42.藤色の指揮
一方学院の教職員室では、当然のごとく大変な混乱に陥っていた。
『カッパー寮、生徒の収容完了しました!』
「学院長に報告せねば…… いや、どうする。報せて良いものか」
「もう学院だけの話では収まらないでしょう!」
『こちら正門! 騎士団が来ています! 摘発屋とは別のようです!』
「え、生徒の回収は摘発屋に任せたんでしたっけ? 大丈夫ですか? 変な噂になりますよ」
「そんな噂が立つ間もありませんよ。この時期に学院から疫病を出してしまったんですから」
「元老院には…… 大方の調査が終わり次第報告ということで…… 良いですかね?」
「何を言っているのです! ただちに報告すべきです!」
ロミルダが人をかき分けながら厳重に鍵のかかった戸棚へ向かう。何やら呪文を唱えて扉を開けると元老院に繋がる直通の通信具に手をかけた。
「あ。ロミルダ先生、お待ちください」
「ディディエ先生? 今までどちらに?」
ディディエは落ち着いた声で「まあいろいろ」と言って魔導具を切ると、そっと扉を閉める。
「どういうことです。まさか隠蔽するおつもりではありませんよね」
「すでに元老院は招集済みです。賢者と有識者も集まっているところでしょうから、無用な通信はお控えくださいと言いたかったのです」
「そうでしたの……」
「報告が遅れて申し訳ありませんでした。どうやら先生方もお困りのようですし、この件は僕に任せていただいても?」
「ディディエ先生が……?」
ロミルダのみならず全員が不審がってどよめきが起こる。
当学院はトップが“元老院の誰か”であるだけで、教師の間に序列は存在しない。よって、誰が指揮をとっても良いのだが、ディディエはいかに自身が適任であるかを雄弁に語るのであった。
「すでにプロキオン先生からお話があったかと思いますが、今回のことは統治の課外授業にマリア・バルカンが独断で紛れ込んだことが発端です。が、その授業も僕の妹であるシェリエルが言い出したこと。さらに、ガーランドで病人を集めたのもシェリエルです。兄である僕が事態の収束に努めるのも当然のことではないでしょうか。それに、これから何をするにもその判断のひとつひとつに責任が生まれます。誰もそのような重責、背負いたくはないでしょう?」
「ディディエ様はシェリエル様のためにその責を被ると?」
「いいえ、二人で仲良く分け合いますよ。僕らは兄妹なので」
甘ったるい笑みを浮かべたディディエだったが、その裏ではいまにも怒りでどうにかなりそうだった。
シェリエルを失うかもしれないと思うと脳みその至るところでパチパチと何かが爆ぜるような心地がする。
滅多にない“恐怖”という名の化け物を前にして、しかしその刺激に微かな愉悦も感じ、こんなときにまで快楽を見出す自身の性に、呆れ、自賛し、そしてまた怒りを積み上げた。
「だが…… ベリアルドに任せるというのは……」
「ああ……」
「良いんじゃありませんか? 責任は取るとおっしゃるのでしょう? それに、ディディエ先生ならきっと上手く誤魔化してくださいますよ」
「たしかに……」
特別責任感の強い者以外はこれに賛成した。
誰だって怒られるのは嫌だし、どう考えても負け戦であるのに自ら大将を買って出るなんて自殺行為だ。これは保身であり、ディディエの能力を認めてのことであり、ある種の現実逃避でもあった。
ディディエは仰々しく「ありがとうございます」と腰を折り。一拍置いて、スクッと背筋を伸ばすと、
「……では……、ここからは僕がボスだ。言われた事は完遂しろ。正義感で余計なことをするな。口答えは許さないよ。全員黙って指示に従ってもらう」
天上天下唯我独尊よろしく、したり顔で言い放つ。
「……!?」
「まずは全生徒の感染検査だね。魔導具が届き次第、手分けして寮へ向かわせるから。その前に自分たちの検査だけど、一回やって見せるからよく聞いて」
唖然とする教師陣の隙間を縫って、いつのまにか紛れていたアロンが何人かの教師に紙束を渡して回った。
そこには縦横格子状に線が入っていて、それぞれ一番上の段に名前、年齢、感染の有無、病名、など項目が記されている。
ディディエはその間にも、さっき習った魔導具の使い方を説明しながら魔導具に自身の血液を垂らし、どのページにも変色がないことを全員に見せる。
「——ね? 使い方は至って簡単。感染してたらそのページにある病名をこの紙に書き込むだけ。感染者はこの三日外出していないか確認を。問題は自身への感染を防ぐことだ。この白衣とマスク。タグを肌に付ける必要があるから襟のない服に着替えること。それでも完璧ではないから護身結界が得意な教師に検査してもらう」
「ヒェ……」
「そう、良くわかったねジェフリー。隠れても無駄だよ。君はカッパー寮だ、がんばって」
「そんなぁ…… ボクまだ死にたくない…… というか、この中に感染者がいたらどうするの! こんなに集まってて平気!?」
「たぶん大丈夫だよ。マリアくんは教室でも後列だから教師とは距離があるし」
「なるほど……」
「というわけで、薬草学、錬金術の研究者は検査に回ってもらう。下級生からはじめて検査してウイルス性の病にだけ感染した者がいたら僕を呼んで。その場で治癒するから。同室で感染してない者がいたらどこかに移すように。あと、礼儀作法と使用人科の教師、水の加護を持つ者は全館の清掃と消毒。これは清掃する箇所の順番を守ってもらう。明け方にはベリアルドから応援が来るから完了したところを記しておいて」
礼儀作法の教師であるヘイゼルはアロンから別の用紙を受け取った。
館内の見取り図らしく、区画ごとに番号が振られて色分けされている。
いつの間に用意していたのだろう、とざわざわするなか、アロンはまた別の紙を配りはじめた。
「騎士科の教官殿には馬車をすべて第七演習場へ動かしてもらって、生徒が逃亡するようなことがないか見張ってもらう。幸いこの学院は元王城だ。見張りには適しているから数名でいい。徒歩で下山するほどバカな生徒がいないと信じているけど一応ね」
この学院はかなり高い山の頂上に建っている。選りすぐった騎士学科専攻の生徒でも一日はかかるので、逃げ出しても王都に出る前に力尽きるだろう。
「さて、他の教師諸君にもやってもらうことはある。全員通信の魔導具を装備して僕の指示をいつでも聞けるようにしておいて。僕の補佐はディルクとアロン、モーゼスの三名のみ。モーゼスはアロンの弟だ。後で紹介するから声を覚えて。他の人間から指示があった場合は必ずこの三人か僕に確認するように」
教師陣はまた「えっ」と戸惑いを見せた。指揮系統の乱れを危惧しての事だと理解は示すが、それにしてもやり過ぎではないかという困惑がある。
ディディエはその揺れを読み取りながら、敢えて理由は説明しなかった。
いま届いたユリウスからの通信はここで明かすべきではないと判断して。
「よし、じゃあ検査の紙を配られた者は装備を確認して輸送室へ直行。魔導具を受け取ったら各自紙に書かれた寮へ向かって。清掃担当は本館エントランスに消毒薬と掃除用品が揃ってる。使い方はサラというメイドに聞くように」
ディディエはそう言ってドン、と木箱を机の上に取り出した。イヤーカフ型の通信の魔導具は班ごとに用意されている。
ディディエはデヴィッド特製の白衣をバサリと羽織ると、その場をアロンに任せて集団を横切り扉に向かう。
が、シンとした室内を振り返り、「何してるの? ああ、号令とか必要?」と言い、パンと手を叩いて、
「解散!」
と大きめの声で言った。
その途端、教師達は時の流れを取り戻したかのように一斉に動き出す。
教職員室を出たディディエは廊下で控えていたディルクに軽く目配せして、コツコツと廊下を歩いた。
全員の配置が終わるまでにまだやっておくことがある。
「本当に先生方まで使うのですか? シェリエル様はお清め隊とディディエ様に検査するよう仰ったのでしょう?」
「あー、それはあれだよ。シェリエルは事故が起きることを懸念したんだろうね。舐めてるんだよ、教師のことも僕のことも」
「はぁ……?」
「本当なら一刻も早く状況を把握したいはずなんだ。だからさ、兄の天才ぶりを見せてやろうと思って。使われるだけなんて癪じゃない」
「やけに張り切っていると思ったら…… そういうことですか」
「そういうこと。で、プロキオン先生は?」
「すでに待機済みです。アルバラ先生と現在までの経緯をまとめてくださっていますよ」
「さすが。あの人ホント気が効くよね」
「また無茶を言うおつもりですね?」
「拗ねるなよ、お前が一番だって」
「当然です」
「可愛くないなー。元老院はどう? まだ情報は漏れてない?」
「はい。シェリエル様から何かしらお披露目があるのでは、と浮かれていらっしゃいました」
「アハハ、それは良い。地獄を見るぞ、楽しみだ」
「ディディエ様……」
「分かってるって! そうだよ、地獄を見るのは僕だよ! ちょっとくらい楽しみを作っても良いじゃないか」
ディルクは呆れたように息を吐いてやれやれと首を振る。
そんな二人が向かった先は、本館にある防音の結界が施された会議室だった。
「アルバラ先生、大丈夫そ?」
「さ、三回吐きましたよ、私」
「大丈夫そうだね」
アルバラは青い顔で胃の辺りを摩っていた。しかし彼は検査にクリアして、感染症による嘔吐ではないと分かっていての軽口だった。
大きな机にいくつかの魔導具を並べ、その傍で二人が報告書を纏めている。
それを補佐するのは同じく青い顔をしたアリシアだ。水色の髪が一層顔色を悪く見せ、ディディエは微かに眉を寄せた。
「アリシア、寮で休んでいても良いんだよ」
「いいえ、わたくしにも出来ることはさせてくださいませ」
「そ。無理しないでね」
正直助かる。アリシアはこれまでアルバラの補佐をして来たので、情報を纏めたり連絡の取り継ぎをすることに慣れていた。
「ディディエ様、リヒトが到着しました」
「揃ったね。じゃあ、始めようか」
ディディエはたくさんの鏡が掛けられた壁の前に立つと、コキコキと首を鳴らしてフッと短く息を吐き、いくつかの鏡に触れる。
「どうもこんばんは。皆さんお揃いで」
「出たな小童! 待ちくたびれたわ、早う報告せい!」
「まあまあ、落ち着いて」
一際大きな鏡には賢者たちがギュウギュウとひしめき合っていた。シェリエルの一大事だと聞いてずっと魔導具に張り付いていたらしい。
別の鏡にはフェルミンが上位貴族と一緒に並んで座っているのが映っている。ふたりはこの世の終わりみたいに沈んでいて、返事をする代わりにコクと会釈するだけだ。
『ディディエ、いま消毒薬を送ってお清め隊の準備をしています。僕もそちらに行きましょうか?』
「いえ、結構です。父上は転送係なので」
『あ、そういう……』
端の方にある鏡で、空の加護を持つセルジオはチラリと自身の濃い青の前髪を見上げてク、と肩を竦めた。
「賢者様、ベリアルドと学院を繋ぐ転移門の許可をください」
『なに? それは構わんが……』
『よし! わしが行こう!』
『いや、ここは私が。老人には危険ですから』
「代表者だけ喋って貰えます? あと、許可だけで結構です」
『ううむ……』
転移門の準備だけはすでにあった。ユリウスが出掛けに設置して行ったのだ。
しかし魔力を大量に使うのでセルジオであっても休憩を挟んで少しずつになるだろう。無いよりマシだが、必要数が揃うのはやはりもう少しかかる。
すぐに賢者から許可証が転送され、アロンが内容を確認してディディエにコクリと頷いた。
「もうすぐそちらに迎えがあるので何人か王宮の方に向かってください。有識者会議が始まります」
『シェリエルも参加するのか?』
「ええ、勿論」
『あい分かった、わしが行こう。今すぐに』
またギャーギャーと始まった喧嘩は今度こそ無視した。
代わりに青白い顔が並ぶガーランドの鏡へ視線を移す。
「フェルミン様、アロンの入領許可は」
『は、はい! こちらに』
鏡に映った書面を確認し、別の魔導具で転送して貰う。アロンを送るのはシェリエルが帰って来てからだが、準備はこれで整った。
それからディディエはマリアの証言を元に、何がどうしてこうなったのか、これからどういう事になるのかを話して聞かせた。
「——というわけで、いまガーランドとアルバラ研究室は厳しい局面にあります。もちろん僕もお供しますが…… 賢者様もこのような事でシェリエルを失いたくはないでしょう? 協力してもらいますよ」
『小癪な…… しかし異論はない!』
『ディディエ様、ありがとうございます。私ではどうして良いか分からず……』
「フェルミン様、信頼できる人間は?」
『はい、補佐官と、彼ら医療促進委員会の皆は……』
フェルミンの側には映っていないだけで他にも人が居るらしい。鏡の向こうから「フェルミン様ッ!」と感涙に震える声が聞こえてきた。
そういうのは後でやってくれと思ったが、ディディエは円滑に進めるため黙っておいた。
「ガーランドの患者に何か変わったことは? 病が増えたとか、悪化したとか」
『まだ検査を始めたばかりとのことで…… ええと、軽症ですが数人が病を増やしていました。あと、子どもたちが数名……』
『ッ…… メメが、メメが熱病に! 血涙病まで貰っていたのです!』
「いや誰? ああ、平民の子でしたね。遅病は? その平民の親はたしか、血涙病と遅病の併発患者でしたよね?」
『ええ…… 幸い、遅病の感染はありませんでした。直接血液に触れなかったようで…… しかし熱が高いそうで、死んでしまうかもしれない! あんな小さな身体で非力な平民が助かるものか……』
「それは僕に言われても…… ヨハンが何とかしますよ」
『ヨハン殿、ヨハン大先生……』
厳しい顔で涙を流す男はヨハンを求めるように席を立とうとして、フェルミンに服の裾を掴まれ引き戻されていた。
ガーランドはずいぶんご機嫌な領地に様変わりしたらしい。代替わりさせて良かった、と思うディディエである。
そんなこんなで情報共有と今後の指示を出したディディエは鏡の通信を繋いだまま椅子に腰掛ける。
机の向こう、正面の壁に鏡が並ぶが、狭い部屋を選んだので距離は近い。
ディディエは手元に三つの魔導具を引き寄せ、同時に魔力を込めた。
「さて諸君、準備は出来たかな。まだの者は作業しながら聞くように。これより各班に分かれて行動してもらう。班分けはすでに把握しているね。返事は基本班長が。緊急の場合は適宜報告を」
『了解』
と、いくつか返事が返る。
排他処理を見直した通信の魔導具は一度に数名が話せるようになっていた。これはこれで混線する恐れがあるのでどちらが良いか試している途中だが、この人数なら試すのにも申し分ないだろう。
「教師で感染者は?」
『こちらロミルダ。教職員に感染者はおりませんでした、どうぞ』
「了解。寮監各位、外出中の生徒は確認できたかな?」
『こちらゴルド、五名不在、どうぞ』
『こちらシルバ、八名不在、どうぞ』
『こちらカッパー、三名不在、どうぞ』
『こちらカブル、全員確認済み、どうぞ』
教職員会議ではこうして上から順に報告するので、通信でのやり取りもスムーズに進んだ。
ディアモンはすでにプロキオンが全員の所在を確認している。
「カッパーの不在者はマリア・バルカンが含まれているから…… 二名か。アイザック教官、歓楽街の生徒は何名確保できたか確認を」
『こちらアイザック。現在八名確保。第一陣がこちらに送還中、どうぞ』
「了解。では戻り次第正門で検査を。検査班は寮に到着したらすぐに検査を始めて」
そこに、モーゼスが三名の医者を連れて入って来た。
「よし、カブルに一名、カッパーに二名お清め隊を派遣する。それぞれモーゼスが同行するから身元確認はそれで。彼らは医者だ、魔力の補助は必要ない」
『了解』
それからはもう、気が狂いそうな有様だった。
それぞれ別のことをしている人間から次々報告が入り、ディディエはそれを一人で捌いて指示を出す。
ディルクは隣で見取り図に印を付けながらディディエを補佐し、アロンは感染者の情報をひとつに纏め、医者を送り届けて戻ったモーゼスはアロンの補佐に入る。
アリシアは出来た資料を複写しながら必要な人間に配り、草案に修正を加えたりと報告書の補佐に回る。
『こちらゴルド検査班、全員検査終了、どうぞ』
「了解、ゴルド検査班はそのままシルバに向かって。清掃班——」
「三番空きです」
「三番はゴルドに向かい、寮内の清掃に入れ。全体を洗浄、そのあと消毒!」
『了解』
清掃は魔法で一気に洗浄し、その後チマチマと消毒薬で拭き上げて行く。お清め隊は平民に清掃させるが、魔法に特化した教師たちを使えば短時間で終わらせることができるだろう。
やけにシェリエルの帰りが遅いなと思いつつ、こうも通信が混み合っていては念話を繋ぐ余裕も無かった。





