40.憂色の警告音
——カーン、カンカンカンッ、カン……
貴族学院本館及び、全寮内にけたたましい鐘の音が響く。
賢者の塔にも導入されている魔導具による擬似警鐘——それに続くのはディアモン寮寮監、プロキオンの声であった。
『全館に告ぐ。これより学院を閉鎖する。生徒は各自速やかに自室に戻り待機するように。学年、階位関係なく自室から出ることを禁じる。寮監は通信具を携帯し、生徒を監視せよ。繰り返す、これより学院を閉鎖する。生徒は自室で待機。これは訓練ではない。許可があるまで自室から出ることを禁じる——』
まだラウンジで談笑していた生徒たちは「え……」と目を丸めて周囲を見回した。
全館放送が導入されてから何度かこういった放送はあったが、ただごとではない雰囲気に圧倒されてその場を動けずにいる。
「何をしているのです! 早く自室に戻りなさい!」
「わ、なに、え……」
「何かあったんだわ」
「敵襲か⁉︎」
「走らないように! 慌てず自室に戻るのです! 許可があるまで出てはいけません!」
蜘蛛の子を散らすように全員が一斉に動き始める。
そしてこれはどの寮も似たようなものであった。
学力や階位の違いはあっても、上は良く躾けられているし、下は命令されることに慣れている。
最下位のカブル寮は寮監が不在だったため少し遅れはあったが、上級生が先導してそれぞれを部屋に収めた。
ディアモンではすでに食事を終えて自室でゆっくり過ごしていた者が多く、友人とお茶を楽しんでいたメヒティルなどは「あら、大変」とスクッと立ち上がり、侍女見習いたちを連れてそろそろ自室に戻る。
全館放送のあとドッと騒がしくなった学院はすぐにシンと静まり返った。
その少し前、マリアを自室に招き入れたシェリエルは——
「こちらにお掛けください」
入り口からドレスルームを過ぎて右手にある一人掛けのカウチにマリアを座らせた。
客室とドレスルームに挟まれていて、ここが一番邪魔にならないのだ。
左手には広いローテーブルと大きな長椅子があり、ユリウスとディディエがポカンと首を傾げてこちらを見ている。
「え、どうした? なんでそいつ……」
「私はそろそろ自室に戻ろうかな」
シェリエルはとにかく頭のなかが忙しくて言葉を精査する余裕がない。
どうここから始末を付けるか。
言い方ひとつでふたりの心象が決まり、シェリエルにも制御不能になってしまうので、まず自身のなかである程度シナリオを練る必要がある。
そして、スッと大きく息を吸い込み脳にたっぷり酸素を送ってから。
「マリア様が罹患されました。すでに数日経っているようです」
「ハァ?」
「あぁ……」
これまで疫病対策の進捗や成果はふたりにも話して来た。だからふたりはシェリエルと同じように思考し、呆れて、そして停止する。
カウチに浅く腰掛けたマリアは顔を真っ白にしてぶるぶる震えていた。
「マリアさん、正直にすべて話してください。誤魔化しや嘘は後々貴女の首を絞めることになるので気を付けて」
敬称を下げたのは親しみを込めてのことではない。貴族として扱う気が失せたからだ。
「な、なにから…… 話せば」
「いつからガーランドに?」
「火の…… 三日ほど前です」
「どうやって?」
「転移門で、ば、馬車で。通行証をもらって」
「誰に」
「それは…… 言えません」
「神殿で何を?」
「おせ、子どもたちのお世話、を……」
ハァー、と大きく息を吐いて、シェリエルはサラにモーゼスとアロンを呼ぶよう指示を出す。
サラの背を見送るとクルッとマリアに向き直して尋問を再開した。
「神殿にはどうやって入ったんです」
「普通に、えと」
「どうして子ども部屋に?」
「その、看護師の方に頼まれて」
「……神殿内で他に行った場所は」
「……お庭と…… でも! 本当に何もなくて! わたしは病なんて、もらっていなくて」
「聞かれたことだけに答えてください」
「ッ、ヘジと、メメの…… 親御さんに会いに、行ったことが…… あります」
「正気か?」
淡々とした尋問によりシェリエルはだいたいのことを把握した。それはディディエとユリウスも同じで、渋い顔をして琥珀色の酒をちびりちびりと舐めるように飲んでいる。
「シェリエル様! モーゼス、参りました」
「モーゼス、メアリに至急通信を繋いで。ヨハンは手が離せないだろうから」
「はい!」
モーゼスが魔導具を操作する横でシェリエルは状況を説明する。モーゼスはそれを聞いてピク、と手を止めるが、すぐにペンを滑らせる速度を上げた。
「シェリエル、どうする? マズイよね、さすがに」
「学院を封鎖しましょう。それから全員の感染状況を検査をして…… 並行して神殿の状況を確認します。子どもたちにも感染しているかもしませんから……」
「あー、平民の?」
「そんなっ!」
ディディエの無関心な声とマリアの悲鳴のような声が重なる。
「貴女、ずっと白衣もマスクも無しに庭や神殿内を歩き回っていたのでしょう? 病を貰って当たり前です。定時検査もしていないでしょうし、子どもたちも何かしら感染しているでしょうね」
「や、そんな…… だって、看護師さんには何も、言われなかったわ……」
「貴女がわたくしの同行者だと嘘を吐いたからです。結界を張っていると思われたのですよ。平民には魔力量や魔法の級なんて分かりませんから」
「……じゃあ、先生もわたしのせいで?」
「でしょうね」
マリアはワッ!と顔を手で覆って泣き始めた。
面倒くさい…… まだ聞かないといけないことがあるのに。
シェリエルは一見冷静に話しているが、これでも凄く怒っていた。この感情を発露する方法が分からないくらい怒っているので、表面上は極めて冷静に見えるのである。
「シェリエル様、メアリに繋がりました。概要は説明したので音声に切り替えます」
「ありがとう」
『メアリです、ご指示を』
「そちらはメアリが主導で動いて。研究を止めるわけにはいかないから」
『はい』
「神殿と連携して事実確認と子ども部屋の検査を。これは神官を使うように。平民の看護師は聞き取りだけして子ども部屋には近付けないでね。あと、詳細は伏せておいて、看護師が不安がると穢れを呼ぶわ」
『承知しました』
「それからフェルミン様と医療促進委員会には話を通しておいて。もし感染が広がればガーランドが矢面に立たされる恐れがある。管理体制を文書化しておくようにと伝えてちょうだい。あとでアロンを送るわ」
今思いつくことを適当に喋って通信を切る。
すると、ディディエが「ヒュ〜」と口笛を吹いて、「シェリエル、統治に百点!」と、バカみたいな声で言った。
もちろん無視だ。
「シェリエル様、プロキオン先生とアルバラ先生をお連れしました」
「シェリエル君、ッ何事ですか!」
「……ッハァ! 水、お水もらっても?」
涼しい顔でシャキッと立つリヒトの横でふたりがゼエゼエと荒い息をしながら膝に手を突いていた。
そのままチラ、とリビングの方に目を向けて、ふたり同時にゲホッと咽せる。
それに対し、ディディエは「ヤッ!」と片手を上げ、ユリウスは新しいロックグラスに水を注いでやっていた。
「ほら、第一王子の入れた水だよ。貴重なものだ、心して飲みたまえ」
「ッ! ヴ、なんっ」
「先生…… 遊んでいる場合ではないのですが」
「ふふ、肩の力が抜けたね。君、さっきから破裂しそうなくらい張り詰めていたから」
「あ……」
「いや、それ絶対僕のおかげだから! しれっと自分の手柄にするなよ」
「おや? 君は先ほど完全に無視されていた兄君ではないか」
「静かにッ!」
さすがに大きな声が出た。しかし、怒りのベクトルを逸らされたことで多少は頭が冷える。
この間に教師ふたりも息を整えることができたらしい。
「本当に、なにがあったのです」
「プロキオン先生、これから学院を封鎖してください」
「、?」
「モーゼス、説明を」
「ハイッ!」
モーゼスが教師陣に説明をしている間、シェリエルはディディエとユリウスを連れてマリアを客室に入れる。
念のため結界を張り、ふたりに防護結界を張ってもらうと一旦マリアの隔離結界を解いた。
「これから感染の検査をします。お兄様とユリウス先生も検査の仕方を覚えてください」
「まさか、僕らに全生徒の検査を手伝わせる気?」
「学院には千を超える生徒がいるのです。ベリアルドのお清め隊を呼ぶにしても間に合いません。それに、命の加護を持つお兄様なら治癒も可能でしょう?」
「え〜、それ僕がやるべきことかなぁ? なんでこの女の尻拭いを僕らがやらないといけないの」
「これはわたしの責任でもありますから…… お願いします、わたしを助けると思って…… リヒトも付けますから!」
「はぁ…… ユリウスどうする?」
「とりあえず知識としては知っておきたい」
「そういうやつだよ、お前は」
「ではまず、この魔導具に血液を垂らします」
兄を引き込むのに無駄な時間を使ってしまったし、この状況でも協力しないという選択肢があることに眩暈がしそうだ。
シェリエルは気を取り直してまだメソメソと泣いているマリアの指先をナイフで切り付ける。
「痛ッ」
「それ本……? 魔力測定の魔導具にも似てるけど」
「はい、他に記憶媒体が思いつかなくて……」
シェリエルが取り出した分厚い本の表紙には中央に魔法石が嵌め込まれていた。表紙の裏側には錬金術式が施されていて、数百のページに記された疫病陣を並行で処理するようになっている。
謂わば、本の中身はデータベースであり、表紙の部分が実行ファイルというわけだ。
元のギフトは病の情報も魔法陣に組み込んでいたため数種類しか記憶できなかったが、紙に記して切り出すことで、好きなだけ病を登録できるようになった。
「なるほど、まずは比較すべき情報だけ陣にしてそれと総当たりで正誤判定していくのか。愚直だが筐体に書を使うとは面白い。内在世界の具現化かな?」
「あー、そういえば僕にも本でイメージしろって言ってたね」
「ええ、わたしもそれを思い出して。まあ、とにかく照合が終わると該当ページに印が付きますから、病の検査としてはそれを確認するだけです」
「え、印ってこれ? なんかすごい付いてない?」
「うわ、え…… 本当に?」
登録されている病に感染していればそのページが黒く変色する。なので色の変わったページを開いて陣に添えられた病名を見れば良いだけなのだが、マリアの血液はどれだけ挿絵が入っているんだというくらいいくつも変色があった。
マリアもさすがに異様な空気を感じ取ったのかオロオロと視線を左右に振る。
「な、なんですか…… わたし、また何かやっちゃいました?」
「どうしてこんな…… 疫病見本市も良いところじゃないの! もしかして、庭を歩いたときすべての天幕を回ったのですか!」
「は、はい…… 励まそうと…… みんな回らないと、差別になるかな、って」
「モーーゼスッ! 至急メアリに通信! 全患者調べ直してッ!」
隣の部屋からモーゼスの上擦った返事が聞こえ、目の前ではマリアがギュッと目を瞑っていた。
本当に信じられない…… マリアの行動もだけど、こんなに保菌するなんて……
「まあ、そうだよね。対策もせずに穢れと疫病が充満するとこへ数日通ったんだろ?」
「なぜこれだけの病に感染していてひとつも発症してないのでしょう」
「これからじゃない? その教師は老人なんだろ? 当然免疫力も低いから病原の増殖が早かったんじゃないかな」
なるほど、たしかに……
と、シェリエルは軽く頷いた。
魔力を持つ故に病原体の増殖も早いが、免疫もまた魔力により補強される。
心身共に健康な穢れ知らずの若者なら病原体の侵攻を免疫により防げるが、それだけ病原体を進化させる。
入学が許された一年生ならば免疫の方が勝つだろうが、感染後にすべての病原体を殺すほどになると命の加護がないと厳しい。
すなわち、学生は潜伏期間が長く、病原を凶悪に進化させる最悪の宿主なのである。
そして、老人は体力も魔力も衰えているので、若者が持つ強力な菌には即座に負けてしまう。
「では、カッパー寮の生徒と下級生から検査した方が良さそうですね。高齢の教職員は退避で。お兄様、これから配る魔導具から該当する病だけ残して後は一旦外すようにしてください。魔力の削減になります」
「本当に僕がやるんだ……」
データは少なければ少ないほど効率が上がる。
ディディエはぶつくさ言いながらもペラペラとページをめくって病名を頭に入れ、最後にチッとマリアに舌打ちした。
マリアはそれだけでビクッと跳ね上がってシェリエルの後ろに隠れる。
「ね、あの…… せんせ、ヘレン先生は……? お願いです、早く先生を助けて、ください……」
「それより先に学院でしょう? 貴女の先生は動けないのだから感染が拡がる心配はありませんが、ここは上位も集まる学院ですよ? 致死率の高い病だってあるのに……」
「うッ……」
「とりあえず、貴女はいま疫病を多く抱えているので軽率な行動は控えてください。いいですね?」
「は、い……」
魔導具を閉じると表紙を洗浄する。
物理的にリセットするため、魔力測定の魔導具と同じ薄くて軽い石を使ったのだが、思った以上に使い勝手が良かった。
「洗浄のあとは消毒薬を含ませた布で拭いてください。裏には染み込まない仕様なので表面だけで大丈夫です」
「りょーかい……」
それから再びマリアに結界を施して部屋を出ると、真っ青な顔で冷や汗を垂らす教師ふたりと目が合った。
モーゼスの説明は終わったらしく、アルバラが泣きそうな顔で叫んだ。
「シェリエルぐんッ! どうするんですか! こんな、こんなの!」
あんまりだ、と言いたかったのかもしれない。
しかしアルバラはマリアの方を見てグッと唇を噛んで堪えていた。
生徒を叱ることはあっても、責めるようなことをしたく無かったのだろう。
「プロキオン先生、学院の封鎖をお願いしてもよろしいでしょうか」
「封鎖…… そうですね、封鎖。ええ、もちろんです。歓楽街に出かけた生徒もいるでしょうから、騎士団にも協力を要請しましょう」
「か、歓楽街…… あ、あぁ…… 最悪ッ!」
「アハハハッ! これどうするの? もう無理だろ!」
「はは、ふふふ…… さすがにちょっと笑ってしまうよね」
ディディエとユリウスはツボに入ってしまったらしく、しばらくそうやって笑っていた。
アルバラは引き攣った顔を土気色にして微かに震えている。統治の授業でガーランドの疫病を扱った責任はあまりにも大きい。
「アルバラ先生は兄と一緒に先生方への説明をお願いします。申し訳ありませんが、指揮は兄に任せてもよろしいでしょうか」
「それは…… どういう」
「責任者であるアルバラ先生が陣頭指揮を取るのが筋だとは思うのですが、ここからは正攻法では行かないので…… あと、責任を分散する為でもあります」
ディディエは「ん?」と片眉を上げてから、すぐに「なるほどね」と悪い笑みを浮かべた。
もうこうなってしまっては病以前に責任問題で死者が出る恐れがあるのだ。
「シェリエルはどうするの?」
「わたしはこれからユリウス先生と下山します。ヘレン様の治療をしないと」
「え、私もかい?」
「シェリエルが行く必要ある? ヨハンでも呼べばいいじゃない」
「ヨハンはまだ賢者様の補佐があるので」
「また無視か…… 私の人権はどうなっているのかな?」
「でもさぁ、わざわざ病人を診るなんてシェリエルがやることじゃないだろ。しかもそいつの教師? 死なせておけば? 結界があっても危険だよ」
「そういうわけにも行きません。ヘレン様周りの感染状況も調べて来ないと…… それに、その、わたしももう感染してしまったみたいで」
「え? なん、で…… え?」
「さっき、自分で調べました」
ピン、と空気が張り詰めて、控えめに自己主張していたユリウスですら黙り込む。
シェリエルは口にしたことであの一瞬でも感染するという事実を改めて実感し、思わず背筋が震えた。
魔力を伴う疫病はこれほどか、と。
「いやいやいや、待ってよ。は? なんの病? ねぇ! シェリエルッ!」
「落ち着いたら、お知らせします。ですからまず、事態の収束に専念してください」
「おい、ふざけるなよ」
ディディエに胸ぐらを掴まれて、シェリエルの踵が床から離れた。いまにも噛み付かんとする兄の鋭い瞳は微かに揺れている。
怒りと動揺に満ちた沈黙。
シェリエルの視界に黒髪が靡き、胸ぐらを掴んだ拳にスッとユリウスが手が添えられると首元が自由になった。
「ディディエ」
「……」
「シェリエルなら大丈夫だ。私が付いてる」
「絶対、どうにかしてよ?」
「ああ」
このふたりの信頼関係は何なのだろう…… あ、そういえばわたし「大丈夫」とは言ってなかったか。
「お兄様、わたしは大丈夫です」
「本当? 治癒できない病だったら許さないからね?」
縋るような弱々しい声はシェリエルの表情をも緩めた。安心させてあげたいという気持ちが自然と柔らかな微笑みへと変わる。
再び騎士服に着替えたシェリエルはマリアとユリウスと共に正門に向かっていた。
「転移で下山して街で馬車を拾いましょう」
「馬車は用意させてある」
「さすがです」
そこに「カーン、カンカンカンッ……」と、星空さえ揺らすような鐘の音が響く。
それは眠れない夜の始まりを知らせるには充分な警告音であった。





