れないようにした。
今になって彼女の着替え姿が酷く背徳的に思えたのだ。
これまで死んだ女の裸体をいくつも見てきたのに。
「どうしました?」
「いや……」
「……?」
「すまなかった」
何に対しての謝罪なのか、ユリウス自身分からなかった。
彼女を検体として見ていたのだろうか、とか。
年頃の娘なのだからもう少し気をつかうべきだった、とか。
揶揄い過ぎた、とか。
気持ちに応えてやれないのに、とか。
さまざまな考えが一瞬のうちに過ったが、どれもしっくり来ない。
「色っぽい話では無さそうですね」
「……ん、そうだね」
「もしかして、罪悪感を感じているのですか……?」
「……そうか。そうかもしれない」
「先生? なにか変です」
この胸のざわつきには覚えがあった。
針を刺すような痛みではないが、瘡蓋になった傷が疼くような不快感。
「……少し後悔している。私のわがままで君が病を患うことになった。それを、申し訳なく思っている…… のかな」
赤い紋様がシェリエルの引き締まった身体に映えて美しいと思った。
けれどそれは不謹慎な考えだ。——たぶん。
肌に触れて心地良いと思った。
けれどその滑らかさはあと数日もすれば醜いザラつきに変わる。——シェリエルの魔法が無ければ。
「ライア様のことが無くても起こり得たことです。すぐに治療しなかったのもわたしの都合と、下心、ですし……」
「いや。そろそろ終わりにするよ。近々ライアは処分する」
「まだ粘るつもりだったのですか?」
「まあね」
「玩具を諦める子どもみたいな顔をしてますけど」
「生き甲斐だったのに」
「歪み過ぎでは?」
「自覚はある」
シェリエルがク、と眉を寄せて呆れたような笑みで溜息を吐いた。
ユリウスも同じように右眉を寄せて口角だけで笑う。
「戻りましょうか」
「働き者だね」
「未来の夫の後始末も花嫁修行のひとつですから」
「熱で脳がやられているらしい、休んだ方が良いよ」
「お陰様で肌の痛みも引いて快調です」
「………………」
「…………」
「……」
ユリウスは適当に会話しながら、頭の片隅では静かに人生の区切りを付けることを決めた。





